一本の鉛筆があれば 人間の命と 私は書く

 

【斜面】坊や大きくならないで… 米軍が介入したベトナム戦争のさなか、南ベトナムでは反戦歌を歌う市民が少なくなかった。1968年、日本人の記者が集会で録音して持ち帰る。深夜のラジオ番組で紹介された。後に多くの歌手が歌う「坊や大きくならないで」だ◆坊や 静かにおやすみ 私の坊や/来る日も 来る日も/いくさが続く/坊や 大きくならないで/そっと眠りなさい(浅川しげる訳)。筆者も幼いころに聴いた。日本で歌われた経緯を「反戦歌 戦争に立ち向かった歌たち」(竹村淳著)で知った◆ウクライナからの映像を見ていると、この悲しい子守歌を思い出す。地下であろうか。恐怖に震え、嗚咽(おえつ)する少女。その頬の涙をぬぐう母も、涙が止まらない。駅で発車を待つ列車の内と外でガラス窓越しに父と手を重ねている幼い男の子。別れの意味もまだ分からないのだろう◆ロシアの侵攻から2週間が過ぎ、民間人の犠牲者が急増している。産科小児科病院まで攻撃され、妊婦が担架で運ばれた。避難する人々への砲撃も容赦がない。米紙の記者らは母子らが一瞬で絶命した場面に遭遇した。衝撃的な光景を世界に伝えている◆涙を枯らした子らは敵を許すか。反戦歌は続く。お前が 大きくなると いくさに行くの/いつかは きっと 血に染まるだろう―。憎しみから銃を持つ次の世代をロシアはまた「テロリスト」と呼ぶはずだ。報復の応酬は果てがない。早く停戦を。これ以上幼い心を壊してはいけない。(信濃毎日新聞・2022/03/12)

 いわゆる反戦歌というものは、これまでにもたくさんありましたし、そのうちのいくつかはぼくも、人並みに知っているし、歌ったこともある。もっとも盛んだったのは、ベトナム戦争の時だったかもしれない。フォークソングとして、ジョーン・バエズさんのもの(We Shall Overcome)がよく歌われたでしょう。この島でもよく知られているものがありますが、一曲だけというなら、松山善三さんの詩で、美空ひばりさんが歌った「一本の鉛筆」をあげておきたいですね。「坊や大きくならないで」はカルメンマキさんの歌で。彼女には忘れられない曲がありましたので、付録として出してみました。

 本日は、コラム氏に刺激されて、いわゆる「反戦歌」といわれるものの二つ三つを紹介して見たくなりました。声を出して歌わなくとも、その歌詞を追うだけでいいのではないでしょうか。ぼくの信条としては、いつだって、ぼくの心には「戦争はいやだ」という「非戦」と、始まってしまったら、それが終わるまで、あくまでも「抵抗」の姿勢をとって、あくまでも「反戦」の気概を静かにたぎらせていたいんですね。

◉ 「勝利を我らに」Joan Baez :(https://www.youtube.com/watch?v=zuwGKxpI1Xs

◉ 「坊や大きくならないで」カルメン・マキ:(https://www.youtube.com/watch?v=uIBfQ1QRo6s

「時には母のない子のように~戦争は知らない」(同上):(https://www.youtube.com/watch?v=uhRaSYyols4)(おまけ)

◉ 「一本の鉛筆」美空ひばり:(https://www.youtube.com/watch?v=2iennv9YhlA)

 いかにも乱雑に、あまり脈絡もつけないままで、唐突に、戦争を憎み、嫌う、そんな歌を取り上げてみました。「コラム」のおかげげであります。その一つ一つの曲には、ぼくにもいろいろな思いが付きまとっていますが、本日は余計なことは言わないでおきます。このほかにも、まだまだありますが、まずはこれらを。肝心なことは、いかなる時にも、「戦争を厭う感情」を失いたくないし、またどこの地で起こっている戦争であっても、それに対する関心を鈍らせたくなくないという、ぼくの個人的な、ささやかなながらもこだわった「想いこみ」ばかりを表に出してみました。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。