「人間よ、人間を敬いなさい」、そして…

 【筆洗】ドイツのまちハダマーの施設ではナチス時代、多くの障害者が殺された。「秀でた者の遺伝子を保護し、劣る者のそれを排除する」という優生思想に基づく政策だった▼障害者団体幹部の藤井克徳氏の著書『わたしで最後にして ナチスの障害者虐殺と優生思想』によると、ガス室跡のある建物が保存されている。殺害された障害のある人は国全体で二十万人超ともいわれ、ユダヤ人大量虐殺より先に始まった。殺されなくとも、断種すなわち不妊手術を強いられた人も多かった▼断種には他国も手を染めたが、日本もその一つ。障害があり、不妊手術を強いられた人たちが起こした訴訟で先日、判決が言い渡された▼大阪高裁は手術強制の根拠となる旧優生保護法(一九四八〜九六年)を「極めて非人道的、差別的」と断罪し、違憲と判断。同様の訴訟で初めて国に賠償を命じた。一審は「手術から二十年過ぎ、賠償請求権は消滅した」と判断したが、高裁はこれを「著しく正義、公平の理念に反する」と覆した。司法の良心だろう▼非人道的な法が九〇年代まで存在したことにあらためて、暗然とした気分になる。相模原の施設で「重度障害者は不要」と男が凶行に及んだように、社会に差別感情は根強い▼ハダマーの施設の碑にはドイツ語でこう記される。「人間よ、人間を敬いなさい」。心に刻むべきはドイツ人に限らない。(東京新聞・2022/02/24)
 【天風録】埋もれかける心の声 4歳の時に病で光を失ったエッセイストの三宮麻由子(さんのみや・まゆこ)さんは時折、その境遇を「シーンレス」と造語で表現する。直訳すると、風景がない―。あえて視覚障害としないのには理由がある▲音や手触りで辺りの様子を感じ取る。それは、病気や事故次第で誰の身にも起き得るからだ。障害者の話とあしらわず、「明日はわが身」といった感覚を持ってほしい。そんな思いも込めてのことらしい。裏返せば、まだ理解を欠く現状なのだろう▲「障害者は不幸」とみる、ゆがんだ考えの温床が四半世紀前まであった旧優生保護法。その名の下に、本人が知らぬ間に不妊手術を強いていた。憲法の精神に背くとして、国に損害賠償を命ずる大阪高裁の判決がおととい出た▲原告には、耳の不自由な老夫婦もいる。二人は「うれしい」「怒り、悲しみは続いている」と入り交じる思いを手話で伝えた。「元の体に戻せ」と心の声も聞こえてくるようだ。肉声で聞き取れず、何とももどかしい▲救済の手を差し伸べられるべき被害者は約2万5千人もいるはずなのに、一時金の支給はまだ千人に及ばないという。心の声を埋もれさせないためにも、こんなときこそ「聞く力」の出番では。(中国新聞・2022/2/24 6:36)

 強制不妊手術なぜ始まった? 戦後の食糧難が背景(朝日新聞アピタル・2018/05/16)(https://www.asahi.com/articles/ASL5J455HL5JUBQU006.html)

 昨日に続いて、もう一度「旧優生保護法」にかかわる問題に触れてみたいと考えました。法案が議論さ、制定されたのは戦後のことだった。その時における法律制定の「賛否」の代表的な意見の要約が右表に出されています(詳細は朝日新聞アピタルで)。「産児制限」の必要性から、「劣生遺伝」のおそれのある子どもは生まない、そのための法律であり、加藤さんのいう「理由」はともかく、この法律に「賛成」の意見を示されたことに驚きを持ってみています。上に示した二冊の関連図書のうち、藤野豊さんのものを手にすれば、歴史を含めて、この間の経緯を知ることができます。(余談ですが、「強制不妊と優生保護法」の著者である藤野さんには、さまざまな「人権問題」に関して、ぼくは多くの教示を与えられました。ハンセン病者の国策問題についても、彼は一貫して「元患者」の側に立ち尽くし、裁判でも積極的に闘われてきた人です。ぼくが在職中に担当していた授業(人権問題に関するもの)に、何度も参加してもらっていました)

 生まれてよい命、生まれてはいけない命、これをだれが決めるのか、そもそも、こんなことが人間(政治や権力)の都合で判断されていいはずがないにもかかわらず、「時勢」というのか、時代の流れというのか、いとも簡単に決められてきたのです。なぜか、圧倒的多数の人民は「自分のことではない」「自分には関わりがない」として、政治権力の判断、取り返しのつかない誤った判断に拒否権を行使しなかったからでした。さらに言えば、そのように決めたのは「公益」のためであり、「公共の福祉」に反しないからだとか何とかいうように、大多数の反対意思がなければ、なんでも許されるという国家の判断基準の「恣意性」にありました。強制不妊手術問題に関しては、一万五千名弱の人が手術を施されています(「同意者」を含めれば、二万数千名という)。未成年者もいました。今判明している分で、これだけの数字です。数の多い少ないが問題なのではなく、つい近年まで、法に基づいて堂々と「強制不妊手術」が行われていたことです。

 この強制不妊の根拠になった「イデオロギー」は、昨日も述べたとおり、「民族浄化」であり「いのちの選別」、「優生確保」だったのですが、それは今日においても根が生えて存続している「教条」でもあると言えます。新たな「不妊治療」「出生前診断」の方針・法則が示されてきましたが、その中に、明確に「優生」確保のための医療行為が明示されているのです。産む・産まないという「権利」を尊重するのは当然ですが、産まないための理由が「いのちの選別」に起因している点、問題の核心に関しては、十分に説明できないままで現実が動いているともいえます。この点に関しても、大きな議論がある問題ですが、ここではこれ以上は触れません。(「産む・産まない・という立場の権利は尊重されるべきだと言いますが、では「産まれてくる」側の権利を、人間はどのように受け取るのでしょうか。そんなものはないのだと切り捨てられるのかどうか。「産んでくれと、頼んだ覚えはない」という「声に、どう反応できるのでしょうか。つまりは、この程度の問題にも、人間は十分に応えられないままで、歴史を生きているんですね。

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◎ 出生前診断=(略)出生児の約3~5%はなんらかの先天性疾患をもっており、その約25%が染色体異常による疾患、約20%が単一遺伝子変異による疾患、約40%が複数の遺伝子変異による疾患、約5%が環境や催奇形因子による疾患とされている(Thompson & Thompson Genetics in medicine, 8th Edition)。/ このように、一定の確率で発生する先天性疾患について出生前診断を妊婦が受ける理由としては以下があげられる。(1)胎児の健康・発育状態が良好との診断を受けることで妊婦が安心感を得ることができる、反対に、胎児になんらかの異常が認められた場合には、(2)胎児に対する治療、その他妊娠中に医療処置を受けることができる、(3)出産時の最適な分娩(ぶんべん)方法や出産後の療育環境を事前に準備することができる、(4)人工妊娠中絶を受ける機会を得ることができる、というものである。(1)~(3)は出産することを前提としているが、(4)についてはその前提がなく、先天性疾患を理由とする「命の選別」に通じることから倫理的問題があるとされている。(以下略)[神里彩子 2020年9月17日](ニッポニカ)

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 若いころ、街中の産婦人科医院の看板に、右下のような札(あるいは診療科目の横に)が出ていました。「優生保護法」という法律を知るきっかけになったし、それがどういうものであるかを調べる契機となりました。人工妊娠中絶の手術ができる医院(医者)だとわかったのですが、そのほとんどの「中絶」の理由が「望まれない・望まない妊娠」だったということが明らかにされました。その是非は、単純に云々することはできませんが、問題があることを認めたうえで、この法律の効用は否定できません。しかし「いのちの選別」が国家政策として、長年にわたって続けられてきたこと、その被害を受けた当事者が「法の違憲性」を訴えて初めて、この問題が話題になり、法廷で争われたという、このプロセスに関して、文明国の中の「野蛮性」があぶり出されたという想いを抱きます。と同時に、この裁判に十分な関心を払わなかったことを含めて、ぼく自身のなかに厳然としてある「野蛮性」に、改めて刃を向けているのです。「自らに関係しない」事柄が、いつの時代にあっても、存在しないということは金輪際ないということを、肝に銘じておきたい。

 「人間よ、人間を敬いなさい」というドイツはハダマーの「施設」にあるという「碑」の言葉を噛みしめています。まず、「他人を尊重」し、その次に(順番は、この通りであるとは限らないが)「人間以外のいのちも、敬おう」と心底痛感するのです。人間が人間を差別してきたからこそ、「人間が人間を敬う」、その深重(しんちょう)の意味をつかんで離さないようにしたい。人間にとって「人間のいのち」は大事だけれど、それ以外はどうでもいいとは言えないことを、実は人間であれば、知っているんですが、それを知らないふりをして通しているんじゃないでしょうか。(権力をもつと、それをとにかく振るいたくなる。権力の強さ比べをしたくなる。そのために無辜の民の命が犠牲になるんですね。また、ある国で「戦争が始まった」という。これもまた、人間の分際では「手に負えない」問題なんでしょうか。戦争には「大義」は不要なんですね。

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 余話として このところの「コロナ禍」でしばしば耳にするのが「トリアージ」という語です。これもまた、ひとつの「いのちの選択」と言えなくもないのです。「助かるいのち」と「助からない・助けないいのち」といえば語弊がありますが、医療の現場で、恐らく日常的に使われている言葉であり、医療行為をさしているのではないでしょうか。

◎トリアージ(〈フランス〉・〈英〉triage)《「選別」「優先割当」の意》大災害によって多数の負傷者が発生した際に、現場で傷の程度を判定し、治療や搬送の優先順位を決めること。また、その役目。重傷者を優先的に処置し、現場の人材・機材を最大限に活用するために行われる。順位は、負傷者の総数、応急処置能力、医療機関の収容能力、搬送能力などを考慮し、状況に応じてそのつど判定される。(デジタル大辞泉)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。