医療者の「善意」が人権侵害に、ホントか?

【有明抄】旧優生保護法の罪 わが子を見ながら「遺伝だなあ」と思う時がある。乾燥肌など筆者の遺伝もあるが、心配性は妻の遺伝。「いいところも、悪いところも似てこその親子」だと感じる。なのに、「短所は遺伝させてはいけない」とした時代が日本にあった。「旧優生保護法」である。戦後の1948年に制定され、特定の病気や障害がある人に対し、強制不妊手術などが行われた。悲しい史実だ◆大阪高裁がきのう、旧法下におけるそうした行為を違憲とし、国に賠償を命じた。違憲判断は出ていたが、賠償命令は初めて。産み育てる権利を奪った罪は重い。難しい法的解釈より、原告に寄り添う姿勢が大切だろう◆そもそも、命の誕生自体が奇跡。健康に生まれても、成長の過程で思わぬ病気やけがをすることはある。喜びも悲しみも苦しみも、全て背負って生きるのが人生といえる◆食欲や睡眠欲といった本能がないと人は生きていけないが、本能は時に攻撃性を生み、暴走する。だからこそ、互いに戒め、ブレーキをかけ合う。自分とは違う考え方や行動をとる人を認める。つまり、多様性を受け入れることが人間関係の基本と思う◆人権とは、その人が「自分らしく生きるための権利」。生まれる前にその権利を奪っていいはずがない。今回の司法判断を、幸せや人権について改めて考えるきっかけにしたい。(義)(佐賀新聞・2022/02/23)

 今日においてもなお、「優生思想」というものが払拭されていないどころか、根強く、しぶとく生きながらえています。人間の中に「優生」「劣生」の遺伝子を持っている存在があり、劣生分子を淘汰するという意図に基づいて制定されたのが「優生保護法」です。「優生」を保護するという名目で「劣生」を除くという目的があからさまに見て取れます。それ以前には、戦時中に制定された「国民優生法」があり、その法の目的をさらに拡大・拡充したものとして戦後に制定され、近年まで有効であった。こういう法律を国家が「制定する」という愚行を見て、国家というものが、いかなる性格を持っているものかが判然とするのです。法の趣旨は下に示した通りで、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」という、まことに悍(おぞ)ましい「イデオロギー(教義)」に乗っかっていました。「優生上の見地」というのは何でしょう。「遺伝性精神変質症、遺伝性病的性格、遺伝性身体疾患又は遺伝性奇形を有しているもの」に対して、「出生を防止」するためと称して、実に野蛮な医療行為を国の法律で定め、それに基づいて、強制手術が実施されてきたのです。ナチにおいては「民族浄化」が謳われましたが、それとほとんど隣接している、いや、真横で並存している風でもありました。これが「戦後の法律」であるという点に、言われぬ退廃を感じてきました。

 すでにさまざまな知見や実例が、当時において諸外国にあるにもかかわらず、係る「悪法」を半世紀も存続させてきた国家の罪は重いのですが、その認識がないのは、国家当事者意識を持つ者がいなかったという、政治的不毛と不作為のためであって、それはまさしく犯罪というべきでしょう。この「優生思想」の合法化によって、無数の人民が「命の選択」を迫られたのです。果たして、今現在、この社会において、かかる「優生思想」は根絶されているといえるのでしょうか。ささやかですが、ぼくは学校教育の「成績主義」や「序列化」を一貫して否定し非難してきたし、現場に向かっても、「教育における優生思想」からの解放というか、そこから脱け出るための教育の創出をやかましく語ってきました。にもかかわらず、それを期待していなかったのではないが、いかなる成果もなかったというほかないのですが、それにしても「優生思想」という、思想のお面をかぶった「教条(ドグマ)」には、我ながら思いますのに、まるで「蟷螂之斧」のごとき、滑稽を演じてきたのでした。成績をめぐる順位競争は、序列化であり、価値づけでもあります。それがやがて、「優劣を決定する因子」となってきたのです。いまなお、その根底の思想(差別の別名)は健在であります。

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◎ ゆうせいがく【優生学 eugenics】=優生学とは,C.ダーウィン従弟であるF.ゴールトンが1883年につくり出した言葉で,ギリシア語の〈よい種(たね)〉に由来する。1904年の第1回イギリス社会学会で彼は《優生学――その定義,展望,目的》という有名な講演を行い,ここでその学問を,〈ある人種の生得的質の改善に影響を及ぼすすべての要因を扱う学問であり,またその生得的質を最善の状態に導こうとする学問〉と定義した。したがって優生学には理論上,結婚制限,断種,隔離等により望ましくない遺伝因子を排除しようとする〈消極的〉優生学と,税制優遇や法的強制により望ましい遺伝因子をもつ人間の多産早婚を奨励する〈積極的〉優生学がありうることになる。(世界大百科事典 第2版)

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◎ 優生保護法(ゆうせいほごほう)=現行母体保護法の改正前の法律。優生学上不良な遺伝のある者の出生を防止し、また妊娠・出産による母体の健康を保持することを目的として、優生手術人工妊娠中絶、受胎調節および優生結婚相談などについて規定した法律をいう(昭和23年法律156号)。優生保護法以前には、国民の資質向上を目的とした「国民優生法」が成立(1940=昭和15)していたが、これは主として優生手術と健康者の産児制限の防止を規定したものであった。優生保護法は、戦後の混乱期における人口急増対策と危険な闇(やみ)堕胎の防止のため人工妊娠中絶の一部を合法化したもので、その内容の是非をめぐってはつねに議論があった。さらに優生思想に基づく部分は障害者差別となっており、改正を求める声が多かった。このため、優生保護法のうち、優生思想に基づく部分を削除する改正が行われ、法律名も母体保護法(1996年9月施行)に改められた。(ニッポニカ)

法律第百五十六号(昭二三・七・一三)
◎優生保護法
第一章 総則
 (この法律の目的)
第一条 この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする。
 (定義)
第二条 この法律で優生手術とは、生殖腺を除去することなしに、生殖を不能にする手術で命令をもつて定めるものをいう。
2 この法律で人工妊娠中絶とは、胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期に、人工的に胎児及びその附属物を母体外に排出することをいう。
第二章 優生手術
 (任意の優生手術)
第三条 医師は、左の各号の一に該当する者に対して、本人の同意並びに配偶者(届出をしないが事実上婚姻関係と同様な事情にある者を含む。以下同じ。)があるときはその同意を得て、任意に、優生手術を行うことができる。但し、未成年者、精神病者又は精神薄弱者については、この限りでない。
 一 本人又は配偶者が遺伝性精神変質症、遺伝性病的性格、遺伝性身体疾患又は遺伝性奇形を有しているもの
 二 本人又は配偶者の四親等以内の血族関係にある者が、遺伝性精神病、遺伝性精神薄弱、遺伝性精神変質症、遺伝性病的性格、遺伝性身体疾患又は遺伝性奇形を有し、且つ、子孫にこれが遺伝する虞れのあるもの
 三 本人又は配偶者が、癩疾患に罹り、且つ子孫にこれが伝染する虞れのあるもの
 四 妊娠又は分娩が、母体の生命に危険を及ぼす虞れのあるもの
 五 現に数人の子を有し、且つ、分娩ごとに、母体の健康度を著しく低下する虞れのあるもの
2 前項の同意は、配偶者が知れないとき又はその意思を表示することができないときは本人の同意だけで足りる。
 (強制優生手術の審査の申請)
第四条 医師は、診断の結果、別表に掲げる疾患に罹つていることを確認した場合において、その者に対し、その疾患の遺伝を防止するため優生手術を行うことが公益上必要であると認めるときは、前条の同意を得なくとも、都道府県優生保護委員会に優生手術を行うことの適否に関する審査を申請することができる。
 (優生手術の審査)
第五条 都道府県優生保護委員会は、前条の規定による申請を受けたときは、優生手術を受くべき者にその旨を通知するとともに、同条に規定する要件を具えているかどうかを審査の上、優生手術を行うことの適否を決定して、その結果を、申請者及び優生手術を受くべき者に通知する。
2 都道府県優生保護委員会は、優生手術を行うことが適当である旨の決定をしたときは、申請者及び関係者の意見をきいて、その手術を行うべき医師を指定し、申請書、優生手術を受くべき者及び当該医師に、これを通知する。(以下略)

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 左の「持論」は、2019年7月段階で、石川県内の「保険医療新聞」という業界紙に掲載されたものです。恐らく筆者は石川県内の医療関係者と推察されます。書かれている内容に関して、間違ってはいないという向きがあるから、掲載されたのでしょうが、ぼくは一読して、いまなお、「優生思想」は克服されていないという感想を強くもつものです。「地獄への道は善意の小石で敷き詰められている」という「善意」とは、いったい何でしょうか。ここに「善意」を持ちだすのですか。ぼくに言わせれば、「善意」の名をかたった「悪意」であり、係る蛮行はいたるところで行われていました。これはけっして医療の分野に限らないことです。「善意」を武器にして、悪意の医療行為を是認してきた医療者の責任は重いし、このような「悪法」を全員一致で制定した国会の暴力行為も犯罪だと言うべきです。

 ぼくは、昔から言ってきたことですが、地裁や高裁段階で「死刑判決」を下した裁判事案が、その後の展開で「無罪」となった時(冤罪が明らかにされた段階で)、「死刑」を科した裁判官はいささかの咎・罪も負わないし、負わされないのは間違いである、と。それと同様に、国策だから、言われたとおりに「(善意で)強制手術をしたまで」という医療関係者の罪が問われないのは、実に釈然としないのです。権力側から言われたのだからというのは、理屈です。それを「善意」と言いぬけているのが現実でしょう。その権力側は、誰一人責任を問われないのも、国家というものの実体が「空っぽ」であることを示しているのではないでしょうか。「国家」という空白、あるいは幻想が、しかし、それをいいことにして、いたるところで人命を枯葉の如くに蹂躙してきたのも、していることも事実です。

 繰り返し、学校教育に関して、この駄文の山を築く中で書いてきたことは、教育の根っこはどうなっている、学校は何を基盤にして教育実践を行っているのか、そのような大きな問題に見えるものの、陰に、いつだって「優生思想」(「能力の開発」とかなんとか言いながら)なるものが厳然と、あるいは隠然と控えているということでした。何をどうしたものか、いっかな減じる気配のない「いじめ」も、もとをただせば、「優劣の区分け」から必然的に生み出された「劣等者の排除」か、それに類する暴力でしょう。学校教育の核となり、背骨となるのもが、「教育者の善意」による「学力競争の展開」であるというなら、そこには表現を絶した退廃や堕落があると、ぼくはあえて言いうものです。

 優勝劣敗、弱肉強食というのは、野生動物の世界の話ではないのです。人間の住む領域で戦われている「食うか食われるか」の生命をかけた戦い・闘いを見て、多くの野生動物は、「あれほどひどい存在は見たことがない」というでしょう。わざわざ法律を制定し、さも合法だと見せつけながら、踏みにじられる「人権」を作り出しているのです。誰にも「人権」があるのではないのです。「あんな奴に人権があるなら」、「俺はこういう特権を持つ」といって、つねに優劣や格差。差別を正当化するための政治であり行政なのだし、それを正当化するための「権力機構」であるというばかりですね。それに大きな力を貸しているのが、学校教育ではなかったか。

 現下のコロナ禍にあって、治療の優先順位という名目で「いのちの選別」が白昼堂々と語られ、現実のものになっているのではないでしょうか。それを正当化する理屈は、効き目のない膏薬の如く、なんとでも貼り付けられます。「優生保護法」は、同じような理屈づけ(「いのちの選別」)で制定された、その先鞭であったのではないでしょうか。歴史を学ばないという「習性」は、今も完治していないようです。

「旧優生保護法の不妊手術で国に賠償命令」NHK 2022年2月22日 19時12分:https://www.youtube.com/watch?v=PEWOOFzm26w

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。