「一寸の虫にも、五分の魂」と…

 <卓上四季>この寒空の下で その朝、スニーカーを履いた少年は玄関でためらっているように見えた。母親は「おや」と思った。不安は的中する。少年は翌日、盛岡市の駅ビル地下街のトイレで変わり果てた姿で見つかった。1986年2月1日のことだ▼このままじゃ「生きジゴク」になっちゃうよ。「葬式ごっこ」などの陰惨ないじめに遭い、悲痛な遺書を残した鹿川裕史君は、どんな思いで東京の自宅から東北へ向かったのだろう。14歳の誕生日は目前だった▼いじめ自殺の問題を社会に問いかけた事件から36年がたったが、全国の小中学校などが認知したいじめ件数は昨年度も約51万件に達する。その一つ一つに今日に絶望し、明日におびえる辛酸があることを忘れてはなるまい▼1年前の2月13日。この寒空の下、少女はどんな思いで家を出たのだろう。旭川市の中学2年生だった広瀬爽彩(さあや)さんのことだ。寒かっただろう。怖かったろう。この世界はそんな少女を助けることができなかった▼傍観する共犯者。事なかれの教育現場。保身に走る行政機関。鹿川君の事件で噴出した醜い構図だ。自分が死んでも他の人がいじめられては意味が無い。だから「もうバカな事をするのはやめてくれ」と願った鹿川君の叫びは届いただろうか▼凍死した広瀬さんについて旭川市教委が設けた組織がいじめの有無などを調べている。誠実な事実解明が少女を救う最後の機会となる。(北海道新聞・2022/02/12)

 一昨年三月に放映された。一本のドキュメントがあります。<事件の涙 Human Crossroads 「34年ごしの宿題~鹿川裕史くん“葬式ごっこ”事件~」> 制作は「みなさまの◎HK」でした。上映時間はおよそ三十分。事件を追っていた新聞記者と、裁判で弁護人を務めた弁護士に焦点を当て、どうして「いじめ」が起き、「なぜそれが繰り返し続くのか」、そのような問題の経緯をたどった番組です。殺人事件の真犯人逮捕などという山場があるのではなく、一人の生徒が「いじめ」から自殺に追い込まれた。追い込んだ多くの関係者は、まだ存命であろうと思われます。中には、同級生として心ならずも、または積極的に「じめに加担」していた人たちもいるでしょう。そこまで取材はできなかったのかもしれません。しかし、この「同級生の自殺」を記憶にとどめて、その後、人生をどのように生きているのか、それが知れれば、という無理な願いを持ちながら「視聴」していました。(https://www.nhk.jp/p/ts/P2WVR66NRZ/episode/te/2N3ML5JR9G/

 中野区立中学校における「いじめによる自死」、この事件は、ぼくにも大きな衝撃となりました。当時、可能な限りで資料を集め、いろいろな関係者からの証言を求めていたことを今でも鮮明に覚えています。何度か触れましたように、ぼくは「教師の真似事」を長くしていたこともあり、学校現場にはたくさんの知り合い(その多くは卒業生です)がいました。その大半はすでに教職を辞しておられるが、今なお現役として、現場で奮闘している教師もたくさんいます。一時期、ぼくはそんな「現職教師」たち四百人ほどと交流を重ねていました。「いじめ」が起こらないような、そのための授業という、そんな無駄話を繰り返していたのでした。「他人と比べる」ための教室ではなく、「共同して、何かをするための実験場」としての教室、そんなことも話していたのです。

 また、機会をいただいて年に数回から十回以上も、現場周りと称して「授業」を、三十年ばかりも続けていたこともあります。北海道と沖縄を除いて、その拙ない「授業行脚」は各地に及んでいました。ぼくは「受験勉強」は全否定はしなかったが、それは「モノを学ぶ」ことの一厘、あるいは一毛ではあっても、断じて「本物の学習」ではないということを正直に話してきました。教師たちや管理職にも「ずけずけ」とものを言っていた。迷惑なことだったろうと、内心では感じ取っていました。教職についていた間、いったいどれだけの「いじめ事件」があったことでしょう。何度もぼくは取材を受けたのですが、まず答えてこなかった。ぼくは現場にはいなかったし、自分の足と目で取材をしていなかったからです。いじめはよくない、こうすれば、いじめはなくなる、だから学校は変わるべきだという程度の話なら、猫だってできますよ、そんな思いでぼくはひたすら沈黙をしていました。しかしいつだって、その現場にぼくがいたら、どうしているか、いつもそればかりを愚直に考えていました。解答はありません。しかし考えることは止めなかった、そしていつでも、亡くなった子どもに「一本の線香」と「一本の蝋燭」を供えていただけでした。要するに、「お気楽」だったのです。

 学ぶことは、怠け者の自分と、さらには不注意な自分と「争う」「格闘する」ことではあっても、他人との優劣競争では断じてないということばかりを話していたように思われます。ぼくは、決して「営業妨害」はしないという覚悟のようなものは持っていたから、教師を非難したり批判することだけを目的にしたことはなかった。しかし、大いなる怒り(や軽侮も含めて)を一部からは買っていたことも事実でした。学校という場所(機関・制度)は、だれが成績が好くて、だれが好くないかを天下に公表するような、そんな賤しい仕事をするところではないという、「なんとかの一つ覚え」の繰り言を言ってきました。その気持ちは今でも強烈にあります。何度も依頼されて出かけた学校で、玄関の入り口の側壁に「大学合格者名」が掲示されているのを見て、いやな気になり、さっそく理事長や校長さんに、、余計なことですが、これはやめたほうがいいと言った。しかし改まらなかった。学校が要求するというより、親たちの要請であったかもしれない。また(名門?)公立高校で「難関大学合格者数」を誇っているのを見て、校長さんに「誇るのは、それだけですか」と不満を告げたが、言われた本人にもどうすることもできなかったでしょう。

 コラム氏が書かれている「いじめ事件」にかかわるドキュメントに、当時から取材を重ね、それを続けて取材されていた記者が、何人もいました。その一人の記者には「心残り」のある「事件」と取材だったし、その後もいっかな「いじめ自殺事件」が終わらない状況に悲嘆し、一時、取材をあきらめていたのでした。それがあるきっかけで、もう一度奮い立って取材に向かう。一新聞記者の、教育や子どもの死に対する強い自責の念に、ぼくは激しく動かされました。その記者・豊田充さんは、何度も取材に挑んだ、当時の教師たち(「葬式ゴッコ」に名前を連ねた教師たち)を訪ね続けたが、ついに応えてもらえなかった。(事件発生後、三十四年後の)この番組の中で、「葬式ゴッコ」に名を連ねた一人の教師に、ついに取材できた、その場面が出ていました。「静かに老後を送りたい」と、元教師は語る。裁判でも学校側(もちろん学校を操っているのは教育委員会です)は、徹底して「いじめの存在を否定」してきました。このことに関して、元教師は「いじめがあったことは、最初から知っていた。学校全体も知っていた」と述べています。いじめがあり、それが原因で生徒が亡くなった、にもかかわらず、「学校は一切、それを否定」し続けるんです。これが「伏魔殿」の実態の、表層に垣間見られる姿です。

 どうして元教師は、今になって取材に応じたのでしょうか。事件に関しては沈黙を守り、余計な話は一切しないということで、彼は組織(教育委員会)に守られて来た。退職教師の多くは教育委員会の斡旋(推薦)で再就職をします。教育委員会の指図に従えば(つまりは、事件に関して、緘黙していれば)、飯のくいっぱぐれはないということです。生きるためには、子どもの命だってなんだって犠牲にできる、そんな、不人情で非道な人間に変えてしまう、それが伏魔殿の魔力なんですかね。ぼくは一時期、ある県の教育委員会の若い幹部と交際をしていました。彼は現場では、優れた国語教師でしたが、教育委員会に入って、数年も経ずして自死されました。真相はぼくにはわかりませんが、伏魔殿の「魔力」が働いたということは想定できました。

 「いじめ」の存在を、関係者はなぜ否定するのか、理由は単純でも、それをなくすることは不可能かもしれない。いじめの存在を認めることは「関係者の責任」につながるからです。責任は「下から上へ」と上がっていきます。多かれ少なかれ、教育の場では上限関係で結ばれています。これが「絆(きずな)」というものです。採用や昇任、あるいは希望校への転入など、すべてが上司たちによって決められます。言い方を変えれば、「貸し借り」の世界かもしれない。

 「絆」とかいて「ほだし」と読みます。「ほだす」という動詞の連用形の名詞化です。ほとんどの人はこの語を知らないで使っている。いや、あるいはよく知っていて使っているのかとも感じたりしますが、実際には何も知らないで使っているのだと、ぼくは思うことにしています。この「絆」という語も、やたらに使われるのが、なんとも嫌です。(この「絆」については、どこかで触れていますが、何度でも言いたいですね)大きな災害が発生すると、被害にあった人々に向かって「絆を大切に」とか「みんなで絆を」という大合唱が起こります。そんな時、ぼくは、以前なら卒倒していましたが、今では吐き気がします。狙いはわかるんですが、この語を使わなくてもいいじゃないか、と。わかった上で使っているとすると、それは「なんというエゲツナイ人間なんだ」と言いたいね)

HHHHHHHHHHHHHH

◎ほだし【絆】〘〙 (動詞「ほだす(絆)」の連用形の名詞化)=① などをつなぐこと。馬の足になわをからませて歩けないようにすること。また、それに用いるなわ。新撰字鏡(898‐901頃)〕② 自由に動けないように人の手足にかける鎖や枠(わく)など。手かせ。足かせ。ほだせ。ほだ。※冥報記長治二年点(1105)中「夜中独り坐して経を誦す。鏁(ホタシ)忽ちに自ら解けて地に落ちぬ」③ 人の心や行動の自由を束縛すること。人情にひかれて、自由に行動することの障害となること。また、そのようなもの。古今(905‐914)雑下・九三九「あはれてふことこそうたて世の中を思ひはなれぬほだしなりけれ〈小野小町〉」(精選版日本国語大辞典)

HHHHHHHHHHHH

 教員に採用されると、独り独りがケージ(囲い)に入れられる。鶏がたくさん飼われている養鶏場、それが教育現場かもしれません。たとえは悪いけれど、鶏はケージにいる限りは餌は与えられる。ケージを離れると、どうします。つまりこの時、鶏にとって「ケージ」が「絆」です。死ぬまで、飼われるほかありません。これを「飼い殺し」といいます。これは悪口でも非難もないつもりでいうのですが、この「飼い殺し」にあっている教師たち(知人・友人)を、幸か不幸か、たくさん知っています。(これは自慢話ではありませんが、ぼくは若いころ、自分から望んで「飼い殺し」の立場に身を置くことを選んでいました。これについても、どこかで触れるかもしれません)むやみやたらに、「絆」は使わないことです。人権侵害になりかねませんからね。

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◎ かい‐ごろし〔かひ‐〕【飼(い)殺し】に立たなくなった家畜を死ぬまで飼っておくこと。本人能力を十分生かせないような地位職場に置いたまま雇っておくこと。(デジタル大辞泉)

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(かくして「歴史」を抹殺してしまい、何事もなかったように時間は過ぎてゆきます。あらゆる歴史はこのようにして「上書き」されてきたし、またされてゆくのです)

 責任(累)が上位に及ぶことは死んでも避ける、これは宮勤めの欠かせない姿勢でしょうか。だから、万難を排するのです。誰が死のうが、責任を回避するためには、だれが、どれだけ死んだって、金輪際「その事実」は認められないのです。これが学校の体質です。学校は「絆」を強いる場なんですね。そのような「絆」という「ほだし」には絡めとられないような、貸し借りを作らないことですよ。状に絆されないことが、まず肝心かなめですね。学校という場所は「生徒」も「教師」も、その人間性を変えられてしまう。これに抵抗するとどうなるか、排除され、放擲されるだけです。「葬式ごっご」の色紙にサインをした理由を問われた元教師は「軽い気持ちだった」と、あっさりと答えていました。「生徒たちから頼まれて、ふわっとした気持ちで、ついサインしてしまった」と「証言?」しましたが、それは嘘ですね。考えに考えた末の「嘘」だと、ぼくは確信します。自分が何をしようとしているのか、それがわからないはずがないし、それがわかっていたから、自分のやったことを偽証するほかなかったんです。それをやらせたのは「教育委員会」であると言ってもいいし、もっといえば、教育界の「絆」です。その委員会はずっと残りますが、そこにいた「鶏(人間)」はいなくなります。つまりは「組織や制度」の防衛(絆)のために、多くの人間がいのちを失い、自分を偽って生きるほかなくなるのです。どうすれば、そうならないか。「一寸の虫にも、五分の魂」、それです、それだけです。五分の魂とは、子どもへの尽きせぬ愛情だし、いのちへの敬意ですね

 「伏魔殿」というのは、実際に怖いところです。ぼくも、そのような「余計なことは言うな」という「圧力」を何度か受けてきました。学生が問題を起こした際、知らぬ存ぜぬという姿勢をとって、責任が深いところに及ばないために、取り巻きは必死になります。今ではそのための「談合」すらできています。社会・世間に報道されないように新聞やテレビ会社と談合する、そこにはきっと「卒業生」が存在しています。名よ学校の「名誉」を守ろうとして、教育機関である信用をうっしなうのでしょうが、そんなことは構わないのも世間です。評判が落ちようが何があろうが、「人の噂も一週間」の時代です。みんなはうまく、「不名誉」を忘れてくれるのです。このっ社会は、隠して「不名誉」の競争・コンクール状態ですね。

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 豊田充さんは、ただいま車椅子を使っておられます。一度はあきらめた真相解明(「絆」への挑戦)にむかって、果敢に再挑戦されています。番組の中で、岩手県にある「鹿川裕史さん」のお墓に詣でられた映像が映し出されていました。豊田さんのつむっているような眼に涙がにじんでいたように思えました。ぼくも、のんきに駄文を書いている場合じゃないぞと、背中を「ドヤサレタ」思いがしました。(昨日は、豊田さんの元の勤め先の「女性記者」の「マクラ営業」(品のない語用をお詫びします)について駄文を弄しました。同じ会社には、いいろいろな人間がいるんですね。これは「絆」の強弱と関係がありそうに思われますが、いかがでしょうか)

豊田 充トヨダ ミツル 1938年東京生まれ。東京大学経済学部卒業。元朝日新聞記者、元日本大学教育学科非常勤講師。著書に『子どもの自己救出力』(教育出版)『いじめはなぜ防げないのか』(朝日新聞出版)など)(筑摩書房)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。