二つのコラムは、島の何を語るのですか

 【水や空】教員不足 昨年の秋、四十数年ぶりに「LINE」のやり取りで再会した中学時代の同級生。社会科の先生をしていたという。「うわ、想像つかない」とわれながら失礼な返信をしたら「○○先生の影響で」と懐かしい恩師の名前付きで教えてくれた▲あの先生みたいになりたくて、と次の世代が教職を志す-学校や教室のそんな“幸福な出会い”のことを何年か前に書いた。うれしい実例が身近な所にも▲今の学校はどうだろう。少し前に「公立校の教員不足」を伝える記事があった。昨年4月の始業日時点で計画通りに配置されていなかった教員数が全国で2558人。県内では小学校の7校に1校、中学ではほぼ4校に1校で配置不足が生じていたという▲〈一塁手がいないから、投球後のピッチャーが一塁ベースに走って、ぎりぎりアウトにできている感じ〉-現場の実態を人数の足りない草野球に例えた投稿をネットで見つけた。対応策の一例として説明された管理職と担任の兼務は〈飲食店のワンオペみたいなもの〉とも▲長時間労働などの実情が広く知られて志願者が減り、さらに現場が過酷な状況に…と解説がある。これでは「負のスパイラル」のお手本、生徒と先生の幸せな出会いなど望み薄に思える▲未来の社会をつくる場所がこのままでいいはずがない。(智)(長崎新聞・2022/02/05)

 【明窓】いまさらの決起東京 永田町のトレンドはいま、衆院選挙区の定数「10増10減」。次回選での適用が既定路線だったが、ここにきて自民党内で反発が一気に表面化。有志議員が配る趣意書には地方軽視の批判が上がっていることが記載された▼いち早く声を上げていたのは「選挙博士」の異名を持つ細田博之衆院議長(島根1区)。地方の政治家が減ることを批判し「3増3減」を提唱した経緯もある。中立な対応が求められるのは承知の上、批判も覚悟の上の問題提起だろう▼全国紙が先日、将来の議員定数の試算を報じた。「2040年16増16減」。東京は25から33、1都3県は71から84に増える。既に最少の2となっている島根、鳥取の名前はない。昨年衆院選で有権者最少は鳥取1区約23万人。最大は東京13区約48万人で格差は2・08倍ある▼10増10減の算定式を導入した法改正を主導した自民党は党利党略の批判から逃れられない。地方議員が減るのはおかしい-。その主張はまっとう。むしろ〝いまさら感〟しかない▼一極集中是正と地方創生を掲げ当選した政治家がそれを果たせず、自らの議席に手が伸びた時に慌てて声を上げる。地方の声はますます届かなくなる。この構図をいつまで繰り返さないといけないのか。いずれ島根や鳥取を定数1に、などという案が出てこないとも限らない。もっとも、そうなる頃、既に地方は〝消滅〟寸前かもしれないが。(築)(山陰中央新報・2022/02/05)

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 教員と議員、似て非なる存在ともいえますが、両者ともに、その職務の遂行に大きな支障をきたしているとされます。その支障は、しかし、今に始まったことではなく、すでにかなり前から指摘されていたことであり、その対応の遅さが批判もされていたのです。まず、公立学校の「教員不足」はなぜ生じたか。必要以上に「定員」を削減してきたのではなかったか。野球でいうなら、一塁も二塁も三塁も兼任しろという無理を通してきたこともありました。免許は一種類じゃダメで、二科目を担当できる教員を採用するとか。一クラス当たりの児童・生徒定員を決めているから、それに合わせて採用すれば問題がないのでしょうに。にもかかわらず、今のような「公立学校の教員不足」は、なぜ起こったのか、それが問題です。理由は単純ではなく、いくつもの要因が重なった結果であることは事実で、その状況を把握していながら、対応が遅れたのが実際のところではないでしょうか。そして今、さらに大きな声で「教職の現場はブラックだ」という叫びが激しくなっている。よほど「奇特)でないと、教師になるのは、どうかなと二の足を踏む状況にあるんですね。

ニュース  教員不足ハローワークに求人も…授業できない事態に現場悲鳴「毎日電話で頭下げてる」

人材確保のため大阪府内でも実施された高知県の教員採用試験(昨年6月19日)
 

 全国の公立学校で2558人の「教員不足」が明らかとなった文部科学省の初の実態調査。35人学級の導入などで教育現場では人手の確保は急務で、ハローワークに求人を出す教育委員会も出ている。人材確保のため大阪府内でも実施された高知県の教員採用試験(昨年6月19日)/「代わりの先生を探すため、毎日、免許を持つ人に電話を掛け、何度も頭を下げる。でも、人材は限られている」。今回の調査で教員不足が162人(始業日時点)だった神奈川県。教委担当者はこう嘆き、産休や育休の取得者、病休者らの欠員対応に追われる実態を打ち明ける。/ 千葉市でも昨年4~9月、教員を確保するため、職員2人が勤務実績のある人など延べ1000人に電話を掛けたという。福岡県のある小学校では担任が不在となり、教頭が一時期、担任を務めた。/ 教員不足には様々な理由が絡み合っている。定年による大量退職に伴い、講師として名簿に登録していた人の多くが正規教員に採用されて登録者が激減。そうした中、特別支援学級の増加で必要な教員数は増えるが、教員志願者は減少し、なり手不足を生んでいるのだ。/ 広島県呉市では2018年、市立中学校で必要な講師を採用できず、理科と国語で4月分の授業を実施できない事態に陥った。担当する教員が見つかり履修漏れは免れたが、欠員があればハローワークに求人を出しているという。/ 正規採用を希望する受験者の減少も深刻だ。教育県として知られる秋田県も例外ではない。採用者数の増加もあり、小中高などの採用倍率は08年度の19・7倍から減少し、21年度は3・3倍。特に小学校は今回、1・8倍と低かった。コロナ禍で大学での説明会を十分に行えず、担当者は「教師のやりがいを十分にアピールできない」と苦悩する。/ 教員養成に詳しい慶応大の佐久間亜紀教授(教育学)は「教員不足に伴う過酷な労働が原因で、病休者や早期退職者が増え、教員のなり手も減る悪循環に陥っている。働き方改革を推進し、教職の魅力を高める政策を打ち出さなければ、教育現場が立ちゆかなくなる」と指摘する。(読売新聞・2022/02/01)(https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20220131-OYT1T50274/)

 どこからでも、この問題を見ると、あるいは何らかの解決策の道筋はついています。教職が極度に多忙な仕事であること。階級というものではなくとも、職場にさまざまな職位・階梯があり、教員同士の意思の疎通が図りにくくなっていることなど、そこからいろいろな状況が生み出され、結果的には「定員不足」問題が看過できなくなったというのでしょう。民間会社で社員を採用する際に、定員ぎりぎりの採用をしたなら、定員割れが生じるのは目に見えています。休職や、辞職、あるいは転職などによって、日に日に定員が減少していきます。その「穴」を埋めるために、事務職を現場に出す、定年で辞めた者を再雇用する、あるいは他社から引き抜くなど、あの手この手で定員割れを防ぐ手立てを考えるでしょう。   

 しかし公立学校の教員の補充はそうはいかない。誰でもいいから教壇に立たせることはあり得ない(ひょっとしてどこかでやっているかも。ぼくは知っています)。まだ現職のころ、しばしば知人から、「国語の教師」を紹介してほしいなどと声をかけられていました。大半は私立学校関係でしたが、中には公立学校の教員採用に関して、何かと相談を受けたことがありました。ある教科も臨時講師をそゆ介してほしいというようなことがありました。可能な限りで、ぼくは注文に応じたのでした。細かいことは省きますが、要は教採試験にたくさんの応募者が集まらないところから、この問題は始まっています。世のなかが不況だから、公務員(教員)になろうか、その反対に景気がいいんだから、教育現場より実業の世界へ、そんな風潮はいつでも起こっていたのです。以前と様変わりしているのは、少子化の洗礼をもっとも受けやすいのが学校現場だということです。それに輪をかけて、公立よりは私立学校志向が今なお衰えを見せていないという点です。加えて、採用の時期的偏りによる、退職者の急増問題などです。

 ここらで、学校区の見直しや、教室定員の適正化を、根底から再検討すべき時期に来ているように見えます。さらに考えるべきは、教員の再雇用問題です。一律「六十歳定年」は現行のままでも、再雇用を柔軟に考えるべきでしょう。民間では七十定年、あるいは、再々雇用も見られます。知識や技能を重ねてきた熟練教師の再雇用を、教委の狭く、堅苦しい価値判断だけではなく、もっと柔軟な再雇用方式を早急に考えたらどうでしょうか。率直ない感想というか、愚見を述べれば、教育委員会は教育行政全般に責任を持っているのに、それに見合った責任を果たしていないという感じが常にあった。何かと意見を求められても、その実現の可能性は無に等しいと思われたため、ぼくは熱心に対応しなかった。

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 国会議員の定数問題は、教員の場合と違って、議席数が多すぎることと、地域間での偏り(一票の格差・人口数に依存)が顕著であること、その他いろいろと背景や現況を指摘することはできますが、自らの権利の消長にかかわることから、根本の解決を求めるのではなく、議員数と人口の帳尻を合わせてきた結果、これまでのように地域間での「バーター」のような弥縫策は通用しにくくなってきたというのでしょう。この問題にも、いくつかの課題があります。一は定員数です。衆参議員数が適正であるとは思いませんが、その最適数はいくらかをいかにして算定するか。二は選挙区問題です。それに結びついているのが、選挙民の利益を最優先する、それが議員の義務・職務かどうか。これも詳細は省きます。っ居住の自由が認められているのですから、自らの人生摂家に従って転居や転入が可能です。勢い都市部へええと移り住むほうが何かと便利であり、生活のこんなさあが減少すると考える人が多いでしょう。つい先日、都市と地方都市の転入転出の調査が明らかにされました。圧倒的に都市圏に居住を望む人が多数いることが判明したのですが、この問題は議員定数や一票の格差問題、それに学校格差や学区制の適正な維持に、同じように反映するのです。(左上は読売新聞・2021/10/28)

 各地方自治体には住民によって選ばれた議員で構成する「議会」があります。村議会・町議会・市議会・区議会・県議会と、幾重にも重なって地域住民の要求や権利を代表して獲得擁護する議員活動等があるうえに、国会議員です。国会はいらないとは言わないが、衆・参二つある理由はもはや消えているんじゃないですか。どちらも党利最優先の政治が進められているのですから、一院制で十分に議会はその機能を果たせるように、この段階で検討すべきでしょう。(といっても、まず無理ですが。憲法改正よりも、実はこちらのほうが重大な問題になっているのではないですか)

 地域住民の利益の代表だという基本の考え方が、国家議員のレベル云々されてきましたが、果たして妥当性があるかどうか。例えば、ある地域で「原発再稼働」問題で、住民の間に賛成・反対があるのはわかりますが、地域住民の声としてどちらが有効かを決定するのは困難です。だから選挙(投票数)で決めるというのかもしれませんが、このような重大な問題を(多数決)で決めてきたところに今日、出口の見つからない事態が生じていることを思えば、単純に多数決とはいかないでしょう。だからと言って、うまい解決策があるわけでもないのですから、それを承知で数で「無理を通す」というのは政治なんですか、こんな問題に迫られているのです。適正な議員定数問題は裁判所でも(最高裁でも)決められない、国会が決めるべき課題だというのが、それなりの判断ですけれど、それでは何の解決にもならない。(右は読売新聞・2021/11/02)

 そのうちに、この問題を放置したままで、「一極集中是正と地方創生を掲げ当選した政治家がそれを果たせず、自らの議席に手が伸びた時に慌てて声を上げる。地方の声はますます届かなくなる。この構図をいつまで繰り返さないといけないのか。いずれ島根や鳥取を定数1に、などという案が出てこないとも限らない。もっとも、そうなる頃、既に地方は〝消滅〟寸前かもしれないが」いや消滅しているし、島全体の存続も危ういですね。国会議員沢山にして、国家滅ぶ、これは戯画でもなければ肖像画でもない。現実の危機なんですね。

 法治国であるという国の形からすると、まず立法の仕事は極めて重要であるのは言うまでもありません。しかし、その立法府を代表する議員さんたちは、己の既得権益を削って(失って)まで、望ましい制度のための法案を通すとは考えられないことです。だから、この問題は「放置」されて来たし、またされていくんでしょうね。「放置国」なんだ。

 教員と議員、どちらも「公務員」です。また、教育は「国家百年の計」などといいます。その「百年の計」を立てるべき議員さんは、百年はおろか、三年先も見ていないし、見ようとはしていません。百年を見通すのはまず不可能ですが、少なくとも「朝令暮改」になるようなことはすべきではないといいたくなるのですが、このところ、教育関係でも、強引に立法してあっさり捨ててしまう、いくつかの「制度」がありました。「国会は何のため」という初歩。初手を考える必要があるんですが、いったい、誰がそれを考えるんですか?

 「一票の格差」と「教育を受ける権利」の格差、この二つは別個の問題ではありますが、「法の下の平等」を考えると、どうしても「公平」「平等」という原理を徹底して求め続けるところからしか、望ましい結果が見えてこないのでしょうね。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。