こわいながらも とおりゃんせ 

  昨日は不謹慎にも「婦系図」の世界にはまり込んで、「湯島の白梅」に思いを馳せていたところ、共通テスト初日に「事件」が起こりました。名古屋の「高2」が成績不振を理由に(なんだって、理由にしようと思えばできるんです。「太陽がまぶしすぎたから」と殺人を犯した者もいたという小説がフランス:カミユにありました)、「他人を殺して、死のうと思った」という。ぼくの上手を行く不謹慎、身勝手、不届き者でした。えらく迷惑な話で、本人は医者を目指していたというから、この段階で「医者への道」が断たれた(といえるかな)のは、不幸中の幸いというのでしょうか。このまま、成績が上々で医者になっていたら、どうだったか。これは「天神さま」もご存じないでしょう。同情の余地はありませんが、「大学入試」が、さまざまな弊害・障害・傷害を若い人に与えて来たのは否定できないし、「試験制度」だけを改めても仕方がないというか、教育効果が上がらないのは目に見えています。ではどうするかということについて、多くの人々は関心を持っていないようです。だからと、ここで卑見を述べても始まりませんので、いつか機会があれば、その節にでも。

 こだわるようですが、「婦系図」に言及したくなりました。二十歳前に金沢から上京し、尾崎紅葉の書生となって小説家を目指した鏡花さん。ある年の新年会だったか、神楽坂の料亭で宴会をした、その席で一人の芸妓に引き付けられた。「のちに夫人となるすず(神楽坂(かぐらざか)の芸妓(げいぎ)桃太郎)を知り、やがて同棲(どうせい)、紅葉の怒りにあって一度は離別したことは有名」(ニッポニカ)という、自らの体験が「婦系図」の下敷きになったことは、これまた有名。当時、彼は二十六歳でした。その宴会があった年末に紅葉はなくなり、鏡花は元芸妓と同棲を再開する。ぼくは何度も神楽坂には足を延ばしましたが、ただの一度も「料亭」というところには行かずじまいで、ついに「お姉さん」にも御目文字がかないませんでした。

 「柳橋の芸者・蔦吉(つたきち)」と「(元)隼(はやぶさ)の力(りき)」といわれた(掏摸・すり)商売になじんでいた早瀬主税(はやせちから)。どちらも前半生は苦労の連続だったが、二人は惹かれ合う。やがて主税は酒井という学者(真砂町の先生)の書生として養われ、大学まで出て研究者となった。そこで酒井は、主税に「お蔦と別れろ」と迫る、この場面をさらに色どりを濃くするために、鏡花は、小説にはなかった「湯島の場面」を後に脚色、これが「新派」の当たり芸(演目)となったのです。ぼくは何度も、水谷八重子さん(初代)(右上写真)、花柳章太郎さん(左写真)役による「お蔦」の芝居を観ています。ぼくは、若いころから、筋の通った「軟派」でしたね。もう六十年以上も昔にさかのぼるまでになりましなあ。(①小畑実:歌「湯島の白梅」:https://www.youtube.com/watch?v=dMyVwr2bb3s&list=RDGMEMXdNDEg4wQ96My0DhjI-cIg&start_radio=1&rv=piIgzHL_Emk)(②都はるみ:歌「湯島の白梅」:https://www.youtube.com/watch?v=E_1Yf88Z3SY&list=RDMMEcGR1HFaBgo&index=21)

 湯島を通れば思い出すのは、さらに、鴎外の「鴈」という作品です。大学に入りたての頃、ぼくはこの「小説」を一気呵成に読んだことを記憶しています。そして、主人公が往来し、「お玉」が囲われていたのが、この「無縁坂」(右下写真)でした。その北側が不忍池。無縁坂は、ぼくが住んでいた(居候の身の)家から五分か十分のところにありました。ぼくは「岡田」ではなかったし、坂を上り下りしても「お玉」はいなかった。この坂の南側の大通りを超えれば、湯島天神でした。小説や映画の舞台に格好の場所だった。ぼくが住んでいたのは「旧本郷六丁目」で、帝大赤門の真ん前でした。加賀藩のお屋敷跡でしたね。目の前に住んでいながら、能力が欠けていたのが一番の理由でしたが、ぼくは「旧帝国大学」は好きではなかったし、だから「私立」の目立たない学校に入ってしまったのですが、それもよくなかったと知ったのは、お金を納入した後のことでしたね。

 当時(今から五十年以上も前)、「いったん納入した納付金等は、理由の如何を問わず返却しません」と、まるで高利貸しの看板のように特筆大書された紙きれを大学は発行していた。今は、さすがにそれはないでしょうな。他大学の合格発表前に「入学金」納入を強制していたのも、職に就いてから、一人ではなかったが、廃止することを求めていたことを覚えています。これも、いまはもう廃止されているでしょう、さすがに。余計なことですが、同じ大学で複数の学部を受験すると、二つ目からは受験料をかなり割り引くべし、という提案もしていました。今では、あちこちの大学で実現しているんじゃないですか。

 こういう調子で書いていると、駄文が終わらなくなります。ここで書いておこうと思ったのは、帝国大学の「威力」と、すでに明治の半ば以降から「学歴社会化」が進んでいたという点です。当時は、卒業した「大学の種別」で月給が異なっていました。私立大学などない時代、それらは「専門学校」と称されて、ようやく息をしていた時代です。以来、百五十年、大学界の構図というか、縮図は変わらないんじゃないですか。大学生で「芸者」を囲うという破天荒は見られない(小説の中だけだったか)でしょうが、受験に苦しみ、授業に最も苦しみ、卒業に苦しみ、就職にも苦しむ、まるで「苦しむために大学に行く」という、物好きでもあり、素っ頓狂の時代状況は今も続いているでしょう。「大学は出たけれど」(昭和四年、小津安二郎監督)という映画がありましたが、どんな時だって、どのようなお方だって、じつは「大学は出たけれど」という不安や疑問がついて回っているんですね。ぼくは自分でもそういう経験をしてきました。

 これはどこかで書いたことですが、ある女性作家から「私は大学に行かへんかったから、仰山ものごとを考えられるようになったんですよ」といわれたことがありました。図星だった。ぼくは返答に窮したと思われるかもしれませんが、「大学に行ったけれど、たくさん考えられる人間になったと思います」と切り返しました。今は、政治家も官僚も企業人も、十中九九「大学卒」でしょう、その挙句がこの島の「この為体(テイタラク)」です。元大学教師まがいの「落ちこぼれ人間」としては、やりきれない感情に苛(さいな)まれるのです。(「それでも、大学に行きたいですか?」と、この年齢になっても自問自答している始末)

◉ 雁(がん)=森鴎外の長編小説。 1911~13年発表。貧窮の家に無自覚に成長したお玉は,高利貸末造の囲い者になる。湯島無縁坂に面した小さな妾宅に住み,散歩の道すがら顔を合せる医科大学生岡田に,ほのかな恋心を覚えたが,その思いを打明けるおりもないままに,岡田はドイツ留学に旅立っていく。お玉の無垢で可憐な願いを踏みにじる偶然を通して人生の深淵をのぞかせている。岡田の友人である「僕」の回想という形式をとり,そこに一種の淡い哀愁を漂わせている点にも,この作品を味わい深いものにした技法が感じられる。(ブリタニカ高裁大百科事典)

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 不安な受験 どうか試験に受かりますように―。受験生が願いを込めた絵馬が近所の神社に何枚も掛かっている。志望校名まで丁寧に記した一枚から力のこもった太い字のものまで。コロナ感染を警戒しながら神頼みも大事と、大勢がお参りしたようだ▲受験生もタイプはいろいろ。準備万端整えても自信を持てない人、あとは運任せと開き直る人もいる。まず第一関門は共通テスト。ところが初日のきのう事件が起きた。緊張でこわばった心が一層動揺したことだろう▲試験会場の東京大近くで高校2年の少年が受験生ら3人を切りつけた。「勉強がうまくいかず事件を起こして死のうと」。そう供述したという。何とゆがんだ考えか。1年先の受験を思い悩んだのか。それでも人を傷つけるなど言語道断だ▲迷走した大学入試改革。「落ち着いて挑める入試とは―」。この問題に文部科学省は答えよ。受験生は不安を感じている。コロナ対策という課題まで加わった。大変な状況だが、どうか持てる力を発揮してもらいたい▲コロナの影響で共通テストを受けられなかった人は、個別試験だけで判定を―。今回、文科省は直前になって全国の大学に求めた。この対応は正解だろうか。(中国新聞・2022/01/16)

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 ぼくは「教育は私事」であるという志向(思考)を変えてきませんでした。だから「帝国」や「国立」というのは性に合わなかった。これはぼく個人の志向性・嗜好性ですから、他人のことをとやかく言うのではありません。もちろん「国立」も「公立」もあっていいというより、なければ困るとさえ考えている。むしろ学校設立の形態にかかわらず、授業料などの「教育費」は公費で賄うべきだと一貫して考え、主張してきました。第一号の大学が作られたのは明治十(1877)年で、以来百五十年経過したことになります。「経済的状況」の好悪・優劣が「学歴」、ひいては「生活の格差」を生むというのは看過できない宿題・宿痾であり、そこにおいてこそ、政治は本領を発揮すべき場面だろうと言いたのですが、「百年河清を俟つ」というように、まず今の政治家の風体や国情からはあり得ない事柄に属します。この重要な課題をわきにおいて、姑息な政治改革や上辺の教育改革を論議する(ふりをする)こと自体が、このままでいくぞという覚悟を示しているんじゃないですか。「格差結構、不平等、なんぼのもんじゃ」という、狂気の雄叫びが寒空に舞い散り、飛び交っていませんか。

 共通テスト、第二日目。入試は「宝くじ」ではないし、「馬券」でもない。まして「お賽銭の多寡」によって、合否が決まるものでもありません。実力相応に、結果はついて回ると言いたいのです、けれども、解答する側にも「ミス」「ケアレスミス」は付き物。終了後に気が付いたら、「ロスタイム」を設けてくれれば、訂正ができるじゃないですか。その点で入試は、サッカーやラグビーのような「(温情ある)おまけ」がないとは、腑に落ちないし、即刻改善を、今日のこの「テスト」から始めてもらいたいね。採点する側も人間、「ミス」は付き物、なくせないものです。一度の点検で見つからなければ、二度・三度と、再、再々点検をすればいい。きっと合格者は増えるはずです。(小さな声で、経験者は語る)だから、合格不合格とは、まともな実力の結果だなんて考える必要もないのであり、やはり「運・不運」なんだということにもなるから、結局は「宝くじ」か「馬券」並みということだって、ないとは限らないと言えるかも。

 落とす(通さない)ための試験ではなく、入れる(通す)(入学してもらう)ための試験に変えてもらいたいね、今年からさ。競争率が二倍以下なら「全員合格」に。それが「教育」でしょうね。一人でも多くの受験生が(受験校に)合格するといいよね、我も他人も、さ。でも、人によっては「不合格でよかった」ということだってある。「禍福は糾(あざな)える縄の如し」ということ。「災い転じて福となす」ということだって。つまり、人生は「七転び八起き」だということかもしれません。

 「とおりゃんせ とおりゃんせ」「いきはよいよい かえりはこわい」「こわいながらも とおりゃんせ とおりゃんせ」というのは、本当は「大学入試(合格)の歌」じゃなかったんですか。(元不良教師が悔恨の情に絆(ほだ)され、傷心の想いが付着した、痛々しい記憶を胸に、そぞろに書いた駄文でした)

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。