自覚症状少ない失明原因の1位 「ライトアップ・イン・グリーン運動」で緑内障知って

緑内障啓発のため緑色にライトアップされたモザイク大観覧車=6日夜、神戸市中央区東川崎町1(撮影・吉田敦史) 緑内障の正しい知識を広め、早期発見につなげてもらおうと、公共施設などを緑色に照らす「ライトアップ・イン・グリーン運動」が6日、全国各地で始まった。神戸市中央区ではモザイク大観覧車が、夕方から夜にかけて30分おきに、明るい緑の光を放った。/ 世界緑内障週間(6~12日)に合わせ、日本緑内障学会(東京)が2015年から続ける。今年は6日時点で、医療機関や公共施設など全国約700カ所の施設が取り組む予定。/ 神戸市内では神戸アイセンター病院(中央区)も建物をライトアップ。院内では緑内障の症状などを解説する動画を流し、医師らが緑色のTシャツを着用して診療に当たる。/ 緑内障は眼圧の上昇などが原因で視野が欠けたり狭くなったりする病気で、日本では失明原因の1位を占める。早期発見と治療が重要になるため、同センターは「病気が進行しないと自覚症状が出ないので、40歳を過ぎたら定期検診を受けて」と呼び掛けている。/ 大観覧車の緑色ライトアップは6日のみ。神戸アイセンター病院は13日までの午後5~9時に点灯する。(竜門和諒、金 慶順)(神戸新聞・2022.03.06)
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この「青色の観覧車」を見て、その横に書かれていた「緑内障」とが直結して、観覧車に乗ると緑内障になるという、とんでもないニュースだと飛びついたのでした。ぼくも相当に深刻な「緑内障」いや「脳軟化」かもしれない。白内障とともに、よく聞く、目の異常を示す言葉ですが、ぼくにはむしろ、「(青)そこひ」という語が親しかった。いつ頃から知っていたのか、この「そこひ」という症状が、小さなぼくを恐ろしがらせたことは確かでした。今ではこんな呼び方はしないのでしょうが、「うわひ」と「そこひ」というように、目の組織異常によって作られる「翳」を示しているのでしょう。
今はあまりしなくなりましたが、ぼくは医者通いは人並みにしていた時期がありました。最も多く通ったのが「胃腸科」でした。若い時からの悪癖で、酒と煙草に毒されていたから、どうしても胃腸がおかしくなったのでしょうか。若いころから、「胃潰瘍」という診断を下され、何度も吐血していましたので、そのつど医者通いでした。近所に「胃腸科専門」医院があって、苦しくなるとそこに駆け込んでいた。その当時は、年に数回は「胃カメラ」をのまされていました。いつか履歴書などを書く機会があって、「趣味は?」と問われたら、迷わず「胃カメラをのむ」と書いたと思う。ところがある時に、馴染みの医院で世代交代があって、息子がカメラをのませることになったが、それがとんでもない未熟者だったので、それ以来、ぼくの喉は「胃カメラ」を受け付けなくなった。

もっとも最近の「胃カメラ」検査は八年前、この山中に越す直前でした。痛飲して胃潰瘍がひどくなり、大吐血。いつもの医者に行ったら、先代がいて「カメラ」だと言った。今回はうまく喉を通るかと、青息の中で、ぼくも思ったのですが、ダメでした。「寝かせてからにしよう」と麻酔をかけられた。相当時間が経って、気になったかみさんが様子を見に来た。先代に「どうでしょうか?」ときいたら、「まだ目が開かない」と言われて、びっくり仰天、「もう駄目なんですか」と急いで尋ねたそうです。そうこうしているうちに、ぼくは麻酔から覚めて、一部始終を聞いたのでした。そんなこんなの顛末があって、その直後にぼくは酒を止めた。ついでに(それ以前にか)煙草も止しました。
眼科にも、しょっちゅう通っていましたが、大した成果はなかった。眼鏡を調整して、だましだましで「眼球を手なずけ」、今日に至っています。老眼というか近眼的状態が、かなり進行しているという自覚があります。しかし、まだ「交通信号」が見えるし、色も識別できているので、慌てることはないかという構えでいます。しかし、「青そこひ」が気になりだしています。まだ十分な調べもしていないのですが、今日では、目の手術の技術もうんと進歩したそうで、器械の導入と相まって、いざというときには、なんとかしたいとも考えています。
視力や聴力はまだいけそうですが、「観覧車に乗ると白内障」などという「かんちがい」というか、はなはだしい誤解はどうでしょう。これには、薬も手術も間に合わないような気もします。「早とちり」、あるいは「早合点」は、ぼくの性分の一分でもありますから、これを治すのは不可能か、いや生きているうちは「アカン」でしょうね。いまのところは「そこひ」に効果があるかどうかわかりませんが、目薬が手放せない状態になっています。それにしても「目薬」の安価が気になります。こんな値段ではおそらく治る(症状改善の)はずはないということかもしれない。つまりは「気休め」なのでしょうかね。「水で目を洗っている」ようなものか。
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◎ 緑内障(りょくないしょう)glaucoma=あおそこひ。眼圧の異常上昇が続いて,そのため視神経がおかされ,眼の機能的あるいは器質的障害が起り,放置すると失明する疾患。多くは眼のちらつき,夜,灯火の周囲に虹のような輪が見えるといった視覚障害と同時に頭痛を伴い,視野が狭くなることもある。血液やリンパの循環障害のほか,素質や強い情動,ストレスの影響の認められる場合がある。緑内障は広隅角緑内障と狭隅角緑内障に分類され,通常,前者には保存的療法 (点眼薬による) ,後者には手術を行う。(ブリタニカ国際大百科事典)
◎ そこひ【底翳】(「ていえい」とも)=〈内障〉とも書く。眼内ないし視神経より中枢側の原因で視力障害(翳=くもり)を起こす状態をいい,角膜疾患の上翳(うわひ)に対応する。便利な言葉ではあるが外観では区別できない種々の病態を含み,診断ならびに病型分類の進歩した現在では医学的にあいまいな表現である。現在の病名にも,緑内障,白内障,黒内障の別名として残っている。(世界大百科事典第2版)
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観覧車とジェットコースターとバンジージャンプ

この三つの「遊具」(のうち、前の二つは経験しました、一回だけ、それで十分。だが、バンジーだけは未経験、「載りかけ、いや落ちかけ」たことがありましたが、直前で、理性が働いたのか、取りやめました)、ぼくはこの手の「遊具」は好きではありません。するなら、「木登り」だったし、自然にできるコース(田舎の、森に通じる長い坂道)でのスキーでした。自分でやれる範囲で、手作りの遊び道具が何よりと、昔から一貫していた。誰かに誘われて、たった一度だけ、ジェットコースターに、半世紀も前に乗ったことがあります、今の東京ドーム(当時の後楽園遊園地)でした。動き出す前に、ぼくは乗ったことを後悔した。案の定、動き出しても「後悔」がいっしょになって絶叫していたほどでした。今から見れば、回転木馬(メリーゴーランド)みたいな、実に他愛もないものでしたが、それでも、激しい上下移動は、ぼくの性分には合わなかった。「金をやるから乗ってみろ」と言われたら、ぼくは「金だけもらって」、乗らないね。

観覧車はどこで乗ったか記憶がありませんが、確かに乗ったと思う。ゆっくりと登り、ゆっくりと降りる。この感覚がいいんでしょうか。(もっとも、ぼくは高所恐怖症ですから、観覧車といえども、二度と乗りたくないな、「金をやるから、乗れ」と言われて、やはり、ぼくは、金だけもらって乗ることは拒否するね)。今時風というのは、なんと観覧車とジェットコースターが合体しているんですか。時代の「暴走」には、無条件で負けますね。流行に関しても、(完璧な)「時代遅れ」です。ジェットコースターと観覧車の二派に分かれて、人生を例えるなら、断然、ぼくは「観覧車」派ですね。コントロールを抜け出したような株価のように、またはエレベータのように「過激な上下動」は、血流や血圧のためにもよくないし、ぼくは人生も、上下動のない、有無定かでない(微少な)「上下動」で、生きていきたいですね。その点では「観覧車」でしょうが、これだって、時々事故って、途中で動かなくなることもあるようですから、乗らないに越したことはない。最後に「バンジージャンプ」ですが、これは論外。(写真にあるのは、中国のもので、なんと高さ260メートルだそう)
そのうちに、「人間ロケット」よろしく、大気圏を突き抜けていく「遊具」(と言っていいのかどうか)が出現するかもしれない。いや、もう出ていますよ、と言われそうです。「そこひ」で苦しむどころの騒ぎではありませんね。自分の足で立って、歩くという「きほんのき」が好きではない人間、そんな当たり前のことをしたくない人が、実にたくさんいるんですね。ぼくには信じられないところです。
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