水をもれなく瓶から瓶へ移すようなものです

 ぼくの二十代は一九六十年代後半頃からでした。それからの三十年ほどはレコードに、それこそ現(うつつ)を抜かして過ごしました。まずはバッハからと、小曲大曲、なんでもござれの気分で、最後には教会音楽にはまり込んだのでした。そこから脱け出ることをするのかと思いきや、さらに教会音楽をさかのぼり、ついにはグレゴリアンチャントにまで行きつきました。それで何を得たか、そう聞かれて、ぼくは答えに窮するんですね。何も得ていないはずはないんですが、さりとて、具体的な成果は何も実感できないからです。音楽家になるのでもなく、音楽評論とかいう仕事につこうなどとも考えたわけではなかった。要するに、ただの音楽好き、愛好家でしたし、それに徹し切ろうとしていたのでした。

 よく自分でも思ったものです。こんなに音楽を聴くことが好きになるとは、思いもよらないことだった、と。ひたすらレコードを買い、それを飽きもしないで聴き続けたのです。物持ちはいいほうだと言われますが、手に入れた品物は、とにかく手元に置くという、一種の悪癖がありますから、本でもレコードでも溜まる一方でした。当時はLP(Long Play)盤が主流で、およそ一時間の録音が可能だった。新盤一枚は二千円ほど。ぼくは所帯持ちではなかったので、とにかくレコードを集めました。長く聴いていると、だれの何がいいとか悪いとか、いっぱしの音楽通のようなふりをしたくなるのですが、ぼくは、ただ一人で聴き続けた。これはどこかで触れましたが、ぼくには音楽鑑賞・音楽愛好の「先生」がいました。本業は耳鼻科の医師でしたが、とにかくよく聴いておられた。音響機器も素晴らしいものを備えていた。ぼくはそれこそ四六時中、この先生とレコードや演奏家についての談議に時間を忘れたほどでした。

 音楽鑑賞六十年、今ではあまりうるさいことは言わなくなりました。音が聞こえれば、何でもいいとは言いませんが、それでも目を覚ましている間は、何かしら音楽は流れています。リズムがいいんですね、ぼくには。うるさいのはダメ。この、一見無駄だったようなレコード鑑賞時代にも、ぼくはいろいろなことを考えていました。そのもっとも典型的なのは、日本の演奏家の問題でした。六十年といいましたが、この間、ぼくは日本人の演奏家を、ほとんど真面目に聴こうとはしなかった。もちろん作曲家についても同様でした。かなり「努力」はしたが、ついになじめなかったのはどうしてだろうと自問したものです。そこから明らかな結論が出たのではありませんでしたが、おおよその見当は尽きました。

 今でも見受けられますが、キリスト教の信仰を持っている人を紹介する際、「この人は敬虔なクリスチャン』などといいます。嘘つきで意地悪で、どうしようもないような人でも「敬虔なクリスチャン」です。ぼくの個人的な経験からいって、キリスト教徒ではあっても「敬虔な」とは、とても言えない人をたくさん知っていた。それと同じではないにしても、日本人の演奏家(大半はそう)は欧米に留学します。いわば「箔をつける」ためでしょうか。それは構わないのですが、演奏家を紹介する時、必ず「◎✖音楽大学を首席で卒業」と書かれたり、話されたりします。結婚式の「新郎新婦紹介のスピーチ」のようです。「主席」であろうが「優秀な」であろうが、その人の「演奏」が問題になるのであって、それは「付録」みたいなもの、しかし付録が「本たい」なんですね。、誰彼なくこうです。聴く前に、「先入観」を植え付けようという魂胆ですかね。

 これは実際に、ぼくが欧米の演奏家から聞いた話です(だから、相当前のこと、今もそうかどうかわかりません。そうでないことを願っている。これはけっして音楽の分野に限らないことです)。「日本人の留学生は優等生です。成績は上等、演奏は下等」というのは言い過ぎでしょうが、学校の成績が優れていると、音楽の演奏も優れているとはならないのは、だれも承知しています。「首席」を狙うのであって、「個性的な演奏」を狙うのではないという指摘には、ぼくは首肯しました。その通り、先生の言われたとおりに弾く、吹く、叩く、歌うことは上手だが、「自分流」がなかなか出てこないと。優等生の演奏は実につまらない。音大では大変な権威を持っていた教授だった、女性のピアニストの演奏を聴いたことがありました。Y.K.さん、その人の指から出てくる音の「平凡極まりないこと」(それ自体は、あるいは「非凡」なのかもしれない)に、ぼくは驚愕したのでした。ヴァイオリニストでもそうでした。こんなことを話せば終わりませんから、ここで止めます。ぼくが言いたいのは、「音楽教育の貧弱・貧困」が、「演奏の貧困」につながっているということ。(左はグレンー・グールド)

 これもまた、音楽教育に限定されないことでしょう。すべからく教育は、(そう言うと語弊がありますが、でもそうではないかとぼくは言いたいんですね)「寫瓶(しゃびょう)」なのではないか、ということです。その意図するところは、辞書にある如くです。だから、ある人のピアノ演奏を聴けば、だれに教わったかがわかるというものです。お弟子が弾いて、師を髣髴させるというのは、茶道や華道では不思議でもないのでしょうが、音楽はどうですか。お金を払ってまで、師のそっくりさんを聴こうという気が知れないと、ぼくは感じているんですね。身振り手振り、声色まで先生のそっくりさん(瀉瓶の弟子)を作ることが「教育の極意」となると、勘弁してくれませんかと、いいたくなります。

 自分の足で歩くというのは、たとえばなしです。しかしいつだって付き添いに支えられていると、ついには支えがないと歩けない。教えられることに慣れてしまうと、いつでも誰かに訊けば、教えてもらえると信じ込んでしまい、自分で考えることをしなくなるのです。三歳や五歳ならまだしも、三十や五十になっても「教えてもらえる」というのは、どうでしょうか。ぼくは、この島の状況の一端がここにも出ているようにも見えるんですね。あらゆることが「猶㵼瓶の如し」と言ったら、語弊があると言われますか。

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◎ しゃ‐びょう ‥ビャウ【瀉瓶・写瓶】=〘名〙 (「びょう」は「瓶」の呉音。一つのつぼから他のつぼへ水をそそぎうつすから) 語。師から弟子へ仏の教えの奥義(おうぎ)をあますところなく伝授すること。また、その弟子。しゃへい。※梁塵秘抄口伝集(12C後)一〇「其(その)かみこれかれを聴きとりて謡ひ集めたりし歌どもをも、〈〉遺る事なく瀉瓶し畢はりにき」(精選版日本国語大辞典)

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 ジレッタントとして、長い年月、飽きもしないで音楽を聴いてきて、ぼくが得た成果・効果はその程度でした。「自分流に」、あるいは「個性的に」、そんな演奏スタイルはこの島では御法度でしたね、何かにつけて。そのような島の学校教育の風潮に大きな風穴を開けてくれたのが、外国の演奏家の音楽鑑賞の経験でした。どんなものでも自分流というのではない。しかし、何であれ、「自分流」が当たり前だと思うのですが、そうではないから、教育は抑圧的であり、偏向している、実に作為・人工的であると言いたくなるのです。歩き方やものの言い方まで、放っておけば、その人らしさが出るのは不思議ではありません。しかし「これが正しい歩き方」「こう話すのが正しい」という教育を徹底して受ければ、教える側の影響を蒙るのは避けられないし、自己流・自力でやってみようとなると、自分の足で歩けなくなるんですね。「◎✖音楽大学を首席で卒業」と書かなくなれば、少しは演奏にも個性が出るのかどうか。(ぼくの音楽鑑賞は、決して「舶来趣味」ではなく、「邦人演奏家忌避」ではなかったつもりです。その証拠に、少数ではありますが、個性的すぎるような邦人演奏家(音楽家)もよく聴きます。(右はカール・リヒター)

 以下の【北斗星】の内容に刺激されて、余計なことを書いてしまいました。ぼくのところには、レコードが約五百枚(一番多かった時の四分の一程度)が残されています。その一枚一枚に、購入時やレコード針を下したときの感触(記憶)がこびりついています。大げさではなく、はっきりと思い出すことができます。その理由は何か。演奏家との「交流」とでも言いたい結びつき(「絆」なんかではありません)が刻印されているからです。ある人と深く交わると、その人のことを忘れることはないだろうという、そんな関係があったという証拠になるのでしょう。これは本を読んで生じる、作者との結びつきにも言えることです。ぼくは嫌なレコードは買わないし、聴かないことにしてきました。それと同じように本についても言えます。だから、一冊の本は、独りの作者・著者との結びつきを可能にしたかけがえのない証拠(機会)なんですね。(こんなことを書いていると、延々と、際限なくつづきそうです。深く付き合い、そこから多くのものを学んだ人について、いろんなことが次々に思いだされてきわまりない)

 かくも長い期間、音楽鑑賞の「泥沼」に、世間を知らなかったぼくを引きずり込んだのは、第一にカール・リヒター、第二にグレン・グールドです。一と二は、聴き始めた順番であって、引きずり込まれ方の強弱ではありません。どちらもバッハに深く関心を持っていたのは偶然だったか、それだけバッハには「音楽の心」があったということになるのでしょうか。この二人の演奏したレコードは、今でも、ほとんど所有しています。それを聴く機会がなお残されているかどうか、いささか不明ですが、実際に聴かなくても、ぼくの衰え切った記憶細胞の切れ切れに、かろうじて、彼らの「生みだした音の香り」がしみ込んでいるのが感じられてきます。ぼくにとっての「死」というのは、バッハが、それもグールドやリヒターの演奏で聴けなくなることだと断言してもいいことです。

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 【北斗星】「ちょっと前のものは古い。もっと前になると新しくなる」。県芸術文化協会の前会長、青木隆吉さん(84)の言葉だ。商業デザインに長年取り組んでいる。その経験から、はやり廃りは繰り返すと確信を込めて語る▼55年前には「大いなる秋田」(石井歓作曲)のレコードジャケットの制作を担当。8日付本紙「時代を語る」で、そのレコードを紛失してしまったと明かしたところ、秋田市や大館市、由利本荘市の読者から「譲りたい」と申し出があった▼そのうちの一人の男性はかつて吹奏楽部に所属し、家には他にも多くのレコードが眠っていると話した。既にプレーヤーは処分したものの、レコードには音楽と思い出が詰まっており、捨てられないでいるという▼この男性は家族に自分が元気なうちは処分しないようにと伝えている。ただ今回はジャケットをデザインした人に譲渡するのは意義があると考えたという。聴かなくなったレコードを捨てられずに持っている人は他にもいるだろう▼レコードは絶滅寸前だと思っていたら、人気が再燃しつつある。CD市場が縮小する一方で、売り上げを伸ばしている。購入者は聴くための手間やふくよかな音質、大きなジャケットのデザインを楽しんでいるようだ▼レコードに針を落とし、音が鳴り出すまでの間もいい。湯沢市内の工場ではレコード針が生産されており、かつてレコードに親しんだ世代としては何だかうれしい。久しぶりにレコードをかけたくなった。(秋田魁新報・2022/02/17)

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