マッチ擦るつかのま海に霧ふかし…

 「愛国心」というのは「井蛙(せいあ)の偏狂心」を言うのかもしれません。外海を知らず、井の中が「最高」という、無根拠の教条(世間知らず)のような気がします。ぼくは東京に出てきた当座、しばしば銀座や数寄屋橋に食事などに出かけました。その当時、高名だった「赤尾敏」という右派の「闘士」がいつも街頭演説をしていました。それ以前、京都でそんな光景は見た経験がありませんでしたから、ぼくの目には、じつに新鮮に映ったし、実にまっとうなことを吠えていると驚きました。ぼくは二十歳前でした。「愛国党総裁」という肩書で、戦時中の「翼賛選挙」で当選された元代議士だった。何度もその演説の場面に遭遇して、つくづく考えた。彼は時の権力者とおぼしい政治家のことごとくを悪口雑言のかぎりを尽くして罵っていた。もちろん、社会党や共産党も、それ以上に激しく罵倒していた。所かまわず、政治家の悪口を言う、これが「愛国者なのか」と強く印象づけられたのでした。(それなら、ぼくにも才能はあるんだ、と思ったような気がした)

 六十年代前半から七十年代初頭まで、ぼくは文京区本郷に住んでいた。「赤尾総裁」はその先の茗荷谷近辺の愛国党本部から通っていたと思う。ある時、地下鉄の丸ノ内線車内で、偶然にも隣同士になった。相手が何者か、まったくといっていいほど(その経歴に)無知だったが、ぼくは何か質問したように思います。尋ねた内容も不確かになりましたが、彼はその直後、爆睡状態に入り、それを見ているうちに、電車は本郷三丁目に着いた。その当時はそれほどに意識はしていなかったが、この「愛国党」の党員だった一人の少年が、60年安保後の十一月、日比谷公会堂で生じた「(社会党委員長の)浅沼稲次郎氏刺殺」の犯人だったことを知った(思い出した)。その後も何度か、数寄屋橋でも電車内でも赤尾さんと出会ったが、彼は電車ではほとんど眠っていた。「愛国者」は睡眠不足なんだと、バカなことを考えたものでした。さらに、時の権力者を「蛇蝎の如く」嫌い、罵るのが「愛国者」なのかと愚考したものでした。「愛国」や「愛国心」のことを想うときっと、赤尾さんが思い出されます。(もし、赤尾さんのような傾向の持ち主が「愛国者」なら、ぼくにもそれは多分にありますね。つくづくそのことを想いながら、ここまで生きてきました。今は、娘さんが頑張っておられる)

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 ◉ 赤尾敏(あかおびん)[生]1899.1.15. 名古屋 []1990.2.6. 東京=右翼運動家。愛知県立第3中学校を中退後,社会主義に目ざめ,東海農民組合連合に参加したが,組合への寄付金要請が恐喝罪に問われ,有罪判決を受ける。入獄中に社会主義と訣別し,皇道主義を唱える国家主義者に転向した。 1922年2月 11日第1回建国祭を挙行,26年東京大学教授の上杉慎吉を会長に「建国会」を設立,書記長となる。 33年会長に就任。 42年衆議院選挙に当選翼賛政治会員となるが,東條首相の演説を批判したため翼賛会を除名される。第2次世界大戦後は,公職追放解除直後の 51年に大日本愛国党結成総裁となる。一貫して反共反ソを主張,30年間続けた東京・数寄屋橋での街頭演説は名物となり,街頭宣伝活動のモデルになった。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 これが「愛国心だ」とか、「国を愛するとは、これこれを指す」と言われるなら、ぼくはそれには参加も賛成もしたくありません。「愛校心」「愛社心」などと並んで、「愛国心」をとらえると、それはどうしても偏狭であり、偏狂になりがちなのは否定できないでしょう。国を愛する、それはきわめて抽象(発酵)度の高い概念であり、したがって教条的になりがち、ひどく酔っぱらうのではないでしょうか。いろいろな説明や解説が乱立していますが、これぞ、愛国心の核だという手ごたえは、ぼくには感じられてきません。なんでもそうでしょうが、目で見ることも手で触ることもできない抽象性の高い言葉は、どうしても偏頗で教条的になるのを避けられないでしょう。人それぞれの「愛国心」があるのですよ。いつだって、どこにだって、とんでもない政治家がいます。彼らの言動には「愛国心」ではなく、「売国心」こそが機能しているんだね。ある種の「愛国心」は「売国心」と双生児です。

 愛国心は「国家への非合理な盲目的服従を意味する」ものではないということはできるし、そう考えたいのは山々です。でも現実には「非合理で盲目的な服従」を強いるのが権力者であり、それを受け入れるのが「愛国者」だということになっていませんか。だから、「愛国者」同士が「殺し合う」という凄惨な状況がいつでも生みだされるのです。君は、どのように考えているのかと問われれば、正直に「国家への忠誠」は真っ平後免だと言っておきます。そのうえで、誤解されそうですが、あえて言うと「うさぎ追いし かの山」「小鮒釣りし かの川」という情操・あるいはその記憶だといいたいですね。でも、「そんなものはどこにもないじゃないか」といわれれば、山も川もなくなり、変えられてしまった、だから「(かの山かの川というものを)大事にしたいという感情は、ぼくの心境に存している」というほかないのです。

 つまりは「忘れがたきふるさと」という感情です。その「ふるさと」は生まれた場所であったり、住んだところであったり、あるいは父母兄弟姉妹(家族)であったりしますから、人それぞれに「ふるさと」と感じる対象(内容)は異なるし、異なっていいのです。そんなチャラい「愛国心」で、国が守れるか、といわれそうですが、どうして、何が何でも国を守る必要があるのかといいたいね。現実にウクライナで起きていることは何か。ある日突然、「この土地は俺たちのものだ、出て行け、出て行かないなら、殺すぞ」と、盗人・殺人狂が暴力むき出しで、ミサイルやクラスター爆弾迫、さらには撃砲を連射し投下しているのです。マンションの自宅内の台所に、ロシアの放ったミサイルが突き刺さっている映像を見ました。

 ぼくがその場(ウクライナ)にいたとして、ぼくのなけなしの「愛国心」はどこに向かうのでしょうか。その「国に殉じる気持ち」は、ぼくをどこに連れて行くのか。「外敵」に対して防衛する「防衛・自衛隊(という軍備)」は必要でしょう、今のような状態では。しかし究極は「非武装中立」(どこかの政党が看板にしていましたが、今はバリバリの軍事力保持派になりました)といいたい。飛んでくる火の粉は振り払う、国家はそれをしてくれますか、「自分の命は自分で守る」、これがぼくの正直な気持ちであり、ウクライナの現実でしょう。職業軍人(軍隊)の務めは、また別の問題です。そもそも、国という形は、もともとのものではないでしょう。

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◉あい‐こく【愛国】〘名〙① 自分を大切に思うこと。※百学連環(1870‐71頃)〈西周〉二「又人には〈〉 patriotism (国の誠)といふあり。〈略〉、だ自然にれが生国を恋ひ思ふが如きこれを愛国の誠といふ」 〔荀悦漢紀‐恵帝紀〕② 品種の名。収量は多いが品質は劣る。(精選版日本国語大辞典)

◉愛国心= 自己の属する政治的共同体 (国家) と自己とを一体のものと感じるところに生じる共同体への愛着感。政治的反省を経ない素朴な帰属感としての愛国心は,しばしば排外主義的国家主義に統合されやすい。しかし近代的意味における愛国心 (パトリオティズム) は,国民国家を専制君主外敵から奪回し,自由な市民の共同体として形成,維持すること,またそのような共同体に奉仕することを内容とするものであって,国家への非合理な盲目的服従を意味するものではない。(ブリタニカ国際大百科事典)

◉ あいこくしん【愛国心 patriotism】=愛国心とは,人が自分の帰属する親密な共同体,地域,社会に対して抱く愛着や忠誠の意識と行動である。愛国心が向かう対象は,国countryによって総称されることが多いが,地域の小集団から民族集団が住む国全体までの広がりがある。この対象が何であれ,それはつねにそこに生活する人々,土地生活様式を含む生活世界の全体である。また愛国心の現れ方は,なつかしさ,親近感郷愁のような淡い感情から,対象との強い一体感あるいは熱狂的な献身にいたるまで,がある。(世界大百科事典第2版)

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 ぼくは歌ったことはありませんが、こんな「第二国歌」がありました。題して「愛国行進曲」というものです。(https://www.youtube.com/watch?v=F0U6Mly-KMY)(自衛隊の「名歌手」三宅さんも歌われています)

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 戦時に限って「愛国」というのも変ですし、それは特別の感情ではないとぼくは感じていますから、戦時・平時を問わず、ぼくは「ふるさと(よりどころ)」に寄り添いたいと思うのです。「愛国心」とか「愛校心」と他人から唆(そそのか)されたから(強制されたから)、自分の中に生まれるものではないでしょう。「愛校心を持て」と教師から言われて、「はい、持ちました」と、カバンじゃないんですから、そうは問屋が卸さない。「一人の人間を愛する」、同じ感情のなかに、あるいは「国」を愛する感情というものがあるのかもしれません。この感情は、学校教育や強制力によって生み出されるものではないし、維持されるものでもないと、ぼくは考えたり感じたりしているのです。

 「敵は核を持っている、だから当方も核をシェアしよう」という輩は、愛国心で目いっぱいの力瘤(愛国心)かもしれない、でも、それは間違いだし、寝ぼけたことは言わないでというのもまた「愛国心」だとするなら、どっちの愛国心が強いか、いずれが勝つか、「神様の言う通り」なんですかな。あほな政治家たちが唱える国策に、反旗を翻す、そちらの方に「愛国」の要素が強いと思いませんか。ロシアで反戦・反プーチンの行動や姿勢をとる側に「国を憂うる」気持ちがあると、ぼくは想うのです。プーチン一派は「愛国派」ではなく「売国派」ではないでしょうか。国は売ったり買ったり、取ったり盗られたりするものだとするなら、そんなものに、おちおちと「自分」を委ねられますか。

 ぼくはこのように、きわめて曖昧にしか言えませんが、疑うべくもない感情として、それを実感することが出来るのです。しかし、世の多くはそれでは足りないというか、不満なのでしょう。もっと断固とした、「揺るぎない」姿勢や態度を、硬直した(骨太の)「愛国心」を求めたがるのです。お前のように軟弱ではない、この国の誇らかな成り立ちと文化、歴史と伝統を謳歌する、きっぱりした態度。それを軽侮する輩は、徹底的に懲らしめる、それが「愛国心」だいうのか。ここまでくると、「そんなん、いやや」と、ぼくはつぶやき、逃げ出します。昨日、何時も電話をかけてくれる京都の友人が、メールで、石垣りんさんのことに触れた文章を送ってくれました。

 「落花」という石垣さんの詩が引かれていました。ある新聞のコラム「折々のことば」に紹介されていたという。その詩は「さくら さくら / 散るのが美しいとほめ讃えた国に落ちるがいい / 花びら / 涙 / いのち / 死の灰」、これを石垣さんは三十四歳で書かれたことに、ぼくは彼女の心・意識を見出しています。石垣さんは、82年の春だったか、「都立第五福竜丸展示館」を訪問された。そのときのことを書いた文章に「とんでもない災害に巻き込まれることも知らないで、刻々にその場所に近づいてしまう。(略)私は自分の日常に当てはめておもわずつぶやいてしまう。『こわいなあ』」(「春の日夢の島へ」『夜の太鼓』所収・ちくま文庫) 当方に断りもなしに、原発は爆発するし、侵略は強行される。石垣さんは「こわいなあ」でしたが、ぼくは「あほか、いい加減にせいや」とぶつけたいね。

  その石垣さんの「弔辞」という詩を、少し長いのですが、全行を。(この中の一部も、他人の文章の紹介として、友人のメールにあった)

  弔詞            石垣りん
          

  ――職場新聞に掲載された一〇五名の戦没者名簿に寄せて――


   ここに書かれたひとつの名前から、ひとりの人が立ちあがる。

   ああ あなたでしたね。
   あなたも死んだのでしたね。

   活字にすれば四つか五つ。その向こうにあるひとつのいのち。
   悲惨にとぢられたひとりの人生。

   たとえば海老原寿美子さん。長身で陽気な若い女性。
   一九四五年三月十日の大空襲に、母親と抱き合って、
   ドブの中で死んでいた、私の仲間。

   あなたはいま、
   どのような眠りを、
   眠っているのだろうか。
   そして私はどのように、さめているというのか?

   死者の記憶が遠ざかるとき、
   同じ速度で、死は私たちに近づく。
   戦争が終わって二十年。もうここに並んだ死者たちのことを、
   覚えている人も職場に少ない。

   死者は静かに立ちあがる。
   さみしい笑顔で、
   この紙面から立ち去ろうとしている。忘却の方へ発とうとしている。

   私は呼びかける。
   西脇さん、
   水町さん、
   みんな、ここへ戻って下さい。
   どのようにして戦争にまきこまれ、
   どのようにして
   死なねばならなかったか。
   語って
   下さい。

   戦争の記憶が遠ざかるとき、
   戦争がまた
   私たちに近づく。
   そうでなければ良い。

   八月十五日。
   眠っているのは私たち。   
   苦しみにさめているのは
   あなたたち。
   行かないで下さい 皆さん、どうかここに居て下さい。 

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 「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」と謳った、いや、そのように嘯(うそぶ)いたのは寺山修司さんでした。マッチと祖国は無関係であったとして、そもそも「身を捨てるほどの祖国はありますか」という問いは、寺山さんだけに限らず、誰だって抱く疑問じゃないですか。そのような「祖国」に対する姿勢は、石垣りんさんも同じだったように、ぼくには思われます。「さくら さくら / 散るのが美しいとほめ讃えた国に落ちるがいい / 花びら / 涙 / いのち / 死の灰」と言葉を紡いだ石垣さんには、愛国心がなかったのではない、犬死を強いる、そんな「祖国なんか、いらないもの」という気概があったし、それこそが彼女流の「愛国心(そんな言葉は不要ですが)」だったのです。「散る桜、残る桜も 散る桜」と、ごく当たり前のことを、当たり前に言ったのは親鸞さんだったか。

 余談ですが、勤め人をしているころ、友人が役職(理事などといった)に就いて懸命に働いて、その挙句に大病をした。その時、ぼくは彼に「身体を壊してまで奉仕する、そんな値打ちのある職場か」と言い捨てたが、彼には理解できなかったようです。「国家」でも同様でしょう。「挙国一致」も「一億一心」も、ましてや「進め一億火の玉だ」、ということ自体、金輪際あり得ない「人間のロボット化」社会・国家の話、その虚構をして覚悟の「愛国魂」と刷り込んだ、そんな「祖国」なんぞあってたまるか、ぼくはそんなふうに言いたいですね。「国を愛しているから、人を殺し、自分を殺す」、国家というのもの(実態は何だろうね)は、そんなえげつないことを命じるもんなんですか。自分たちの身の丈あった、そのような社会を作り、その中で生きていきたいね、ご同輩!(ぼくは、どんな駄文であっても、そこでは「自問自答」しかしていません、いや、それしかできないんですね。それが書くことの、ささやかな理由なんだ)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。