「世の中は三日見ぬ間の桜かな」

 【水や空】悲しみの春 毎年この時季、県内公立高の合格発表の記事を目にするたびに「喜びの春」ならぬ「悲しみの春」の記憶がよみがえる▲40年近く前、公立高の合格発表を友人と見に行った。合格者の受験番号を張り出した掲示板に自分の番号はなかった。目を疑い、何度も何度も番号を探した。合格した友人が歓喜する隣で、青ざめた顔で黙りこくった。中学校へ報告に行き、学級担任の先生に「落ちました」と告げ、大声で泣いた▲15歳には耐え難い挫折感だった。第二志望の高校に入学後も、しばらくショックから立ち直れず鬱々(うつうつ)と過ごした。行きたかった高校の制服に身を包んだ同級生がまぶしく見えた▲今ならば、高校入試は人生のほんの通過点であって、挽回する機会はいくらでもある、と言える。だが当時は、もう将来は閉ざされたようなもの、と思い込んでいた▲作家の故水上勉さんは「人生は人に挫折を与えるように仕組まれている。挫折は、いわば新しい出発の節目である」(泥の花)と書いている。行商人、集金人、代用教員など30もの職を転々として「挫折ばかり」だった水上さんは、昭和を代表する人気作家になった▲回り道のようで後になってみれば、実はその道がベストだったと分かることもある。受験で笑った人も、泣いた人も、新しい出発に幸あれ。(潤)

 裏庭の桜が満開の姿を見せています。ぼくの記憶では「啓翁桜」といった。ホームセンターで苗木を買って、植えたもので、もう十数年になるでしょうか。今年はこれまでで、もっとも開花状態がいいように思います。写真などをお見せすればいいのですが、ぼくの趣味に合わない。時代に逆行しているにもかかわらず、そんな無粋なことはしないことにしています。ネットでは、これ見よがしに、「何でもかんでも曝け出している」風が強いですね。自己暴露というのか、自己露出というのか。大なり小なり、人間は「露出傾向」なのかもしれません。そういうぼくでも、こんな駄文とはいえ、自らの無能・無才をいかんなく晒(さら)しているのですから、弁解がましく「記憶力劣化防止自主トレ」という理屈付においても、いささかなりとも、他人のことは言えた義理ではないんですね。(ヘッダーはJA山形:https://www.jacom.or.jp/noukyo/news/2021/02/210205-49314.php)

 啓翁桜は昭和の初めに、久留米の植木屋さんが生み出した品種で、今では、どういうわけですか山形県(とりわけ東根市)が最も出荷量が多いということは、ぼくの不思議に感じるところです。「サクランボ」と関係がありそうですね。いかにも小振りで、しかもたくさんの花をつけるのですから、きっと生け花用には最も重宝されていて、この時期を見事に演出してくれるのでしょう。東京も開花したと言います。これから約一か月、劣島は「桜前線」の北上と、コロナ感染帯の千変万化のすったもんだが繰り広げられるのでしょう。くれぐれも、感染には注意したいですね。

 桜(さくら)といえば、新年度、入学式ですね。その前に入るための「試験」がありました。コラム氏も書かれているように、「悲しみの春」をかみしめている少年少女がいるのでしょう。そんな春は、どっかに行くとよい。「春よ、行け」です。「入試」なんかとは言いません。それはとても大事、と言っておきますが、本当に大事なのは、何をしたいかですから、ゆっくりと時間をかけて見つければいいのではないですか。変に「志望校」に入ったために、思いもよらぬつまらない経験をしてしまうことだってあります。

 ぼくも高校受験をしました。結果は最低点で合格だったようです。そんなことは記憶に残っていませんが、担任教師に聞いたと思う。「ぎりぎり(最低)やったぞ。君よりもはるかに成績がいい誰彼だって『滑り止め(ノンワックス)』を受けているのに」と言われたことだけは、覚えている。「滑り止めってなんや?」という感覚でしたし、ダメだったら、ぼくは「自転車屋さんになろう」と決めていました。高校に入ってからも、自転車屋か大工になる、そんなことを妄想していた。結局は、まじめに考えてこなかったせいで、東京のつまらぬ大学に入る始末でした。「コラム」氏は、第一志望が不合格だったことを担任に報告して「大声で泣いた」とあります。「可愛そうに」というか、「可愛い」というか。今では、そんな純粋さはみじんもなくなったといったら、怒られるかも。「泣くほどのことか?」

 水上(みずかみ)さんの「苦労談」は、よく知られています。福井県の小浜だったかの貧しい家で生まれて、十歳に満たないで、京都の禅寺に奉公。以後は、それこそ辛酸をなめて、地べたを這うような生活だったと。あらゆる職業を経験して、最後に引っ掛かったのが「作家」だったと言います。そのような「作家」が何とたくさんいることか。あれこれの職業がうまくいかなかったから、作家というのか。作家というのは、どんな仕事なんですか、と大きな疑問を持っていました。「人生は人に挫折を与えるように仕組まれている。挫折は、いわば新しい出発の節目である」というのは、「挫折からの回復」ではなく、「挫折の中で、生きる知恵や経験を学んだ」そんな人だからこそ、初めていえる表現でしょうね。ぼくは「挫折」というものを経験してこなかったと言いたいのですが、そうじゃなくて「挫折そのものが、ぼくの人生」といった方が正確でしょうか。

 「楽あれば苦あり」と俚諺は語る。ぼくには「楽あれば~」の「楽」がなかったと言いたい。だから「苦」ばかり、と言ってしまえば、身も蓋もありませんが、案外、そんなものでしょ。もう少していねいに言うなら、いつでもいうように「苦の中に楽が」「楽の中に苦が」あるということで、二つは逆方向にあるのではないのです。「挫折ばかりだった」水上さんが昭和を代表する作家になったという。それがどうした、って言いたい気もします。挫折を乗り越えて、苦しみを糧として、というのでしょうが、当人が「人生は人に挫折を与えるように仕組まれている」と言っているのを引用しながら、この文(言)ありです。「人生は挫折からできている」、それを認めれば、何かを言う筋もなさそうですが、どうでしょう。「人生に挫折がない」となると、どうなりますか。いう必要もなさそうです。

 「月に叢雲(むらぐも)花に風」といいますね。これを多くは「好事魔多し」というのでしょうが、群雲のない月だとか、風に当たらぬ花というものはありません。「世の中は三日見ぬ間の桜かな」(俳諧・蓼太句集)、待ちに待った「桜」も三日もせぬうちに散ってしまう、それが世の中というもの、と江戸の粋人は言っています。長く続くといいね、そんな願いをぼくたちは不用意に抱きますが、なかなかそんなものではなさそうです。だから、長く続いてと願うのでしょ。好事には魔が付きものだと、この諺(ことわざ)は教えています。

 ぼくも人並みに、「誕生日」があり(これから来る、「命日」も)あります。加えて、これも人並みに「結婚記念日」みたいなものもあります。いまから約半世紀前の春の彼岸の日が、仕方なしに「結婚したことにした日」になりました。ぼくは「式」嫌いでしたから、そんなものはしないつもりでほったらかしていたら、かみさんの母親が「そんなふしだらなことは許しません」とか何とか言って、頑なになってきた。仕方なく「式」というより、「披露宴」ですか、それをすることになったのですが、時節柄、なかなか適当な場所がなかった。それで、これも仕方なしに、つてを頼って、お茶の水のホテル(そのホテルは今もあるかどうか。「山の…H」)で開いたという次第。以来、四十九年が過ぎました。明日からは五十年目に入ります。「楽あれば苦、苦あれば楽」ではなく、ぼくの場合は「苦苦苦苦」だったかもしれない、もちろんかみさんだって。ほんの一瞬「楽」があったかどうか。「人生は人に挫折を与えるように仕組まれている」というけれど、そうなんですよね。(ぼくの姉は、結婚六十年を、数年超えたんじゃないかな)

 「回り道のようで後になってみれば、実はその道がベストだったと分かることもある」ということについて、ぼくは次のように「経験」してきました。人生(の途中ですけれど)は、偶然の連続です。その偶然の集積が、後に振り返って見ると、まるで「そうなるしかなかった」ように、必然性を帯びてくるんでしょ。誰だったか、ぼくかもしれませんが、「偶然を必然と化す」ー いい例ではありませんが、かみさんになる前の彼女と出会って、なんだかんだ、滑って転んで半世紀。壊れそうで壊れなかった、割れ鍋に綴じ蓋。これをして「偶然を必然と化す」というのではないんですか。宝くじに当たったり、馬券を当てたりするのは、まず「偶然」。これを必然と化すとするなら、それは八百長やイカサマということなる。ぼくは一人の女性と結婚をした。これは偶然(賭け事)です。しかしほぼ半世紀も長持ちした。お互いに「我慢して」と言うなら、偶然だったと思えたものが、やがて「必然性」帯びてきたように見えます。「偶」から「必」への移行は、なかなか「苦」に満ちています・いましたね。人生は「苦」やで、ホンマに。だから、ぼくは二度と結婚なんてしない、今もですが、もっと若い時だってそう考えて(決めて)いた。 

 とってつけたような言い方をします。「挫折」だとか「苦労」「苦しみ」などは、人生には不可欠であり、それがやがては生活や生き方の「背骨」になり「中核」となると言えるのなら、そんな苦労や挫折を経験させたくないという「親心」や「教師冥利」などは、どういうことになるのか。挫折しないような教育や子育てというものがあるとしても、それは子どもから「生きる力」を奪うことになると、ぼくは自らの拙ない経験から学びましたから、あえて言わなくてもいいことを言っておきます。「今ならば、高校入試は人生のほんの通過点であって、挽回する機会はいくらでもある、と言える」と言われたコラム氏。その通りで、その通過点は、「たった一つ」ではないし、ほかにもいくらだってありますよ。「人並み」を軸にすると、「挫折」は敗北であり、そうでない他人が羨ましくなるのでしょうが、どっこい、先は長いし、焦ることはないよ。大器でなくても、人生というのは晩成なんだな。つまりは、道理がわかって「納得する」ということなんです、大事なのは。

  余話 コラムの末尾、「受験で笑った人も、泣いた人も」は、不正確です。「受験の結果で」と書いてほしいですね。

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)