健脚73歳 眺望抜群の山を登頂1万回! 妻に先立たれ健康づくり 雨の日も雪の日も…12年以上ほぼ毎日

辰野町と塩尻市の境にある霧訪山。標高は1305メートルで、雪が無ければ保育園の園児でも登ることができる里山です。/ 7日、午前7時―。
手塚健司さん(73):「きょうは雲もなくて最高じゃないかな」 軽アイゼンをして登り始めた辰野町の手塚健司さん73歳。2010年から、冠婚葬祭や通院の日を除き、雨の日も、雪の日も霧訪山に登り続けています。
記者:「手塚さん速いです、どんどん進んでいきます」 この日、登ったのは3つあるコースの内、最も勾配が急で所要1時間の「かっとりコース」です。/ 30分ほどで展望ポイントになっている山城のあった場所へ。(中略)






(註 写真右から三枚目は手塚さん、5000回登山達成の日:信毎新聞・2017/06/28)
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地元の部品メーカーに勤めていた手塚さん。妻・妙子さんと2人で暮らしてきましたが2010年、病気で妙子さんに先立たれました。/ 登山を始めたのはそのころです。 手塚健司さん(73):「(妻が)まだ60ちょっとで逝っちゃったもので、なんていうか、悲しみがあったね。亡くなってその分、自分は健康でいなければと体力づくりで今、歩いている」 既に退職していて1人暮らし。時間は好きなように使えました。ほぼ毎日、多いときは1日に6回登ったことも。2年ほどで90キロ以上あった体重は、70キロほどになりました。/ 2013年1月1日から登った回数をカレンダーに書きとめるようにしたところ、2017年6月27日には5000回、そして去年12月11日、ついに1万回を達成!(中略)
手塚健司さん(73):「霧訪山っていう響きにひかれて、(霧で)何も見えなくても頂上へ行くと落ち着いたような感じがして、雲海が見えるときもあってそういうのもいい」

しばし、眺めを楽しんだら下山。足取りも軽く「1回目」の登山を終えました。 手塚健司さん(73):「ご飯を食べてきてからもう1回登る予定。(疲れはない?)大丈夫だと思います」 昼食を食べ終えたら「2回目」の準備。再び山頂を目指す手塚さん。足の運びは一定。疲れは見えません。2回目も1時間ほどで山頂へ。「先客」の登山者が眺めを楽しんでいました。(中略)/ 妻を亡くしてから始めた霧訪山登山。 手塚健司さん(73):「生活の一部みたいなもんだね、(朝起きたら)きょうは何回登れるかなとか。あと2、3年はいけるんじゃないかな。とりあえず今(の目標)は1万1111回。回数を決めちゃったので他(の山)に行ってる暇がない」
季節は冬から春へ。/ 霧訪山は日々、違った表情・景色を見せながら、手塚さんのチャレンジを迎え入れています。(2022/3/18 20:47 (JST)3/19 00:02 (JST)updated © 株式会社長野放送)
(ヘッダーの写真はSUNPRO 山頂から小野方面)・(https://sunpro36.co.jp/column/column6125/)
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しばらく前に、「信念 東浦奈良男 一万日連続登山への挑戦」(吉田智彦著)を紹介したことがありました。この方は、会社を定年退職した翌日から、二十七年の間、それこそ脇目もふらず、寝食を忘れて「一万日連続登山」に挑んだのでした。「信念」というよりは「執念」といった方が当たっているような、そんな登山ぶりでした。
世の中には、いろいろな人がおられます。「こんなことをする人はどこにもいない」という「どこにも」は、実は身の回りの狭い世間を指すのがほとんどで、少し視野を広げてみれば、ぼくたちには知られないだけで、同じようなことを、それぞれの流儀で続けている人はいくらもいるものです。この「霧訪山(きりとうざん(さん)・きりとうやま)」登山一万回を達成した手塚さん。このニュースを、昨日、京都の親友がメールで教えてくれたものです。彼も、その昔は登山やトレッキングに健脚を誇っていました。なんどか、いっしょに二、三の山に登ったことがありました。
ぼくは取り立ててどこが好きだという「県」はありません。しかし、知らないうちに、もっとも多く足を踏み入れたのは長野県ではなかったか。この「霧訪山」は登りはしませんでしたが、塩尻などへは何度も行きました。二十年ほど前に、隣というわけではありませんが、入笠山には登りましたが。長野行の大半は、知り合いから依頼されての「出前授業」みたいなものでしたが、ぼくはどこでも全くの日帰りでしたので、ゆっくりと見聞を広げることはしませんでした。無粋でしたね。それでも、長野には今でも友人が何人もいる。
とても手塚さんたちのようにはいきませんが、長続きのコツはどんなところにあるのでしょうか。取り立てて言うことでもないという口ぶりですが、なかなかの「想い」が秘められているような語り口のようにも思われます。

「(妻が)まだ60ちょっとで逝っちゃったもので、なんていうか、悲しみがあったね。亡くなってその分、自分は健康でいなければと体力づくりで今、歩いている」「霧訪山っていう響きにひかれて、(霧で)何も見えなくても頂上へ行くと落ち着いたような感じがして、雲海が見えるときもあってそういうのもいい」「生活の一部みたいなもんだね、(朝起きたら)きょうは何回登れるかなとか。あと2、3年はいけるんじゃないかな」
生活の一部、ということは、手塚さんには「毎日の生活」があるということ。「ソノヒグラシ」というのもいいけれど、「生活がある」という、その「生活」は、しかし思いのほか充実しているのではないでしょうか。一日は二十四時間、そこで息をしていれば、まさしく「生活」があるともいえそうですが、この手塚さんは「(朝起きたら)きょうは何回登れるかなとか」と、霧訪山に登ることが「生活」だというのです。そんな「生活」は、最高の贅沢、いや至高の時の過ごし(使い)方ともいえるし、孤独を癒す仕方ない時間稼ぎであるともいえるかもしれません。

しかし、彼にとって、連れ合いが亡くなられたショックは深かった、「悲しみがあったね。亡くなってその分、自分は健康でいなければと体力づくりで今、歩いている」と。ここのところに、亡き妻への愛情のようなものを、ぼくは強く感じるのです。きっと、毎日の登山も「妻といっしょに」という心持なんじゃないですか。山というのは、人をそんなふうに「浄化」(といっていいかどうか)してくれるものなのでしょう。頂上に立つと、新鮮な気持ちになるという手塚さん。日に何度も「爽快な瞬間」を味わえるということは、だれにでも、そんなにあることではないですね。(右写真は、昨年十二月十一日、一万回目・信毎新聞)
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