まめやかの心の友には、はるかに隔たる

  同じ心ならん人と、しめやかに物語して、をかしき事も、世の儚(はかな)き事も、心(うら)無く言ひ慰まんこそ嬉(うれ)しかるべきに、然(さ)る人有るまじければ、つゆ違(たが)はざらんと向ひ居たらんは、ひとり有る心地やせん。
 互(たが)ひに言はんほどの事をば、げにと聞く甲斐有るものから、いささか違(たが)う所も有らん人こそ、「我は然(さ」やは思ふ」など争ひ、憎み、「然るから、然ぞ」とも、うち語らはば、徒然(つれづれ)慰まめと思へど、げには、少し託(かこ)つ方も、我と等しからざらん人は、大方(おおかた)の由無(よしな)し事言はん程こそ有らめ、まめやかの心の友には、はるかに隔たる所の有りぬべきぞ、侘(わび)しきや。(「徒然草 第十二段)参考文献、島内編、既出)

 性懲りもなく、またまた兼好さんです。七百年以上も前の人には思えないような、そんな近所の「年下の男の子(老人)」であると、ぼくには受け入れたくなるのです。ちなみに、兼好(1283?~1352?)は七十歳ほどで亡くなっていますから、ぼくには「年下の男の子」になります。彼には珍しく、泣き言を語る、あるいは弱音を吐いている文章だと読めますね。(上は、「伝・住吉如慶 「徒然草図屏風」(右隻)江戸時代・17世紀 熱田神宮蔵)

 要約すると、心持を同じくする友と、しみじみ語り合い、面白いことや人世(人生)のはかなさについて腹蔵なく話しあって慰められればさぞかし嬉しいことなんだろうが、そんな気の利いた友もいなければ、「つゆ違はざらんと向ひ居たらん」、(自分を殺してまでして)相手の言い分と少しも違うことがないような受け答えをしていると(異論をはさまないで、歩調を合わせていると)、何のことはない、結局は自分一人でいるのと変わらないじゃないか、まるで孤独だという気になる。

 互いに言いたいことを言いあえて、「そうかなあ」、「しかし、自分はこう思う」ということができれば、退屈も倦怠も忘れられるのに。「少し託(かこ)つ方も、我と等しからざらん人」世の中にいささか批判(不満)があるような、自分と同じような人ならまだしもだが、その人はしかし、自分とは別の人だから、つまらんことなら話せもしようが、「まめやかの心の友には、はるかに隔たる所の有りぬべきぞ」ーー心が通じた「真の友」というにはふさわしいとはいえず、はるかに互いが隔たっていることを想うと、なんともわびしいもんだな、と兼好さんは泣いている。(強がりは、一面では、弱虫でもあるのです。やせ我慢は、本当はしたくないものだが、「強がり」の虫が邪魔をするんだろうね)

 友とするに悪(わろ)き者、七つ、有り。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病無く、身強き人。四つには、酒を好む人。五つには、猛(たけ)く、勇める兵(つわもの)。六つには、空言(そらごと)する人。七つには、欲深き人。
 良き友、三つあり。一つには、物呉るる友。二つには、医者(くすし)。三つには、智慧ある友。(「徒然草 第百十七段」)(同上)

 この文章には説明はいらないでしょう。自分(兼好)にとって、良い友、悪い友、それぞれの人物評ではあります。「こんな人と、付き合っていいかな」「付き合って、いいとも!」という、まるでタモリさんのような兼好がここにいます。友人にできない第一といっていいでしょう、「やんごとなき人」だという。そうでしょうね。身分の高い人は、もっとも友にしてはいけないのだという兼好ですが、恐らく若い頃には「やんごとなき人」たちと何かがあって、「やんごとある兼好」が負け犬になったという、そんな憾みが隠れていそうです。今の世にも「やんごとなき人」がいるということを、ぼくはすっかり忘れていました。(右は、「尾形乾山 「兼好法師図」江戸時代・17世紀後半〜18世紀後半 個人蔵」)

 先ほど、近所(十キロ先)の郵便局へ行って、税金の支払いをしようとしたのですが、閉まっていました。途中の、自動車修理屋さんは勤勉な店で、土・日しか休まないと思っていたら、シャッターが降りていたので、「おやっ、病気かな」と気にはしました。(まだ気が付かない)銀行ではATMは利用できて、使用料を取られたので、「えっ、今日は土曜日か」と驚いたのです。昨日は「ゴミ出しの、火曜日」だったから、どうしたんだろう、「水・木・金がどっかに消えた」、「ぼくの頭はいかれたのだ」とまず直感し、そして愕然となった。せっかく記憶力の劣化防止のために、悪文作成(捏造)に齷齪してきたのに、これがまったく「水泡に帰した」と、恐ろしく、怖くなった。(まだ気が付かない)家に帰って、何かをしながら、今日は土曜日だけれど、火曜日の次が土曜日とは、なんたることか、なんでだろうと、恐る恐るPCのタスクバーの「年月日と曜日」を確認した。「2022/02./23、水曜日」となっているではないか。なんで郵便局が閉まっているんだ、俺は間違っていなかった。(まだ気が付かない)

 どうせ見たって意味ないじゃんと、机の左横の書棚に貼ってあるカレンダーを見た。2月23日(水)の部分は耳かきの入れ物でふさがれているのです。それをどけてみて、「あっと驚くタメゴロー」、「天皇誕生日」と赤で記されていました。どうして本日が「天皇誕生日」なんだと、いぶかった。それは毎年、確か十二月だったじゃないか。(まだ気が付かない)それで一瞬の間をおいて、「やんごとなき人は代替りしていたんだ、きっと」と、ようやくにして、半分ほど気が付いた。「水・木・金」は、どこにも行っていなかった。「やんごとなき人」のせいだったんだ、と気落ち。

 もう何年になるか、新聞やテレビを見ない生活を続けてきましたから、われながら「時代遅れ」がはなはだしいという気もします。ネットでカヴァーできるともいえますが、世間の話題や出来事には、よほどでなければ疎くなります。本日が「やんごとなき人」の「誕生日」であるなどとは、記憶のかけらもなかった。これが新聞やテレビなら、社会面やモーニングショウの話題になっているはずでした。それで、ふと考えたのです。新聞やテレビを見ない人、あるいは新聞やテレビにお目にかからなかった時代の人々には「天皇制」はない、なかったと言ってもいいんだと。さすれば、「天皇制はマスコミの中にある」ということになるのではないでしょうか。その良しあしを言うのではなく、人民の心に占めている問題は、それとは別の、避けられない「毎日の生活」「日々の明け暮れ」だと言いたいのですね。

 それほどに「やんごとなき人」は、友にしてはいけないと、兼好さんはいうんでしょう、身に染みてわかりました。

 「若い人」も友人にしてはいけないと、兼好さんは言います。これも、彼の持論でした。年寄りが(自覚があるかないか、そんなことは無関係)、のこのこ若者のところに行って駄弁るのは、なんとも醜悪だと、別の段で述べています。その通りだと、ぼくは納得します。ぼくはまず出かけない。これは、少々言いづらいことですが、ぼくがまだ若かったころ、「元若者」がやってきて、何かと先輩ぶっていましたが、それが数回続くと、だれもその「元若者」のお守りをしなくなりました。いい歳をして、家におれない事情があるんだなというくらいならまだしも、こんなところで付き合わせるんじゃないよ、と言わぬばかりの態度を現役組は取っていました。(ぼくもその中にいたが、実に嫌な気分になった)ある時に、このことを兼好が書いているのを読んで、「ほんとにそうだ」と、納得したんです。 口では「お元気ですね」とか、なんか言いますが、引退したんだから、おとなしくしていたら、と、殆んどの若者は見下しているんじゃないですか。気が付かない人(元若者)がたまにはいますが、そのうちに姿を見なくなりました。寂しい光景ですね。

 以下、すべてが兼好にとっては「友にしたくない人」で、反対に、友にしたい人、すべき人は、わずか三種。第一番は「ものをくれる人」だと。二、三は言うまでもありません。それにしても、兼好という人は極端な人ではないですか。友にしたくない人がほとんどで、友にしたいと、彼が願う人は、世間では、恐らく圧倒的少数だったと思います。ものをくれて、智慧があって、しかもお医者さん、そんな人たちが世の中に「五万」といるはずがないですからね、今だって。いやたくさんいますよ、たしかに医者は多くはいますが、でも、そんな人たちには「智慧」があるのかどうか。

 それに加えて、第四として、ぼくは「もの忘るる人」を追加しておきたい。自分で「物忘れ」している分には被害は小さいかもしれませんが、この「物忘るる人」に他人が巻き込まれると、大変なことになりそうです。自分で、つい先ほど、実感したんです。自分で間違いに気が付いたのであって、誰かに「お前、ボケてんのか」と言われたら、どうなったか。

 さらに、いくつかの事柄を書くつもりでしたが、「モノ忘るる」ショックが大きすぎて、本日はここまでにしておきます。(元気が出たら、気を取り直して、続きを書くかもしれません。書くつもりだったことのヒントは、まず、「論語 子路篇」にありました)

子曰、君子和而不同、小人同而不和。

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