私はチェリストでハリコフ市民です

 

 廃墟となったウクライナの街に響くチェロ。「建物を破壊できても魂は破壊できない」と反響広がる【動画】 ハリコフ在住のチェリストが廃墟の中でバッハを奏でる動画が話題になっています。/ ロシア軍の侵攻を受けて破壊されたウクライナ北東部の都市「ハリコフ」。人口は約140万人。首都キエフに次ぐウクライナ第二の都市だ。ミサイル攻撃で破壊された街の中で、現地在住のチェリストがバッハを演奏する動画がアップされて世界で反響を呼んでいる。           
■短調の悲しげな調べが廃墟の街に響くhttps://youtu.be/lQHzO11LcKU;デニス・カラチェフツェフさんが演奏しているのは「バッハ無伴奏チェロ組曲第5番」。/ 短調の悲しげな響きが、廃墟となった街に響いた。SNS上では「暗い曲を選んで、現在の苦悩や絶望を表現しようとしている」「芸術は戦車に負けることはない」「建物を破壊できても魂は破壊できない」とコメントが寄せられている。                       
■「力を合わせて街を再生させましょう」と訴える この動画は日本時間3月23日、YouTubeInstagramに投稿された。カラチェフツェフさんは「戦争を生き抜くために奮闘している英雄的なこの都市を愛しています」として、街の復興のための資金を募っている。/「私の名前はデニス・カラチェフツェフです。私はチェリストでハリコフ市民です。私は戦争を生き抜くために奮闘している英雄的なこの都市を愛しています。私たちは力になれると信じています。戦争が終わったら私たちは都市と国を復元し、再建できると信じています。そこで、ハリコフの街でプロジェクトを立ち上げました。人道支援と建築物の修復のための資金を集めることが目的です。力を合わせて街を再生させましょう!」(https://www.huffingtonpost.jp/entry/kharkiv_jp_623c8253e4b0f1e82c549895)(HUFFPOST:2022年03月25日)

 破壊されつくした「廃墟」の真ん中で、音楽の「ミューズ(muse)」が立ち現れたのです。元来は「女神」の呼称でしたが、今の時代、なおさら全土が「戦禍」に傷めつけられ、苦しんでいるウクライナです。神々が総力を挙げて、「不正」「非道」に立ち向かわないはずがない。さらに言えば、museは「音楽」に限られず、広くは「学問芸術」全域をつかさどる女神たち(九人姉妹)でしたから、武力や暴力、今なら「軍事力」に対峙して、「学芸」が有する知恵の総力を傾けて、この窮地を救い、民衆の不幸を根底から癒す働きをするために、ここに一人の「チェリスト」が現れたというのでしょう。もちろんデニスさんだけではありませんで、そのほかに、「侵略」開始以来、多くの方々がそれぞれの拠点(いかにも危険で、何時襲われるかもしれない、まさしく窮地に立たされて、ですが)から救いの音色(ミューズの福音)を発信し続けています。その音楽に救いを求めるのは、まず何よりも音楽家その人でした。そこに救いがあると信じるからこそ、他者にも救いの音となるべく、そ福音を届ける、決死の覚悟がなされたのです。

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 音楽は戦闘の気分を高めてくれもすれば、悲しみや絶望の深さに沈められている人々に「かすかな光」を届ける作用をもします。軍歌にもなれば(軍歌として悪用もできるし)、精神の安らぎや情念の解放をもたらす「福音」にもなるのです。画像で紹介した三人の方々の「音楽」を聴いていて、ぼくは涙を禁じえなかった。それは、何時でも繰り返し自問してきたことでしたが、「もし、ぼくがウクライナの、爆弾が投下されている街に住んでいたなら」という執拗な想念が拭い去れないからです。多分、ぼくのことだから、兵隊に行く年齢であったら、脇目もふらずに飛び出していただろうし、今のような後期高齢者となっていても、武器を持ち、それがなければ、石ころ一つであっても、侵略する側に投げつけて、つれあいいわく、いの一番に「殺される」に違いありません。さすれば、いま死を賭して戦っているのは、ぼくの代わりになってくれている人なんだということです。三人の音楽家以外にも、できる範囲で「戦争」ではなく、「人間への尊敬」「他者への敬意」の念を奮い起こしてくれる人々は、ウクライナの地にも、ロシアにも、その他の多くの地域にいることをぼく知っています。

 戦争と音楽、これは今までにも繰り返し問われてきたものです。ぼくは多くの音楽家(芸術家)の戦時下の言動を学んできました。驚くべき過激な発言で「敵の撲滅」を懇望していた「音楽家」や「文学者」を知っています。誰彼と名前はあげませんが、そのような場面に遭遇して、お前はどうすると、いつでも問われてきました。平時と戦時ではなく、戦時下の「平和」の瞬間を音楽の演奏を通して実感しようとされているのだと、ぼくは強く感じています。「敵を殺傷する」ために使われるのは「音楽」ではなく、疑いもなくそれは武器であり、凶器です。戦時には武器(となる音楽)を、平時には音楽(戦時と変わらない武器でもあります)を、そのような「音楽=武器」を首尾一貫して生みだしていた、少なくない音楽家をもぼくは学んで来ました。そこから、金輪際、音楽は「平穏」のために、学問は「平和」のためにこそ、成し遂げる価値があるのだと、深く知るようになったのです。

 あえてそのような大仰な言葉を使う必要がないのかもしれません。でも、ここに自分を失いたくない、他者に尊敬の念を持つ、人間性の清らかさに信を置く、そのような「愛国者」がいると、ぼくは言ってみたくなるのです。武器ではなあく、暴力などではなおさらない、他者に届けたい思い、届くであろう福音を響かせる「愛国者」がいるのです。祖国防衛とか敵を殲滅してしまえというのではなく、「わが祖国」に寄せる、取り換えの利かない懐かしさと暖かを失いたくない、そんな「愛国国者」がいるのです。「かの山 かの川」にくるまれて育った、温もりを銃弾で壊されたくないと「抗う」人々がいるのです。 一でも早い戦争の終結を、ぼくは想いを共にする人々と祈る。

 本日は、三月三十一日。特別の一日であるのではありませんが、長年の習慣で、年度末でもあり、明日からは新年度です。いましばらくは、つらいことですが、コロナ禍も戦禍も収束を見ることはできそうにありませんが、「その日」のために、まずは、一日一日を注意深く過ごしていきたいものです。転ばないように、他人を傷つけないように、よい睡眠がとれますように。いかにも翻弄されそうな「喜怒哀楽」も、高いところから見れば、凹凸のない、なだらかさを持っていることがわかります、そんな日々を過ごしたいですね。

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 恐ろしい映像の背後で、もっと不吉な…

 【春秋】たった数時間なのに、見終わるころには登場人物が他人とは思えなくなる映画がある。ウクライナのマイダン革命を追ったドキュメンタリー「ウィンター・オン・ファイヤー」がそうだ。2013年~14年、自由と民主主義を求め圧政に抗(あらが)った人々の93日間に密着した。▼親ロシアの大統領が約束を破って、EU加盟への道を閉ざした。憤った市民は広場(マイダン)に集まる。女性も老人も幼子もいる平和的なデモ行進に、武装した大統領の親衛隊が襲いかかる。多くの犠牲を払いながらも誰も諦めない。「子供たちの未来を守りたい」。口々に語るどの顔にも勇気と希望の光が宿っていた。▼あれから8年。どうか、みな無事でと忘れがたい面影を思う。弁護士も建築家も路上清掃者もジャーナリストもホームレスも赤ん坊も母親もいた。様々な宗教の指導者は、今度も祈りつつ砲撃に耐えているかもしれない。彼らが命懸けで守ろうとした未来が目の前で踏みにじられている。現地の映像を見るたび胸が詰まる。▼マイダン革命時、キエフの歴史あるミハイル修道院は市民の要請を受けてすべての鐘を一斉に鳴らした。1240年にタタール人が街に侵入したとき以来、と映画の中で修道士が語っていた。鐘は今、果たして鳴っているだろうか。一刻も早く危機ではなく、平和と自由を知らせる響きに変わるよう、願わずにいられない。(日経新聞・2022/03/30)

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 今日のウクライナ問題を活写しているような映画が二本、ほぼ同時期に作られ公開されていました。二本の映画を同時に観ました。ぼくにしてはまことに珍しいこと、一本はコラム氏が書かれていた「ウィンター・オン・ファイヤー」で、もう一本がいわくつきの「ウクライナ・オン・ファイアー」でした。ほぼ同時期の作品で、しかも同じ問題を異なった視点で記録する(映像化するか)という、ある種の現実認識、あるいは歴史解釈ともいえるような、深くて大きな問題を観る側に提示してきます。この点について、ぼく自身はこの立場でというのではありません。一見すると、前者は「内乱」の様相を示しており、後者は、文字通りに「戦争」(ウクライナ内における「EU派対ロシア」の、もう少し言葉を継ぎ足せば、ロシアの侵略に対するウクライナの「防衛戦争」の趣を見せています。しかし、実際には、このような「内乱」や「戦争」を仕掛けてみたり、長引かせてしまう、まず表に出てこない、闇の「権力」が蠢動しているのだということもまた、考えさせられます。現実に進行している「戦争状態」の先駆けというか、これまでのウクライナの(二十世紀に限ったとして)置かれた地理的位置と、歴史的(一例はナチの侵略から生じた独ソ戦)経緯の中での翻弄された国の、今も再燃している運命的な戦い(闘争)の前哨戦をなすものでした。ウクライナ自体が分裂、NATOに属するかしないか、その問題がそっくり、国内では西地域が欧州派で、東側がロシア派に分裂し、文字通り国を二分して争う状況が続いているのです。

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🔲https://www.netflix.com/jp/title/80031666) (https://www.youtube.com/watch?v=XxP0Iy_aQmk「2013年にウクライナで発生した学生デモが大規模な公民権運動へと発展した93日間の様子をとらえ、第88回アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされたNetflixオリジナルのドキュメンタリー。13年11月、欧州連合協定の調印を見送ったヤヌコービチ大統領に抗議するため、キエフの独立広場でデモが発生した。当初は学生たちを中心とした平和的なデモだったが、治安部隊が武力をもって押さえつけようとしたことから衝突が激化。参加者の数は瞬く間に膨れ上がり、暴力が暴力を呼ぶ過激な革命へと変貌していく。多くの人々の命が失われたこの革命の過程を克明に描き、自由を求めて闘う人々の姿を映し出していく」 2015年製作/98分/イギリス・ウクライナ・アメリカ合作 ・原題:Winter on Fire: Ukraine’s Fight for Freedom)(映画.com:https://eiga.com/movie/83550/)

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 🔲https://www.nicovideo.jp/watch/sm40138028「『ウクライナ・オン・ファイヤー』は2014年の親米派によるクーデターや、それ以前から引き続くウクライナを巡る欧米ロシアの矛盾に迫り、なぜプーチンが今回の軍事行動に及んだのか、その動機やもう一方の側の主張を知り、視野を広げるうえでも観るべきドキュメンタリーであろう。目下、西側メディアによって「ウクライナ可哀想」一色に染め上げられた大洪水のような情報に対して、そもそもの矛盾の根源を捉え、NATOの東方拡大やアメリカが何をしてきたのかについても客観視するうえで、学ぶべき素材を提供していたといえる。ところが、現行のプロパガンダに反する作品であり、欧米にとっては触れてはならぬ急所だったことから封殺されている。ウクライナ危機を巡る深層について触れてはならぬという力が働き、第三者ぶって引っ込んでいるアメリカの支配層が何をしてきたのか暴いてはならぬという強力な意志が示されているのである」(長周新聞・https://www.chosyu-journal.jp/column/23047)

◉ ストーン(Oliver Stone)(1946― )=アメリカの映画監督。ニューヨーク生まれ。エール大学中退。1967年、陸軍志願入隊し、ベトナム戦争を体験。1971年、ニューヨーク大学に入学。マーティン・スコセッシ監督のもとで映画制作を学ぶ。アラン・パーカー監督の『ミッドナイト・エクスプレス』(1978)で脚本を担当し、アカデミー脚本賞を受賞したあと、1986年、ベトナム戦争を扱った監督作品『プラトーン』を発表。最前線で戦う一小隊の悲劇を描いたこの秀作でアカデミー賞4部門を制覇し、一躍、世界に名を馳(は)せる。以降も、『7月4日に生まれて』(1989)、『JFK』(1991)、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(1994)、『ニクソン』(1995)など、力強い描写で政治や社会の暗部を照射する佳作を次々と手がけ、1980年代以降のアメリカを代表する監督として不動の地位を確立する。『ウォール街』(1987)では、二度目のアカデミー監督賞を受賞している。(ニッポニカ)

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 「アメリカの映画監督マイケル・ムーアは16日、インターネットのポッドキャスト(音声番組)でウクライナをめぐるマスコミ報道を批判し、「アメリカ人をウクライナに入れたりロシアと空中戦をして、第三次世界大戦を起こしてはならない」と呼びかけた。/ 番組案内は「プーチンがウクライナに侵攻してから3週間、延々と繰り返されるニュース・サイクル。チャンネルを変えると、同じ話、異なる専門家。しかし、戦車が路上の車や死体を吹き飛ばす映像や、恐怖で逃げ惑う難民、殺されるアメリカ人ジャーナリストなど、恐ろしい映像の背後で、もっと不吉ななにかが働いている」「私たちアメリカ国民は、私たちを戦争に導こうとする他のアメリカ人(政治家、評論家、元将軍、より大きな利益を求める企業の親玉たち)に操られていることを明確にしなければならない」と訴えている。/ 番組はウクライナのゼレンスキー大統領がアメリカ議会で演説する直前に放送された。ムーア監督の発言のあらましを紹介する。(以下略)(長周新聞・https://www.chosyu-journal.jp/kyoikubunka/23069)

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 二つの国が、ヨーイドンとばかり、同時に、気持ちを一つにして戦争を始めることはありええないでしょう。戦争(侵略)を仕掛けるものがきっとあります。そのきっかけになるのは、要するに「何でもあり」で、極端なことを言えば、ゼレン何とかいう、某国の大統領が気に入らない、夜中にトイレに行こうとしたら、どこかで犬が吠えた、そんなことだって、戦争を起こす理屈にしようと思えばできる。仕掛けられた闘いに「反撃」「防御」するのは「正当防衛」というのであって、それまでも「戦争」だから止しなさいとは言えないでしょう。現時のロシアの「侵略戦争」は、理屈も道理も通らないし、よしんばそれを強引に通したところで、武力・暴力に訴えるのは論外、しかもいたるところで「戦争犯罪行為」に該当する暴虐非道を重ねているのです。ただちに戦争を止めなければ、当たり前に考えれば、だれもそう思っているかといえば、決してそうではないのも確かなんですね。

 ぼくの立場は、この武力行使が起った段階で明言しています。「プーチンの戦争」であるから、それを止める手立てをこそ、万全を尽くし、万難を排して探らねばならないのだ。にもかかわらず、実は世界の「名だたる」といってみたくなる政治家連中には、「この戦争をどうする」かについて、独自に判断することも実行することもできない相談であることが、まことに悔しくも情けなくもありますが、火を見るより明らかになりました。今回の当事国同士による「停戦への話し合い」に、ロシアの「オルガルヒ」といわれる「富豪」の一人が参画していました。まだまだ「表舞台」には姿を現さない「帝王」や「天皇」「皇帝」があちこちに潜んでいるのでしょう、その人々が誰であるか、ぼくたちが知らないだけで、実は世界の政治も経済も、その正体がバレているけれども、姿が見えない「透明人間たち」によって支配されているのです。

 あまり好きな言葉ではありませんが「水清くして魚住まず」という。あるいはその反対ともいえませんが、これはかなり好きな方で、「清濁あわせ飲む」というのもあります。どんなところにも人の集まりが生まれ、そこが世間となるのですが、その世間を、それなりに「軋轢なしに」渡るには、先の二つのことわざが効いてくるのでしょう。それが政治の世界となると、もっと激しく、清濁ではなく「濁々ばかり飲む」とか「濁々しか飲まない」、あるいは「水濁として魚ますます盛ん」という世界です。「戦争と平和」は、ぼくにはまるで「賽の河原の石積み」のように見えてきます。だから、現状に無関心でいいとは思わないどころか、汚いこと賤しいこと、許せないことが目に入り耳に聞こえたら、老骨に鞭打ってでも立ち上がるという気概は失っていない。老兵以上ではありませんが、不正や不義のためには武器を取ることには躊躇しない。

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◉ 賽の河原(さいのかわら)=親に先だって死んだ子供が苦を受けると信じられている冥土(めいど)にある河原。西院(さいいん)(斎院)の河原ともいう。ここで子供が石を積んでをつくろうとすると、がきてそれを崩し子供を責めさいなむが、やがて地蔵菩薩(じぞうぼさつ)が現れて子供を救い守るという。このありさまは、「地蔵和讃(わさん)」や「の河原和讃」などに詳しく説かれ、民衆に広まった。賽の河原は、仏典のなかに典拠がなく、日本中世におこった俗信と考えられるが、その由来は、『法華経(ほけきょう)』方便品(ほうべんぼん)の、童子が戯れに砂で塔をつくっても功徳(くどく)があると説く経文に基づくとされる。また名称については、昔の葬地である京都の佐比(さい)川や大和(やまと)国(奈良県)の狭井(さい)川から出たという説、境を意味する賽から出たという説などがある。(右は青森県「恐山」の賽の河原)

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 プーチンが去っても何も変わらないかも…

 【滴一滴】NHKで先日放送されたドキュメンタリー「プーチン政権と闘う女性たち」は昨年、ロシア国内で撮影された。英国の取材班がロシアの反体制派に密着した記録である▼男性幹部のほとんどが投獄され、残された女性たちが政権に抗議の声を上げようとするが、すさまじい弾圧を受ける。ツイッターで抗議デモへの参加を呼び掛けただけで警察に拘束される。当局が「過激派とつながりがある」と一方的に認定すれば、選挙の立候補すら認められない▼「これからどうすればいいのか」。政治参加の手段を奪われ、女性たちが涙を流す姿が痛ましい。徹底的に異論が封じられる社会は恐ろしいが、かつての日本にもそんな時代があった。戦前、戦中に人々は言論を理由に拘束され、時には拷問で命を奪われた▼時代を後戻りさせてはならないとの思いから、この訴訟に注目していた。3年前の参院選で当時の安倍晋三首相が札幌市で街頭演説をした際、「辞めろ」「増税反対」と叫んだ聴衆が警察に囲まれ、その場から引き離された▼行きすぎた公権力の行使だと2人が訴えた訴訟で、札幌地裁は憲法が保障する表現の自由を侵害したと指摘。北海道に賠償を命じた▼政治的な意見を表明する自由は民主主義の基盤である。私たちの社会がおかしな方向に進んでいないか。折に触れて目を凝らしたい。(山陽新聞・2022年03月29日)

 (ヘッダー写真:Press service of the National Guard of Ukraineが9日に提供。ウクライナ当局によると、同国東部クラマトルスクで撮影した不発の短距離極超音速ミサイルだという(2022年 ロイター)(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/03/6-116.php)

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 全体主義、その実は、一人の権力者による「独裁国家」であることが大半なのですが、今のロシアにおいて生じている「政治的迷妄」「政治の闇夜」は、この独裁者の自己肥大の延長上にあります。歴史を見れば、さまざまな時代や社会で「全体主義」「独裁国家」が生まれては消えていきました。おそらく、大まかにいうなら、政治というのは「全体主義(独裁主義)」と「立憲民主主義」の間を彷徨(さまよ)う漂流船のような塩梅でもあります。よく「全員一致」といいます。しかし、その実態は「ただ一人の意向」に全員が賛成(身を寄せる)するので、そこには「一人」しかいないんですね。それが「全体主義」です。一人が全体、そういう仕組であります。

 選挙制度が整えられている社会・地域では、政権を掌握するために「政治政策」「国家運営」などについて、自らの「政見」を有権者に訴え、その結果、政権の座につき、国民から委託・付託された政治課題の実現に努めるというのが教科書の解説です。しかし、いったいどこの世界に「教科書」に記載されている通りの願わしい、夢のような政治活動・政治行為が行われて来たでしょうか。権力の座にいる期間が長くなるにつれて、どの権力者も、かならず「馬脚」を露わします。もともと馬脚(お里)しかなかったのですから、それは当たり前のなりゆきでもあるのですが。

 「(芝居の馬のあしの役者が姿を見せてしまう意から) つつみ隠していた事があらわれる。ばけの皮がはがれる」(精選版日本語大辞典)たいていなら、この「馬脚」が露わになった段階で、事態は暗転するのでしょうが、どっこい、政治の世界ではこの「馬脚」が露見してからが、いよいよ「本領」「本番」だというわけです。大なり小なり、そのように政治権力は、徐々に正体を現してくるのです。そしてその「馬脚」露見期間が長くなるほど、いよいよ本性むき出しの状況を迎えると言っていいでしょう。山に登るときは、だれでもなかなか慎重に足を運びますが、「頂上」が近くなると、いい気なもので、「もうこの山は征服した」というさもしい魂胆が見えてきます。そして、その頂上は(どんな山でも頂上は、極論をすれば一地点でしかないのです)、どこまでも通じているという錯覚と、後から頂上を目指すものには決して登りきることを許さないという、きわめて手前勝手な感情に支配されるのです。しかし、頂上には長居は無用というべきで、後は降りるしかないのが登山の要諦です。しかし、「頂上」を独り占めしたいという独占欲に駆られる人は決して降りようとはしないものです。山の天気は変わりやすいのが通り相場、晴天が、一瞬にして豪雨に変化するのは当たり前です。それを見誤るから、奈落の底に一直線ということになるのも、世の習いです。そこに行くまでの「犠牲者の堆積」だけが悔やまれます。

 雨が上がれば、晴れ上がることもありますが、強風が襲うこともあります。雨嵐を避けるためにどうするのか。実際の登山家ならいざ知らず、政治権力の亡者は、雨霰(あられ)を「政敵」とみなし、あたりかまわず、あるいはなりふりかまわず、打倒しようと躍起になるのです。あらゆる手段を使って政敵を葬ろうとします。それに成功する場合もあれば、失敗することもある。しかしどんなにひどい攻撃を加えても、もともとがそれが本性(馬脚)だったから、当人は何の痛痒も感じない。しかしその「馬脚」に踏み倒され蹴散らされる民衆の中からは、「これは許せない」と、政権中枢にまっしぐら、あるいはからめ手から忍び寄り、百鬼夜行のごとく、こちらもあらゆる方法を駆使して、政権の交代・転覆をはかります。しかし、敵は権力者、「朕は国家なり」の末裔は雨後の筍の如くに、あらゆる地域に叢生します(地味を選ばない、しぶといんです)。自分が法律だ、いや自分こそが「憲法」だと言わぬばかりに、それを自らの鎧兜(強権的支配構造)にしてしまう。

 並みいる政敵のことごとくを葬って、その死屍累々を振りかえりみれば、殆んどが男だったと気が付く。葬られた側に親和性を持っていた女性たちは、このままで事態を放置するわけにはいかないと、立ち上がる。立ち上がる(声を出す・異を唱える)と目立つから、権力者は抑圧する。「七転び八起き」が女性の特技かどうか、ぼくにはわかりませんが、根性というか、肝の据わり方が、男よりはるかに強いという実感があります。

 ここまで来て「プーチン政権と闘う女性たち」に真向かう段取りになりました。詳細は「映像」に譲りますが、反体制派といわれる女性とその仲間たちの、反権力を旨とした政治活動の軌跡がたどられ、彼女たちが悪戦苦闘している状態が、うまくまとめられていました。この事態は、いまはもっと緊張感をもって持続しているのでしょう。ドキュメントは三人の「反P」の女性と、その支持者を扱っていましたが、彼女たちが存在しているということは、このほかに無数の女性の「反P」がいるということの証明です。「恐ろしい」と交々に彼女たちは語っていました。でも「もっともっと、恐ろしい」のは「P」の方かもしれません。あからさまに、国内では「虐待」できないだけに、あらゆる手法を駆使して、反対派を抑圧しよう(言論を封殺しよう)としますが、その段階になると、Pたちは想像以上に追い込まれていることに気づかされます。不適切な例えですが、「テントウムシ」を除去するのに、ミサイルを撃ち込むというような、とんでもない不釣り合いの「怖がり方」からの逃走を示しているからです。また「反P」たちは、ロシアの外の人々と連携することが出来るし、現に連携しています。Pの支持者は、同じような力の信奉者である「独裁的政治家」でしかないでしょう。人民を殺戮しながら、自らの「権力の延命」を図るのが政治だというのでしょうか。ぼくはルーマニアの「独裁者」の末路がどのようなものであったか、今でも、実に暗澹とした記憶とともに、その姿が目の奥に焼き付いています。(*https://www.dailymotion.com/video/x88jb37

 Pの単独政権が長く続くのは、報道統制が敷かれているから、真相がわからない民衆が圧倒的だからというかもしれない。その面はあるかもしれませんが、情報がいきわたっているところでも、政治的無関心派や刹那・現状追認派はいくらでもいるのです。(この島社会はどうです)何かが変わるのは、極めて少数者の途切れない「異議申し立て」からだったのではないでしょうか。「暖簾に腕押し」とか「糠に釘」といって、いかにも無駄であり、徒労でもあるということを言い当てているように理解されますが、そうではありません。腕押しを続けていると、暖簾はどうなりますか。糠に釘を打ちつづけるとどうなりますか。(どうにもならないことはないのですよ)歴史は確実に歩を進めています。手を変え品を変えて、抵抗する人民がいる限り、事態はかならず変わる、それがいたるところの「歴史」が教えている内容・核心ではないかと、そのように、ぼくは「歴史」を学んできました。一人の女性が「プーチンが去っても、何も変わることがないかもしれない。もっと悪くなるかも…」ということを語っていました。そこから、始めること、そこが出発点であるということではないでしょうか。「旧体制」を倒して「新体制」が生まれる。それを繰り返しているのが、政治・人間の歴史です。「もっと悪くなるかも」という懸念を失わないで、「反体制」「反権力」の姿勢を持ち続ける、その姿勢(態度)が、ぼくにとっての、身に着けるべき(政治)思想でもあるのです。

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 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし…

 「愛国心」というのは「井蛙(せいあ)の偏狂心」を言うのかもしれません。外海を知らず、井の中が「最高」という、無根拠の教条(世間知らず)のような気がします。ぼくは東京に出てきた当座、しばしば銀座や数寄屋橋に食事などに出かけました。その当時、高名だった「赤尾敏」という右派の「闘士」がいつも街頭演説をしていました。それ以前、京都でそんな光景は見た経験がありませんでしたから、ぼくの目には、じつに新鮮に映ったし、実にまっとうなことを吠えていると驚きました。ぼくは二十歳前でした。「愛国党総裁」という肩書で、戦時中の「翼賛選挙」で当選された元代議士だった。何度もその演説の場面に遭遇して、つくづく考えた。彼は時の権力者とおぼしい政治家のことごとくを悪口雑言のかぎりを尽くして罵っていた。もちろん、社会党や共産党も、それ以上に激しく罵倒していた。所かまわず、政治家の悪口を言う、これが「愛国者なのか」と強く印象づけられたのでした。(それなら、ぼくにも才能はあるんだ、と思ったような気がした)

 六十年代前半から七十年代初頭まで、ぼくは文京区本郷に住んでいた。「赤尾総裁」はその先の茗荷谷近辺の愛国党本部から通っていたと思う。ある時、地下鉄の丸ノ内線車内で、偶然にも隣同士になった。相手が何者か、まったくといっていいほど(その経歴に)無知だったが、ぼくは何か質問したように思います。尋ねた内容も不確かになりましたが、彼はその直後、爆睡状態に入り、それを見ているうちに、電車は本郷三丁目に着いた。その当時はそれほどに意識はしていなかったが、この「愛国党」の党員だった一人の少年が、60年安保後の十一月、日比谷公会堂で生じた「(社会党委員長の)浅沼稲次郎氏刺殺」の犯人だったことを知った(思い出した)。その後も何度か、数寄屋橋でも電車内でも赤尾さんと出会ったが、彼は電車ではほとんど眠っていた。「愛国者」は睡眠不足なんだと、バカなことを考えたものでした。さらに、時の権力者を「蛇蝎の如く」嫌い、罵るのが「愛国者」なのかと愚考したものでした。「愛国」や「愛国心」のことを想うときっと、赤尾さんが思い出されます。(もし、赤尾さんのような傾向の持ち主が「愛国者」なら、ぼくにもそれは多分にありますね。つくづくそのことを想いながら、ここまで生きてきました。今は、娘さんが頑張っておられる)

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 ◉ 赤尾敏(あかおびん)[生]1899.1.15. 名古屋 []1990.2.6. 東京=右翼運動家。愛知県立第3中学校を中退後,社会主義に目ざめ,東海農民組合連合に参加したが,組合への寄付金要請が恐喝罪に問われ,有罪判決を受ける。入獄中に社会主義と訣別し,皇道主義を唱える国家主義者に転向した。 1922年2月 11日第1回建国祭を挙行,26年東京大学教授の上杉慎吉を会長に「建国会」を設立,書記長となる。 33年会長に就任。 42年衆議院選挙に当選翼賛政治会員となるが,東條首相の演説を批判したため翼賛会を除名される。第2次世界大戦後は,公職追放解除直後の 51年に大日本愛国党結成総裁となる。一貫して反共反ソを主張,30年間続けた東京・数寄屋橋での街頭演説は名物となり,街頭宣伝活動のモデルになった。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 これが「愛国心だ」とか、「国を愛するとは、これこれを指す」と言われるなら、ぼくはそれには参加も賛成もしたくありません。「愛校心」「愛社心」などと並んで、「愛国心」をとらえると、それはどうしても偏狭であり、偏狂になりがちなのは否定できないでしょう。国を愛する、それはきわめて抽象(発酵)度の高い概念であり、したがって教条的になりがち、ひどく酔っぱらうのではないでしょうか。いろいろな説明や解説が乱立していますが、これぞ、愛国心の核だという手ごたえは、ぼくには感じられてきません。なんでもそうでしょうが、目で見ることも手で触ることもできない抽象性の高い言葉は、どうしても偏頗で教条的になるのを避けられないでしょう。人それぞれの「愛国心」があるのですよ。いつだって、どこにだって、とんでもない政治家がいます。彼らの言動には「愛国心」ではなく、「売国心」こそが機能しているんだね。ある種の「愛国心」は「売国心」と双生児です。

 愛国心は「国家への非合理な盲目的服従を意味する」ものではないということはできるし、そう考えたいのは山々です。でも現実には「非合理で盲目的な服従」を強いるのが権力者であり、それを受け入れるのが「愛国者」だということになっていませんか。だから、「愛国者」同士が「殺し合う」という凄惨な状況がいつでも生みだされるのです。君は、どのように考えているのかと問われれば、正直に「国家への忠誠」は真っ平後免だと言っておきます。そのうえで、誤解されそうですが、あえて言うと「うさぎ追いし かの山」「小鮒釣りし かの川」という情操・あるいはその記憶だといいたいですね。でも、「そんなものはどこにもないじゃないか」といわれれば、山も川もなくなり、変えられてしまった、だから「(かの山かの川というものを)大事にしたいという感情は、ぼくの心境に存している」というほかないのです。

 つまりは「忘れがたきふるさと」という感情です。その「ふるさと」は生まれた場所であったり、住んだところであったり、あるいは父母兄弟姉妹(家族)であったりしますから、人それぞれに「ふるさと」と感じる対象(内容)は異なるし、異なっていいのです。そんなチャラい「愛国心」で、国が守れるか、といわれそうですが、どうして、何が何でも国を守る必要があるのかといいたいね。現実にウクライナで起きていることは何か。ある日突然、「この土地は俺たちのものだ、出て行け、出て行かないなら、殺すぞ」と、盗人・殺人狂が暴力むき出しで、ミサイルやクラスター爆弾迫、さらには撃砲を連射し投下しているのです。マンションの自宅内の台所に、ロシアの放ったミサイルが突き刺さっている映像を見ました。

 ぼくがその場(ウクライナ)にいたとして、ぼくのなけなしの「愛国心」はどこに向かうのでしょうか。その「国に殉じる気持ち」は、ぼくをどこに連れて行くのか。「外敵」に対して防衛する「防衛・自衛隊(という軍備)」は必要でしょう、今のような状態では。しかし究極は「非武装中立」(どこかの政党が看板にしていましたが、今はバリバリの軍事力保持派になりました)といいたい。飛んでくる火の粉は振り払う、国家はそれをしてくれますか、「自分の命は自分で守る」、これがぼくの正直な気持ちであり、ウクライナの現実でしょう。職業軍人(軍隊)の務めは、また別の問題です。そもそも、国という形は、もともとのものではないでしょう。

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◉あい‐こく【愛国】〘名〙① 自分を大切に思うこと。※百学連環(1870‐71頃)〈西周〉二「又人には〈〉 patriotism (国の誠)といふあり。〈略〉、だ自然にれが生国を恋ひ思ふが如きこれを愛国の誠といふ」 〔荀悦漢紀‐恵帝紀〕② 品種の名。収量は多いが品質は劣る。(精選版日本国語大辞典)

◉愛国心= 自己の属する政治的共同体 (国家) と自己とを一体のものと感じるところに生じる共同体への愛着感。政治的反省を経ない素朴な帰属感としての愛国心は,しばしば排外主義的国家主義に統合されやすい。しかし近代的意味における愛国心 (パトリオティズム) は,国民国家を専制君主外敵から奪回し,自由な市民の共同体として形成,維持すること,またそのような共同体に奉仕することを内容とするものであって,国家への非合理な盲目的服従を意味するものではない。(ブリタニカ国際大百科事典)

◉ あいこくしん【愛国心 patriotism】=愛国心とは,人が自分の帰属する親密な共同体,地域,社会に対して抱く愛着や忠誠の意識と行動である。愛国心が向かう対象は,国countryによって総称されることが多いが,地域の小集団から民族集団が住む国全体までの広がりがある。この対象が何であれ,それはつねにそこに生活する人々,土地生活様式を含む生活世界の全体である。また愛国心の現れ方は,なつかしさ,親近感郷愁のような淡い感情から,対象との強い一体感あるいは熱狂的な献身にいたるまで,がある。(世界大百科事典第2版)

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 ぼくは歌ったことはありませんが、こんな「第二国歌」がありました。題して「愛国行進曲」というものです。(https://www.youtube.com/watch?v=F0U6Mly-KMY)(自衛隊の「名歌手」三宅さんも歌われています)

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 戦時に限って「愛国」というのも変ですし、それは特別の感情ではないとぼくは感じていますから、戦時・平時を問わず、ぼくは「ふるさと(よりどころ)」に寄り添いたいと思うのです。「愛国心」とか「愛校心」と他人から唆(そそのか)されたから(強制されたから)、自分の中に生まれるものではないでしょう。「愛校心を持て」と教師から言われて、「はい、持ちました」と、カバンじゃないんですから、そうは問屋が卸さない。「一人の人間を愛する」、同じ感情のなかに、あるいは「国」を愛する感情というものがあるのかもしれません。この感情は、学校教育や強制力によって生み出されるものではないし、維持されるものでもないと、ぼくは考えたり感じたりしているのです。

 「敵は核を持っている、だから当方も核をシェアしよう」という輩は、愛国心で目いっぱいの力瘤(愛国心)かもしれない、でも、それは間違いだし、寝ぼけたことは言わないでというのもまた「愛国心」だとするなら、どっちの愛国心が強いか、いずれが勝つか、「神様の言う通り」なんですかな。あほな政治家たちが唱える国策に、反旗を翻す、そちらの方に「愛国」の要素が強いと思いませんか。ロシアで反戦・反プーチンの行動や姿勢をとる側に「国を憂うる」気持ちがあると、ぼくは想うのです。プーチン一派は「愛国派」ではなく「売国派」ではないでしょうか。国は売ったり買ったり、取ったり盗られたりするものだとするなら、そんなものに、おちおちと「自分」を委ねられますか。

 ぼくはこのように、きわめて曖昧にしか言えませんが、疑うべくもない感情として、それを実感することが出来るのです。しかし、世の多くはそれでは足りないというか、不満なのでしょう。もっと断固とした、「揺るぎない」姿勢や態度を、硬直した(骨太の)「愛国心」を求めたがるのです。お前のように軟弱ではない、この国の誇らかな成り立ちと文化、歴史と伝統を謳歌する、きっぱりした態度。それを軽侮する輩は、徹底的に懲らしめる、それが「愛国心」だいうのか。ここまでくると、「そんなん、いやや」と、ぼくはつぶやき、逃げ出します。昨日、何時も電話をかけてくれる京都の友人が、メールで、石垣りんさんのことに触れた文章を送ってくれました。

 「落花」という石垣さんの詩が引かれていました。ある新聞のコラム「折々のことば」に紹介されていたという。その詩は「さくら さくら / 散るのが美しいとほめ讃えた国に落ちるがいい / 花びら / 涙 / いのち / 死の灰」、これを石垣さんは三十四歳で書かれたことに、ぼくは彼女の心・意識を見出しています。石垣さんは、82年の春だったか、「都立第五福竜丸展示館」を訪問された。そのときのことを書いた文章に「とんでもない災害に巻き込まれることも知らないで、刻々にその場所に近づいてしまう。(略)私は自分の日常に当てはめておもわずつぶやいてしまう。『こわいなあ』」(「春の日夢の島へ」『夜の太鼓』所収・ちくま文庫) 当方に断りもなしに、原発は爆発するし、侵略は強行される。石垣さんは「こわいなあ」でしたが、ぼくは「あほか、いい加減にせいや」とぶつけたいね。

  その石垣さんの「弔辞」という詩を、少し長いのですが、全行を。(この中の一部も、他人の文章の紹介として、友人のメールにあった)

  弔詞            石垣りん
          

  ――職場新聞に掲載された一〇五名の戦没者名簿に寄せて――


   ここに書かれたひとつの名前から、ひとりの人が立ちあがる。

   ああ あなたでしたね。
   あなたも死んだのでしたね。

   活字にすれば四つか五つ。その向こうにあるひとつのいのち。
   悲惨にとぢられたひとりの人生。

   たとえば海老原寿美子さん。長身で陽気な若い女性。
   一九四五年三月十日の大空襲に、母親と抱き合って、
   ドブの中で死んでいた、私の仲間。

   あなたはいま、
   どのような眠りを、
   眠っているのだろうか。
   そして私はどのように、さめているというのか?

   死者の記憶が遠ざかるとき、
   同じ速度で、死は私たちに近づく。
   戦争が終わって二十年。もうここに並んだ死者たちのことを、
   覚えている人も職場に少ない。

   死者は静かに立ちあがる。
   さみしい笑顔で、
   この紙面から立ち去ろうとしている。忘却の方へ発とうとしている。

   私は呼びかける。
   西脇さん、
   水町さん、
   みんな、ここへ戻って下さい。
   どのようにして戦争にまきこまれ、
   どのようにして
   死なねばならなかったか。
   語って
   下さい。

   戦争の記憶が遠ざかるとき、
   戦争がまた
   私たちに近づく。
   そうでなければ良い。

   八月十五日。
   眠っているのは私たち。   
   苦しみにさめているのは
   あなたたち。
   行かないで下さい 皆さん、どうかここに居て下さい。 

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 「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」と謳った、いや、そのように嘯(うそぶ)いたのは寺山修司さんでした。マッチと祖国は無関係であったとして、そもそも「身を捨てるほどの祖国はありますか」という問いは、寺山さんだけに限らず、誰だって抱く疑問じゃないですか。そのような「祖国」に対する姿勢は、石垣りんさんも同じだったように、ぼくには思われます。「さくら さくら / 散るのが美しいとほめ讃えた国に落ちるがいい / 花びら / 涙 / いのち / 死の灰」と言葉を紡いだ石垣さんには、愛国心がなかったのではない、犬死を強いる、そんな「祖国なんか、いらないもの」という気概があったし、それこそが彼女流の「愛国心(そんな言葉は不要ですが)」だったのです。「散る桜、残る桜も 散る桜」と、ごく当たり前のことを、当たり前に言ったのは親鸞さんだったか。

 余談ですが、勤め人をしているころ、友人が役職(理事などといった)に就いて懸命に働いて、その挙句に大病をした。その時、ぼくは彼に「身体を壊してまで奉仕する、そんな値打ちのある職場か」と言い捨てたが、彼には理解できなかったようです。「国家」でも同様でしょう。「挙国一致」も「一億一心」も、ましてや「進め一億火の玉だ」、ということ自体、金輪際あり得ない「人間のロボット化」社会・国家の話、その虚構をして覚悟の「愛国魂」と刷り込んだ、そんな「祖国」なんぞあってたまるか、ぼくはそんなふうに言いたいですね。「国を愛しているから、人を殺し、自分を殺す」、国家というのもの(実態は何だろうね)は、そんなえげつないことを命じるもんなんですか。自分たちの身の丈あった、そのような社会を作り、その中で生きていきたいね、ご同輩!(ぼくは、どんな駄文であっても、そこでは「自問自答」しかしていません、いや、それしかできないんですね。それが書くことの、ささやかな理由なんだ)

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 遠き山に日は落ちて、星は空をちりばめぬ

 【日報抄】ヨーロッパのどこからが東欧で、どこからが西欧なのか。30年以上前の授業で習った分かりやすい線引きは集団的な防衛体制の枠組みだった。北大西洋条約機構(NATO)は西側の資本主義諸国で構成し、ワルシャワ条約機構は東側の共産主義諸国から成る▼1990年代半ばにチェコを旅したことがある。共産党の独裁体制が崩壊して5年ほどたっていた。中世の街並みが残る首都プラハは旅行者であふれ、西欧と変わらない雰囲気のように感じた▼道に迷い、地元の女性に片言の英語で尋ねたときのこと。女性は同じく片言の英語で道を教えてくれた後、打ち明けた。「私たちは若いときに英語も、外の世界も知る機会がなかった。あなたがうらやましい」。少し前まで、東西の壁が確実に存在していたことに気付かされた▼それでも時がたつにつれ、東西の線引きは意識されることが少なくなった。ワルシャワ条約機構はなくなって久しい。一方、NATOは加盟国が増え、旧ソ連を構成していたバルト3国も加わる▼経済分野でも東西の線引きは薄れた。西欧には石油や天然ガスといったエネルギー資源の供給をロシアから受ける国が多い。日本も一定量を依存する。しかし、ロシアのウクライナ侵攻でロシアやベラルーシと西側との対立は決定的になった。かつてのような線引きが、再び浮かび上がった▼チェコで出会った女性の言葉を思い出す。人や物、文化の自由な往来を妨げる壁など、もう二度と築かれてはならないのだが。(新潟日報・2022/03/27)

 今から二十年近く前に亡くなった友人で、「社会主義憲法」の優れた研究者、Hさんからしばしば東欧の話を聞いていました。年下であった彼とは、それこそ頻繁に酒を飲んだ仲で、その間、一度だって不愉快な気分になったことがないほどの好人物・好漢であったし、音楽や歴史の話題にも事欠かなかった。彼はしばしばチェコやハンガリーなどにも長期滞在した経験があり、当地の景色を目の当たりにしているような雰囲気で、それこそ深夜まで話し込んだこともどれくらいあったことか。そのHさんの話された中でもっとも印象的だったのが、プラハでした。住んでみたい唯一の街で、その都市景観の美しさは比類のものであったと懐かしそうに話された。「ぜひ、一度はゆっくりとそこに住んでみてください」といわれたことでした。たしかに豊かな国で、農業も工業も、さらには文化にも十分に語るべき材料が溢れているようでした。

 彼は絵画や音楽にも造詣が深く、スメタナやドボルザーク(➡)などのいくつもの音楽を詳しく話されたことも忘れない。まだ十分に活躍する時間を必要とされていた時期での逝去だった。彼を偲ぶというか、東欧の作曲家の音楽を聴くと、いつしか彼の風貌や声音が耳に届いてくるのです。少し前に触れた「プラハの春」について、その後の経過を含めて語りあった中でも、忘れられないエピソードがありますが、今はそれは話さない。コラム氏のプラハに刺激されて、ぼくはここではドボルザークの「新世界」(1893年、作曲)について無駄話をしてみたい、いやむしろ、そのサワリを聴いてみたくなったのです。

 理由は定かではありませんが、ぼくはチェコフィルの音楽を、その指揮者とともに、ずいぶん長く聞いてきたことに、改めて驚いています。生前には耳にする機会がなかったバツラフ・ターリッヒから始まり、カレル・アンチェル、ラファエル・クーベリック、バツラフ・ノイマンなど、そのほとんどの指揮者の演奏を聴いてきました。もちろん、チェコの音楽には限りませんでしたが、やはり、スメタナやドボルザークのものは、なんといっても、彼らの演奏に惹かれていたのです。詳しいことは避けますが、ある種の民族性というか、土のか匂いが、レコードを通して懐かしさをもたらしたのかもしれません。さらにはハンガリーのバルトークなど、自分でも意外な気もしますが、今でもかなりのレコードを持っているのです。 

 駄文の流れから言えば、チェコにゆかりのある演奏家のものを紹介しておきたいところですが、どうせならという、理由のわからない選択で、指揮はチェリビダッケ、管弦楽はミュンヘンフィルで、ドボルザークの交響曲第九番「新世界」の「第2楽章ラルゴ」を聴いてみたくなりました。この指揮者はルーマニア生まれで、主としてヨーロッパ各地で演奏活動を続けていました。特にドイツでは長く活躍した人でした。フルトベングラーに学び、ベルリンフィルの常任指揮者の後継に名が挙がったのですが、何かと障害があってかなわず、その後、各地で活躍した後に、ようやくにして、ミュンヘンに赴き、当地の管弦楽団の常任になって、このオーケストラを徹底的に鍛えて、優れた楽団に育て上げたのでした。彼は死去するまで、ここで指揮棒を振った。ぼくはこのチェリビダッケは大好きな指揮者で、彼のライバルとされたカラヤンとは比べることもできないような重厚な音楽性を持っていたと感じています。

 「新世界」の第2楽章「ラルゴ」は、日本の学校唱歌として「家路」という題名で歌われてきました。歌詞は「冬の星座」の堀内敬三さん。しかし、メロディは豊かであるだけに、その歌詞はそぐわないという印象を、ぼくは強く持ってきました。(堀内さんについては、どこかで触れています)(1922年にフィッシャーが、この「ラルゴ」に詩を付けたとされます。<Going Home>フィッシャーはドボルザークの弟子だった人。四年間のアメリカ滞在中に、ドボルザークはアイオワ州にでかけ、そこで「ラルゴ」の着想を得たという)(William Arms Fisher ・1861-1948)(参照:https://duarbo.air-nifty.com/songs/2008/03/post_9695.html)

 Going Home       作詞:W. A. Fisher

Going home, going home,
I am going home, Quiet like some still day,
I am going home.

(チェリビダッケ・ミュンヘンフィル;ドボルザーク交響曲第九番「新世界」:https://www.youtube.com/watch?v=_9RT2nHD6CQ

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◉ チェコ(Czech)=正式名称 チェコ共和国 Česká Republika。面積 7万8865km2。人口 1048万3000(2013推計)。首都 プラハ。ヨーロッパ中部,ドイツの東,スロバキアの西に位置する内陸国。西のチェヒ地方(→ボヘミア)と,東のモラバ地方(→モラビア)からなり,国土の大半が低山に囲まれた盆地。気候は大陸性気候海洋性気候の混合で,海洋性気候の特徴は東部へ向かうほど弱まる。年平均気温は西端のヘプで 7℃,南東部のブルノで 9℃。年間降水量はボヘミア盆地で 450mm,最多月は 7月,最少月は 2月。6世紀までにスラブ人がボヘミアに定住するようになり,8世紀末にはモラビアにも勢力を広げた。モラビアは 9世紀半ばに大モラビア国を形成したが 10世紀初頭にマジャール族に滅ぼされた。代わってボヘミアが台頭したが,1526年ともにハプスブルク家の勢力下に置かれた。19世紀に入って民族主義の意識が高まり,1918年スロバキアとともに独立し,チェコスロバキア共和国を形成した。1969年連邦制の実施でチェコは,チェコスロバキア社会主義共和国の一連邦となり,1993年1月連邦が解体し独立した。1999年北大西洋条約機構 NATOに,2004年ヨーロッパ連合 EUに加盟。住民の 90%以上がチェコ人(ボヘミア人)とモラビア人で,公用語はチェコ語(チェック語)。キリスト教のカトリック信者が約 1割で,無宗教の者も多数いる。分離したスロバキアに比べ高度に工業化が進んでおり,エンジニアリングが最大の産業。次いで食品,エレクトロニクス,化学などの産業が有力。社会主義体制の崩壊後,1990年代初めに実施された経済改革が奏効してめざましい経済成長と低失業率を実現し,西側諸国の一員として認められた。輸出入とも機械類,輸送機器が主。(ブリタニカ国際大百科事典)

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◉ チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(ちぇこふぃるはーもにーかんげんがくだん)(Česká Filharmonie)=チェコの代表的オーケストラ。1894年、プラハ国民劇場の管弦楽団員たちにより結成され、96年1月4日、ドボルザークの指揮で最初の演奏会を開催した。1901年に国民劇場から独立し、もっぱらコンサートのためのオーケストラとして活動を始めた。第一次世界大戦後の19年、バーツラフ・ターリヒが首席指揮者に就任してから世界有数のオーケストラと認められるようになった。50年から68年まではおもにカレル・アンチェルが指揮、以後バーツラフ・ノイマン(1968~78)、ズデニェク・コシュラー(1978以降)が首席指揮者を務めている。マーラーが自作の交響曲第七番を初演するなど、世界の著名指揮者が招かれ、また毎年「プラハの春」音楽祭に出演している。1959年(昭和34)初来日。(ニッポニカ)

◉ チェリビダッケ(ちぇりびだっけ)(Sergiu Celibidache)(1912―1996)=ドイツ指揮者。ルーマニアロマンに生まれ、ベルリン音楽大学とベルリン大学で学ぶ。1945年に代役としてベルリン・フィルハーモニーを指揮して成功、45~52年その首席指揮者を務め、第二次世界大戦後の楽団立て直しに尽力した。しかしカラヤンが常任指揮者に招かれるとともに去り、客演指揮者としてヨーロッパ、中南米で活動。63年以降はスウェーデン放送交響楽団、フランス国立管弦楽団、南ドイツ放送交響楽団、ミュンヘン・フィルハーモニーなどの首席指揮者や音楽監督を歴任。77年(昭和52)読売日本交響楽団に客演のため初来日。オーケストラを美しく透明に響かせるのに独特の才能を発揮したが、テンポが遅く表情づけが過剰で、スタイルの古さを感じさせるうらみがあった。(ニッポニカ)

HHHHHHHHHHHHHHHH

 「プーチンの戦争」は開始以来、一か月余が過ぎました。当初の狙い通りにはいかず、今では焦りに焦っているのではないでしょうか。八年前の「クリミア侵攻」に際して、西側諸国はほとんど関心を持たなかった、といっていいくらいに、さしたる反応を示さなかった。今回はその時の無関心に近い反応をいいことに(味をしめて)、プーチンは、西側(特にアメリカ)は「恐れるに足りず」とたかをくくって侵略した、あるいは非難どこ吹く風と、「いい気になって」、暴力をむき出しにしたのでした。現状はどうであるか。素人のぼくには何とも判断はできませんが、あからさまな「戦争犯罪」というべき「殺戮行為」をここまで重ねてきたのです。中国でさえ、プーチンの側に加わることを躊躇するほどですから、この先は、彼の自爆を警戒する必要があるでしょう。戦闘被害が、彼や彼の取り巻きだけに限定されるならまだしも、「毒を食らわば皿まで」と出たらめに走る前に、それを阻止できるかどうか。(ヒットラーは自死をした)

 「新世界」は、十九世紀末のアメリカに招かれたドボルザークが、「新文明」に驚嘆した強烈な体験を音楽で表現したものですが、そのような文明の根っこにも、彼にはだからこそ、忘れがたい「望郷の想い」があったのでしょう(彼は四年間滞在していました)。そのことがひときわ印象深く、ぼくの記憶の底にたたまれていたのでした。(「戦地」にいる、あるいは避難を余儀なくされた方をも含め)どなたにとっても、一日も早い「家路」「家郷」への確かな道がきずかれ、示されますように)

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 「人間の尊厳」がかかっている事態です

 マリウポリ市民4500人連行か ウクライナから強制移住―ロシア軍【ワルシャワ時事】ロシア軍の激しい包囲攻撃にさらされているウクライナ南東部マリウポリの市当局は20日、通信アプリ「テレグラム」への投稿で、住民の一部が強制的にロシアへ連行されていると主張した。米紙ニューヨーク・タイムズは市当局者の話として、「4000~4500人」に達する恐れがあると報道。事実とすれば、人権侵害という批判が高まりそうだ。/ 報道などによると、ロシア軍はマリウポリ市内の地下施設に避難している住民らを捜索。住民らは連行に際して旅券を没収され、代わりに法的効力が低い書類を渡されるという。当局者は同紙に対し、強制労働のためウクライナに近接するロシア南部タガンログに移住させられる可能性があると懸念を示した。/ 市当局は「ナチスの手法と同じで、マリウポリを乗っ取ろうとしている」と指摘。ウクライナのゼレンスキー大統領も20日公表の動画で、「マリウポリでのロシアのテロ行為の数々は、今後数世紀にわたって記憶されるだろう」と批判した。(時事通信・2022年03月20日21時32分)(写真下左:ロシア南部タガンログに設けられた、ウクライナ・マリウポリなどからの難民を収容する施設の子供=17日)(ロイター時事)
 市民数千人をロシア領へ強制移送か 南東部マリウポリ  ロシア軍の激しい攻撃が続くウクライナ南東部の港湾都市マリウポリの市議会は19日、一部の住民がロシア領へ強制的に移送されているとの声明を出した。/ 声明は、この1週間で数千人が連れ去られたと主張。ロシア軍が、女性や子どもら1000人以上が避難していたスポーツクラブの建物などから違法に人々を連れ出したとしている。/ 住民らはロシア軍の拠点で携帯電話や書類を調べられた後、ロシア国内の遠隔地へ送られているという。/ ウクライナ軍の将校によると、マリウポリはロシア軍に包囲され、絶え間ない爆撃を受けている。路上には遺体が散乱し、住民らは限られた食料や水を分け合っている。/ 市内にあるウクライナ有数の製鉄所で戦闘が起きているとも伝えられる。新たな衛星画像には、空爆で破壊された劇場の様子が写っていた。建物の外には、子どもがいることを示す文字がはっきりと見える。/ 声明によると、ボイチェンコ市長はロシア軍の行為について、第2次世界大戦中のナチス・ドイツによる強制連行のようだと非難。「21世紀になって、人々が他国へ強制的に連れて行かれるとは、考えられないことだ」と述べた。(CNNNEWS・2022.03.20 Sun posted at 10:24 JST)(写真上右:ロシア・ロストフ地方の施設への移動を待つウクライナ・マリウポリの住民=16日 / Arkady  Budnitsky / EPA-EFE/Shutterstock)

「ロシア軍、数千人のマリウポリ市民を強制移送か」という報道を聞いてから、おそよ一週間ほどが経過しました。十分に状況がわからないままで時間が過ぎていましたが、なおその内容の詳細は、一面では当然ですけれど、聞こえてきませんでした。実際はどういうことか、ぼくには判断材料がありません。マリウポリ市当局の発表ですから信じられますと言っていいのかどうか。すこしづつ、当事者が語ったものとしての情報が出て来ました。このニュースを聞いた瞬間に「強制連行」「シベリア抑留」、あるいは「奴隷労働」などという、あまりリにも忌まわしい「記憶」が蘇ってきました。

 「労働は自由への道 (Arbeit macht frei)」「働くと自由になる」などという標語で有名になったもので、元は十九世紀のドイツ作家の Lorenz Diefenbach の小説のタイトルとして使われたものが、1933年以降、いくつものナチが作った「強制収容所」の門に掲げられたのでした。(左上の写真はアウシュビッツ強制収容所の入り口の「標語」)あるいは「シベリヤ抑留」に関しても、実に激しい怒りをこらえることが出来ないような「犯罪行為」でした。数多の日本人が「強制労働」に駆り出され、死の苦しみを舐めたのでした。

 強制収容所は、戦争における勝者が、戦後にとった処置ではなく、戦時中に「民族浄化」という教条を掲げて、作り出した「地獄絵図」でした。一方の「シベリア抑留」は同じ強制収容・強制労働ではありましたが、こちらは「戦勝国」(といえるかどうか)の側に、遅れて入ったロシアが、例を見ない強制労働の惨状をもたらしたものでした。「勝てば官軍」というのは、戦争を利用したものの勝手な言い分ではありましたが、それで塗炭の苦しみを味わう羽目になったのは、「(敗戦国の)捕虜」でしたから、その人たちは、二重の虐待を受けたことになります。さらに、ぼくが想起したのが「奴隷労働」でした。これも人間集団がの作られだしたころから存在した「人間虐待」「じんしゅさべつ」「人権侵害」でした。あくまでも「所有物」の如く、でした。アリストテレスは「奴隷に自由はないのが当たり前」というようなこと言っていました。貴族階級育ちの人間であったから、それは当然の言であったと言うべきか、あるいはあ哲学者として、いかにも、「語るの落ちた話」というべきか。

 さらにはアメリカにおける「黒人奴隷」問題は、彼の国の歴史の背骨をなして来たのではないでしょうか。そして「黒人差別」は現下の問題でもあり続けていることは、近年の「ブラックライブズマター」によって如実に見せつけられました。要するに、「人間の虐待」「人権の侵害」は、戦時によると平時によるとに関わりなく生じるし、あるいはその「虐待」「差別」は一国の法律や制度、もっといえば「文化」「歴史」にすらなっているのです。まさしく、それはアメリカの現下の問題であるでしょう。問題を抱えている「大国」や「大国詐称組」が集って、互いに「愚かさ加減」を競っているのが「G7」「G20」だというのでしょうね。人間は少しは向上もし、進歩もするらしいけれど、人間集団(国家・社会)は、さっぱり成熟しないのはどうしてか、明らかな理由がありそうです。自己んではかしこい人間が、集団をつくると、想像を絶した愚かな行為を平気でする。それを止める手立てが、集団にはないんだね。

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◉ シベリア抑留(シベリアよくりゅう)=1945年の第2次世界大戦終結時にソビエト連邦降伏,または逮捕された日本人に対する,ソ連によるシベリアでの強制労働。抑留者の数は,日本政府の調べでは約 57万5000人とされ,うち約 5万5000人が死亡,約 47万3000人が帰国した。抑留者は主として軍人であったが,満州開拓団の農民,満州の官吏南満州鉄道株式会社など国策会社の職員,従軍看護婦などもいた。シベリアのほか中央アジア,極東モンゴル,ヨーロッパ・ロシアなどの約 2000の収容所,監獄に収容され,鉄道建設,炭坑・鉱山労働,土木建築,農作業などさまざまな労働に強制的に従事させられた。1946年12月から引き揚げが始まり,日ソ共同宣言が行なわれた 1956年には有罪判決を受けた者も釈放され,ほとんどが帰国したが,若干名はソ連に帰化した。行方不明者も少なくない。2015年,シベリア抑留と引き揚げの歴史を伝える資料「舞鶴への生還 1945~1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録」が国際連合教育科学文化機関UNESCO世界の記憶に国際登録された。(ブリタニカ国際大百科事典)(左上写真、ナホトカの収容所で帰国を待つ日本人抑留者たち=モスクワのグラーク史博物館提供:https://www.tokyo-np.co.jp/article/114691)

◉ 奴隷(どれい・slave)=人格を認められず,生産手段として支配者によって所有・売買・譲渡されることを正当化された身分の者  戦争による捕虜・被征服民や,債務不履行・奴隷貿易などから発生し,労働内容によって,家内奴隷・生産奴隷に分けられる。家内奴隷は古代オリエントをはじめ世界各地にみられるのに対し,生産奴隷は,アテネラウレイオン銀山,ローマのラティフンディウムにおける農耕奴隷,近代アメリカの黒人奴隷などが典型的で,その取扱いは苛酷な場合が多い。(旺文社世界史事典三訂版)

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 今回の「強制移送」の実態は、まだ十分に内容が知らされていませんから、これ以上の憶測はしないほうがよさそうです。ぼくが言いたかったのは、ロシアならやりかねないということではなく、ロシアの権力者だったから、「さもありなん」というのではないのです。自民族中心主義(ethnocentrism)といい、「民族浄化(ethnic cleansing )」は、根拠のない言いがかりのようなものではあっても、それを理由に他民族・他人種を抑圧し、いささかの「差異」を異常に強調して、自らの優秀さを誇示しようとするものでしょう。今回の、ロシア軍によるウクライナ人の「強制移送」はそれではなく、むしろ戦争に勝つための手段として「人質」として、あるいは「人間の盾」として利用する、脅しの材料ではないか。これもまた、看過できない「犯罪行為」であると、ぼくは考えます。

 仮に事実、かような人権蹂躙が行われているとするなら、一刻の猶予もなく、「戦争犯罪」として「法廷」で裁くべきです。そのためには現行の「機関」や「国際法」に代わって、一層有効な手立てを考えなければならないと思います。「ボイチェンコ市長はロシア軍の行為について、第2次世界大戦中のナチス・ドイツによる強制連行のようだと非難。『21世紀になって、人々が他国へ強制的に連れて行かれるとは、考えられないことだ』と述べた」と報じられていました。しかし、この時代にあっても(こんな野蛮な行為は)許されないというのならわかりますが、「こんなことは考えられない」というのは、当事者としてどうかと、言いたい。戦争は「文明人」や「教養人」が行うのではなく、すべからく、文明や教養の衣をまとった「野蛮人」「殺人鬼」が行う「殺戮」の方法であり、支配と征服にしか興味を持たない「戦争狂・殺人狂」の行為です。いつだって、こんな「禍々しい事態」は起こるし、これからだって生まれることは間違いない。戦争(国家間であれ、個人間であれ)は、人間の中の「闘争本能」「攻撃性」がもたらすものです。

 しばしば説明される「脳の三層構造」、細かいところはともかく、大筋では受け入れられそうです。人間の脳は中心部から外側に向かって発達してきたと言われてきました。したがって、前頭葉(大脳新皮質)の部分に、より人間の要素(条件)が育てられており、その下段階の「大脳辺縁系」はいわば、動物的部分です。老齢化が進むと、「新皮質」の部分が衰えるのであり、その反作用で「辺縁系」が前面に踊り出す。感情や情動(怒りやすい・キレやすい)というのは、この部分が作用しているのです。戦争をしかけるのは「老人性」「動物性」の要素が活発に作用している証拠・結果で、仲良くなりたい」「毛嫌いする」は、一見すると相反しますが、実は作用している部分(組織)は同じなんです。よく「愛憎相半ばする」というのも、愛すると憎むは、同じ脳内細胞の働きだからです。ぜんぜん「別個」の現象のように見えても、は根っこはいっしょ、だから「好きでたまらない」が、「殺したいほど嫌い」なるというのです。好きでもなければ、誰彼を嫌うこともありませんね。泣き笑いも同じ。波代は鳴くときも大笑いする時も出るし、成分はいっしょですやん。「甘い・辛い」の区別はないんですよ。

 プーチンは七十歳、十分に「老人化」しているのでしょう。「前頭葉」は衰え、その反動で「大の辺縁系(攻撃部分)」が乗り出してくる、加えて、彼は格闘技が好きですから、狂気じみるのは当然かもね。いや、ひょっとして、「前頭葉(人間性の部分)」は未発達だったのかもしれない。お好みの柔道も、畳の上でやる分には構わないが、畳の外で「闘争本能」むき出しにすると、今回のように、ひたすら攻撃一本やりに「転化・点火」してしまうのです。箍(たが)が外れた闘争心・攻撃性は、ルールが存在しないから、行くところまで行く。それを知っていて、事態を打開する側は、相手の衰え切っている「理性」「判断力」に訴えても効き目がありません。ぼくは「コンクール」や「コンテスト」嫌いを公言しているのは、こういった事情からです。ショパンコンクールの優勝者が「ウクライナ人を締め上げろ」といったのは、規則のないコンクールのつもりなんでしょう。当たり前に考えれば、音楽と「殺戮」は並び立たないものですが、彼にはそれは、どちらも己の攻撃性や闘争心を試す機会であったというわけ。

 会議を開いて議論するのも結構です。しかしもう時期が過ぎました。何時でしたか、三十年も前、イラクを攻撃する時(湾岸戦争)には「多国籍軍」をデッチあげ、嘘を言い立てて(大量破壊兵器の存在)、アメリカは「フセイン」をやっつけました。あれには、ぼくは賛成できなかったが、今回もそれと同様で、嘘を作り出してまでやる必要がないほどに、P大帝の悪辣・悪逆の根拠(証拠)はたくさんあります。「多国籍」ではなく、堂々と「人道に背反する罪を許さない」という大義で、戦争ではなく、人道という本筋に立って「独裁者」の大罪を、戦争仕掛け人に認めさせるべきではないでしょうか。「目には目を」ではなく、「目にも歯にも、人道を、人倫を認めさせる」のです。戦争を仕掛けた独裁者は、まさか、これまで同様の「誼(よしみ)」を通じた居、元通りに上辺だけは仲良くしたいなどとはは露考えていないでしょう。決死の覚悟で「殺戮」を始めたのです。退路を断って。だから、それにふさわしい「処遇」「処置」を取らないと、「人間脳」が泣きます。もうすっかり泣いていますよ。(右上写真、フセインが持っているのは「剣」で、ブッシュパパは?) 

 「ペンは剣よりも強し」といっただけでは無力です。「剣」に勝る「ペン」の力を示す必要がありますよ。それは何か、と聞かれますか、それでは困るんだが。それを示せなければ、どちらの「剣」が強いか、その優劣(コンクール)になって、もうこの世は闇だな。冗談ではなく、いまや「人間の尊厳」がかかっている事態にあるんですね。ぼくたちは、自分たちが生みだし育て上げてきた、その価値(人間らしさ)を失うかどうか、それが試されているんです。

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