木霊が応えてくれるから、会いに来るんです

 【あぶくま抄】開花を待ち続ける 南相馬市原町区の海岸近くにある墓地の片隅に、一本の桜の木が植えられている。大人の背丈ぐらいまで成長したが、まだ花を咲かせたことはない。海から吹きつける寒風に耐えながら、じっと暖かくなる日を待っている▼「会いに来たよ」。新潟県上越市の夫婦が優しく木に語り掛ける。三十年ほど前、長女の中学校入学記念として自宅に植えたソメイヨシノの木の一部を、四年前に移した。南相馬市出身の会社員と結婚した長女は、十一年前の津波で行方不明になったまま、見つかっていない▼夫婦は毎月十一日、車で七時間以上かけてやって来る。少しでも交通費を切り詰めるため、高速道路を使わず一般道路を使う。気候の良い季節は車中で一晩過ごし、翌朝に新潟に帰る。この十一年間、寒い日も暑い日も欠かすことなく、訪れた回数は百三十回を超えた▼毎回訪れるたびに少しずつ大きくなる木に、かつてのわが子の姿を重ね合わせる。無理と分かっていても、もう一度会いたいとの気持ちがこみ上げてくる。三月の「弥生」は、草木がだんだんと芽吹くとの意味を持つ。長い冬が終わり、ようやく春が来る。今年そ花開くことを願っている。(福島民報・2022/03/03)

 間もなく、3月11日が来る。毎年、「この日」を心待ちにしている人が、まことに不謹慎な表現をしますが、どれほどいることでしょうか。ぼくもその一人です。家族や縁者のだれかが「震災」と「津波」で亡くなったのではありません。でも、本日のコラムにあるような「会いに来たよ」と今なお、忘れるにも忘れられない、そんな大事な人との、あるはずもない「再会」を求め続けている人がいる、その「願いと祈り」(の「記憶」)を失わないことは、ぼくのような「他人」でさえも肝に銘じておかなければならないのです。このご夫婦には「一本の桜の木」がお嬢さん、その人なのでしょう。あらゆる生き物といいますが、それが植物であっても、身を挺して生きているのです。ぼくたちは「殺生」をしないでは生きていけない、実に困った存在でありますが、その困った人間、あるいは自分というものをどれだけ「自覚」しているか、ひょっとして、まことに心もとない無自覚、無意識にすっかり覆われているのではないでしょうか。

 遠い昔のことになりましたが、ある植木屋さんだったか、(その人をはっきりと思い出せないのが残念でなりません)「樹木だって、切られれと痛がるし、血を流すんだ」と教えてくれた。「赤い血ではなく、白い血」といったか。そんな衝撃的な話を聞かされて、ぼくは以来、木が切られるのを見ると、「悲鳴」が聞こえるような気がして困ったままです。さらに今日の「電動のこぎり」になると、なおさらにその「悲鳴」が激しくなり、痛ましく聞こえる。犬や猫などの、人間に親しい動物はいうまでもなく、生きとし生きるもの、あらゆる命は、身を削って生きているのだと、それがみじんも疑われないほどに、ぼくには切実な感覚になっているのです。

 ぼくも「木を切る」ことはあります。不用意に植えたが、あまりにも大きくなって、何かと差しさわりがあるので、切り倒すことがあります。その時も、ぼくは、そんなことは意味ないじゃないかと思われるだろうが、やはり「木は痛がっている」「血を流している」と思わずにはいられない。小さいときは、大工さんになると固く誓っていた人間でしたが、ならなくてよかったというのか、なっても「木は痛がっている」「血を流している」と思い続けたのかどうか。もちろん、大工さんは、山に入って杉や檜、その他の木々(建築資材用として)を「チェーンソー」で切り倒すことはまずしない。しかし、住宅用の資材として「切り刻む」ことに変わりがないのです。木に対する(感謝の)姿勢が、まったく失われてしまいました。

 いかにも変なことを書いていますが、「毎回訪れるたびに少しずつ大きくなる木に、かつてのわが子の姿を重ね合わせる」という新潟のご夫妻が、一本の「桜」を今は亡き娘と認めて、毎月の祥月命日に「会いに来たよ」と、声をかけているのです。二人にとって「桜は娘だ」「娘は桜になった」と思いこんでいるのでしょうか、それを、ぼくも、そう思いこんでいるのです。この島には八百万の神が存在し、それぞれの人間が「自分の神」を持つという。相馬市の墓地の「桜」は夫婦の「神」「木霊」だと言ってもいいでしょう。ぼくがこの本日のコラムに惹かれたのは、理由は単純です、夫婦にとって「桜」に託された意味でした。他人には信じられない、深さや重さを一本の「桜」が持っているという、一種の「敬虔な祈り」がそこにあると思ったからです。だからこそ、たかが木じゃないかという、その無神経を、ぼくは看過できなかったのです。

 (このあたりのことについては、稿を改めて、書いてみたい。「いのちが尽きる(死ぬ)」ことに、ぼくたちはどう向き合うのか、時代が下るとともに、その在り方が「ぞんざい」になってきているのを、ぼくは痛感している。「赤の他人の死」「外の国の出来事」と済ましていられる、その無神経が、自らの足元における「死」にも災いしているに違いないのです。花を愛し、ペットを可愛がる、それは生き物ではなく、持ち物・玩弄物としてではないかとさえ、ぼくには見えてくるのです。「カバンやバッグ」の如く、「モノ」視する風潮が、世界中に蔓延しているのかもしれません。「蔓延防止法」はないものか)

 相馬市には、先輩が住んでおられる。おそらく「九十歳」になられていると思う。元「同僚」といっても、なにかと教えられた人でした。研究や教育についてではありません。人間の付き合いというか、つながりということに関して、無言の教えを示してくれたと、ぼくは感謝しています。数年前の「賀状」で、大きな病と、そのための手術を経験されたと書かれていた。毎年、その身を案じつつ、必ず当地に出向いて「感謝したい」と念願し続けています。定年(停年)で都内から故郷に戻られて、ゆっくりと畑仕事でもしようかと、家も新築されての生活の開始直後に「東日本大震災」に遭遇された。その後もたびたび、地震などの報道があるたびに、ぼくは「御身を案じています」という電話をすることになった。「今年こそは」と思いながら、この数年はいろいろな障りがあって、まだ訪問の機会に恵まれないのです。

HHHHH

 拙宅の貧相な庭にも、十本ばかりの桜が植えられている。すべてが十年以下の若木で、ぼくが植えたものです。ホームセンターで購入したもの、業者から仕入れたもの、近くの林に自生していたのを「移植」したものなどです。まだまだ「未熟」で、この先何年もかかって、成長するのでしょう。元来、桜は大木です。民家の庭に植えるなどというのは、よほどの無知か恥知らずと、ぼくも考えていました。成木になっても、誰かが面倒を見てくれる当てもありませんから、植えること自体が間違っていたのかもしれない。しかし、それはそれ、今はなんとか育てばいいと、そんな呑気ことを考えているのです。桜に限りませんが、ぼくは「名の高い」「有名である」という人やモノが苦手です。人であれ場所であれ、何でもかんでも「有名」というのは好みませんでした。独特の「臭味」がありそうで、あまり近づきたくないのです。今でもそうです。有名人を紹介しましょうと言われると、ぼくは逃げ出していました。そんな「高名な方」に近づくこと自体、ぼくにとっては不謹慎なことでした。

 今年の年賀状に、O 先輩が書かれていました。ぼくは、この不思議な「若年より」風な「ドイツ学者」にも、「公・私」にわたって教えられてきました。「教育と研究」についてではありません。ぼくの数歳年上。彼は何名かの「有名人」を連ねて、ちょっと異常な書きぶりでしたが、「これらの〈有名人〉たちが、どんなにいい加減な人間であることか、(自分は)あまり先も長くないので、証拠をあげて書いておく」といって、作家や評論家、あるいは学者などとして「世に通っている人びと」を激しく非難していました。(そんなこと、今になってわかったんですか、とぼくは言いたい気がしました。でもずっと、この人には失礼を重ねていましたから、この期に及んでの「失礼」は、さすがに気が引けたので止めました。何のことはないのです、「有名」というのは「無名」に著しく劣るし、名を成すというのは、それなりに「大事なもの」を失うことでもある(引き換え)のですから。ぼくは君子ではありませんけれど、「君子でもなくても、危うきに近づかず」を通してきたのです。(上の「桜」は、四街道市にある福星寺〈ふくしょうじ〉の枝垂れです。ほぼ毎年出かけますが、殆んど見物客が来ないのがいいですね。「有名」じゃないんです。市は「有名にしようと躍起になっていますが、いかんせん、場所が狭い。それがいいんだ。樹齢三百年近くとか)

 コラムに書かれていた「上越市の夫婦」に、ぼくはこよなく惹かれるのです。「無名」というのは、「世間では有名ではない」というだけで、それだけのこと。人格や品性とは無関係です。人が人を慈(いつく)しむ、それが我が子であってもなくても、「無償の愛」などという言葉でさえも色褪せる、深く限りない愛(いと)おしさが、そこには感じられるのです。「ここに人間がいる」と、ぼくは言いたい思いがするのです。

 木霊(こだま)などと言えば、大笑いされるばかりかもしれません。しかし、木には「霊が宿る」と考えて、それを信仰の対象にして来た人々を、ぼくたちは笑うことができるのでしょうか。上越市のご夫婦は「桜と娘」を重ねるという。それはただの「桜」ではなく、今は亡き娘が宿っているであろう「桜」であり、娘は「木霊」になっているのだという、その感受性は実に現実的ではないですか、ぼくはそんなことを勝手に想像しているのです。桜はただの材木、そんなものを切り倒して家具にでもしてしまえと言う乱暴な(合理的な?)態度と、娘になり代わったと信じ、会いに来る「桜」をいとおしみ慈しむ(亡き子を偲ぶ)夫婦の、いったいどちらに、いのちへの想いの深さと重さを、ぼくたちは感じ取るのでしょうか。

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◎木霊(こだま)=木の精霊のこと。木々に精霊が宿っていると考える樹木崇拝の一つ。木に傷をつければ痛む,切倒せば死ぬとされ,供物を捧げれば人々に恩恵を与え,また無視すれば災害をもたらすと考えられたことから生じた。古くギリシア・ローマ時代の神話にもみられ,たとえばホメロスの詩にあるアフロディテへの讃頌は,木霊へのそれであった。日本にも古くからこの信仰があり,人声の反響のことをコダマあるいは「山彦」と呼ぶのも,木の精,あるいは山の精が返事をしていると考えたためである。沖縄のキジムンも木の精の一つ (→きじもの ) 。その他,古いつばきの木が化けてなる火の玉とか,大木からだしぬけに現れる妖怪とか,古いかきの木が化けた大入道などは,いずれも木霊の変形したものにほかならない。

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)