春のうららの隅田川、その川面に浮かぶ…

(河北春秋)作家の吉村昭さんは17歳の時に東京大空襲を体験している。焼夷(しょうい)弾によって火の手が至る所から上がり、高台にある谷中霊園に大勢の人と逃げたという。そこから見た光景はすさまじかった▼「町を覆う炎が轟音(ごうおん)を上げて逆巻き、高々と吹き上がっている。空にはおびただしいきらびやかな火の粉が乱れ舞っていた」。焦土と化した町には多くの焼死体があり、川面にも死体が寄り集まって浮かんでいたと随筆に書いている▼ロシアのウクライナ侵攻の模様の生々しい映像が連日、テレビなどで流れる。ミサイルの猛攻で港湾都市のマリウポリなどは破壊し尽くされた。焼け跡のような光景に、かつての東京をはじめとする各地の空襲を思い出した高齢の方も多いだろう▼ウクライナのゼレンスキー大統領が国会でオンライン演説を行った。「ミサイルが落とされ、町が破壊され、数千人が殺され、そのうち121人は子どもだ」。ロシア軍の無差別攻撃と市街戦が招き寄せた祖国の悲惨さを改めて訴えた▼吉村さんは戦争中の心境を「子どもや女性を敵から守るという意識でおり、そのために死んでも少しも悔いはないと思っていた」と述べている。ウクライナの人々やゼレンスキー氏に心を動かされるのも、そんな決意を感じ取れるからに違いない。(河北新報・2022/03/25)

 ウクライナの空からの絨毯爆撃によって「灰燼に帰した」いくつもの市街地の空撮写真を、息をのみながら見ている、そのわきに、ぼくは「東京大空襲」といわれる「森羅万象焼き尽くし」に遭遇し、無辜の民の無数の焼死の記録写真集を置いています。現在進行中の、禍々しい「殺戮」の惨状と、七十七年前の日米戦争時の「都市空爆」による修羅の場と、比べるべくもなく、「戦争」を理由に、無数の人間を殺しつくして後止む、そんな惨(むご)たらしくも許されざる蛮行を、ぼくは悲しみの底に怒りが滾(たぎ)るに任せて、凝視しているのです。「東京大空襲」を敢行した当事国が正義の刃を振りかざし、今は「人倫に悖る」「戦争犯罪」だと、一方の当事国の支配者に「戦争犯罪人」という罪名はを投げつけているのです。そして、この両国は、「アフガニスタン」に交互に、他国領土に土足で踏み入り、ここでもまた無辜・無量の人民を殺害してきたのです。

 人民が戦争を望むのではない。人民が望むように煽りに煽り、愛国・排外主義に油を注ぎ、それに点火するための「デマゴーグ」をふりかけ、「敵愾心」こそ「愛国心」なのだと叫びまくったのは政治権力者たちだった。それはまぎれもない「犯罪」です。戦争の形や姿は、確かに、時代によって様変わりする。しかし、どれだけ焼き尽くし、どれだけ殺しつくしたか、その「残虐の総計」によって帰趨が決まると愚かに考えている、政治家やそれにタカリ集まる連中がいるかぎり、この人類史が、中断することなく、積み重ねてきた野蛮行為は終わることがないのです。

 「勝てば官軍 負くれば賊よ」と、西南戦争の際に薩摩(西郷)軍の兵たちが歌っていた。元は西郷の作だと言われてきましたが、後々、一種の「勝利至上主義」に転化していった。どんな勝ち方でも「勝てば官軍」、正義を貫いても「負ければ賊軍」と相場は決まっている。それでいいのか。どれだけの犠牲を強いて来たか、それが「勝者の条件」だというなら、もう「人間を止めるべきだ」と、ぼくは考えてきました。

(⇧)中央のドーム状の建物は旧両国国技館(跡地には、現国技館。右側に隅田川が流れている。(米軍撮影 / Wikimedia Commons)(⇩)墨田区HP:(https://www.city.sumida.lg.jp/kuseijoho/sumida_info/opendata/opendata_ichiran/photo/sakura/index.html)

 「東京大空襲」の状況を生々しく描写された吉村さんのものを読んで以降、ぼくは平然と(心穏やかに)は「隅田川」を見たり、渡ったりすることが出来なくなりました。荒川区に親類があったので、もう半世紀以上、数えきれない程、隅田川にかかる数多の橋を頻繁に渡ったものでしたが、何時だって、川面には累々たる死体が浮かんでいるさまが、見たこともないのに、目に焼き付いているという記憶が残っているのです。その他に早乙女勝元さんたちの残された仕事や、多くの作家、写真家、あるいは当時の新聞の記録や写真を見ることが重なっていくうちに、ぼくは「東京大空襲」を、自分も逃げわまりながら経験したという錯覚に陥ってしまったのです。一言で「焦土と化した」「一面焼け野原」などといいますが、文字通り、人命は言うまでもなく、あらゆる形あるものはことごとく破壊し、破壊しつくさなければ終わらないという激しさが、いつの、どこの戦争でも見られるのです。「(「春のうららの隅田川」に浮きつ沈みつしていたのは、語りつくせぬ「戦禍」の悲しみでした。滝廉太郎も武島羽衣も、その「凄惨な隅田川」に遭遇しなかったのは、いかにも幸いだったでしょう。「戦禍」を知っていれば、あの「花」(明治三十三年十一月)は生まれなかったのは確かですから)

 殲滅(annihilation)という情念は、いったいどこから生まれるのでしょう。前線の兵士たちは、「侵略国」の誰彼を知っているわけではないでしょう。だから恨みとか憎しみが「殲滅」行為の原因となることはあり得ない。戦争を仕掛けた側の「頭目」が、同じ勝つにしても、徹底的に破壊し、殺戮しつくして勝つことにこだわっているのでしょうか。もちろん、「戦争状態」に置かれれば、冷静かつ沈着な判断が困難であることはわかります。しかし、今次の都市爆撃を受けた街にしたところで、そこには「市民は一人もいない」という、見え透いた虚構を自らに信じ込ませなければ、丸腰の、一切武装していない人民を的にすることが出来ないでしょう。それをさせるものは、いったい何か。当事者にも理解不能な、闇雲の衝動というものが、想像を絶した凶行・悪行に、人を向かわせるのでしょうか。

 素人の見たところ、間もなく「片が付く」と(半ば願いながら)思っています。その形の付き方、付け方が問題ですが、それはもう少し後で語ることにします。どのような結末を迎えるにしろ、このあからさまな「戦争犯罪」行為に対しては、世界は厳格な対応をすべきであるのは言うまでもありません。「戦犯」を裁くのは、戦争の勝利者側であってはいけないのは論を俟(ま)ちません。しかし、事態がここまで進行してしまったことに対して、ぼくたちも含めて、現世界の「政治指導者」の責めは無視されてはならないのです。

 先日「ひまわり」という映画について駄文を書きました。そのひまわりはウクライナの「国花」であります。そして皮肉なことなのかどうか、ロシアの「国花」でもあるそうです。さらに、春の盛りには、ウクライナの全土に「ライラック」が咲き誇ります。今は、空前の焦土と化した市街地のあちこちから、時期が来れば「ライラック」はその匂いとともに咲き乱れることでしょう。その時までに、無謀で残虐な「侵略戦争」が終焉を迎えていることを祈るや切です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

◉ ライラック(Syringa vulgaris; lilac)=モクセイ科の落葉低木。ムラサキハシドイともいうが,フランス名のリラのほうが通りがよい。バルカン半島からクリミア半島にかけての原産といわれ,寒いところでもよく生育する。日本でも北海道をはじめ各地で庭木としてよく栽植する。幹は根もとから何本にも分枝し,高さ 5mほどになり,樹形はやや平たく丸く茂る。葉は柄があって対生し,長さ4~8cmの広卵形でやや硬く,なめらかで光沢がある。春に,枝の上部に大きな総状の円錐花序を出し,芳香のある紫色の美花を多数つける。花冠は長さ 1cmあまりの漏斗形で4裂し,おしべは2本で花冠の中部ないし上部につく。園芸品種が多く,花色が白,赤,青などのもの,八重咲きのものなどがある。日本に自生する同属の近縁種ハシドイ S. reticulataは,初夏に白色で芳香のある花をつける。(ブリタニカ国際大百科事典)(左上の地図は「ドニエプル川」、それは都内を貫流している「隅田川」のようでもあります)

_________________________________