正直、いつかこうなることは分かっていた

 【滴一滴】やはりニュースの影響は早かった。先週、近くのスーパーの鮮魚コーナーで、特売品を知らせる札の中に「おわび」があった。何かと見たら「熊本県産『アサリ』の産地表示について」とある▼全国に流通する生鮮アサリの8割を占める熊本県産の大半が、実は外国産だった可能性が高いという。農林水産省が昨年10~12月、全国の小売店でサンプル調査を行い、DNA鑑定までした結果だ▼産地偽装の疑いが強い。この間に流通した熊本県産は推計約2500トン。ところが同県の漁獲高は2020年で21トンしかない。計算が合わない。事態を重く見た熊本県はきょうから2カ月間、出荷を止めるそうだ▼かつて熊本に住んだことがある。有明海の干潟はアサリの宝庫だった。昭和には年間漁獲量が6万トンを超えるなど全国屈指の産地として知られた。平成に入り、漁獲が激減したと聞いて心配したのを覚えている▼最近は岡山でも熊本県産をよく見掛けたから、てっきり資源が回復したと思っていた。産地の“ブランド”が悪用されたのか。実態解明が急がれる▼まだ熊本県産と付いたままのパックを求め、バター炒めにしておいしく食べた。その後はスーパーからも姿を消しつつある。不漁続きのサンマなど庶民の味が食卓から遠のく一方だ。安心してアサリを食べられる日が早く戻ってほしい。(山陽新聞・2022年02月08日)

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 「アサリ産地偽装は何十年も続いてきた」熊本の漁協組合長が語った偽装の実態

 (略)1日午後、熊本県内。産地偽装の現場となった遠浅の干潟に人の気配はなかった。地元の漁協関係者は「ニュースで流れたからね。今、出荷すれば、偽物のお墨付きになる」と話し、肩を落とした。/「何十年も続いてきた。正直、いつかこうなることは分かっていた」。この海域を管理する漁協の男性組合長は西日本新聞の取材に偽装の実態を告白した。「以前から知っていた。漁業者も漁協も、食っていくためだった」/ 組合長によると、この漁場では業者が輸入した中国産や韓国産のアサリを1週間から半年間ほど養殖し、問屋の求めに応じて出荷する。組合長は「産地を偽装しているのは問屋で、漁協は直接関与していない。ただ短期間で市場に出すので違法だとは分かっていた」と明かした。/ 養殖に従事するのは地元漁業者でつくる組合。現場は漁協の管轄で、組合側から漁協に「漁場代」が支払われる仕組みだ。アサリの産地偽装は過去に何度も問題化したが、後を絶たない。組合長は「やめてしまえば漁民は生活に困り、漁場代を失った漁協は経営が立ちゆかなくなる」と語った。(以下略)(西日本新聞・2022/2/2 6:00)

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 古くて新しい、新しくて古い問題、それは無数にありますが、この「産地偽装」は氷山の一角ではなく「一点」でしょう。消費者以外はみんな知っていた。「お客様は神さま」と馬鹿にされているのですから、知らぬが「仏」というか「神」だったというのは正解ですね。それにしても産地を偽り、商品として市場に回し、それを買って食べた人の中に「事故」「差しさわり」があったとは聞かないんですから、今回の「被害者?」は「熊本県」ですが、きっと熊本はすでに「中国」の領土の一部ということになっていたんでしょう。ぼくのような素人ですら、この「偽装問題」とっくに知っていました。だから食べなかったわけではなく、年に一回か二回は、「魔が差したように」購入し食べていました。でも、頻繁に食べたいという食欲が起こらなかったから、買う回数が減っただけ。ウナギなんかもそうです。数年前にウナギの稚魚不足で、「うな重」が五千円もした時がありました。もちろん天然ものではない。日本で養殖したものでしたが、その「種」がなくなりかけたということで、空前の高値になった。ぼくは、昔のことですが「ウナ肝」や「白焼き」を、酒の肴に重宝していたので、よく食べました。近年は酒も飲まないし、食べたいとも思わないので、あえて「輸入物」は食べないことにしています。理由は単純、拙いからです。牛肉もそうです。別に贅沢やえり好みをしているのではなく、分量が同じでも、価格が数倍も違うとなると、買う元気がないんですね。それが輸入食品とするなら、なおさら「問題あり」と承知すべきですね。ここにお「罠」がありますが、それには触れません。一種の「偽装」のからくりです。この「問題」は、もう六十年以上も前の「沈黙の春」一読以来の、ぼくのテーマでもありました。

 もう何十年も前に、ぼくは食品衛生法という法律を調べ、学校給食がどんなに危険な食品で満たされているかに驚愕したことがあります。以来、その関連の法律は割合いに見てきたし、関税問題などもその経緯を調べるようにしてきました。今回の問題に限っても、関係するものはすべて、状況を知っていた、知っていてやっていたんですよ。政治家も官僚も漁業者も、知らない人はいなかったと、ぼくは断言してもいいくらいに、この法律違反は「確信犯たち」の犯行でした。歴代の農林水産大臣に、どんな人物(政治家)が就任しているかを見るだけで明らかです。疑惑のたまり場のようなものが付くポストで、それは公然の秘密でしょう。話すのも嫌になりますので、これ以上は言いませんが、今回の問題がなぜ「(二次的、あるいは事後)発覚」したか、それは、一民間テレビの「報道番組」からでした。もちろん、それ以前から(何年も前から)、この問題は一部では明らかにされていましたが、みんなが「シカト」を決め込んでいた。西日本新聞をはじめ、殆んどの新聞は、「疑惑発覚」とか言って大騒ぎしてていますが、ぼくに言わせれば「放火犯」のようですよ。火をつけた当人が「火事だ」と騒ぐでしょ。品のない例ですが「火の元、屁の元騒ぐ」というでしょうよ。新聞社が「犯人だ」というのではない。知っていて、にもかかわらず、率先して報道しなかったというのです。あろうことか、発覚してからは「報道体制を強化」しているきらいがある、事前にその準備をしていたと言いたくなります。これを「予定原稿」というらしい。熊本日日はどうしていたんでしょうか。

 蛇の道は蛇(じゃのみちはへび)」というのでしょうね。知らないのは消費者ばかりともいえないかもしれません。わかっていて買って食べた人もいるでしょう。知っていたから買わなかった者もいるはずです。もっともかわいそうなのは「知らないで買った」「買って食べたら、おいしかった」という人になるんでしょうか。拙かったら、「かわいそう」ともいえますが、うまかったら、「まあ、いいじゃん」「本物の国産よりも偽物の国産」の方がいくらも安いんだから、それにうまいしさ、ということになります。

 物事には必ず「二面ある」もの。「アサリ」の商品化にしてもそうです。「本物の国産」と「偽物の国産」の二種ですね。そして今日は、アサリに限らず、とにかく「ニセモノ」がでかい態度をして闊歩しているのです。「ニセモノ結構」という購入者もいるし、知らないで「ニセモノ購入」して、本物だと、みずからにいい聞かせている人もいます。「知らぬが仏ばかりなり」というのは、具合がいい時もあるし、そうじゃないときもありますから、困ったもんです。

 この劣島は「偽物天国」「ニセモノ劣島」です。明治以来といっていいかどうか、あまり確信はありませんが、江戸期はこれほどひどくはなかったという例証には事欠かないから、やはり明治以降、身の丈に合わない背伸びをしてきた結果、「偽物が本物に」に成り代わる国になったんですね。「偽ることが本性、である自分」に。あらゆるところで、偽装、改竄、隠蔽、などなど、ここまでくれば、どれが本物か区別がつかないほどの「疑惑共和国」になったと思われてきます。警察だって、検察だって、隠蔽・偽装・改竄のやりたい放題ではないですか。だから「アサリ業者」を許したらどうか、というのではありません。ならば、徹底的に解明するかというと、そんなことをしたら、この社会の仕組みが壊れると、「臭いものにふた」「泰山鳴動、ネズミ一匹」で、事は一件落着です。これからは「アサリ」は買わないというお方、買わないのはアサリだけでいいんですか。今のところ「偽装」が見つかっていないから、大丈夫でしょう、発覚したら、それを買うのをよせばいいさ。展望も何もないのが、この社会の現実です。

 本日のニュースから学ぶべき「教訓」になりうかもしれない「ことわざ」らしいもの、無数にある中から、いくつか。

 その一、「知らぬが仏」≒「不愉快な事実を知ればも立ち、悩みもするが、何も知らないうちはのように穏やかな気持ちでいられる。当人が自分がどんな状況に置かれているのかまったく認識していないので、平気でいるさまを皮肉に評していうことが多い」(ことわざを知る辞典)

 その二、「蛇(じゃ)の道は蛇(へび)」=「一般にはなかなか察知できないことも、その世界に身を置く者は、さしたる努力もせずにわかる。同種の仕事や同じような生き方をしてきた者のすることは、当人と直接関わりがなくてもおおむね見当がつくというたとえ」(同上)

 その三、「屁と火事は元から騒ぐ」≒「臭い臭いと初めに騒ぎたてるのが実は放屁の本人であり、火事だ火事だと最初に騒ぎ出すところが火元である。初めに騒ぎ出すのがそのことをした本人・本元であるというたとえ」(同上)

 その四、「喉元過ぎれば、熱さを忘れる」≒「苦しいことや辛いことも、過ぎてしまえば忘れることのたとえ。また、苦しい時に人から受けたもやがて忘れ、ありがたく思わなくなることのたとえ」(同上)

 その五、「あつもの(羹)に懲りてなます(膾)を吹く」≒「不用に口にした吸い物の熱さにこりて、なますやあえもののような冷たい料理までも吹いてさます。一度の失敗にこりて、必要以上に用心することのたとえ」(同上)

 その六、「嘘も方便」≒「うそも、時と場合によっては必要なことがある」(同上)

 似たような悪事は、今の今も続けられています。「ことわざらしい」ものの追加です。 

 その七、「対岸の火事」≒「こちらの岸まで燃え移るおそれがない川向こうの火事。当事者にとっては苦痛や災難であっても、こちらには関係なく少しも痛痒を感じない物事のたとえ」(同上)「見つかったのは、アサリだけだろ」「シジミは大丈夫さ」という猛者がいるかも。

 それに、火事は「ボヤ」のうちに消せと言います。差し当たっては、少し割が合わないけど、誰かが悪者に「したてあげられ」、それで終わり。その八、「大山鳴動して鼠一匹」=「前ぶれの騒ぎばかり大きくて、結果は取るに足らないことのたとえ。イソップ寓話を経由して広まった西洋のことわざの翻訳」(同上)

 かつて、「消費者教育」がさかんに論議されたことがありました。今はすっかりさびれたのか、あまり耳にしなくなった。「賢い消費者に」なりましょうという「教育」の理由は、生産者や商売人が「ずるいから」とは言わなかったでしょうが、実はそうだったんですね。今回は外国物を「国産」といったから問題になった、とするなら、あるいは「国産」の方が評価が高いということになるのか。しかし、正真正銘の「国産品」でも安心はできない。産地を偽る奴らは、あらゆる分野にいるからね。「比内地鶏」といって、秋田産以外のものを売っていたことがあったし(今もあるかも)、新潟産のコシヒカリを偽って、いろいろなものを混ぜたコメを売っていたり。「神戸牛」だ「松坂牛」といって、他地域の「神戸」や「松坂」だったりするからね。地理も学ばなければならないし、消費者として賢くなるのも難しい。それ以上に「学歴詐称」だってあるでしょ。「◎✖大学卒」」というけれど、確かに卒業はしたのだろうが、内容(学力)が皆無だったり。これを偽装というのか、詐称というのか、ぼくにはわかりませんが、大学卒の値打ちが問題になりますね。つまりは品質詐称に当たります。要するに、どこからどこまでも、「偽りの館」なんですよ、この島は。

 「何十年も続いてきた。正直、いつかこうなることは分かっていた」通りの結果になったんですから、満足しているんでしょうね。「以前から知っていた。漁業者も漁協も、食っていくためだった」、食っていくためだったら、何でも許される社会というのは、住みよい社会なんでしょうか。だれだって「食っていくために」齷齪するんですが、齷齪の方向や方法が間違っていたというほかありません。「わかっていたら、しなさんな」「食うための労働は、真っ正直でなければ、人生が歪んじゃうよ」と、弱い消費者の独り言。 

 かくして、この劣島は「奈落の底へ」超特急で突入しています。「地獄の沙汰も金次第」とも言いますなあ。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。