
(ミャンマー北部カチン州ミッチーナで、警官にデモ参加者を傷つけないよう懇願する修道女のアンローズ・ヌトーンさん。ミッチーナ・ニュースジャーナル提供(2021年3月8日撮影、9日提供)。(c)AFP PHOTO / Myitkyina News Journal)(ヘッダーの写真は「ミャンマー・ヤンゴンでミン・アウン・フライン国軍総司令官の写真を道路上に並べ、軍クーデターに対する抗議デモに参加する医療関係者や学生(2021年3月5日撮影)。(c)STR / AFP」(「後悔してない」 軍事政権に抵抗し逃亡生活送るミャンマー市民 2021年6月30日 8:00 発信地:バンコク/タイ [ タイアジア・オセアニア ])
警官にひざまずいた修道女「今でも体が震える」 ミャンマー、クーデターから1年
【2月1日 AFP】ミャンマーで軍がクーデターを起こしてから1日、1年を迎えた。反クーデターデモの参加者を撃たないようひざまずいて警官に懇願した修道女、アンローズ・ヌトーン(Ann Rose Nu Tawng)さんはAFPのインタビューに対し、当時のことを思い出すと今でも体が震えると語った。/ 北部カチン(Kachin)州ミッチーナ(Myitkyina)で、カトリックの修道女が警官にひざまずき、両手を広げて発砲しないよう懇願する様子を捉えた写真は世界中に拡散された。/ 写真が撮影された昨年3月、カチン州ではデモ参加者2人が射殺された。ヌトーンさんはけがをした子どもを病院へ運んだこともある。/ 混乱の中、写真を撮られたことにも気付かなかった。「家に着くと、家族や友人がとても心配していたので気付いた」と話す。母親からはなんて危険なことをしたのかと、涙ながらに怒られた。/「人々が銃撃から逃げ惑っている状況の中で、自分が人々の命を救おうとそこにいたことが信じられない」
ヌトーンさんは、牧師の父と教師の母の間に生まれた。少数民族武装組織と軍の衝突が長年続いてたカチン州では、軍を避けるのは子どもの頃から常識だった。/ 9歳の時には、兵士から逃れるため家族で避難せざるを得なくなった。その際の恐怖感は脳裏に焼き付いており、今の子どもたちも同じような目に遭うのではないかと心配している。/ 国内の監視団体によると、軍による弾圧でクーデター以降、市民1500人以上が殺害され、1万人以上が逮捕された。/ ヌトーンさんは、軍に公然と立ち向かった代償を払わされている。治安部隊に何度も拘束され、携帯電話を調べられ、写真を撮られた。/ 政治的な活動はしていないが、怖くて一人で外出できない。「もはや自由はない」/ 看護師の研修を受けたことがあるヌトーンさんは、現在はカチン州内の国内避難民キャンプで働いている。/ 信仰が希望と目的意識を与えてくれると言う。「神の御加護で生きています。私を永遠にお使いになりたいのかもしれません」 (c)AFP(2022年2月1日 13:00 発信地:ヤンゴン/ミャンマー [ ミャンマーアジア・オセアニア ])
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下に同じ場面を撮影した別の構図があります。跪いたのは彼女一人ではなかったのは、ある意味では当然であったかもしれません。この写真を時に眺めながら、軍や警察権力がいかなるものであるか、その暴力性それ自体が一つの「権力」であり、その別種の権力が、既存の権力を奪取するのを「クーデター」というのでしょう。「国家秩序維持」という名目のための「暴力装置」が国家権力を簒奪したのが、昨年のミャンマーの「政治的革命」でした。権力の首座・首領が誰であろうが、それは人民の幸福にはみじんも関係ないということ、国家権力といえども、みずからの権力(暴力)の秩序を維持するためには「自国民=人民」に銃口を向けるどころか、その銃口から銃弾を吐き出して、その命を消し潰すということです。
一人のシスターの果敢な行為は、まさしく「勇気」と「生命尊重」への行動の重さと、その困難さを明示しています。彼女のこの行為が無駄であったとはいえない。それどころか、「反軍事政権」への絶えることのない抵抗が今もなお継続していることに、その意味を求めることができると、ぼくは確信しています。暴力をほしいままにしている「軍事力」を他の勢力(他国の軍事力)が物心両面で支援しているからこそ、この暴力の首謀者たちの「政権掌握」は今なお続けられているのです。世界の覇権を握ろうとする「頂上独占」競争が、あらゆる地域で、ある種の「代理戦争」をもたらし、あろうことか「国内合戦」「国内戦争」という愚劣でありながらも、それを否定できない戦いが生じているのです。そこから、無数の無辜の民の犠牲が果てしなく続くのです。

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ミャンマーの人民による「抵抗の一念(一年)」をどのように見るか。この悪夢の(「内戦」)状態が一日でも早く終わるために、ぼくたちに何ができるか。ささやかながら、その思いを、当地の「抵抗する人々」につないでいきたいと念じているのです。このような事態は、決して「対岸の火事」、他国の惨事とみることはできません。いつなんどき、ぼくたちの頭上に銃弾や爆弾が炸裂するかもしれない、そんな火薬庫や地雷原の上に、ぼくたちは「日常」を暮らしているのです。軍備や暴力に守られて維持される「平和」「安全」というものを、ぼくたちは根底から作り変える、そんな意識と行動を求めて、それがいかに微細・微力であれ、生きることを願っている。
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