露の世は露の世ながらさりながら(一茶)

 めでたさも「中くらい」〈目出度(めでた)さもちう位也(なり)おらが春〉。小林一茶の古里信州弁で「ちう位」とは「いいかげんな」の意味らしい。周囲に気を使いながら窮屈に過ごすコロナ禍の今なら「中くらい」の方がぴったりくる。きょうは立春▲豪雪地帯に暮らす人には申し訳ないが、そもそも瀬戸内沿岸は覚悟していたほどの厳しい寒さは続かなかった。テレワークに外出自粛とあって、室内で過ごす日も多い。冬が冬らしくなければきっと、春だって戸惑う▲さまつなことを付け加えれば、この冬は眼鏡の曇る回数がかなり減ったように思う。マスクの着け方に慣れた上、飲食店や公共交通機関の多くが小まめに換気しているのも大きいだろう▲それでもオミクロンは容赦してくれない。いくら軽症や無症状の人が多くても、これだけ感染が広がれば重症患者や亡くなる人もおのずと増える。気が重いまま伝えるニュースは、読む方もつらいと分かっているが…▲〈雪とけて村一ぱいの子ども哉(かな)〉。一茶が別の句で詠んだように、せっかくの春を迎えるなら、めでたさは大きければ大きいほどいい。予報によるとこの週末は寒波が逆戻りする。窓を開け放ち、そよ風を招く。春らしい春よ、早く来い。(中国新聞・2022/02/04)

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 同年生まれの友人が、「老いを生きる」という主題で著書をだしたい(書いている)、出す予定だと話していました。これをどのように受け止めたらいいのか、ぼくには、にわかには答えられませんでした。「老いを生きる」だけで、ぼくには手に余ることだからです。「老い」というのは病気ではないかもしれませんが、老いるというのは、いろいろなオイル(潤滑油)が枯渇していく状態をいうのでしょう。乾燥肌とかいうけれど、それは「◉〇水」をすり込めば、なんとか「潤い」みたいなものは保てるような気がするが、どこまで本当に「潤い」が保たれているのか、知れたものではありません。さらに言えば、「老いる」というのは、一面では病気を同伴する人生でもあるのでしょうね。健康で長寿というのは、それこそ「涅槃」に入るようなものですから、ぼくらにはまず起こりえない夢、夢想であり、白日夢でもありますね。

 物理的な老いは、少しは遅らせることも、あるいは避けることもできるかもしれませんが、しかし、それも時間の問題。いのちには寿命がありますから、無限にそれを引き延ばすことも縮めることも無理であり、不自然でもあるでしょう。ぼくの性分からすれば、「自然に老いる」というのがいいんですね。現実には、不自然に老いるというのもあるようで、これは、見方によれば悲劇でもあるし、他面では他人に迷惑をかけることになります。(介護などのことを言うのではありません)「老いを生きる」ということだけで、ぼくの場合は、差し当たりは手一杯です。それを活字にするとか本にするというのは、まったく「老いる」に反していますから、うまく書けるかどうか。高見の見物というより、「老いの坂」を登るような仕事を、よくする気になったと感心ばかりしているのです。「老いる」とはこういうこと、こんな老い方があるではないか、それならば、書けるかもしれませんけど、ぼくは読まないね。歳を取るのは避けられない、生まれた以上は生きてみるか、意気(息)が続く限りは、焦ったって仕様がないからさ、ぼくはいつだってそんな不真面目のような態度でいました。今だって同じ。

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◉ 老ノ坂【おいのさか】=山陰道(京街道)が大枝(おおえ)山を山城から丹波へ越える国の峠およびその前後の坂をいう。大枝山は《万葉集》をはじめとして〈大江山〉とも記され,古歌や説話などでは老ノ坂のことをさすことが多い。酒呑(しゅてん)童子説話の大江山ともいい,山腹にある円墳はその首塚と称されるが,酒呑童子の大江山は丹波・丹後境の大江山とする説が有力。老ノ坂(大枝山)は古来,軍事交通上の要衝であり,ことあるごとに守りが固められた。また齢を重ねることを坂を登ることにたとえて,〈老ノ坂を越える〉という表現は,謡曲など文芸に多用された。(ニッポニカ)

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 「老ノ坂」は京都市内から丹波方面への出口でもあり、友人が住む「越畑」に遊びに出かけるときに歩いたことがあります。この「坂」は上るにも下るにも、人生の苦節としてはちょうど見合っていたのかもしれません。「坂」を下るのが老年だという気はしませんし、ましてや上るなどということは考えたくもない。坂のてっぺんが頂上であることは不思議でもありません。しかし、人間はきっと頂上まで登って、それから延々と登っている人もいれば、坂井入り口でもう下る人も出てくるのです。人生の長さは、その人の生き方に附合しているともいえるし、、十歳で亡くなれば、周りは惜しいとも悔しいともいうけれど、十歳を一期の「人生」というものがあるんでしょうね。登っていたことは確かだが、どこからか、下ることになるとは限らないのであり、そこが人生のつかみどころのなさでもあると、ぼくは経験しつつあります。今でもたまに使われる言葉に「寂滅為楽」があります。おそらく仏教の世界では常用語だったのでしょう。「老いる」という心境に見合ったというつもりはありませんが、このような無為無欲ではなく、何事かを求めながらの「老いの坂」であったらなあ、とぼくは念じているのです。

 この「寂滅為楽」とは原始仏教の基本的な教えであり、それは釈迦の入寂にまで認められた、一種の幸運・幸福の境地を指しました。「大般(だいはつ)涅槃経」(略して「涅槃経」とも)というお経に出てくる「四つの偈(げ)」の一つです。偈(げ)には幾種類かありますが、基本は仏教の教理や真理とされるものを詩の形式(多くは、四句)で表したもの。この「寂滅為楽」は、「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」と展開しています。いのちは生々流転、常ならずです、同じことですが、生は滅するのが「法」、理(ことわり)である。さらに「生滅する世界」を超越する段階に入る。つまりは「涅槃(ニルバーナ)」に至るのです。そして、涅槃(寂滅)に入って、はじめて「安楽をなす」、「楽」は極楽の「楽」です。楽は求める、愛する、願うなどということです。「欲のない欲」というほかないような、願い、愛です。

 面倒は避けますが、「涅槃」というのは「死ぬ」ということでしょう。すべての欲望から解放され、安楽を得る、静謐な時を過ごす、そういうことなら、ぼくたちは「死」を以って初めて可能となる境地です。楽は求であり、願でもあります。死んで初めて「為楽」、「真理をなおも求める気になる」という意味では、ぼくたちに可能な状態ではなさそうです。「静かに消える」といったところがせいぜいで、この世界から「音もなく消える」ことをぼくは念じています。「黙って消えるよ」などと、若いころから他人に言ってきました。

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 「目出度(めでた)さもちう位也(なり)おらが春」とは、先日触れたばかりです。だから雑文の種は尽きないんですね。一茶の死後に刊行された「おらが春」の冒頭に引かれている句です。ここでいう「春」は正月のこと、もちろん旧暦の時代でしたから、今でいう「立春」の日(当地では昨日)に当たります。新年が明けたけれども、貧乏人の我々には「門松立てず、煤(すす)はかず、雪の山路の曲り形り(まがりなり)に、ことしの春もあなた任せになんむかへける」と前置きしています。世間並とはいかないまでも、なんとか年が明けた、新年を生きて迎えられた、そのようにいう「ちう」です。別の時、別の場所で詠んだ句に「元日や我のみならぬ巣なし鳥」と、「乞食一茶」と自らを称しています。江戸は本所の知り合いの家に、たくさんの「宿なし」が集っているのだと。文化六(1809)年元日の日付があります。

 ついでですから、もう一句。「人並の正月もせぬしだら哉」「しだら」は、ここでは、事の成り行き、状態です。「ふしだら」なら、よく見かけます。だから、あるいは「好ましくない状況。ひどいありさま。ていたらく。ざま」(精選版日本国語大辞典)というのでしょうから、一茶という人には、いつだって「正月」はどうにかこうにか、迎えられたのであって、とても世間並ではなかったのです。「ちう」はいい加減というのは間違いではありません、しかし、何がいい加減なのか阿がわからなければ、意味不明の「いい加減」にあります。この句は文化十年の正月のもの。その三年後の「年の暮れ」に詠んだ句に「羽生へて銭がとぶ也としの暮れ」があります。一茶という人にとって、暮れも正月も心穏やかではなかったんですね。父の死、子どもの死にも重なっていたこともあり、生活の苦しみの中で喘いでいたともいえる句々ですね。(一茶を語り出せば際限がなくなりますので、ここで断捨離です)

 寒さが戻りそうだし、これから入試本番を迎える人もいます。コロナ禍は、新年を迎えてさらに勢いを増している気配です。この先は雲をつかむような話に終始している「専門家」とは何ですか、そんな減らず口を言いたくなる「お粗末」ですね。まず感染しないことでしょうが、人も集まるところに行かなければ、それは可能ということは、そうでない人は「感染覚悟」という修羅をくぐるような事態が、さらに続きます。くれぐれも、どこまでも、注意を怠りたくないものです。修羅の世ながら、さりながら。

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