【日報抄】ヨーロッパのどこからが東欧で、どこからが西欧なのか。30年以上前の授業で習った分かりやすい線引きは集団的な防衛体制の枠組みだった。北大西洋条約機構(NATO)は西側の資本主義諸国で構成し、ワルシャワ条約機構は東側の共産主義諸国から成る▼1990年代半ばにチェコを旅したことがある。共産党の独裁体制が崩壊して5年ほどたっていた。中世の街並みが残る首都プラハは旅行者であふれ、西欧と変わらない雰囲気のように感じた▼道に迷い、地元の女性に片言の英語で尋ねたときのこと。女性は同じく片言の英語で道を教えてくれた後、打ち明けた。「私たちは若いときに英語も、外の世界も知る機会がなかった。あなたがうらやましい」。少し前まで、東西の壁が確実に存在していたことに気付かされた▼それでも時がたつにつれ、東西の線引きは意識されることが少なくなった。ワルシャワ条約機構はなくなって久しい。一方、NATOは加盟国が増え、旧ソ連を構成していたバルト3国も加わる▼経済分野でも東西の線引きは薄れた。西欧には石油や天然ガスといったエネルギー資源の供給をロシアから受ける国が多い。日本も一定量を依存する。しかし、ロシアのウクライナ侵攻でロシアやベラルーシと西側との対立は決定的になった。かつてのような線引きが、再び浮かび上がった▼チェコで出会った女性の言葉を思い出す。人や物、文化の自由な往来を妨げる壁など、もう二度と築かれてはならないのだが。(新潟日報・2022/03/27)
今から二十年近く前に亡くなった友人で、「社会主義憲法」の優れた研究者、Hさんからしばしば東欧の話を聞いていました。年下であった彼とは、それこそ頻繁に酒を飲んだ仲で、その間、一度だって不愉快な気分になったことがないほどの好人物・好漢であったし、音楽や歴史の話題にも事欠かなかった。彼はしばしばチェコやハンガリーなどにも長期滞在した経験があり、当地の景色を目の当たりにしているような雰囲気で、それこそ深夜まで話し込んだこともどれくらいあったことか。そのHさんの話された中でもっとも印象的だったのが、プラハでした。住んでみたい唯一の街で、その都市景観の美しさは比類のものであったと懐かしそうに話された。「ぜひ、一度はゆっくりとそこに住んでみてください」といわれたことでした。たしかに豊かな国で、農業も工業も、さらには文化にも十分に語るべき材料が溢れているようでした。

彼は絵画や音楽にも造詣が深く、スメタナやドボルザーク(➡)などのいくつもの音楽を詳しく話されたことも忘れない。まだ十分に活躍する時間を必要とされていた時期での逝去だった。彼を偲ぶというか、東欧の作曲家の音楽を聴くと、いつしか彼の風貌や声音が耳に届いてくるのです。少し前に触れた「プラハの春」について、その後の経過を含めて語りあった中でも、忘れられないエピソードがありますが、今はそれは話さない。コラム氏のプラハに刺激されて、ぼくはここではドボルザークの「新世界」(1893年、作曲)について無駄話をしてみたい、いやむしろ、そのサワリを聴いてみたくなったのです。
理由は定かではありませんが、ぼくはチェコフィルの音楽を、その指揮者とともに、ずいぶん長く聞いてきたことに、改めて驚いています。生前には耳にする機会がなかったバツラフ・ターリッヒから始まり、カレル・アンチェル、ラファエル・クーベリック、バツラフ・ノイマンなど、そのほとんどの指揮者の演奏を聴いてきました。もちろん、チェコの音楽には限りませんでしたが、やはり、スメタナやドボルザークのものは、なんといっても、彼らの演奏に惹かれていたのです。詳しいことは避けますが、ある種の民族性というか、土のか匂いが、レコードを通して懐かしさをもたらしたのかもしれません。さらにはハンガリーのバルトークなど、自分でも意外な気もしますが、今でもかなりのレコードを持っているのです。

駄文の流れから言えば、チェコにゆかりのある演奏家のものを紹介しておきたいところですが、どうせならという、理由のわからない選択で、指揮はチェリビダッケ、管弦楽はミュンヘンフィルで、ドボルザークの交響曲第九番「新世界」の「第2楽章ラルゴ」を聴いてみたくなりました。この指揮者はルーマニア生まれで、主としてヨーロッパ各地で演奏活動を続けていました。特にドイツでは長く活躍した人でした。フルトベングラーに学び、ベルリンフィルの常任指揮者の後継に名が挙がったのですが、何かと障害があってかなわず、その後、各地で活躍した後に、ようやくにして、ミュンヘンに赴き、当地の管弦楽団の常任になって、このオーケストラを徹底的に鍛えて、優れた楽団に育て上げたのでした。彼は死去するまで、ここで指揮棒を振った。ぼくはこのチェリビダッケは大好きな指揮者で、彼のライバルとされたカラヤンとは比べることもできないような重厚な音楽性を持っていたと感じています。
「新世界」の第2楽章「ラルゴ」は、日本の学校唱歌として「家路」という題名で歌われてきました。歌詞は「冬の星座」の堀内敬三さん。しかし、メロディは豊かであるだけに、その歌詞はそぐわないという印象を、ぼくは強く持ってきました。(堀内さんについては、どこかで触れています)(1922年にフィッシャーが、この「ラルゴ」に詩を付けたとされます。<Going Home>フィッシャーはドボルザークの弟子だった人。四年間のアメリカ滞在中に、ドボルザークはアイオワ州にでかけ、そこで「ラルゴ」の着想を得たという)(William Arms Fisher ・1861-1948)(参照:https://duarbo.air-nifty.com/songs/2008/03/post_9695.html)
Going Home 作詞:W. A. Fisher Going home, going home, I am going home, Quiet like some still day, I am going home.
(チェリビダッケ・ミュンヘンフィル;ドボルザーク交響曲第九番「新世界」:https://www.youtube.com/watch?v=_9RT2nHD6CQ)
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◉ チェコ(Czech)=正式名称 チェコ共和国 Česká Republika。面積 7万8865km2。人口 1048万3000(2013推計)。首都 プラハ。ヨーロッパ中部,ドイツの東,スロバキアの西に位置する内陸国。西のチェヒ地方(→ボヘミア)と,東のモラバ地方(→モラビア)からなり,国土の大半が低山に囲まれた盆地。気候は大陸性気候と海洋性気候の混合で,海洋性気候の特徴は東部へ向かうほど弱まる。年平均気温は西端のヘプで 7℃,南東部のブルノで 9℃。年間降水量はボヘミア盆地で 450mm,最多月は 7月,最少月は 2月。6世紀までにスラブ人がボヘミアに定住するようになり,8世紀末にはモラビアにも勢力を広げた。モラビアは 9世紀半ばに大モラビア国を形成したが 10世紀初頭にマジャール族に滅ぼされた。代わってボヘミアが台頭したが,1526年ともにハプスブルク家の勢力下に置かれた。19世紀に入って民族主義の意識が高まり,1918年スロバキアとともに独立し,チェコスロバキア共和国を形成した。1969年連邦制の実施でチェコは,チェコスロバキア社会主義共和国の一連邦となり,1993年1月連邦が解体し独立した。1999年北大西洋条約機構 NATOに,2004年ヨーロッパ連合 EUに加盟。住民の 90%以上がチェコ人(ボヘミア人)とモラビア人で,公用語はチェコ語(チェック語)。キリスト教のカトリック信者が約 1割で,無宗教の者も多数いる。分離したスロバキアに比べ高度に工業化が進んでおり,エンジニアリングが最大の産業。次いで食品,エレクトロニクス,化学などの産業が有力。社会主義体制の崩壊後,1990年代初めに実施された経済改革が奏効してめざましい経済成長と低失業率を実現し,西側諸国の一員として認められた。輸出入とも機械類,輸送機器が主。(ブリタニカ国際大百科事典)
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◉ チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(ちぇこふぃるはーもにーかんげんがくだん)(Česká Filharmonie)=チェコの代表的オーケストラ。1894年、プラハ国民劇場の管弦楽団員たちにより結成され、96年1月4日、ドボルザークの指揮で最初の演奏会を開催した。1901年に国民劇場から独立し、もっぱらコンサートのためのオーケストラとして活動を始めた。第一次世界大戦後の19年、バーツラフ・ターリヒが首席指揮者に就任してから世界有数のオーケストラと認められるようになった。50年から68年まではおもにカレル・アンチェルが指揮、以後バーツラフ・ノイマン(1968~78)、ズデニェク・コシュラー(1978以降)が首席指揮者を務めている。マーラーが自作の交響曲第七番を初演するなど、世界の著名指揮者が招かれ、また毎年「プラハの春」音楽祭に出演している。1959年(昭和34)初来日。(ニッポニカ)

◉ チェリビダッケ(ちぇりびだっけ)(Sergiu Celibidache)(1912―1996)=ドイツの指揮者。ルーマニアのロマンに生まれ、ベルリン音楽大学とベルリン大学で学ぶ。1945年に代役としてベルリン・フィルハーモニーを指揮して成功、45~52年その首席指揮者を務め、第二次世界大戦後の楽団立て直しに尽力した。しかしカラヤンが常任指揮者に招かれるとともに去り、客演指揮者としてヨーロッパ、中南米で活動。63年以降はスウェーデン放送交響楽団、フランス国立管弦楽団、南ドイツ放送交響楽団、ミュンヘン・フィルハーモニーなどの首席指揮者や音楽監督を歴任。77年(昭和52)読売日本交響楽団に客演のため初来日。オーケストラを美しく透明に響かせるのに独特の才能を発揮したが、テンポが遅く表情づけが過剰で、スタイルの古さを感じさせるうらみがあった。(ニッポニカ)
HHHHHHHHHHHHHHHH
「プーチンの戦争」は開始以来、一か月余が過ぎました。当初の狙い通りにはいかず、今では焦りに焦っているのではないでしょうか。八年前の「クリミア侵攻」に際して、西側諸国はほとんど関心を持たなかった、といっていいくらいに、さしたる反応を示さなかった。今回はその時の無関心に近い反応をいいことに(味をしめて)、プーチンは、西側(特にアメリカ)は「恐れるに足りず」とたかをくくって侵略した、あるいは非難どこ吹く風と、「いい気になって」、暴力をむき出しにしたのでした。現状はどうであるか。素人のぼくには何とも判断はできませんが、あからさまな「戦争犯罪」というべき「殺戮行為」をここまで重ねてきたのです。中国でさえ、プーチンの側に加わることを躊躇するほどですから、この先は、彼の自爆を警戒する必要があるでしょう。戦闘被害が、彼や彼の取り巻きだけに限定されるならまだしも、「毒を食らわば皿まで」と出たらめに走る前に、それを阻止できるかどうか。(ヒットラーは自死をした)

「新世界」は、十九世紀末のアメリカに招かれたドボルザークが、「新文明」に驚嘆した強烈な体験を音楽で表現したものですが、そのような文明の根っこにも、彼にはだからこそ、忘れがたい「望郷の想い」があったのでしょう(彼は四年間滞在していました)。そのことがひときわ印象深く、ぼくの記憶の底にたたまれていたのでした。(「戦地」にいる、あるいは避難を余儀なくされた方をも含め)どなたにとっても、一日も早い「家路」「家郷」への確かな道がきずかれ、示されますように)
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