誠の道にかないなば 祈らずとても神や守らん

 

 受験生が絵馬で合格祈願 本格的な受験シーズンが訪れ、「学問の神様」として知られる湯島天神には、多くの受験生らが合格祈願に訪れている。/ 15日からの大学入学共通テストを前に神奈川県藤沢市から訪れた男子高校生(18)は「(新型コロナウイルスの感染拡大で)塾での自習を控えたり外出は極力控えてきたが、ここだけは来たかった。オンライン授業が増え緊張感を保つのが大変だったが第一志望に合格したい」とマスク姿で話した。(東京新聞・2022年1月13日 19時00分)(ヘッダーの写真は湯島天神。毎日新聞・2021/01/14)

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 大学入試にどれだけつきあってきたことか。自分自身の受験以来、半世紀以上にわたって入試の仕事をしてきました。採点や試験監督はもちろん、小さな学校でしたが、入試問題も作成した。その時々で、入試風景は変わったようにも見えましたが、中身は「不易」でしたね。端的にいえば、入りたい人を「落とす」ための試験ではなかったか。合格だけが求められる試験、なんだか残酷なという気がしますね。ぼくは一貫して、志願者は全員入学を許可したらいいと考えてきました。それからの四年以上の「大学就学期間」をどのようにするか、それだけが課題ではなかったかと、今でもそう思っているのです。そのためには、大学教育は、教師には過酷で厳しい仕事になるはずでした。

 今年の大学入学共通テストの受験者は五十三万人だとか。これを各地の大学にうまく配分すれば、学生確保も可能となるし、大学経営にも極端な波風は立たないはず。要は、将来の社会の担い手を育てる(というのが建前)のですから、公的な支援体制を確立すべきだったのに、それが、以前には「国公私立」間の壁が立ちはだかっていたし、今も大学の実態は、いわれるほどには変わっていないのではないでしょうか。要は「人囲い」です、一人でもいい人材をといいますが、「いい人材」を育てるのが、自らの役割なんですよ。ここで「大学・教育論」をするつもりはありません。受験生、それぞれが十分に実力を発揮して、「無事、希望の大学に合格を!」そうなってほしいですね。ぼくだって、時には殊勝になることもあるのです。

 必死で、わき目もふらずに「受験勉強」に邁進してきた結果、入った場所が、びっくりするくらいに「不勉強」なところだったとは、よくあるケースです。それも含めて、「受験」であり「大学入学」なんでしょうね。ぼくはいつでも考えたものでした。多くの人は「結婚」を云々するけれど、実際は「結婚式」に目がくらんでいるんじゃないの、と。それと同様に、受験に頑張る人が「入学後」にまったく頑張らないのは、この島の大学の「性格」を証明しています。目標が固定していて、それが越えられたら(達成されたら)、おしまい。実につまらないですね。目標に目がくらんでいると、その先が失意状態に暗転することだってないわけではないでしょう。

 余計なことは言わないで、とにかく、入って初めて「詰まんねー」ということが納得できるだけでも、「大学入学」の意味はあったとしましょうよ。まじめな教師にはなれなかった「教師の真似事」人間は、自らの学生時代の経験や、教師のような仕事に就いて以来の体験を思い出しながら、なにか大事なものが欠けていたなあ、と「大学」「大学教育」そのものをしみじみと再認識しているのです。それは埋め合わせできない、宿命のような欠陥だったと、今でも考えている。

 ぼくは、大学生になってから、文京区本郷に十年ほど住んでいました。湯島は散歩道で、しばしば「境内」を通りぬけていましたし、職業人になってからは「天神下」の飲み屋に通っていたので、土地勘はあった。また神社近くの出版社の社長とも仲良くなって、いつでも切通し下の飲み屋で、気勢を(社長が)挙げていました。ぼくは本来の目的(祈願?)で、天神さんに入ったことはない。これは、京都にいたころからそうでした。堀川のそばの中立売にしばらく住んでいたことがありましたから、北野天神へもよく通いました。しかしそれは、決して「お祈り」のためではなかった。後年になってから、「学問の神様」と崇められている菅原道真が、どんな怨念を残して死んでいったか、それを思えば「お祈りしている場合じゃないだろうに」と、気をもみながら、よく菅公さんを偲んだものです。

 その菅公さんはこんな歌を詠んでいます。ここにも「怨念」があるような。彼の実作かどうか、疑う人もないのではありませんが、いかにも道真さんらしいともいえます。(心持さえ正しくあれば、取り立てて神にお祈りを上げなくても、神は守ってくださるよ)という、その「天神さん」に出かけて、お祈りするということは「こころだに誠の道にかないなば」ではないからですか、というのは不吉・不謹慎ですね。「それを言っちゃあ おしめえよ」というのは寅さん。

  こころ だに 誠の道にかないなば祈らずとても神や守らん

 もう一首、あまりにも有名になりすぎて、ここに出すのを憚られますね。死後に学問の神様として「祀られ」たのは事実ですが(それ自体は、彼には無関係です)、彼は学者として、それ以上に政治家として活動をし、出世したので、それを妬む陣営(政敵)からの指弾を受け、彼を庇い立てする宇多天皇も譲位したから、ついには「左遷の憂き目」にあったのです。その彼が、大宰府に着いた際に、見事な梅の花を観た(愛でた)。それを詠じたものとされます。「春の東風(こち)が吹く時期には、きっと匂いを撒いておくれ、主人がいないといって春を忘れることがないように」と、梅に託した悲しみと悔しさの交錯した、菅公さんの情念が詠われたものでした。(それでも、天神さんに行きますか)

  東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな

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 京都の北野天神さん(⇧)へ行ったのは、まだ小学校の三、四年生頃でしたから、オムツがようやく取れたころでした。天神さんは北野白梅町というところにありました。嵐電の終点でした。大学生になって湯島界隈を出歩いた時期はもう一人前のおっさん。だから、ぼくは湯島を通るといつも思い出していたのです。「婦系図(おんなけいず)(おんないけずではない)」は泉鏡花作。ぼくは小説より新派の芝居より、とにかく小畑実という歌手が歌った「婦系図の歌(後に「湯島の白梅」と改題)」が大好きでした。佐伯孝夫(作詞)・清水保雄(作曲)のお二人の作品もぼくは、殆んど聴いているはずです。ここにも、小畑さんのものを出したかったのですが、いいものがなく、その代わりというにはうますぎる、美空ひばりさんの歌で。迫力がありますよ。(聞かないほうがいいかな、あまりにも濃艶すぎて、ね)(https://www.youtube.com/watch?v=EcGR1HFaBgo

 「婦系図」が刊行されたのは明治四十年だったか。泉鏡花の師匠は尾崎紅葉。弟子の鏡花が想い人を得るが、それを紅葉は疎んじて反対した、それが小説の骨子となっています。鏡花はその女性と結婚した。ひょっとすると、こちらのほうが「金色夜叉」よりも優れているのかも、というのは言い過ぎか。主税(ちから)はもと掏摸(すり)、蔦吉は柳橋の芸者だった。いかにも荒唐無稽ですが、事実は小説よりも奇なりという、見本のような小説だったかもしれません。明治憲法下の治世、身分制や家制度を根本から否定する二人(主税とお蔦)の悲恋の物語。よくも書きましたな、鏡花さん、といいたくなります。「婦系図の歌」が出されたのは昭和十七年、戦時体制のただなかでした。惚れた腫れたには、戦争もかなわないという「世情背反」色恋沙汰の本調子でした。どうしてぼくはこの歌が好きになったのか、そんな、見境のない、退廃的な体質が胎内にあるんでしょうね。湯島境内には、いろんな運命に弄ばれた人々が、その足跡を残しています。(ぼくも、その一人だよ)そこで、「お祈り」して通じるんですかね。それにしても、この絵馬の山。誰が誰やら、天神さんはお分かりになるのかな。 

 「ここはどこの細道じゃ」「天神様の細道じゃ」「行きはよいよい、帰りは怖い」「怖いながらも、通りゃんせ 通りゃんせ」北野にも、湯島にも、大宰府にも、やはり道真さんの「怨念」が漂っているんでしょうか、今でも。

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 【日報抄】受験シーズンが本格化する。15日からの大学入学共通テストには全国で53万人が挑む。今年もウイルス禍の真っただ中。神様は受験生をどこまでいじめるのか。そう同情したくなるほどの試練が続く▼知識偏重から思考、表現力重視へ。そんなうたい文句で衣替えした入試改革は2年目で緒に就いたばかりだ。新変異株は受験期を狙い撃ちするように急拡大し、県内ではきのう、過去最多の新規感染が確認された▼当初、政府は感染者や濃厚接触者は受験を認めないとしたが、間際になって方針転換。本試験ができない受験生も追試や個別試験で合否を判断できるとした。柔軟さは大切だが、公平性が問われる。朝令暮改は混乱のもとだ▼休校の中、孤独に耐えて机に向かった受験生もいるだろう。受験の当日は例年、風邪や大雪の心配がつきまとうけれど、今年は何重苦か。勉強の追い込みどころでない若者の姿が目に浮かぶ▼悩んだり、考え込んだりする自分を受け止め、客観視してみる-。心理学者の諸富祥彦さんは、窮地の受験生にエッセーや著書でこんなアドバイスを送る。自分の中に落ち込む気持ちを見つけたら、少し間を取り、そんな自分を外側から眺める。すると、徐々に悲観的な考えから距離を置きやすくなるという▼「頑張れ」。大一番でこの決まり文句が多発される国である。「気楽に」「楽しんで」。欧米はこんな激励が多いという。「君は十分頑張っているよ」。今年は、こんな緩めの声掛けがあってもよさそうだ。(新潟日報・2022/01/14)

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 ただいま真剣に、あるいは鬼気迫る思いで「問題」と格闘している受験生に、相済まないようなことを書いています。でも、「神頼み」というのは、表面のことであって、実際は、それぞれの実力であり、まことの道にかなっているか、それが結果になって表れるのだろうと、ぼくは信じているのです。ぼくのおふくろは、五年前に百歳で亡くなりました。母親への、いろんな想いがぼくにもあります。その中でも、死んでも忘れられないというくらいに驚いたし、ありがたかったのは、ぼくが受験しているときのことでした。おふくろは京都、ぼくは東京にいたのですが、彼女は自宅近くの「車折(くるまざき)神社」に「合格」祈願に行っていたという。詳しいことは話さなかったし、聞かなかったが、おふくろは「お百度参り」をしていたと言った。それも何十年もたってから知らされたのです。ぼくは四十になっていたかも。

 これを聞いた時の、ぼくの衝撃は深かった。驚愕したと言ってもいい。その深い想いはその後、何かのたびに、ぼくにはよみがえってくるのでした。どのようなお参り方をしたか、ぼくは聞かなかったが、無能な息子、出来のよろしくない次男坊への、千尋の谷ほどもある深いおふくろの愛情・心配(だったと思う)に、いかなることがあっても、「おふくろだけは裏切らない・裏切れない」と、不真面目人間であったぼくは誓ったのでした。ぼくが感激したのは、合格とか何とかではなく、おふくろの「願いの強さ」がぼくを打ったと、直感したからでした。「親子系図」だね、まるで。

 もし、おふくろの「お参り」を入学直後に聞いていたら、まったく違った反応がぼくに起きただろうと、今でも考えています。母親にそこまでしてもらうほどの値打ちなんか、大学(受験)にはありません。そんな御大層なものでは断じてないと明言しておきます。それは、はっきりしている。でも、それ(受験)をきっかけにして、おふくろの真剣な姿(心根)が、確かにぼくに伝わった、それだけがぼくには貴重なことでした。おふくろは「神」(車折神社は「芸能の神」だとかいう)に祈ったのではなく、自らの願いを、ぼくに届けてくれたのだろうと、今では、ぼくには考えられます。絵馬を書いて祈るのは上辺(うわべ)の話で、実際は、絵馬に書いて祈りたくなるほど、「自分はこうしたい」という自己への期待の、強い表明であると、ぼくは思い続けているのです。お賽銭を払って、天神さんに祈った、後は「果報は寝て待て」というのではないでしょ。

 ただいま、受験の真っただ中の方々の健闘を、見ず知らずのおじいさんも念じています。今はお昼ご飯を食べようとしているところでしょうか。午後の部も、ご健闘されますように念じています。

 先は長いですよ、だから、ゆっくりと、アンダンテで。いつだって出直しがきくのも、また人生ですよ。どんなときだって、心に太陽でも何でもいいが、深呼吸を忘れないで。決して「頑張らない」ことですよ。頑張ると、ろくなことがない。頑張ろうとすると、きっと「こぶしを握っている」でしょう、人との競争じゃない生き方をしたい。こぶしを開いて、深呼吸ですよ。(ただ今、十二時十五分)

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◉ 百度参り(ひゃくどまいり)=神仏祈願するための呪法(じゅほう)の一種。ある特定社寺百度参詣(さんけい)して祈願すること。祈願の形式はその心情が痛切なほど複雑化する。一度の参拝では満足できずに、百度、千度と参詣するようになる。こうした形式を簡便にしたのがお百度石である。これは社寺の境内の、拝殿から一定の距離にある石で、一度拝んでからこの石の所に戻ってふたたび拝みに行く。この行為を百回繰り返すのである。これを俗にお百度を踏むという。回数を間違えないように数取りがある。素朴なものでは、小石や小枝を百ほど用意して拝む度に一つずつ置いてくる。また神前に竹べらが用意されていたり、お百度石の壁面にそろばんの形のものが備えてあったりする。願いを神仏に聞き届けてもらうために何日間もお参りするという行為が、神前とお百度石の往復に集約されたわけである。しかし、人々の切実な願いが背景にあるために、人の目に触れては願いが成就しないなどという伝えが広まっていった。(ニッポニカ)

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。どこまでも、躓き通しのままに生きている。(2023/05/24)