【地軸】北京パラ閉幕 「平和を」との魂の叫び。選手や関係者から何度となく発せられ、心を打たれた。ロシアのウクライナ侵攻が揺さぶった北京冬季パラリンピック。最大のテーマは反戦だった。▲違いを認め合い、互いに思いやれば武力で争う悲劇は起きない―。侵攻などなかったかのような中国の言論統制をはね返し、選手らが体現したメッセージ。ロシアはむろん、世界の指導者たちの胸に届いてほしい。▲金メダル3個と大活躍した村岡桃佳選手らには、冬季パラ競技のレベルの高さや、挑戦することの大切さを見せてもらった。苦難の中で過去最高の成績を収めたウクライナ選手団は、パラが重視する「勇気」「強い意志」そのもの。▲五輪・パラは昨年の東京、今年の北京と8カ月間に夏季と冬季の大会が続いた。新型コロナ禍で賛否が割れた開催が浮き彫りにしたのは、選手でも観客でもなく、主催者やビジネスが「主役」に座るゆがみの大きさだ。▲さらにのしかかってきたのがスポーツと政治の問題。平和あってのスポーツという認識が広がり、問題は今回だけで収まりそうにない。すでに各国は今後の国際大会からもロシアとベラルーシを排除するよう訴えている。▲この間、開催国、そして隣国として、どこよりも五輪・パラに関わってきた日本。具体的にどんな改革が必要か。スポーツ界の転換点に立ち会った経験を生かして考えたい。冬季大会の札幌招致の是非を判断するためにも。(愛媛新聞・2022年3月15日)

たった今、町役場から帰ったところです(午前十一時)。本日は「確定申告書」提出の最終日。本当は出したくないし、税金も納めたくないが、そうはいかないので仕方なく提出するという話。でないと、「余計な税金」を取られるのです。例年ですと、ぼくは、隣の市にある「税務署支所」のようなところに出すのですが、今回は、町役場に決めました。それは書類を提出するだけだったのですが、「ついでに」という気持ちもあった。役場に足を運んだのだから、ついでに「あの問題」を訊いてみようと考えたからでした。「あの問題」とは、今からみても、つまらない、小さなことだったとぼくも思います。だからみんな忘れているのだから、それをわざわざ思い出させることもないではないかという気もして、役所にいるときには、なにも尋ねませんでした。魔が差したのか、訊きたかったけど。でも「あの問題」に関して黙って見逃すわけにもいかないので、これを書きながら、今役場に電話をしました。名前を名乗って、「お尋ねします」と担当者に聞きました。

「あの問題」とは、昨年開催するかどうか、いろいろと批判や非難があった「東京五輪」に際して、事前の諸国の合宿会場(ホストタウン)誘致に全国各地が手をあげました。ぼくが住んでいる小さな町(このところ人口減少が激しく、七千人を切った。ぼくが住みだしたときにはまだ八千人台だったと思いますので、この九年間で千人以上の人口減少。(もちろん自然減という、生まれる人(+)と亡くなる人(-)の差は年々拡大していますが、さらに、コロナ禍のためか、転出が転入を大きく上回り、人口減少に拍車がかかっています)それは別の問題です。「あの問題」で、町は五輪参加国の選手の合宿などの便宜を図るために予算を組み、行事を組み、何かと計画を立てていたのです。どこの国の、どんな種目の選手団を誘致したのか。それは、「ロシアチームのフェンシング選手団」でした。結果的には「ロシア不参加」と、(WADAが)ロシア選手団の参加拒否をしたので、ことは中途半端で終わりました。。
別に悪いことではありませんが、小学校ではフェンシングの授業を開いて、子どもたちを「にわか剣士」にしていました。そして五輪開催は(すったもんだの末に)強引に決められたのでした。まさか、町の吏員も、ウクライナにロシア軍が攻めることなど想定していなかったのでしょう。世の中では、こんな出鱈目な「侵略」をしているロシアに対して、さまざまな手段で、その非を訴えていきたいし、逆にウクライナに連帯するために、さまざまな行動を通ろうとしています。民衆や市民レベルでも同じように、「侵略」は認められないという「反ロシア運動」「反戦運動」が生じています。

小さな町の、小さな行き違いをとやかく言うつもりはありませんが、と前置きして、町が誘致した相手がウクライナ選手団だったら、町は今の状況に照らして、手をこまねいているでしょうか。ウクライナの人々と連帯して反戦運動を、たしかに、(公務員として)そんなことができるはずもないし、する必要もないのかもしれません。でも公務員としてではなく、一市民(ややこしいが、ぼくの居住地では「一町民」)として、現下の状況に「一言あって、然るべし」、いや子どもたちに「ロシアの素晴らしさ」を授業で教えた手前もあるのですから、ことの始末はした方がいいと、一町民として考えている。何もしないのも、一つの態度ですが、しかし、「ロシア(のフェンシング選手団)を担いだ」町当局として、問題については、「きちんと議論はした方がいいのではありませんか」と、出過ぎたことではありますが、電話を通じて話しました。「こんなことを言うのは、ぼくくらいでしょうが」と、もちろん「名前を明かして」お願いしておきました。どうなりますか。また後日、電話をして確認するつもりです。
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ロシア選手団東京五輪除外でキャンプ地・長柄町困惑 フェンシング代表受け入れ 復興後押しへの期待が… 関連予算、イベント影響も

(東京五輪の事前キャンプで覚書に調印するロシアフェンシング協会のカズベク・カラエフ氏(左)と清田勝利長柄町長=10月8日、長柄町役場)
ロシアの国ぐるみのドーピング問題は、来夏に迫った東京五輪でフェンシング代表の事前キャンプ地になっている長柄町にも波紋を広げている。選手の支援は続ける方針だが、関連予算や五輪機運醸成のためのイベントが見直しとなる可能性もあり、清田勝利町長は「ロシア代表として受け入れるつもりだったので、戸惑っている。詳細な今後の対応は決まっていない」と困惑を隠さない。▲10月8日、同町役場で行われたキャンプ受け入れに関する覚書の調印式。ロシア代表チームを束ねるカズベク・カラエフ氏は清田町長と握手を交わし「自然豊かな環境が選手のより良いパフォーマンスにつながる」とあいさつ。清田町長も「ホストタウンとして、どのようなおもてなしができるのか身の引き締まる思い」と話していた。▲フェンシングは千葉市美浜区の幕張メッセが競技会場。来春には町と茂原市の境に圏央道のスマートインターチェンジ(SIC)が完成予定で、会場までの交通の便も向上する。町は地域活性化策の一環としてSIC整備とともに、事前キャンプ誘致を推進してきた。

だが、世界反ドーピング機関(WADA)は今月9日、悪質な検査データ改ざんに対し、ロシア選手団を東京五輪など主要国際大会から4年間締め出す処分を決定。潔白を証明した選手は個人資格で五輪に出場はできるが、国としての参加や国旗の使用は認めない方針を打ち出した。▲町企画財政課によると、成田空港から町への選手送迎費や関連イベントの開催費約400万円を編成中の来年度予算案に計上することを検討。学校給食でロシア料理を提供することも計画しているという。▲選手の受け入れ時には、地元小学生によるロシア国歌斉唱や町役場などでの国旗掲揚も検討しており、同課の担当者は「子どもたちや町民の機運醸成を進めていこうという中、中止になるものがあるのか心配」。ロシアが国として参加できない場合の「取り決めがない」(同課)といい、新たな調整が求められる懸念もある。▲キャンプの拠点となるのは、町内にある複合リゾート施設「リソル生命の森」。同施設によると、選手やコーチら約70人が来年7月中旬から8月上旬にかけて滞在する予定になっている。宿泊営業部長の小関伸二さん(56)は「ドーピング自体は残念なこと。多少受け入れ人数が減る不安もあるが、クリーンな選手に対する応援の気持ちは変わらない」と話した。▲同町は10月の記録的豪雨で甚大な被害を受けており、清田町長は「ロシア代表が来てくれることで明るい話題ができると思っていた」としながらも「個人参加の選手だけでもバックアップしていきたい」と話している。(千葉日報・2019年12月11日 )
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小さな町の所帯ですから、ささやかな予算を組んで、一世一代の「売り込み」を図ったのですが、相手が悪かった。ぼくはいつも、人口増や企業誘致も大事ですが、まずは地道に、日々の行政を蔑(ないがし)ろ、忽(ゆるが)せにしないことが何よりと言ったりしてきました。何も「町政」に興味があるわけでもなく、町長を応援しているのでもありません。彼は元校長として、安い俸給でよくやられていると思いますし、ぼくは信条として相手が何業であれ「営業妨害はしない」という主義を貫きたいと願ってきた人間です。でも、少しおかしいなと思うことを、放置したり見ぬ振りをされると、だれであれ、「おかしいじゃないか」ときっと物申す人間です。(ホストタウン)誘致の際も、ぼくは心ならずも反対でしたが、害があるとは思わなかったから沈黙していました。結果がこうなって、挙句の果てに「プーチンの戦争」が始まってしまいました。不覚を取った町の住民の一人としても、ウクライナに寄り添わねばならぬと、ひとり合点している。
ただ今も、家にいながらできる「反戦運動」「ウクライナ支援活動」を、ほとんど尽きかけている「知恵」を絞って、いささか苦心中です。車体の後ろ側に「侵略反対プラカード」と「黄色と青」の生地を広げようと考えているし、少し気候もよくなってきたので、車庫と書庫のトタン屋根のペンキを塗り替えて、もっと明確に「黄色と青」に(現在は黄緑と青)、塗り変えることにしています。前から、塗装の準備は整えています(でも、見世物にはし(なり)たくないから、陰ながらという姿勢で)。どんなことでも「ささやかに」、それがぼくのモットーのようなものになっています。大げさにではなく、できる範囲で、ゆっくりと、しかし「主張」は曲げずに、です。若いころには、たった一人で、新宿や渋谷あたりで、反戦デモをしていました。何時だってそう。でも、そんな、ささやかな抵抗を怠らない人々が深いところではつながっているんでしょうね。誰かの「詩」じゃないけれど、「嫌(いや)のリレー」です。

(2022年3月14日: https://www.afpbb.com/articles/-/3393038?pno=2&pid=24310674 )
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