【小社会】 路上の政治 歌人の与謝野晶子が「君死にたまふことなかれ」の詩を世に問うたのは1904(明治37)年、日露戦争のさなかだった。これを高知市出身の文人、大町桂月が「乱臣なり、賊子(ぞくし)なり」とののしったのは有名な話だ。▼与謝野はすぐさま雑誌「明星」で反論している。「少女と申すもの誰も戦争ぎらひに候」。作家、半藤一利さんは著書で「戦争を厭(いと)う自然の感情を吐露した詩が発表できた明治は、やっぱりいい時代であった」。徹底的に言論が弾圧された昭和と比べてのことだろう。▼今の時代、政治に対して個人が意思表示しようと思えば、会員制交流サイト(SNS)がある。福島第1原発事故の後は、脱原発を訴えるデモという手段も各地で盛り上がりをみせた。▼「『デモ』とは何か」を著した政治学者、五野井郁夫さんはデモを「路上の政治」だとする。権力が世論に反する政策に突き進むとき。「間接民主主義が機能しない中、デモは極めてまっとうな直接民主主義の表現です」▼ウクライナ侵攻。きのうの本紙に、東京で日本に住むロシア人が集まり「許せない」と声を上げたとあった。世界で活躍するロシア出身のアスリートらも次々にSNSなどで反戦を訴えている。国内の抗議デモはプーチン政権の下、徹底的に弾圧されているようだが。▼歴史の時計の針を戻すかのような侵略戦争。「路上の政治」が及ぼす力の方は、時計の針が進んでいることを願う。(高知新聞・2022/02/28)
本日は弥生一日。如月は寒さの「隧道」を潜り抜け、ようやく陽光に恵まれようとしていた、その矢先に、ロシアがウクライナに侵攻するという「プーチンの戦争」に遭遇しました。しかし、腐敗した権力者の思惑通りに事態は進展するとは思われず、日増しに「抗議の輪」が地球規模で広がりを見せています。なりふり構ず、抗議デモに参加している人民を捕まえるという焦燥に駆られているのです。「春は名のみの」などと寝ぼけたことを言っている場合かと、痛打を食らわせられたように、ぼく自身も心中密かに「抗議」の輪につながろうという構えでした。住民を虐殺する、そんな暴力行使をしている権力者に、たったの「一滴」であっても「冷や水」、いや「冷や水鉄砲」の一弾を打ち込みたい。
厳しい寒さが消えたわけではなく、まだまだ各地では雪の害に苦しめられています。この島に限らず、いずれにおいても「寒心に堪えない」状況は一向に終焉を見せようとはしていない。それでも、この小さな半島の山中にさえ、陽光が輝きだそうとしています。すでに数日も前から、拙宅近くの空地にも、数本の黄色い花がすっくと立ちあがっている。清楚な雰囲気の花ではありますが、その根や茎は、まるで低木を思わせるような強さを持っています。それでなければ、厳しい寒さをしのいで大きく豊かに茎も葉も花も育つことはできなかった。「芯が強い」などという「芯」は、ものの中心を言います。「菜の花」は、実に芯の強い植物であり、少々の風には靡(なび)くことはあり得ないのです。軟(やわ)な人間とはわけが違うと言いたそうでもあります。

しかし、まだ鴬は鳴かない。この二十年ほど前から、この島でも使用されだしてきた農薬「ネオ・ニコチノイド(ネオニコ)」の影響(被害)は驚くばかりの広がりを見せているのではないか、ぼくはそれにも心を痛めているのです。水稲を消毒する「空中散布」は全国に見られます。散布前には、道路沿いに看板を立て、「~日に散布します。十分に注意してください」などと恐ろしいことを言う。その農薬がどんなに大きな被害を及ぼしているか(この島では大手が一手販売しています)、EUではあらかた禁止されたにもかかわらず、ここでは大手を振って使われているのです。すでに多くの地域で「生態系」が壊されていることが判明しています。ワカサギ・ウナギなどの驚異的な減少、カエルやタニシ、トンボやミツバチなど、当初強調されていたのとは全く異なった方面で異常な現象が繰り返し確認されてきました。それが、ついに人間にまで及んでいたのではないかという恐れが危惧されてからも、かなりの時間が経ったにもかかわらず、政治行政は放置してきました。人体を含めた被害の拡大が心配されている。これは「腐敗権力」と同等の非道・無道の政治行政(農水関連)の仕業です。(この問題に就いては、近く、概要を含めて、要点に触れるつもりです)

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◎ネオ‐ニコチノイド(neo-nicotinoid)=タバコの葉などに含まれるニコチンに似た構造・作用を持つ殺虫剤の総称。神経伝達系のアセチルコリン受容体と結合し情報伝達を阻害する。稲につくカメムシ・アブラムシ、柑橘類につくガなどの駆除に使用される。有機リン系農薬と比較して人体に対する毒性は低いとされるが、受粉を媒介するミツバチへの影響などが問題視されている。(デジタル版大辞泉)
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菜の花は中国伝来の、アブラナ科の植物ですが、この島では、もともとは「菜種油」用として栽培されていたものでした。信長の天敵だった斎藤道三は、京都の田舎の「油売り」だった。菜の花は、どの部分も食用になる、貴重な栄養源でもあったのですね。この季節、菜の花の「辛し和え」などは美味この上ありません。酒を飲まなくなってから、その美味を経験していないのは、いかにも「人道に反している」という気にもなるほどです。少し間をおいて、「若竹煮」、これも酒肴としては最上のものでしたね。

「菜の花畑に入日薄れ」と唱歌にも登場したのは、稲の裏作として栽培されていた「畑」がいたるところに見られたからです。今ではほとんどが見られなくなった「菜の花畑」です。田んぼと同じ敷地を持った畑に、満開の菜の花、そこをめがけて蝶々やミツバチが群衆化する。いかにも「春到来」という砌(みぎり)です。それは長くこの島の風物詩と化していたのです。この景物・景観を愛でようとしたのが、小学校唱歌「朧月夜」でした。(昨年も、どこかでそのことに触れました。ぼくの愛唱してきた、大好きな唱歌でした)(右は、「マザー牧場の「花の大斜面・西」=千葉県富津市で(東京新聞・2022年2月23日 07時17分)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/161890)

実は、数日前にこの部分(菜の花畑など)を書こうとして準備はしていたのですが、「プーチンの戦争」が勃発したために、急遽そこに気を取られてしまったというわけです。そんなことに触れなくてもという気持ちがまったくないのではありませんが、何の罪咎もない「無辜の民」が、(死ぬ・死ななければならぬ理由もなく)無意味に殺害されているということを、生きている人間として、ぼくは看過することができなかったのです。
「春のうららの」という前に、まずはこれからと、準備していたのは「早春賦」(これも昨年この時期に、どこかで触れておきました)、唱歌というにはあまりにも難しい歌唱力を求められる歌です。ぼくは学校唱歌が好きになった理由は、まず「歌の言葉」です。つまりは「歌詞」でした。それをくり返し読んでいるうちに、その景色というか情景が頭から離れなくなってしまうのです。歌を愛唱するというより、詩(詞)を幾度も読んではその光景を目にやきつける、そんな好み方をしてきた。その時を狙っていたかのように「プーチンの戦争」です。北京五輪が終わった直後に「侵攻」とは、なんとも五輪と政治は棟続きだと言わざるをえないでしょう。

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ロシア国内で、戦争に反対する抗議デモ「ウクライナの人たちに謝りたい」
プーチン大統領がウクライナに侵攻を開始した日、ロシア各地で行われた抗議活動では1700人以上が拘束されました。(https://www.huffingtonpost.jp/entry/russia-anti-war-protesters_jp_62183ddde4b06e1cc58cdbf0)(⇒)
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ロシアで、「プーチン反対」「プーチンの戦争反対」で「デモ」というのは稀有なことではないですか。今この駄文を書いている最中にも、デモ参加者が逮捕され、ウクライナでは人民が殺傷されていだろうることが気になって仕方がありません。何人逮捕されても辞めることができないという「状況認識」を参加者が持っている証拠だし、それを根こそぎにしようというのは「腐敗権力」の土壇場ということではないでしょうか。

(⇐)ジョージアでロシア抗議デモ 3万人参加 (2022年2月26日)(https://www.afpbb.com/articles/-/3392073)
もとをただせば、多くの人々は同胞であったでしょう。まるで「市民戦争」を企むかのような、卑劣な戦争への陰謀は、この大統領の得意の分野なのかもしれませんが、無道であり、非道であることは、いかなる権力をもってしても通じさせることはできません。今回の事態がどのような形で終息するのか、あるいはそんなことは夢のような話で、最終的には「再びの冷戦」に、そこに至るのが「戦争仕掛け人」の本意でもあるのでしょうか。いずれにしても、物事を暴力で決めようという、その魂胆は汚いし、卑怯千番だというほかないでしょう。一日もはやく、この事態が終わり、これ以上の犠牲者が出ないことを「瞬間」ごとに祈っています。
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昔からこの「早春賦」は好きでしたが、ある理由があって、なおさらそれが嵩(こう)じてしまったのです。「寝耳に水」というのはこのことだったと言えます。声楽家の佐藤しのぶさんの訃報が目に突然入ったのです。熱心なファンではなかったが、彼女の情熱的な姿勢には好感を持っていたし、歌曲やオペラ以外の歌にも、ぼくは関心を持っていたからでした。亡くなった(2019/09/29)その後にわかったことですが、その翌月初旬の日程で「リサイタル」が予定されていたそうです。佐倉市の音楽ホールだったそうです。彼女はそれまでにも数回、この会場に来て歌われた。いつだったか、この佐藤さんが、ぼくの知らないオーケストラをバックにあざやかに、オペラのアリアのノリで歌い上げたのが「早春賦」でした。以来、ぼくは、これ以外には聞くことができなくなったように感じてしまった。一種の「追悼曲」になったのです。
それ以前は、あらゆる歌い手や合唱団・演奏団のものを聴いては、「春は名のみの」と、その訪れを待ち望んでいたのでした。ま、単純な人間の「春待歌」、それが「早春賦」でした。その歌には、きっと安曇野や穂高連峰が連想されます。若いころ、何度か足跡をしるした北アルプスや、そこに至る街道筋の菜の花畑に、思いは重なっていきます。今は亡き佐藤さんが、文字通り偲ばれます。(佐藤しのぶ・歌=「早春賦」:https://www.youtube.com/watch?v=ZN7TmRk9Xe0)(佐藤さんは、チェルノブイリへも足を運ばれ、被爆した子どもたちに身を寄せつづけていた方でした。平和と未来に、歌を捧げつつ生きた生涯であったと、敬意を表したくなります)
(NHK東京放送児童合唱団・「早春賦」:https://www.youtube.com/watch?v=n_vWpnYv2FA)

最初に掲げたのが高知新聞の「小社会」です。与謝野晶子の歌に反応した大町桂月の「乱臣なり、賊子(ぞくし)なり」といった非難は、いつの時代にも存在するものではないでしょうか。今日にも、いたるところに「大町桂月」はいるのです。ぼくは与謝野さんの評論文も割合に読んでいましたが、彼女には「菜の花」のような強靭さがあったように思います。鉄幹との間に九人だったかの子をなし、家事育児の一切をし遂げたうえで「文学」に関心を深めもした人でした。当時、「新しい女性」として華々しく登場した女性たちによる「青鞜」創刊号に、一編の「詩」を載せた。「そぞろ事」で、後の「山の動く日来る」になる詩です。いつだって、「山は動かそうとしなければ、動こうとはしない」という当たり前の生き方を、明白に語ったものです。「戦争」は男がするものというのが相場ですが、その男たちを支えてきたのが女性だったことも事実。しかし幾たびかの「山動く」に連なって、今「戦争」「暴力」に断固反対している女性も数知れずいるのです。ぼくはそちら側に立ちたい、立ち続けたい。
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