本は旅する ー 放浪書房はヴァガボンなのだ

 【余録】旅をしながら、旅に関する本を売る。富永浩通(とみなが・ひろゆき)さん(43)が移動型古書店「放浪書房(ほうろうしょぼう)」を開いて16年になる。趣味は旅と読書。「好きなことを続けようと思ったら、こうなりました」▲運搬手段は旅行かばんからリヤカーを経て、改造ワゴン車になった。興味を持った人から声がかかると、約500冊を積んだ車で駆けつけ、広場や商店街で「開店」となる。寝泊まりも車中だ▲千葉市の実家を拠点に全国を回り、行く先々の古本屋で仕入れもする。その際、入手した地名を内側に記す。本と一緒に旅をしている気分を味わうためだ。最近では、自分の本にも旅をさせてやりたいと、愛読書を持ち込む人もいる。そうした入手経緯をネタに、購入者との会話が盛り上がる▲昨年、神奈川県茅ケ崎市で出店した際、年配の女性が随筆集を買った。女性は旅好きの夫を失ったばかりで、気分が沈みがちだった。ページを開くと「岡山から旅をして来た」本だった。「あの人が、最後に旅をしたかったのも岡山でした」と女性は笑みを浮かべた▲富永さんは目標に向かってまっしぐらに走るのが苦手だ。「理想形は鳥人間コンテストです」。とにかく楽しみながら、長く飛び続けたいらしい。かのスティーブ・ジョブズも言っている。「終着点は重要じゃない。旅の途中でどれだけ楽しいことをやり遂げているかが大事なんだ」▲本を手渡す時、富永さんは「よい旅を」と声を掛ける。旅と本が人の交流を作る。それが富永さんにとっての「財産」という。(毎日新聞・2022/01/17)(ヘッダーは文春オンライン「本の話」:https://books.bunshun.jp/articles/-/6656)

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 いろんな形態の本屋さんがあっていい。よく見たのは「移動図書館」というものでしょうが、それは行政区域内に限定されているし、本の販売はしていません。この「放浪書店」のような移動書店は、かつては各地にいくらでもあったと言えます。でも、今日では、まだまだ珍しい本屋さんということになる。ぼくはこの「本屋さん」の存在を知って、まず最小に浮かんだのは、「フーテンの寅さん」でした。ご存じ「男はつらいよ」の寅さん。どうして男がつらいのか、女はつらくないのかなどと理屈を言うのではありませんが、この「国民的人気映画」を横目で見ながら、「テキヤ商売」というものが隆盛を極めた時代を思ったりしました。その昔(戦前・1945年前までは)は、なんだって「行商」だった。その種類は多様でしたね、魚屋・八百屋・薬屋・蕎麦屋・うどん屋・パン屋・和服商い、その他数知れない商売人がこの島の東西南北を往来していたのです。そのほとんどの「行商人」から商いをしてもらったという経験をぼくはしています。半世紀ほど前までのことです。

 旅する本屋さんの「放浪書房」という屋号もいいですね。あるいは「書房・放浪」とか「方々書房」、「漂流する本屋」などもあり得るし。あってほしいですね。この劣島の人間集団の生活の基本になったのは「定住型」でしたが、まれに、そこから外れる生き方を求める人々も存在したのです。それが漂泊民。「公地公民」の制度が生まれてこの方、大多数が土地に緊縛されるのが当たり前の生活でありましたが、そうではない生き方が認められていた人々(越境する者たち)も存在したのです。この「定住と漂泊」は、古くて新しい、新しくて古い、人間の生活スタイルだったと言えます。この放浪書房の店主は、旅と本が好きだから、両方を同時にやろうとしたら「こうなった」といわれます。「商いは行商に始まり、行商に終わる」という表現があるのかどうか定かではありませんが、奈良や平安の昔からの生活の在り方を見ているような、とても「懐かしい気持ち」になります。渡り鳥、それは人間の願望でもあり、きっと帰るべき巣を持っていたのです。帰巣本能に導かれながら、許される飛翔念慮の行使だったのしょうね。この場合の本能は「まるで凧の糸」みたいなもので、時には切れてしまうこともある。これが「風来坊」です。(放浪書房:http://horoshobo.com/)

◉ ひょうはくみん【漂泊民】=さすらい人。漂泊遍歴定住定着とは,人間の二つの基本的な生活形態である。それゆえ,漂泊民といい,定住民といっても,それは絶対的なものではなく,漂泊についていえば,居所の定まらぬ漂泊,本拠地を持つ遍歴,本拠地を変更するさいの移動,さらに一時的な旅など,さまざまな形態がありうる。しかし,一個の人間にとっても人間の社会においても,またその展開される場や生業のあり方に即しても,漂泊と定住とは,対立・矛盾する生活形態であり,相異なる生活の気分,意識,思想がその中から生まれてくる。(世界大百科事典第2版)

◉ 行商= …古来,行商人は婦人が多く,古典にも販女(ひさぎめ),販婦(ひさぎめ)の名で記された。徳島県海部郡阿部村(現,由岐町)の婦人行商はイタダキ(頭上運搬にもとづく呼称)の名で知られ,カネリ(山口・島根両県),ササゲ,ボテフリ,カタギ,ザルなど,運搬法が行商人の呼称となっている点が注目される。行商の古態をさぐる指標となる事柄は,取引の時期と訪ねる相手方が,ほぼ固定しているか否かにある。…(同上)

 

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 「日本一小さいかもしれない本屋」 週末だけ開く市川のkamebooks 店主吉田さん「安心できる場に」市川市大和田のビルに一坪ほどの小さな書店「kamebooks」が週末のみ開店している。店主を務めるのは、千葉市などで古本市を主催する吉田重治さん(48)=船橋市。大好きな本に囲まれながら、安心して自分だけの時間が過ごせる居場所だ。/ 江戸川のほとりにたたずむ4階建ての年季が入ったビル。狭い階段を上がった最上階の一室。ドアを開けると、秘密基地のような約一坪(約3・3平方メートル)の空間が広がり、壁一面に新刊や古本がぎっしり並んでいる。/ 子どもの頃から本と書店が好きだったという吉田さん。自営業の傍ら3年ほど前から千葉大学近くで年に3回、古本市を主催してきた。だが、新型コロナウイルス禍で開催が困難に。「自分で場を構えるのもいいな」と思い立ち、今年10月に「日本一小さいかもしれない本屋」(吉田さん)が実現した。(以下略)(千葉日報・2020年11月5日 )

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 大学生になってから、ほぼ毎日のように、ぼくは本屋巡りをしていました。住まいは本郷にありました。「旧帝国大学」前の本郷通りには、本郷三丁目から白山あたりまで、おそらく三十軒ではきかない本屋があった。新刊本書店や古本屋もあり、なかには新古書店というものまであって、金はないけど暇がある大学新入生にはもってこいの時間つぶしになった。家の隣には仏教書で古くから知られていた山喜房書林があり、正門前には、法律専門の有斐閣もあった。毎晩のように、夕食後に出かけた。そのうち、馴染みの一軒ができた。伯父からの紹介でもあったが、ぼくはそこに何をしに行くのかと思うくらいに通いづめました。約十年、千葉に引っ越すまで、本屋通いは終わらなかった。店の人より、何がどこにあるか、よく知るようにもなっていた。わざわざ神田まで出かけることもなく、ぼくの狭い小さな要求は、ここで満たされていたのです。

 つまらない話が続きますが、ぼくは馴染みになった書店で、好きなだけの本を買い、あろうことか「支払いは都合のいい時に」という買い方を店主から許してもらった。今から半世紀以上前の、授業料が年間で三万円とか五万円の時代に、ぼくはその書店で三十万を超える借金を、常時作っていました。このほかに、本郷三丁目の駅前にあったレコード店でも、同じように好きなだけレコードを買い、「ある時払いの催促なし」という始末で、ここでも相当の借金を貯めていました。本とレコード、それに明け暮れていたのが、ぼくの本郷時代でしたね。そこに十年ほどいて、結婚(一生独身で生きようと、自分では考えていたのでしたが、「どうしても結婚してほしい」と言われ、いや、そう言ったのはぼくだったか、記憶はあいまいだ)するようなことになって、千葉に越したのでした。いうまでもなく、本屋とレコード屋の借金はきれいに支払いましたよ(少しばかり苦労はしましたけれど)。「すべては自前で」、これがぼくの金銭感覚、生活信条で、この処世訓は知らないうちに身についたという気がします。(上の写真は大船渡にある「カドベッカ書店」の案内看板)

 本の話です。ぼくのようなつまらない経験でも、話しきれないほどのネタがあるのです。千葉に移住したときには、月給をもらうようになっていましたから、学生時代よりも贅沢はできなくなりました。だから、それなりに選んで本は買っていましたが、殆んどは大学内にあった「生協の書籍部」からで、ここにもぼくはいつでもかなりの借金を抱えていました。そんなことができる時代でもあったのでしょうね。図書館で用が足りるという人もいますし、それができれば十分なんですが、ぼくは、どういうわけか、自分で持っていたいという性分なんですか、いつでも買うことにしていました。蔵書が何冊というような興味がなかったし、うんと溜まってしまえば、古書店に売るということをして、何とか許容範囲を超えない程度の本のある暮らしをしてきました。

 以前の本屋さんは(今でもあるのかもしれません)、注文した書籍は配達してくれました。月刊誌や定期刊行本はそうでしたし、注文しておけば、きっと届けてくれました。いわばアマゾンの先駆けです。これは何も本だけに限らず、多くの商品は配達が主でしたね。事前に「御用聞き」といわれる店員が注文をとりに来て、それを夕方、指定された時間に各家に配達する。移動販売だ、移動本屋であるなどというのは、はるか昔の「商売の方法」でした。それが経済の繁栄だか、精神の貧困だか知りませんが、店を大きく(あるいは小さく)構え、欲しけりゃ、店まで買いに来いという「エラそうな態度」が横行蔓延したのも、つい最近のこと、名だたる百貨店なども「宅配(外商)」が珍しくなかった。それが商いの本流だった時代が長かったんです。「お客様は神さま」という精神は滅んだのに、その「口上」ばかりが生き残って、そこでこそ買いたいという「なじみの店」を育てようとしなくなった、その終わりがすでに始まっているのでしょう。「放浪書房」はその先駆者(ではありませんが)、いわば「フロントランナー」でしょうか。しかし何のことはないんですね、昔の「商売の在り方」がよみがえってきただけなのかもしれない。つまりは「行商(商売のリアランナー)」です。

 このページの中程に出した数枚の写真の上段に見られるのが「行商」の諸形態です。半世紀前までは、いたるところで観られたし利用されていました。背中にたくさんの野菜などを背負って都心に行商に出かける女性たち。これを「カラス部隊」とか言ったように記憶しています。本郷あたりには千葉や茨城から、週の決まった日に出かけてきて、そこで店開きし、すべてを売りさばいて帰っていく。事前に注文しておくと、それも持ってくる。ぼくはこのような人たちと親しくしていました。いまでもあるのではないでしょうか。千葉に越した当時、京成電車の朝の決まった時間の電車は「行商専用」車両で、ぼくはよくその車両の近くで観察させてもらいました。時にはその車両に招かれたりしました。今もあるかどうか。写真上段左のリヤカーいっぱいの日用品を積んで歩く行商もよく見られました。リヤカーが軽トラックに代わっただけで、今も健在だし、さらに盛んになるでしょう。金魚売も豆腐も、みんな声をかけて売って歩いたんですね。ぼくが上京直後、早朝に「あっさりしんじめえ」という声で驚いたことがあります。茨城か千葉あたりから、朝ご飯用の味噌汁の具である「あさり・しじみ」売りだったという、馬鹿な話がありました。

 大きな店を構えて、「欲しいなら、ここまで来い」という時代は終わったとは言えませんが、その商売の精神は廃れたでしょう。いいことです。第一、商品知識ゼロで「モノを売る」という驚くべき所業をして、金をとっているんですから。コンビニなども、しきりに「移動販売」に躍起になっています。これは、けっして「高齢化社会」「老齢化時代」だからではなく、人と交わりながら商いを行うという、本筋の商売に戻ろうという兆候でしょう。「モノを売る」のではなく「人の気持ちを売る」「売り買いする人(知り合い)同士の付き合い」が商いであるという、廃れていた商人道がよみがえるのなら、まことに幸いであると思います。

 背中に「いくばくかの本」を背負って売り歩いた時代をぼくは知っています。荷物を下ろし、それを開けて見せられれば買いたくなるし、買えば人の温もりが感じられる、モノを大事にするというのは、それを作った人や運んだ人たちの心持を買うということにもなるのでしょう。今の時代の「チェーン店」競争は、客を大事にしているのではなく、店を大きくする、シェアを少しでも獲得する、そのための「金儲け」に鎬(しのぎ)を削るのが商売だと錯覚している(すべてではないでしょうが)、だから、そんな「金目当て商売」に利用されたくないという、意固地な気分がぼくにはあり、コンビニもファミレスもまず利用しなかった。「出前」があり、「御用聞き」があった時代、それは古く遅れた時代のことではなく、人とのつながりを大事にしたいという気持ちが表れた(対等な)人間関係の、明確な在り方だった。それは何も「商売」に限りませんね、「教育」であっても「人とのつながり」が核心部分にならなければ、教育ではなく狂育であり、虚育でしかないでしょう。

 本は放浪する、いや本に載って、人は放浪するのです。あるいは「漂泊する」のです。本の内容や著者とともに、おなじ道筋を、著者と読者という「本好き同士」として放浪する、これが読書だという気がしてきます。本が放浪するのではなく、持ち運びが自由な書物は「精神の放浪」を実現してくれるんですね。電源もいらなければ、通話相手やどこの誰だか「得体のしれない人」を相手にする必要のない、心の旅路の水先案内として、ぼくはこの上なく本を好んできたし、また好んでいるのです。アマゾンもいいし、行商もいい、どこかの本屋の「一泊◉◉円」という読み方でも、またいいですよ。いろいろな「売り方・買い方」「読み方・読まれ方」が共存する時代がよみがえってくることを楽しみにしています。 

 今でも、東南アジアの各地で、行商による商い風景が見られます(下の三枚はハノイにて)。それを「遅れている」とか「古い」と言って、ぼくたちは蔑視か軽視をしていたのではなかったか。その「遅れた」「古い」商売の方法が、この島でも復活する時代になったといえばどうでしょう。「遅れた」というのは、人間の歩行がモノを売るのに適しているスタイルであり、速度だからです。これこそが「文化(生活)」だと言いたし、それを野蛮であると言うなら、ぼくは野蛮であり続けたいね。コンビニが、地球上を席巻していますが、それが「文明」なら、なんと軽薄で薄情な生活スタイルであろうか。ぼくは「文明人」でありたくないですね、断じて。再び、三度(みたび)と「降る雪や明治は遠くなりにけり」ではありませんか、否応なく、さらにぼくたちは「江戸」へ戻っているんじゃないですか。これが「先祖返り」なんです(下の絵で書いた三枚)。「明治は遠くなったなあ」というのは、草田男さんばかりではない。人間が人間らしく生きている時と場、そんな時代や社会が、どこかにあったんだが、そこに戻れるといいね。

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。