世に言古りたるまで知らぬ人は、心憎し

雪をかぶった坂本龍馬と中岡慎太郎像(14日午前5時半ごろ、京都市東山区・円山公園)

  幕末の志士も雪化粧、京都の夜明け待つ 京都市内に積雪 14日午前6時に積雪6センチを観測した京都市ではさまざまな場所に雪が降り積もった。/ 14日午前5時半ごろの東山区の円山公園では、池に架かる石橋に雪が載り一部は凍っていた。/また、公園東部にある幕末の志士、坂本龍馬と中岡慎太郎の像も雪化粧した。像の頭や肩にも白く雪が載り、志士は寒さに耐えながら京都の夜明けを待っていた。(左写真:雪をかぶった坂本龍馬と中岡慎太郎像)(14日午前5時半ごろ、京都市東山区・円山公園)(京都新聞・2022/01/14)

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 「志士は寒さに耐えながら京都の夜明けを待っていた」と書いた記者は、美文なのか迷文なのか、どんなつもりだったのか、よくぞ書いたものですね。これを「いい記事だよ」と言いう人がいるかもしれないから、ぼくは何も言わない。でも、新聞がつまらなくなったと思い、嫌いになった理由の一つにはなるでしょう、このような記事が増えたんですから。この「銅像」の二人は慶応三(1867)年十一月に遭難死した。幕府側の刺客に狙われていたのだった。竜馬は三十二歳、慎太郎は三十歳の一期でした。明治になる直前でした。明治維新は、二十代から三十代の青年たちが主導した政治運動でした。先日過ぎたばかりの「成人の日」にも、ぼくはこの明治維新期の、青年(志士)たちの年齢ということを考えていました。

 降る雪や明治は遠くなりにけり(草田男) ー 本当にそうだろうか、明治からは遠くなって、江戸時代や室町・鎌倉時代に近づいていくのでしょうか。現実に、ありそうな気がしてきました。

 京都は、ぼくの記憶では、雪の多い地域でした。それに寒いことといったら、これを言っても誰も本気にしませんが、「犬が家の中で凍死」したことが、我が家で実際にあったほど、それくらいに寒かった。まあ、家の造りが粗末だったということにもなります。また夏の暑さたるや、と始めるときりがありません。京都の猛暑や、冬や雪に付き合っていると先に進めませんので、これくらいに。(ヘッダーの写真は、京都新聞・2021/12/18)

 「毒を食らわば皿まで」という俗諺があります。ここで使うのは不穏当かつ不適当でしょうが、まあ、そんなところです、本日もまた、兼好さんの登場です。兼好法師は「毒」であると言えば、そうかもしれないと思われてきます。その毒が毒のある発言を繰り返している、昨日の続きの「段々」を紹介しようという魂胆です。この作戦も、あまり洗練されているとは言えませんが、「毒」に免じてお許しを願います。

 本日は短いものですから、三連段です。

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 世の覚え、華やかなる辺りに、嘆きも喜びも有りて、人多く行き訪(とぶら)中に、聖法師(ひじりほうし)の交(ま)じりて、言ひ入れ、佇(たたず)みたるこそ、然(さ)らずとも、と見ゆれ。然るべき故、有りとも、法師は、人に疎(うと)くて有りなん。(第七十六段)(参考文献既出)

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 今風にいえば、「権門勢家(けんもんせいけ)」でしょうか、そこには大勢の人の出入りが繁く、人の絶える暇もない、そんなところに「聖法師(僧侶・修行者)」が訪ねてきて、門前に佇んでいる。よせばいいのに、と思いますね。何か事情があるのだろうが、「法師は、人に疎くて有りなん」、のこのこ出てくることはないじゃないですか、というのが兼好さんです。その昔、といっても、奈良・平安とおぼしき時代でも「法師」とは「仏語。出家して仏道を修行し、仏法に精通して、衆生を正しく導く師となる者」(精選版日本国語大辞典)とされていました。出家といい世捨て人ともいったほどに、世間とは縁切りをする・したものをさしていたのです。当人にどんな事情があるか知らないが、世間に出て来なさんな、「坊さんは人に疎くあったらどうだ」というのは、今の時代にも妥当するのでしょうか。堂々と、世の中で僧侶を職として「身過ぎ世過ぎ」に精を出しているのが、現代なのでしょう。

 権門勢家というのは、ぼくの目には見当たらないから、かなり意味合いは違いますが、差し当たっては「テレビ局」などを想定しています。いわゆるコメンテーターと称して「生半可なセリフ」を言っている中に、坊さんがいないとも限らない。今では弁護士やタレントが全盛(かどうか、ぼくにはわからない)時代のように、好き勝手(つまるところは、テレビ局の台本通りに)に「高説・卓見」を開陳させられている。ぼくがテレビを観なくなった大きな理由です。個人の意見を封じて、さもそれらしいことを言わせているインチキ(企業)の片棒担ぎ、いい加減にしたらどうだと兼好さんなら言ったでしょうが、ぼくはそうは言わないで、テレビの前に座らなくなるんですね。

 人の性(さが)は変わらない。「雀百まで踊り忘れぬ(忘れず)」、こんな文句がしばしばささやかれたものでした。今でも変わらないでしょうね。ここで兼好が言っているのは「聖法師」、つまりは僧侶のことです。僧侶というのは誰でもなれるかというと、なれるともなれないとも、どちらとも、いえそうです。それほどに厳密ではなくなったのには社会的背景があるでしょう。ここで出家についてだけ見ておきます。家出と出家というと、なんとも紛らわしいが、今日ではほぼ同じじゃないかといいたいくらいに、「出家」が軽くみなされています。プチ家出ならぬ、プチ出家です。会社を定年(停年・諦念)で辞めて、僧侶になる人がかなりいるそうです。定年転出組が「お経をあげる」ですね、どんな調子でしょうか。

 生家を出て仏道に「修行専一の身分」を得る人を僧といった。僧となると、「僧名」を名乗ります。あるいは「坊号」「房号」とも言います。ぼくたちが使っているのは「俗名」というらしい。失礼しちゃうね、己たちは「僧名(そうみょう)」を名乗って、いかにも清く悟りを得た人間でございますなどというつもりかもしれませんが、とにかく「守銭奴」であり「名誉欲張り」であり、少しも「世間を捨てた」とは見られない面々が僧門には腐るほどいるのではないですか。坊さんの全部というのではありませんけれど、結構いるんじゃないですか。兼好さんが言うのは、このことでしょ。世間を捨てたなら、まじめに修行すればいいじゃないか、人が集まるところ(人混み)に顔など出すのはみっともよくない、いや、はっきり言って、醜い、ぼくもそう思いますよ。僧を名乗り、坊主を明かしていながら、世間師(「世慣れて悪賢いこと。世情に通じて巧みに世渡りをすること。また、その人」・精選版日本語大辞典)のようなのが多すぎるから、世も末と、いかにも乱暴に聞こえそうですが、ぼくも言いたいですね。

HHH

◉ 出家(しゅっけ)=家庭生活を離れて仏門に入り、専一に修行の道に励むこと、またその人をいう。パーリ語のパッバッジャpabbajjaまたパッバジタpabbajita、サンスクリット語のプラブラジュヤpravrajyaまたプラブラジタpravrajitaの訳で、自分の生まれた家、あるいは所属する家を出ること、またその人の意。出家人、道人(どうにん)、沙門(しゃもん)、比丘(びく)ともいい、一般に僧侶(そうりょ)ともよばれる。在家(ざいけ)また在家人、居士(こじ)、世人(せじん)にする語。両者をあわせて道俗、僧俗とよぶときの「道」あるいは「」をさす。(中略)出家すると、世俗時の苗字(みょうじ)や名前を捨てて、新たに出家者の名前(僧名)がつけられる。また、自らの所属する家庭あるいは一族の構成員としての冠婚葬祭などの義務や、財産相続・分与などの権利を放棄することになる。なお、在家から仏門に入ることを中国・日本では得度(とくど)という。(ニッポニカ)

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 (前段で手間取りましたので、この先は軽く流していきます)(できるかなあ?)

 世の中に、その頃、人のもて扱ひ種(ぐさ)に言ひ合へる事、弄(いろ)ふべきには有らぬ人の、良く案内(あない)知りて、人にも語り聞かせ、問ひ聞きたるこそ、受けられね。殊(こと)に、片辺(かたほとり)なる聖法師などぞ、世の人の上は、我が如く尋ね聞き、「いかで、かばかりは知りけん」と覚ゆるまでぞ、言ひ散らすめる。(第七十七段)

 どうして兼好さんは(僧侶)に対して手厳しいのでしょうか。彼は生まれは神職の家でしたから、まんざら宗教とは無縁ではなかった。そこでいろいろと出世の工夫を凝らしたが、うまくいかなかった。今風にいうと「就活に失敗」した。落胆は大きかった。端的に言って、家柄の問題であったのかもしれない。あるいは官職(神官)につくのに、彼には忍び難いような、いやなことがあり、コネやわいろがまかり通っていたのでしょう。お宮さんでも、世間以上に「醜い出世競争」があることを、彼はみてしまった。そしてある時期を境に出家の身となるが、神社以上にお寺(僧門)さんは汚いし、争いが絶えないということを実際に経験したのです。どこに行っても、「世間」がついて回るんですね。寺も神社も「世間」そのものだった。嫉妬も、虐めも、嘘も、悪行も、なんだってあったのです。

 「世の人の上は、我が如く尋ね聞き、『いかで、かばかりは知りけん』と覚ゆるまでぞ、言ひ散らすめる」誰と誰がくっついたとか、だれだれが離れたとか、あるいは、あの御仁には、新しい女性(男性)がいるようだなどと、どうでもいいことを聞き歩いては、それをしゃべり散らしている。まるで「(一部の)週刊誌の記者」のような坊さんまでいたんですね。じつに、唾棄すべき輩(儕・儔)(ともがら)というべきだと。

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 今様の事どもの珍しきを、言ひ広め、もてなすこそ、また受けられぬ。世に言古(ふ)りたるまで知らぬ人は、心憎し。今更の人などの有る時、ここもとに言ひ付けたる言種(ことぐさ)・物の名など、心得たる同士(どち)、片端(かたはし)言ひ交し、目、見合はせ、笑ひなどして、心知らぬ人に、心得ず思はする事、世慣れず、良からぬ人の、必ず有る事なり。(第七十八段)

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 ただ今流行中(旬)の話題に精通している人、気が知れないし、話にならぬ。その反対に、「あなたは、そんなことも知らないのか」と批判されるような人こそ「(心憎し)とてもいいじゃないですか」というのが兼好流でした。「時代遅れの人」のすゝめですな。誰かと話している際に、別の人が来ると、すぐに言葉を端折り、目配せして、笑いながら、「話を知らない人を、じらして、どんな話なんだろうと、身をソワソワさせるなど」は、「世になじまない、よろしくない者たちの振る舞いだ」ともいう。「三人寄れば、文殊の知恵」といいますが、近年の「文殊」は、金食い虫の上に、役に立たない、どうしようもない余計者になっています。人間の社会にも、かかる「文殊」の種は尽きないんですね。

 兼好さんの時代と今日とで、人間界において、決定的に違うことがあるのかなあと、ぼくは愚考しています。三十年以上も前に、ウオークマンを耳にして、うっとりと聞いているお猿さんがいました。今日はスマホをいじるモンキーが世界中に表れています。兼好さんが生きていた鎌倉末と、今の時代との「差」「質の違い」は、車かスマホがあるかないか、という程度か。あるいはマックやコンビニの「有無」だけかもしれませんね。いつの時代にも、「良からぬ人」が悪さをするんでしょう。その、「良からぬ人」は個人個人とは限らない。(徒党を組んだ)「良からぬ人たち」も横行していたし、いるのです。この世相は、いつの時代にも認められるでしょう。だから、兼好さんを読んで、ぼくはわが意を得たりと膝を打つのでしょう。

 (文章がまずい -いうまでもないー うえに、何か気が急いているような走り書きになっています。いつだって、下書きなしのブッツケ本番ですが、本日は特にそうなっているようです。実は気がかりがあって、昨日の昼頃に出たままで、今の今まで帰って来ないの(猫)が一人いるのです。(ただいまは、一月十四日の午後九時です)いつぞやは、十日間も帰らなかった猛者だか不良猫(女性)だかがいました。寒いのにと、気をもんでいます)

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