「キエフは燃やす」と、独裁者はいったのか?

 【斜面】満州に翻る新五色旗 1932(昭和7)年3月1日の本紙夕刊は満州国の建国を報じている。国旗の「新五色旗」が各地に天高く掲げられ、平和の楽土が建設されたと。日本の駐屯部隊の関東軍が、謀略と軍事力で中国東北部に造り上げた傀儡(かいらい)国家である◆中国の主権から切り離し独立させた。現地の人々の主体的な行動のように見せかけている。建国宣言にはこう書かれた。これまで民衆は満州の軍閥政権の暴政によって塗炭の苦しみをなめてきた。満州国は王道政治の徹底により人民生存権を保障する―◆山室信一著「キメラ―満洲国の肖像」によれば関東軍は自らを「解放軍」と位置付けた。弾劾の矛先を当時の国民政府にも向け、民生、民権、民族の三民主義を非難している。議会政治を否定していた満州国にとって存立を揺るがす脅威と受け止めていたからに他ならないという◆本紙の主筆、桐生悠々は満州国の建国を支持しつつも、足元の経済への悪影響を心配する社説を書いている。米国で絹製品などの不買運動が起きかねないと懸念。いたずらに戦争気分にあおられ、養蚕衰退につながる国難を忘れてはならないと主張した◆戦意高揚の嵐はそんな憂いも吹き飛ばしたろう。孤立した日本は経済制裁を受け、無謀な戦争に突き進んで破滅した。プーチンの暴走をロシアの反戦世論が止められるか。暮らしを直撃する経済制裁は、逆に世論を好戦的にする恐れもある。日本の痛恨の歴史を伝える手だてはないものか。(信濃毎日新聞・2022/03/03) 

 ある週刊誌の最新号の見出しに、プーチンの得意技は「ウソ・毒殺・自作自演」とありました。大なり小なり、政争あるいは戦争を「正当化」「(存在しない)大義名分を捏造」するという、ありえない(見え透いた)芸当を演ずるものが必ず持っている資質です。一人の人間が、いかなる方法を用いたとしても、二十年以上も「権力の座」に坐り続けるのは至難の業ですが、それはその権力者にとっては、全身全霊を使い切って、細心の注意を払いながら、一種の「茨の道」を歩くことだったでしょう。1941年の「独ソ戦」(侵攻後九百日で、九十万人のロシア人が殺されたとされる)で、プーチンは父と二人の兄を殺されています。貧困にあえぎながら、彼は母と生きながらえてきた、その延長上に今日の彼の地位があるとみれば、その道程には、端倪すべからざる「暗い面」がある・あったことは想像に難くない。「雌伏何十年」が、なんとも色褪せもし、人民の中には辟易しているものが少なくないと思われる、この時期の「プーチンの戦争」です。

 今回の「ウクライナ侵攻」の報に接して、ぼくは真っ先に「満州国建国」の歴史的捏造を想い、次いでアフガンとベトナムに対する「米ロ・二大愚国」の勝てない・勝ち目のない「戦争」を想起しました。プーチンは、ウクライナの「非軍事化と非ナチ化」を「大義」として示したという。ここに、図らずも自らの姿が投影されているでしょう。ありそうにない(と思われる)場面を描いて、それを拡大鏡に映しだして「(一部の味方の)救世主」を気取るんですね。「(満州建国宣言にはこう書かれた)これまで民衆は満州の軍閥政権の暴政によって塗炭の苦しみをなめてきた。満州国は王道政治の徹底により人民生存権を保障する」と、自らを救世軍と僭称し、さらには「解放軍」と偽称する。そのような欺瞞を捏造しなければ、侵略者自身も「戦争」をつづけられなかったからです。これはどこにおいても「戦争勃発」の「狼煙(のろし)」のような役割を果たしてきた、暴力支配者の常套手段でした。要するに「言いがかり」を付けるのだ。これは日常的に、方々でみられる、ありふれた景色です。いわば「眼を付けた」と言いがかりをつけなければ、取り掛かることができない「喧嘩」なんだとぼくは見ている。こと「喧嘩」に関しては、「喧嘩両成敗」はあり得ないことです。あってはいけないこと、不義であり、人間の尊厳に悖(もと)るからです。

 上掲のコラムに「桐生悠々」が出て来ました。「信毎」は、彼がまさに「死線」を張りめぐらした「現場」でした。「関東防空大演習を嗤ふ」という社説を書いたのは、翌昭和八年八月でした。これが軍部の怒りに触れ、長野在郷軍人会主導の「(信毎)不買運動」に発展し退社を余儀なくされています。この後、悠々は筆を折ることはしませんでしたが、日米開戦前の一九四一年九月に亡くなりました。「戦時一色」というのが、いかなる状況になるのか、ぼくの貧しい想像力では伺い知れない。どんな事態にあっても、いや、その身が危険にさらされても、危殆に瀕しても「おかしいものはおかしいと、節を曲げない」こと、それができなければ、それこそ、カエルになるかミミズになるほかないでしょう。「みみずのたはごと」といったのは徳富蘆花でした。この時期、悠々は「一敗地」に塗(まみ)れたのです

IIIIIIIIIIIIIIIII

◎ 桐生悠々きりゅうゆうゆう(1873―1941)=新聞記者。本名は政次(まさじ)。明治6年5月20日金沢生まれ。1899年(明治32)東京帝国大学法科卒業。博文館、下野(しもつけ)新聞社、大阪毎日新聞社、大阪朝日新聞社などを転々としたのち、1910年(明治43)『信濃(しなの)毎日新聞』主筆となる。1912年(大正1)9月、乃木(のぎ)将軍の殉死を陋習(ろうしゅう)として社説で批判し、非難攻撃を受ける。1914年『新愛知』の主筆として名古屋へ行くが、1924年退社。1928年(昭和3)ふたたび『信濃毎日』に主筆として迎えられるが、1933年8月11日付けの社説「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」が軍関係者の間で問題化し10月退社。以後、名古屋郊外守山町に移り、名古屋読書会を組織、かたわら個人雑誌『他山の石』を毎月発行して時局批判、軍部攻撃を続ける。発禁を受ける回数が増えるとともに喉頭癌(こうとうがん)が悪化、1941年(昭和16)8月「廃刊の辞」を友人、読者に発送したのち、9月10日死亡。反軍ジャーナリストの壮絶な最期であった。(ニッポニカ)

IIIIIIIIIIIIIIIII

 【小社会】パリは燃えているか
 古今東西数ある劇伴音楽の白眉は、NHKのドキュメンタリー番組「映像の世紀」のテーマ曲「パリは燃えているか」だと思う。戦争の記録映像にこの音楽が重なる時、相乗効果で圧倒的なスケール感が胸に迫る。作曲した加古隆さんは、人間の持つ愚かさと素晴らしさの二面性を表現したかったそうだ。
▲前世紀にさんざん繰り返され、こりごりのはずの愚行が今また現在進行形で展開されている。ロシアのウクライナ侵攻を報じる映像は、武器の近代化を除けば既視感があるものばかり。破壊される町並みも、逃げ惑う市民のおびえた表情も変わらない。
▲武力による現状変更がもたらすのは恨みと憎しみでしかないことは、歴史が教訓として幾度となく示してきた。強権で知られる指導者は大きな犠牲を払い、そこにもう一つ教訓を積み重ねようとする。これを愚行と言わずして何が愚行か。
▲「パリは燃えているか」は第2次世界大戦のパリ解放の際に、ヒトラーが発したというセリフだ。「敵に渡すくらいなら灰にしろ。跡形もなく燃やせ」とドイツ占領軍司令官のコルティッツ将軍に命じた。
▲しかし彼は無視して降伏。結果、パリを救った男として後世に名を残す。同名の映画では、無人となった司令部の受話器から、命令を執行したか確認する独裁者の声がむなしく流れる。
▲パリをキエフに置き換えてみる。人間の愚かさは重々よく分かった。今はもう一面を見たい。(高知新聞・2022/03/02)

 「パリは燃えているか」の公開は昭和四十一年、ぼくが大学に入ってからでした。この映画の記憶も、実に曖昧なものになりました。繰り返し観たのではないだけに、なおさら、「観る行為」を粗末にしてきた報いを受けているという実感が、ぼくには強くあります。

*加古隆クワルテット演奏「パリは燃えているか」:https://www.youtube.com/watch?v=HLEKnAGQalI)     *NHKスペシャル・映像の世紀より「テーマ音楽」:https://www.youtube.com/watch?v=6QdCsxw16Tg)      

||||||||||||||||||

「パリは燃えているか」=1966年製作のアメリカ・フランス合作映画。原題《Paris brûle-t-il?/Is Paris Burning?》。第二次大戦末期のパリ解放を描く戦争映画。監督:ルネ・クレマン、出演:カーク・ダグラス、グレンフォード、オーソン・ウェルズ、ジョージ・チャキリス、アラン・ドロン、アンソニー・パーキンス、ゲルト・フレーベ、ジャン=ポール・ベルモンドほか。(デジタル大辞泉)

*(Is Paris Burning? ・Music by Maurice Jarre:https://www.youtube.com/watch?v=zz-nK3RU4JU)                *(「パリは燃えているか」のsound track盤:)https://www.youtube.com/watch?v=F6NeQ7NZDq0

||||||||||||

 まだ小学生の頃でした。兄貴に連れられて、しばしば映画を観に行った。ぼくの記憶しているのは「西部劇」だった。どれほど観たか。その中でぼくは、ジョン・ウェインなどのアメリカ(ハリウッド)映画のスターを知るようになったのです。ところが、どういうきっかけであったか、ある時期からは「西部劇」がまったく観られなくなった。観ることができなくなったのです。白人が「インディアン(先住民)」を殺戮しまくる、その、殺される一人一人のインディアンが「固有名」を持っている人間であると、恐らく気が付いたからだった。それ以来、一度だって「西部劇」は観なかったと記憶しています。和製映画でも同じでした。チャンバラが観られなくなったのです。「勧善懲悪」とか、理屈をこねてはいますが、早い話が「気に入らないから殺す」という、そんな出鱈目が受け入れられなくなったのです。(今日のアメリカは、その大部分が都市化(文明化)されたように見えますが、今だって「腰に拳銃」という旧式人間が街中を闊歩しているのだ。銃による殺人件数は、数万に及びます。それが、時には集団で、大型「機関銃」を持って、よその国を荒らすんだ。「お里が知れる」とは、このことです)

 それと同様に、「戦争映画」も穏やかな気持ちでは観られなくなりました。ドキュメントでさえもそうです。人間が殺し、殺される場面を「演出する」という、その神経がぼくには耐えられないし、いくら記録であってもそれを映像で見る(観る)というのは、心穏やかではいられないのです。もともとは、そんなもの(殺し合い)はない方がいいに決まっているのですから、それが「パリ陥落」とか「パリ燃ゆ」などというのは「作り事」であっても、見ていて楽しいものではないでしょう。映画の下敷きになったのは「歴史事実」でしたが、その下敷きはどのように使っても構わないということにならないか。そうすると、今現在強行されている「ウクライナ侵攻」、それが、あるいは何年もたってから「キエフ炎上」「キエフは燃えているか」とならないとも限らない。いかにも悪い冗談のようですけれども、いつの日か「事実が作り変えられる(映画化)」かもしれないのです。別の方法による、「殺し、殺され」合戦のように、ぼくには思われてくるのです。

 人間というのは始末に悪いですね。一人であっても、悪の限りを尽くして残虐行為をする上に、それがいったん狂気に襲われると、「集団催眠」「集団狂気」に駆られて、あらゆる限りを尽くして「残虐の残虐」を成し遂げるのですから。その元凶は「たった一人の独裁者」なんですね。近年の「戦争」における「住民集団虐殺」には枚挙に遑(いとま)なしです。「権力者」に向かって、一人の住民がどのような反逆行為をしたというのか、どこを開いてみても、どこを叩いてみても、そのかけらも出てこない「無辜の民」が虐殺されるのです。交通事故も無残ですけれど、大量殺戮を意図して、その通りにし遂げてしまうという、狂気の衝動を持っているのも「人間」です。今回の「同胞虐殺」には、忌まわしい杞憂が付きまとっています。今日の世界でにおいてもなお、「正義」を振りかざして虐政を敷く権力者が後を絶たない。ぼくたちには何ができるのか、その行動の「選択」、「方向」が試されているのではないでしょうか。

___________________________

投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。