敵の血潮で/われらの自由に洗礼を授けてほしい

 【談話室】▼▽19世紀の詩人シェフチェンコは故郷ウクライナで民族独立の象徴とされている。誇り高き民族の伝統を歌い上げ帝政ロシアの専制政治と農奴制を批判した。それ故に皇帝を侮辱した罪に問われ、辺境の地に追放された。
▼▽流刑地で密(ひそ)かに綴(つづ)った作品に「監獄で」がある。詩集(れんが書房新社)からその一節を記す。〈わたしにはどうでもよくないことがある/それは邪悪な人たちがウクライナをずる賢いやり方でまるめこんでしまうことだ/火の中でウクライナを目覚めさせ掠奪(りゃくだつ)することだ〉
▼▽彼の心象風景は現代のウクライナの惨状に重なり合う。今月9日は詩人の誕生日であった。西部の都市リビウでは詩人の銅像が立つ広場に市民が集まり、代表的な詩を朗読した。人々はロシアの理不尽な侵攻にあらがい、主権国家としての尊厳を保とうと誓ったのであろう。
▼▽農奴出身のシェフチェンコは16歳の時、ロシアのサンクトペテルブルクで絵の修業を始める。周囲はその才能にほれ込み、農奴から解放した。身請け金を工面したのは当地の高名な画家と詩人である。かような芸術家の温情を当世の最高指導者に求めるのは無理であろうか。
(山形新聞・2022/03/13)
 【筆洗】ウクライナの国民的詩人シェフチェンコは十九世紀の帝政ロシア時代を生きた。ロシアの一部とされたウクライナの人々の悲しみや憂いを書いた▼農奴の子に生まれ、政治犯として流刑にもなった。自由に過ごせた年月の限られた生涯は、長く独立できなかった祖国の歴史にも似る▼詩「遺言」はこう始まる。『わたしが死んだら、/なつかしいウクライナの/ひろびろとした草原にいだかれた/高き塚の上に 葬ってほしい。/果てしない野の連なりと/ドニエプル、切り立つ崖が/見渡せるように。』▼人々を鼓舞するくだりもある。『わたしを葬り、立ちあがってほしい。/鎖を断ち切り、/凶悪な敵の血潮で/われらの自由に洗礼を授けてほしい。』(藤井悦子訳)▼遺言通りに詩人が眠るドニエプル川沿いの丘にも、銃声は響いているだろうか。ロシア軍のウクライナ侵攻は続き、この川が育んだ首都キエフに戦車が迫ったと伝わる。ウクライナ軍の劣勢は否めないよう。戦地を染めているのは<凶悪な敵の血潮>より、同胞のそれが多いのか▼藤井氏の解説によると、かの詩人の最初の詩集の名前は「コブザール」。琵琶に似たウクライナの楽器コブザを奏でる吟遊詩人のことで、故郷の語り部であろうと名付けたという。琵琶法師の平家物語が伝える世の儚(はかな)さのごとく、詩人の国の自由が危うく見えることに心が重い。(東京新聞・2022年2月26日)

 いつか、どこかのコラムニストがシェフチェンコについて語るであろうと待っていました。誰かが語るの待つまでもなく、こんな「英雄」に比肩しうる「偉人」がいたのだと書いてもよかったのです。残念ながら、ぼくは、彼の詩の一行たりとも読んではいなかったのです。何時しか、はからずもという具合に、各コラムの「品定め」のような気味合いになってきてしまったので、致し方なく、それを気長にではありませんが、待っていたという次第でした。どこの「コラム」がいいとか悪いとかいうつもりは毛頭ありません。いろいろと読んでいるうちに、この社会の新聞の、一面の水準が見えてくるのではないですか、そんな程度のなりゆきに任せていたのです。すでに、この「侵略」が話題になりだしたころにも、この詩人に関しては、どこかのコラムが触れておられました。

 どこの地にも、忘れられない、忘れてはいけない「人物」がきっといます。英雄豪傑というのではなくて、当たり前に生きていく中で、人生が輝きだすような、その輝きが自らの行く末を照らし、後につづく人々の導きの灯りになる、そんな人でしたね、シェフチェンコは。「身分制社会」という、とんでもない境遇に置かれ、それを揺るがすことなどできはしないと思わせてしまう軛(くびき)の中で、いかにして身を立てるか、それこそがささやかな「自由」というものであったかもしれない。この身を挺したささやかん「自由」がなければ、事態が変わらないままでありました。ロシア帝国時代の「農奴制」がどんなものだったか、ぼくには想像する手がかりもないのですが、かろうじていくつかの小説で表されているところから類推するばかり、そこに描かれる「社会層の形式」というものから伺い知るほかないものでした。彼は十一歳で孤児となったと言います。そこからは一段と苦難の人生が彼を鍛えたと思われます。「帝政」批判、「農奴制の打倒」を固く誓いながらも、絵画の勉強をはじめ、同時に密かに詩を書き始めたのでした。(左は「自画像」・1840年)

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◉ シェフチェンコ(Shevchenko, Taras Grigor’evich)[生]1814.3.9. モリンツイ []1861.3.10. ペテルブルグ ロシア,ウクライナ詩人画家。農奴の家に生れ,幼くして両親を失ったが,1838年ジェコフスキーらの奔走により自由の身となり,美術学校に学んだ。 40年,貧苦あえぎ,自由を叫び求める農民の姿をうたった最初の詩集コブザーリ』 Kobzariを出版,ウクライナ文学史に新時代を開いた。 47年革命運動に参加したために逮捕,10年間の流刑生活をおくった。代表作に,農民一揆を描いた叙事詩『ガイダマキ』 Gaidamaki (1841) ,政治詩『夢』 Son (44) ,『コーカサス』 Kavkaz (45) ,専制政治打倒を呼びかけた『遺言』 Zaveshchanie (45) などがあり,ウクライナ最大の国民詩人とされる。そのほかロシア語で書いた小説9編,戯曲2編があり,画家としてもすぐれた作品を残している。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 まことに恥かしい限りですが、こんな危機でもない限り、ぼくには名前だけの人だった「詩人」であったし、よく知ろうとはしないままで終わっていたでしょう。不幸中の幸いとぼくには思われるのですが、早速に彼の詩集を注文しようとしたのですが、同類はいるんですね、「ただ今品切れ」だそうでした。とにかく、どんな出来事も、ぼくには「対岸の火事」などではないということを、今回も強く教えられたところでした。

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 国民的詩人しのび抵抗誓う ウクライナで集会、ロ侵攻と重ね

(☜ 詩人タラス・シェフチェンコの銅像の前に集まった人たち=9日、ウクライナ西部リビウ】(共同)【リビウ共同】ウクライナ西部リビウで、帝政ロシア時代に専制政治に反対した国民的詩人タラス・シェフチェンコ(1814~61年)の誕生日に当たる9日、市民数百人が広場に集まり、詩を朗読したり、合唱したりした。侵攻を受けた現在とシェフチェンコ存命時の状況を重ね合わせ、ロシアへの抵抗を誓った。/ 市民らは「敵の血で自由を祝福しよう」などとうたった代表的な詩「テスタメント」を合唱し、それぞれが好きな詩を朗読した。シェフチェンコの銅像の台座にウクライナ国旗と同じ青と黄色のリボンを巻き付け、花を手向けた。/ 参加したワシリー・ツェグリュクさん(77)は「キエフは決して殺人者の手に渡ることはない」と自作の詩を朗読。ウラジーミル・ティムツオさん(84)は「シェフチェンコの詩は、ロシアと戦う兵士に力を与えてくれる」と語った。/ シェフチェンコは近代ウクライナ語文学の祖とされ、画家としても知られる。皇帝ニコライ1世を批判したなどとして流刑にされた。ウクライナ各地に銅像が立ち、紙幣にも肖像が描かれている。(新潟日報・2022/03/10)

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 「侵略」計画の段階では、ほんの数日で「任務完了」という予定だったと思われます。それだけ、自己過信があったし、世界の監視や関心が集中しないうちに「落城」してみせるということだったと言えます。しかし案に相違して、ことは思惑通りに運ばなかった。だから互いの被害が増大するのも避けられなかった。ここで考えておくべきは、ロシアが「勝手な理屈」「盗人にも三分の理」で他国を侵略したということであり、その反対ではないのです。ウクライナが ロシアの地に足を踏み入れ、なにがしかの損害を人的物的に与えたのでしょうか。侵略戦争の、いいようのない不義・非道はここにあります。ましてこの「侵略」で、一方的に被害を受けるのは、ウクライナの住民です。だれ一人、ロシアやロシア人に危害を加えたわけではないのに、です。「世界は、ウクライナを放置していていいわけはない」<The world should not overlook and neglect “violence” in Ukraine.>

 この一方的被害を与えられる、無慈悲に殺される、ウクライナ人民に対する「プーチンの戦争」状態を、世界中が注目しているにもかかわらず、すでに三週間が経過しようとしている。ウクライナの予想外の抵抗、そういう見方があるそうですが、それは誤りです。ロシアは戦争を止めることはできますが、ウクライナはこの戦争を止めるわけにはいかない、そうでなければ、すべてをロシアに奪われてしまうからです。直ちに、戦争犯罪を裁く「裁判」を準備すべきであり、まず戦争犯罪人として「独裁者・プーチン」の身柄を確保すべきではないでしょうか。これは「人民裁判」ではなく、法と正義と証拠に基づく、隠しようのない犯罪に対する断罪であります。(「東京裁判」とは、明らかに異なる性質のもの)

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ロシアの侵攻は「ヒトラーのよう」、ウクライナ難民を迎え入れる独・ベルリンの人々

 ロシアが侵攻を続けるウクライナから多数の市民が隣国へと避難している。欧州連合(EU)は、避難民の数は400万人に達する恐れがあるとしている。/ こうした中、数百人もの難民が到着しているドイツ・ベルリン中央駅には、難民を自宅に迎え入れるためにドイツ人家族らが集まっている。/ 集まるドイツ人からは、人を助けたいという強い思いがあふれている。それはなぜなのか。/ ある女性は、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領がやっていることは「かつてヒトラーがやっていたことのよう」だと語った。/ BBCのデイミアン・グラマティカス記者が、ナチス時代やシリア内戦など、様々な経験や思いを抱えるドイツの人々に話を聞いた。(リポート:デイミアン・グラマティカス/撮影:マールテン・ウィレムス)(BBCニュース・2022年3月4日)(https://www.bbc.com/japanese/video-60613994

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 「地獄に仏」といいます。これに類した言葉はどこにもでもあるでしょう。<A friend in need is a friend indeed.> その反対は、どういうものでしょうか。ベルリン駅頭で多くの避難者と、それを受け入れるために出向いてきた多くのドイツ人が<Begegnung>という語にふさわしい、出迎え・対面をしている画面に、ぼくは見入ってしまいました。多くの人は、「かつてのヒトラー、今のプーチン」と言っておられた。戦争はいろいろな面で、そっくりではないにしても、類似、いや酷似するのでしょうか。しばしば「歴史は繰り返す」というのは、「同じことは二度と起こらない」という事情の説明でもあると、ぼくは考えてきました。「柳の下の泥鰌(どぜう)」ですね。「同じこと」ではなく、「同じようなこと」は、二度でも三度でも、あるいは、…、それが「歴史」というものではないですか。要するに、「人間の分際」なんですから。神でも仏でもない、人間の分際です。その分を「わきまえる」のと、「わきまえない」のとの差異は、根本から違うような気もします。一人の人間の中にも、その「差異」は隠しようもなくあるのです。時と場合によって、サイコロの目のように変わるものでもあります。

 それはともかく、「捨てる神あれば、拾う神あり」(「捨てる神」というのはどういう「神」なんですか)とも言います。困り切った果てに、何のつても頼りもなく出国せざるを得なかった無数の人々、その誰一人をも「拾う神」が救ってくれることを祈るばかりです。(もちろん、こんな不便な山中ですが、行くあてもなく、困苦・困憊している人がいるなら、いつだって、いつまででも歓迎しますよ、そんな覚悟をぼくはしています)ベルリン駅頭での、この小さな出来事を見ていて、ドイツ人のいくらかは「歴史を生きている」と強く感じ入ったのでした。その一方で、同じベルリンで、「ウクライナの女性に限る」と書いたプラカードを持って、困惑の極限にいる女性を「罠」にはめようと、虎視眈々と獲物を狙っている「輩・屑」もいました。これもいつでも、どこでもいるのですが、その九分九厘、いやすべてが「男」だというのはどういうことなんだろう。「戦争」は、人間社会と人間そのものの、明も暗も、すべてをさらけ出すものですね。いい人は、時には悪い奴になる。その逆もまた真であるとするなら、ぼくの中には「善と悪」が入り混じっているということです。それを隠さないで、正直に「悪を断つ」、その精進をしてく覚悟を求められていることを、改めて明示されてもいるのです。

 一日も早い、この不当極まる「プーチンの戦争」が「終息」「収束」「終焉」「終末」を迎えることを、一日千秋の想いで切願しています。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。