皇帝になった気になった男?

 

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◉ ラスプーチン(Rasputin, Grigorii Efimovich)[生]1864/1865. ポクロフスコエ []1916.12.30. ペトログラード=ロシアの神秘主義的修道士。皇帝ニコライ2世と皇后アレクサンドラ・フョードロブナ寵臣。本名をノビフといい,シベリアの農民の子として生れた。キリスト教の一分派,むち打ち教に加わり,若いときは放蕩を尽したが,人並みはずれた体力と雄弁で,1902年頃から預言者,聖僧と噂された。 04~05年ペテルブルグの社交界に進出,やがて皇太子アレクセイの血友病に悩む皇后に近づき (一種の催眠療法によって皇太子の出血を何度か止めたという) ,またニコライの治世への神の加護を約して,次第に皇室に影響力をもつようになった。皇后への影響は,第1次世界大戦勃発後の 15年,皇帝がみずから前線の指揮をとるため戦場へおもむいて以来,特に強まった。その国政へのたび重なる干渉,彼を中心とする上流社会の醜聞に憤った皇太子フェリクス・ユスポフ,皇族のドミトリー・パブロビッチらによって暗殺された。(ブリタニカ国際大百科事典)

◉ ニコライ2世(Nikolai Ⅱ・Aleksandrovich)(1868 – 1918)=ソ連国籍。元・ロシアロマノフ王朝皇帝。ロシア出身。帝政ロシア最後の皇帝(1894〜1917年在位)で、1891年皇太子として訪日中大津事件にあう。父アレクサンドル3世の専制護持の教育を受け外交政策継承、フランスとの同盟強化、極東への進出を図るが日露戦争を起こし敗北1905年革命で「十月宣言」を発布するが革命が終息するとストルイピンを用いて革命運動を弾圧、第一次大戦中に退位を余儀なくされボリシェビキ政権を掌握すると’18年シベリアに幽閉され、後射殺される。(20世紀西洋人名辞典)

 (以下の「国旗」は、左から「クリミヤ」「モルドバ」「ジョージア」「ウクライナ」 野心家が狙ってきました)

◉ ストルイピン(すとるいぴん)「Пётр Аркадьевич Столыпин/Pyotr Arkad’evich Stolïpin)(1862―1911)=ロシア政治家。富裕な地主貴族の家に生まれる。ペテルブルグ大学卒業後、内務省勤務。1906年4月内相、同年7月首相兼内相となった。革命運動の弾圧に努め、多くのテロリストを処刑したところから、当時絞首台の縄は「ストルイピンのネクタイ」とよばれるようになった。他方、革命勢力に対抗するためにはロシア社会の改革、とりわけ農業の改革が不可欠であると考え、06年から11年にかけて、一連の土地改革に関する法律によって農民の自由意志による共同体からの離脱と、耕地の整理・統合を奨励した。彼は農業の資本主義化を目ざし、土地を共同体的所有から個人的所有に改めることによって、農民層を革命の防波堤にし、ツァーリズムの支柱にしようと考えた。この結果、16年までに全ヨーロッパ・ロシアの農家の約4分の1が共同体から離脱し、そのなかの比較的富裕な農民は資本主義的経営を行って、ロシアの穀物生産と輸出を増大させた。しかし他方では、その結果、農民が富農と貧農とに階層分化し、従来の地主貴族と農民との対立に、新たに富農と貧農との対立が付け加わることとなった。11年キエフで狙撃(そげき)され、死去。

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ロシアのプーチン大統領=21日、モスクワ(AFP時事)

 日ロ平和条約、交渉中断 ロシア外務省が表明 ロシア外務省は21日、北方領土問題を含む日本との平和条約締結交渉を現状では継続するつもりはないと発表した。ロシアによるウクライナ侵攻を受けた日本の対ロ制裁を批判しており、北方四島のビザなし交流や元島民らの自由訪問も停止する。北方四島での共同経済活動に関する協議からも離脱するとしている。/ ロシア外務省は「日本政府の決定に対する対抗措置」として声明を出した。「ウクライナ情勢に関連して日本がロシアに対し行った一方的な規制が、明らかに非友好的であることを考慮し[ 、措置を講じた」と説明した。(時事通信・2022年03月22日01時41分)(左写真・ロシアのプーチン大統領=21日、モスクワ)(AFP時事)

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 今回の「プーチンの戦争」で、何人かの歴史上の人物を思い浮かべました。もちろん、プーチンが、常に描いていた人々だったと、ぼくが想像している人に限ります。革命後では、レーニンやスターリンは、彼には問題にならないはずで、もちろんその後の「ソ連指導者」は彼の眼中にはなかった。ぼくは小説仕立てで考えることをしてみた。すると、プーチンは、遅く生まれた「ニコライ二世」ではなかったか、と思われてきました。世が世なら、「俺は皇帝だ」と。あるいは、それ以前だったら、彼は「非情な殺し屋」、つまりはストルイピンに、あるいは、時には、ラスプーチンを、みずからに重ねたかもしれなかった。しかし、幸か不幸か、時の運、無能大統領(エリツィン)時代に恵まれ、あっという間に、政治の頂点に上り詰めたのです。

 その先を、彼はどうしても極めたかった。そうすると、ニコライに至るという、実にわかりやすい「野望(ambiition)」ではなかったか。そこで気になったのが、帝国時代の領土、あるいは「ソ連時代」の国土でした。こんなに国土を奪われてしまった。これを取り戻すのが自らの存在証明になるという「大遠征」構想が浮かんだでしょう。「春の夜の悪夢」でした。この殺人鬼は、長年、この野心を太らせてきたし、そのためには何でも利用した。この島の愚劣な、歴代総理大臣どもは、格好の餌食になったというわけです。領土は返さないわ、金はただ盗りするわ、もっとも与しやすいのが「日本」と、彼は見くびっていたのでした。「ウラジーミルは友人、二十七回も会った」とほざいていた無能・嘘つきがいました。二十七回も、コケ(虚仮)にされていたということでしょ、まさに「売国奴」でしたね。(対日関係でいうなら、プーチン(に限らず)は、日露戦争の結果に憤懣やるかたない想いを抱いているに違いありません)

 「皇帝になりたかった男」という小説などはいくらもあるでしょうし、それはまず売れない。そこに、なにがしかの「人間味」や「歴史性」が感じられなければ、魅力も味(趣向)もまったくない「ロボット」が主人公になっただけのピカレスク(a picaresque novel)だということになるからです。そんな野心や野望をもった連中が野合して、一国を誤ったり、売ったりするのですから、人民はたまらない。一日も早く、虐政は終わらせたい。被害は、至るところに飛び火し、あたら犠牲者が出るばかりですから。

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