陽光と青空、雪原が生み出すいっときの景観は…

▼▽県内屈指の多雪地域に嫁いできた人から以前聞いた話だ。太平洋側で育った彼女は本県で暮らし始めてから、冬場になると心身の不調を覚えるようになったという。原因を探り思い当たったのが日差しの少なさだった。▼▽晴天が続く故郷と違い山形の冬は毎日のように鉛色の空。押し潰(つぶ)されるような感覚ですっかりめいってしまったのだそうだ。雪国で暮らしていれば好むと好まざるとにかかわらず当然のことと受け入れている事実も、他所から来たばかりの人にはひどい苦痛だったのだろう。▼▽降雪期に落ち込んだり、やる気がなくなったりするのは「冬季うつ病」の可能性があるという。先日の本紙記事で米沢こころの病院(米沢市)の長谷川朝穂院長が解説していた。今シーズンはコロナ禍に大雪が重なって引きこもりがちなため、特に注意が必要な状況らしい。▼▽発症原因は日照時間の減少と考えられ、日光浴が有効な予防策だそうだ。陽光と青空、雪原が生み出すいっときの景観は厳冬に耐える何よりの褒美。心の凝りもほぐれるような気がする。長く雪国にいれば、この自然美の効用とありがたさも実感できよう。春までもう少し。(山形新聞・2022/02/10)

 昨日の宵の口から降り出した雪は、朝方までにかなり積もった。おそらく、拙宅の庭では十センチ以上の積雪だ。一か月前よりも多く降ったが、日が差してきているので、溶けるのも早いと思う。また、そう願っています。住まいの在所は、低いとはいえ標高百メートル。だから、ここにたどり着くには、どこを通ろうと、きっと坂道がある。その坂は、山を切り崩して作ったものですから、「切通」というようなところが何か所もあり、多くは日当たりが好くないところで、車には鬼門です。そこに雪が積もったままで、何日も車の通行の障害となるのです。(*きり‐どおし ‥どほし【切通】〘名〙 (「きりとおし」とも)=① 山やなどを切り開いて、道路を通すこと。また、その道路。切り通し道)(精選版日本国語大辞典)

 近郊で有名なのは「鎌倉七口切通し」でしょう。いずれも山を削って道を通したもので、今ではなかなかの観光スポットにもなっています。三方を山で囲われ、相模湾にのみ開けている地を選んで「幕府」を開いたとされます。こんなところに、いやこんなところだからこそという「戦略」があったのでしょう。(これは日本史の問題にもなりますから、これ以上は触れません。そこへ行くと「江戸」なんかは簡単なものですね。そこに計画的に拠点を作るというより、秀吉によって家康は、むしろ「東国」に転封されたというのが史実にあっているのかもしれません。いずれにしても、自らの(権力)を維持するためには膨大な人の群れと資金が入用だったと考えられます)

 ぼくが普段利用している道は「鼠坂」と呼ばれるもので、曲折に富んでいます。距離は五キロもあるでしょうか。由来も歴史がかっています。日本武尊が東北に「異族(とされた人々)」を征伐に出かけた際、東京湾が荒れていて渡れなかった。そこで妃の「弟橘姫」が入水し、波を鎮めたので渡ることができた。(その妃の絹袖が流れ着いたのが「袖ヶ浦」その地を悲しんで、立ち去り難しというので「君去らず→木更津」となったのだとさ)その後、亡き妃のために、一行は『寝ないで夜を明かした」のが転訛して「寝ずの坂」から「鼠坂」となったとされているが、ぼくは笑うばかりです。どう考えても戦後になってできたか、あるいはそれ以前でも、明治までには至らないのでないかと想像される作り方です。もう少し調べますが、日本武尊を持ちだしてくるところは、きわめて大和魂いっぱいの世界観ですかな。この近辺には「橘神社」もいくつもあります。「日本武尊神社」も、「大国主尊神社」も、「「天照大神社」だってあります。この島には、各地に弘法大師伝説あり、日本武尊関連の言われの地や神社があり、その他有名人が関与した温泉や名所が五万とあるのも、今でいう「ふるさと納税」ならぬ「地域おこし」「村・町おこし」の政治政策であったでしょう。人の考えることは、今も昔も(奈良・平安の昔から)少しも変わらない。

 (ともかく、雪の日には、「鼠坂」が難所です。この駄文を書き終わったら、出かけることにします。一月の積雪では、登り切れない車が往生していました)

 この駄文の主題は「冬季うつ病」です。なんにでも名前(病名)を付けるのが医者の「仕事」であり、同時に「悪弊」だと思っていますが、この手の「うつ病」が存在しないというのではありません。きっとあるでしょうし、常夏の国から雪国にやってきて、そこでずっと暮らすとなると、うつ病を患うこともありまよ、ということはわかります。「発症原因は日照時間の減少と考えられ、日光浴が有効な予防策だそうだ。陽光と青空、雪原が生み出すいっときの景観は厳冬に耐える何よりの褒美。心の凝りもほぐれるような気がする。長く雪国にいれば、この自然美の効用とありがたさも実感できよう」と、なかなかコラム氏は優しいことを言います。長くと言って、十年も二十年も「雪だけの国」にいるのならまだしも、それは北極か南極の話です、二か月三か月で、このありさまだとすると、この先の展望はなさそうで、元に戻るのがいいかもしれない。

 この記事を読んでいて、今の時代、果たして人間の生活にとって、いい時代、いい環境なのかということを、それとなく考えてしまいます。どこに行っても人間がいる。どんな不便なところにも、悪環境下でも。「住めば都」という表現は好みませんが、自分の住みやすい、住みいいように工夫するのも生活の楽しみだったと言いたい気もします。このようなことを書きながら、思い出しているのが、高井有一さんの「北の河」です。これは昭和四十年下期の芥川賞受賞作品でした。

 それはともかく、この作品は、高井さんのお母さんが「核」となるもので、戦時中、東京大空襲で家を焼かれ、夫(少年の父)はその前に亡くなり、母と子(高井少年のよう)は父(だか祖父だか)の郷里の「角館」に疎開する。馴染みのない、知己もいない、孤独な親子が東京に帰るあてもなく、田舎の村に住み始めます。東京育ちの母は、その地になんとしても馴染めない。少年(中学生)にはなす術もない。戦争が終わり、依然として、寂しい暮らしが続く、やがて冬が来る、その直前に(母は、「自分には無理、とても冬を越す力ない」と、常々いっていた)、そしてある日、母は近くの川に身を投げた。村の人から連絡を受けた少年は、自転車で現場に赴き、篝火(かがりび)が焚かれている川岸で「母の身元」を確認する。「北の河」は、どこにもあるのかもしれない。

 これは大変な作品だと、ぼくは驚くと同時に感心しました。(一読を強くお勧めします)住む土地が変われば、人間はそれに自分を合わせる、人間というのは「慣れる動物だ」と、いわれもするし、そうかもしれないと思う反面、慣れない人も必ずいるということもわかる。「冬季うつ病」をとやかく言うのではない。好き嫌いで終わるものもあれば、それでは済まない問題もあるからです。「日照時間の長短」が微妙にか、大いにか、個人の心理面や身体面に大きな影響を与えるのは事実でしょう。だから「雪の季節」は嫌だと言っても始まらないともいえますが。

 ここで言いたいことは単純なこと。順応性や適応性というのは、いきなりではうまくいかない問題であり、それに慣れるには時間が必要だということかもしれません。もっと根っこには、さらにこの島社会の文化の「変容・変質」の問題が横たわっていると考えるがゆえに、回りくどい駄弁を続けているのです。多くの人は「漆(うるし)」にかぶれます。「皮膚炎。枝葉や幹から分泌される樹液に触れると、ウルシオールという成分によりアレルギー反応が生じ、かぶれる。接触後、数時間から1~2日後に遅れて発症することが多く、かぶれた後に発赤、激痛を伴う場合がある。ツタウルシの方がかぶれの成分が強い」(公園管理者のための生物被害対処ガイド:http://www.nilim.go.jp/lab/ddg/seibutsuhigai/family_12.html)この木は、見た目はきれいだし、紅葉は見事です。しかし、かぶれると厄介です。

 これまでに何度もぼくはかぶれました。なかなか免疫がつかなかったことを覚えています。拙宅にも何本も漆の木がありますが、いつでも不用意に触れないように注意しています。漆を使った食器を「漆器」といいます。今ではほとんどがまがい物で、本格的な「漆器」は貴重品となっています。この漆に関して、漆職人さんの家で生まれた子どもには、幼いころから漆にかぶれることを通して(あるいはかぶれないようにするために、漆に触れさせて)、つねづね気を付けるそうです。何年もかけて「後継者」を育てる大事な教育方法だったのでしょう。

 そのことと関連しますが、もうすでに始まっているのが「スギ花粉症」です。花粉症には、年によって多少の違いはありますが、ぼくも被害を受けています。杉を伐採して、別の木を植えようという運動もあるようです。本当に「杉」が悪いのか。ぼくの家の周りには杉と檜(ひのき)の植林が盛んです。だから、花粉症というように短絡したくなるのですが、じつはこの花粉症は、杉で治すという療法があるんですね。詳しくは、別の機会にしますが、杉はこの島の樹木のかなりな部分を占めています。だから、多くの人が「すぎ花粉症」になっているともいえますが、よく考えると奇妙なことなんですね。

 「冬季うつ病」によく似た現象が生じている。つまり「冬」とか「雪」に対する免疫ができな・できていない人が、相当数生まれていることから起こる現象ではないかというのです。ある時期から、ぼくはスギ花粉症になりました。最近のことです。何十年も前の話ではない。この島に花粉症が猛威を振るいだしたのも、何十年も前のことではないでしょう。杉に対する免疫が失われたのは、それ以前に、日常生活にふんだんにあった「木製品」、その多くは杉や檜だった、それがだんだんと生活空間から失われていったのです。それ以前は、幼いころから杉や檜で作られていた品々に触れることを通して、それらに馴染んでいた(免疫を付けていた)のです。スギ花粉症を、杉を使って治療する歴史は、この社会で行われていたことが分かっています。本家は中国でした。

 木製の漆器や木製の生活必需品が「石油化学製品」にとって代わられたことと、花粉症の蔓延は軌を一にしているんじゃないですか。ある種の症状を「病気」「疾病」と称する医学の流行は、あるいは今日のウィルス性感染症(新型コロナ)のパンデミックを生んでいるのかもしれない。ワクチンだとか、抗体検査だというばかりでは、新型・新型コロナが襲来したら、それこそ「太刀打ち」できないことは必定です。「冬型うつ病」患者を生み出すのは、医者ではなく、「現代文明」(社会の生活)、あるいは「都市生活」ではないのか、それは冬は暖かく、夏は涼やかで、一年中なんでも、食べ物が無季節感覚で摂取可能であるとう、「反自然状態」が生むのです。ある種の無菌室、(促成栽培作物用の)温室環境が人間の最適環境として設けられ、それ以外は環境としては劣化していると拒否されるから。人間の「自然性」をはなから無視した、自然性が「抑圧された」生活スタイルから、多くの「現代病」「文明病」は生み出されているのではないでしょうか。医原病とか母現病といわれるような「文明病」、それが「花粉症」であり、「冬型うつ病」だと言えば、否定されますか。

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◎ 医原病【いげんびょう】=医師の不用意な言動のために起こる心理的な異常原義とするが,現在は広く投薬注射手術過失などの医療行為原因となって発生する病気や障害をさす。たとえば,治療の使用が不当なため,本来は避けうる副作用が出ることや,妊婦のX線撮影で奇形を発生すること,抗生物質の大量,長期投与による菌交代現象なども,医原病と考えられる。(マイペディア)

◎ 母現病=~母親の誤った育て方が原因で,子どもの心身形成および人間形成に歪みができ,その結果として,子どもたちに病気や異常があらわれると解釈した。子育てを一手に引き受け,子どもとの接触がもっとも多い母親が原因との見方からこの名がつけられたが,その一方で,育児を放棄している父親の責任を重視し,〈父原病〉という言葉も生まれた。(以下略)(マイペディア)

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)