レシピ:畑菜のからしあえ テーマ「冬野菜のあえ物」 <そおろと おばんざい>

【材料】(4人分) 畑菜 1束(200グラム) 油揚げ 1/2枚
薄口しょうゆ 35ミリリットル 砂糖 15グラム 和からし 大さじ2 いりごま 30グラム 煮切り酒 少々 だし汁 少々 【作り方】(1)畑菜はゆがいて3センチの長さに切る。(2)油揚げはフライパンで両面に焼き色が付くまで焼き、横半分に切ってから細切りにする。(3)ボウルに薄口しょうゆ、砂糖、和からしをあわせて煮切り酒とだし汁で少しのばす。(4)(3)に(1)と(2)といりごまを加えてまぜあわせる。
【ワンポイント】和からしがないときは練りからしを使ってください。私はツンとするぐらいからしをきかして食べます。年が明け、北山にうっすらと雪の帽子が見える頃になると目にする畑菜。畑菜はアブラナ科の在来種を改良したもので、油が多く取れる西洋種とは違います。江戸時代の学者、貝原益軒の書いた「菜譜」にも畑菜の記載があります。寒い冬の間から花が咲き、花と花が詰まっているので切り花としても貴重だったようです。この寒咲なたねが現在は「花菜」として「京のブランド産品」にもなっています。松ケ崎(京都市左京区)を中心に作られてきた春の珍味で伝統の「花漬け」もこの花で作られています。「菜の花や月は東に日は西に」は江戸時代の与謝蕪村の句。かつて京の都は春ともなれば菜の花で埋まっていたようです。その風景をもう一度見られたらうれしいと思うています。 ◆食育キッチンISHIGURO(京都市伏見区納屋町)
◆レシピ=日本おばんざい協会・おばんざい伝承師 石黒美江、川淵智子
◆料理撮影・山本健太 (京都新聞・2022年2月7日 ) (ヘッダー写真は (c)Shutterstock.com から)
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〇 畑菜[葉茎菜類](はたけな)=近畿地方、京都府の地域ブランド。主に京都市伏見区・左京区で生産されている。江戸時代前期の儒学者・貝原益軒の『採譜』に記載がある。菜種油用の種が早春に若菜として利用され、それを改良してできたものと考えられている。草は菜種によく似ているが、葉と柄の切れ込みが深い。京都では初午の日に畑菜と薄揚げの辛し和えを食べる風習がある。11月から3月にかけて収穫され、和え物・煮付けに利用される。昭和30年代までは広く栽培されていた。京の伝統野菜。(事典 日本の地域ブランド・名産品)
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(下写真:左から「キョウナ」「スグキナ」「ミブナ(ミズナ」」「ハタケナ」「ショウゴインカブ」)





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なんということもない日々の重なりに中に、いかにも驚天動地の災厄がきっと襲い掛かってきます。この年齢になって、こんな時代や社会に生きていようとは思いもよらなかったと、老人の(あるいは若者も)多くは舌打ちしているのでしょうか。通信技術などの開発が、今までは知らずに済ませていた事件や事故などを、一瞬のうちに身近にもたらせてくれる。それにつきあっている暇はないと、すべてを遮断すればいいのでしょうが、この時代、孤立して生きていくことは一日だってできない仕組みになっているのです。
京都にいた時代、ぼくは「鶏」ではなかったかというくらいに、葉っぱばかり食っていたような気がします。魚も肉も、ふんだんにあったとは言えない、その日暮らしでしたから。今とは異なり、商品流通も未発達状態で、盆地のはっしこに、新鮮な魚介類やぜいたくな牛肉など願っても手に(いや、口に)入りませんでした。だから豆類、とくに大豆製品が毎度食卓に出る気配でしたし、煮物といえば、菜っ葉。あるいは根菜類、ジャガイモやサトイモなどの芋類でしたから、ぼくは十分に成長しきれなかったのではないか。そんなことを想いながら、京都という町は、確かに歴史は古そうですが、食生活は、けっして豊かではなかったと今更のように考えています。なにをいうか、それは君の家が貧乏だっただけといわれても、別に弁解する必要もない、事実はその通りでしたから。
したがって、当然のように、ぼくは粗食(素食)になるほかなかった。というと誰かに叱られそうですが、豊かではなかったおかげで、贅沢も飽食も求めなかったという意味では、貧乏の美点だったとお礼を言いたいくらいです。その菜っ葉です。本当によく食べた(食べさせられた)。今では「畑菜」と言っていますが、菜の花の茎や葉をみそ汁にしたり、あえ物にしたり、その他、どんな食べ方もできたものです。「畑菜の辛し和え」は今でも大好物です。しかしいかにも「旬の物」という気分を湧かせる品がなくなったのは残念です。このあえ物は、何よりも「油揚げ」がモノを言う。別に「油揚げ」がしゃべるわけではありません。畑菜に油揚げ、この取り合わせでは、ぼくはやはり「いい油揚げ」が必要ですね。どんなものが「いい油揚げ」かといえば、実に簡単、食べて美味(おい)しいと言いたくなるもの。今、スーパーなどで売られているのは「油揚げ」ではなく「油揚げもどき」です。

「がんもどき」というのはれっきとした商品で、「雁擬き」と書く。「がん‐もどき【×雁▽擬き】=豆腐を崩して、細く切った野菜や昆布などを加え、油で揚げたもの。味が雁の肉に似るのでこの名がある。飛竜頭。がんも」(デジタル大辞泉)ぼくはこれを長い間「ひろうす」と言っていた。もともとは「飛竜頭」が転訛したものだったようで、「がんも」ともいったように覚えています。京都時代、ぼくは「雁の肉」を食ったことがなかったので、「雁擬き」というものがよくわからなかった。何時もリヤカーで売って歩いていた豆腐屋(豆繁)さんが「ひろうす、おまっせ(ありますよ)」と言っていたので、自然にそれが耳に入ってきたのです。

こんなことを書いていけばきりがありませんが、京都は「野菜」が豊富というより、そこに活路を見出すほかなかったのでしょう。「ミズナ(水菜)」は、別名「ミブナ(壬生菜)」です。壬生(みぶ)で多く作られていたからこの呼び名が付いた。今では京都の南、主に伏見辺りは「野菜」の一大の生産地です。この辺りは、平安時代から、御所の「台所」のようなものでした。すぐ南は大坂(阪)です。「野菜」といいますけれど、ずい分と手をかけ、暇をかけているようで、けっして野原に勝手に生えるというものではありません。ぼくはこれもふんだんに食べました。なんにでも合うんですね。しかし、野菜の食べ方では漬物が、今では一番よさそうに思います。それから(もう、いい加減で止めます)、「かぶら」です。上にあげた写真の右端は「聖護院かぶら」ですが、これはまず「千枚漬け」でしょう。今でも名を売っている老舗「大安」がありますが、ぼくは学校の先輩だった人の実家のものを食していたし、京都を離れてもそれを求めていたほどでした。

今では、なかなか昔風の「千枚漬け」、あるいは「すぐき」に出会えなくなったのは、すべからく「食品・食物の味付け」に起因していると思っています。調味料というか、出汁というか、いわゆる化学製品ですね、これが素材の風味を殺していますし、もっといえば、肥料からして化学薬品漬けです。この問題も、ゆっくりと話したいのですが、とてつもなく大きく深い闇に包まれているのです。これを言い出すと、本当に際限がなくなるのが、自分でもわかっています。いまでも、欧米では禁止薬品(消毒剤)が、この島では堂々と「公認」され、使用が推進されているのです。
グリホサート(ラウンドアップ)、これはどこかで触れていますが、今もなお、除草剤(農薬)として広く使われています。
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◉ グリホサート(glyphosate)=アミノ酸系除草剤の一種。グリシンにホスホノメチルというリン酸が結合した構造をもつ。芳香族アミノ酸の合成を阻害して、植物を枯死させる。1970年に米国の農業化学会社が開発。商品名はラウンドアップ。グリホセート。[補説]散布する場所に生育する植物をすべて枯らす非選択性除草剤で、道路・駐車場・公園・運動場などの有用植物を植えていない場所で使用される。また、グリホサートに耐性をもつ遺伝子組換え作物(除草剤耐性作物)を栽培する農地でも使用される。(デジタル大辞泉)
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ご飯を食べるとき、野菜や漬物を口に入れようとするとき、この「グリホサート」(「ラウンドアップ」)の容器や散布風景が目に浮かぶんですね。それを我慢して食べるということがぼくにはできない。今でま、この除草剤は「人間の細胞」にまで影響することが解明されてきました。ぼくの姿勢は、単なる老人のよろよろ姿でしかありません。誰に頼まれたのでも、だれを貶めるためでもなく、子どもたちの健康をひたすら害しないために、ささやかな主張をしているだけです。ぼくはこの「ラウンドアップ」を購入したことがあります。もっと昔にはスミチオン剤を使ったこともある。その時、「薬剤効果」として、草が刈れる、根が枯れる、虫が死ぬ、その他、いろいろと謳っていました。要するに何者であれ、「生命を奪う」、それが効果だというのでした。それで即刻使用中止、ひたすら、無除草剤庭いじりに徹してきました。
今の家に越して来た時、家の中に「ゴキブリ」が走り回っていました。蚊取り線香を四六時中焚いては、壁紙を黄色くしたけれども、ほとんど効果がなかった。いろいろと試してみた結果、誰かに勧められて「ブラックキャップ」という「ゴキブリ誘引殺虫剤」を購入し、使ってみました。その効き目は驚異的でした。「有機塩素殺虫剤」でした。これは「その成分が害虫の神経伝達作用を阻害し神経系を抑制することにより殺虫効果を発現する殺虫剤」(ニッポニカ)とあり、ぼくは即座に使用を中止しました。「害虫」にだけ、「雑草」にだけ効果があると企業は歌いますが、そんなことは断じてないことは、素人でもわかります。

というわけで、本日は、束の間の「漬物談義」を決め込み、一人静かに「朧月夜」を口ずさむつもりだったのが、こんな仕儀になりました。農薬や除草剤は、けっして消えてなくなり、その効果だけが現れるものではありません。ただ今、ウクライナの地で、すさまじい効果を発揮している「ミサイル」「爆撃弾」などは、建物は破壊し、犬や猫は殺すけれども、人間には決して害は及ばないというのでしょうか。ロシアは、どうもそういっているようですが、ロシアは「モンサント」か、「バイエル」かといいたい。無農薬や有機栽培を誇示していて、それが真っ赤な嘘だということはどこにでもありそうです。国産・熊本産と偽って中国産を長期間にわたり流通させていました。これは行政も政治も知っていたこと、関係者は、それを食べなかったでしょうが、消費者は「大量殺戮」の実験台にされる運命にあったし、いまでもあるのです。「真夏の世の夢」ならぬ、「春の夜の悪夢」ですね。農薬の「効果」は、即効性ではミサイルに負けますが、細胞破壊の後遺症は後の代にまで続き、その悪質性は「ミサイル」とは寸分違わないと、ぼくは考えているのです。これまでぼくは、散々、健康に悪い食品を摂取してきました。その「轍」を若い子どもたちに踏ませたくないですね。(映画『食の安全を守る人々 未来の子どもたちのために』:https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c030135/)
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