「なりたい自分になるぞ!」成人式・ばんざい!

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 本年は一月十日が「成人の日」でした。各地では、趣向を凝らしたり凝らさなかったりの「儀式」が執り行われたようです。「成人の日とは何ですか?」と訊かれて、ある新成人は「着物を着て、マスクをして、首長のつまらない話を聞いて、会食もなく、そのまま家に帰る日でした。ああっ、疲れた」といった。そんな悲喜こもごもの「虚式」が劣島の年中行事になって久しい。その経緯にはついては省略します。いくつかの新聞から、昨日の参加者の写真を拝借しておきました。いろいろな感想が沸いてもいいのでしょう。しかし、ぼくには何の感想も意見もありません。ただ一点、ここにぼくが見た限りでは、すべてが行政の「お膳立て」です。これには肝をつぶしはしませんが、そうなんですな、というばかりです。

 もう一点、この島の将来は危ういとは言いませんが、どこもかしこも「女性」ばかりで、これはどうしたことか。(男女だけという区別が時代に沿わないことはわかっているのです、ここでは、それには触れないでおきます)いつからこの島社会は「アマゾネス」になったのかしら、と大きな疑問が湧きました。おそらく百枚以上の当日の集合写真を一瞥しましたが、男がいないか、ごくわずかしかいないのがほとんど。理由は、①実際に、この島には、成人になる男がいない、②女が怖いから、どこかに隠れていた、③写真を撮ったのが「カメラマン」だから、目線が女性にばかり走っていた、④会社の上司が「いい写真を取れ」という、その意をくんで(忖度して)撮った、「その写真がこれだ」、アマゾネスでも何でもなく、男社会の「末期の目」だったということでしょうね。

(余話ながら 通販最大のアマゾンは、この「アマゾネス」とは無関係のようです。創業者が検索で(A)から始まる社名でと探した結果、アマゾン川のように、広く大きな会社になるようにと、命名したそうです)

 いずれにしても、ぼくにはいうことなし、胸もおなかもいっぱいで(たくさんの写真を見たので)、「贈る言葉」もないのが正直なところ。ぼくが二十歳の時は、何もなかったというか、行政主催の儀式はあったんでしょうが、どんなものでも「式」が大嫌いでしたから、行かなかったと思う。入学式も卒業式も、ついには好きになれなかった。これについては、どこかで触れています。自分の結婚「式」もしないつもりだったが、連れ合いの母親が「そんなふしだらは許しません」と、(じっさいに、ふしだらだった)慌てて「式らしいもの」をでっち上げたのでした。成人式をめぐる問題があると言えばあるし、ないと言えば取り立てて言うこともないとしておきます。

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◉ アマゾン=ギリシア伝説で,黒海沿岸あたりに住むとされた女戦士の種族(複数形アマゾネスAmazones)。外国の男と一定の時期に交わり子を産むが,男児は去勢するか殺害し,女児のみを育てる。を引きやすいように右乳房を切り落としたことからアマゾン(乳なし)と呼ばれるという。騎馬で弓,斧,槍や特製の楯を使い,イオニア各地に都市を建てた。トロイ戦争では女王ペンテシレイアが兵を率いてトロイア方に助勢したが,アキレウスに敗れた。(マイペディア)

◉ 成人の日(せいじんのひ)=国民の祝日の1つ。1月 15日であったが,2000年から1月の第2月曜日に変更された。おとなになったことを自覚し,みずから生抜こうとする青年を祝い励ます趣旨で,1948年に設けられた。成年の式と祝いは古くからあり,貴族,武人の間では男子は 11~16歳で元服の式を行い,安土桃山時代から庶民の間では前髪を剃るようになった。女子は江戸時代になってから 12~16歳で袖留を行なった。現在では男女ともに満 20歳を成年とする。この日には自治体などが主催して式典が行われている。(ブリタニカ国際大百科事典)

◉ 成年式(せいねんしき)=通過儀礼の一つで,子供から一人前の社会人になったことを公認する儀礼。この儀礼手続は,ある期間親から隔離され,一度死んで再び生まれ変わるという宗教観念に結びついている。また祖先や年長者への尊敬服従,固有の神話伝説などを教えられたり,肉体的,精神的な試練を受ける。割礼抜歯身体変工が施されたりもする。この儀礼を経た者が一人前の社会成員と認められ,耐えられなかった者は社会的脱落者となり結婚も認められない。オーストラリア先住民は成年式が盛んで,激しい試練と隔離が顕著,メラネシアでは男子秘密結社への入会儀礼での秘儀的様相が目立つ。日本の兵児 (へこ) 祝い,烏帽子祝いや元服も成年式の儀礼であるが,第2次世界大戦後の 1948年に1月 15日が国民の祝日として「成人の日」と制定され,成人 (満 20歳) を祝福する行事が行なわれるようになった。国民の祝日に関する法律の改正により,2000年から1月の第2月曜日に変更された。(同上)

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 【水や空】成人の日成人式の一群降りて車輌冷ゆ〉関章子。晴れ着姿の一団と乗り合わせたのはバスだろうか、電車だろうか。きらきらと華やいで、そこだけ温度が上がって感じられたのだろう。ただ、コロナ禍の今、車内での弾んだ会話はNG…冒頭の一句は2002年の作▲きょうは成人の日。今年の新成人の多くが生まれたのは21世紀最初の年だ。政治では「小泉旋風」が吹き荒れた。9月には米中枢同時テロが起き、年末の「今年の漢字」は「戦」。映画「千と千尋の神隠し」のヒットや、メジャーリーグの新人王とMVPに輝いたイチロー選手の活躍もこの年▲それから20年。新成人たちの日常が新型ウイルスで一変したのは高校の卒業式を迎える頃だ。その先の大学の入学式も職場の入社式もマスク姿▲長く自宅待機を強いられた人も多かろう。親元を巣立つ準備の時期、自分の足で歩き始める時期を未知のウイルスに直撃された世代-と言えるかもしれない▲新たな“敵”との距離感を測りかねて右往左往を繰り返す社会や政治の姿は、若い人たちの目にどう映っているだろうか。彼ら彼女らが社会をど真ん中で支えることになる遠くない未来、この経験が大きく生きるといい▲力強いエールが込められた一句を見つけた。〈成人の日よ/まつさらな君達よ〉海輪久子。(智)(長崎新聞・2022/01/10)

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 成人の日は、別名「バンジージャンプの日」ともいわれているそうです。この「ジャンプ」の発祥は、下の新聞記事にもあるように、バヌアツの「通過儀礼」だったとされ、それを欧米人が工夫を凝らして、今日の、一種のスポーツにしたのが流行する発端でした。(Bungee jumpingまたはBungy jumpingBunjee jumping) これまでにも、いくつかの事故がありました、命綱を付けていても事故は起こるし、付けていなければなおさらですね。昨年末に札幌であった、ホテルからの墜落死事件。あれが「バンジージャンプ」だったらと、いまさらに思います。けじめをつける、けりをつける、区切りをつける。そのときは、いつでも「万事ジャンプ」なのですが、心の内で「飛ぶ、飛び降りる」、それがいいね。「ここがロドスだ、ここで跳べ」と、歌うAKB。

 この島には「清水の舞台から飛び降りる」という言い方が伝わっています。願いが叶うように「飛び降りる」という心理がぼくにはわかりません。願いではなく、むしろ苦しみから逃れるのために「飛び降りる」だったのが(それは今日でもありすぎるほどにあります)、「飛び降りる気で」やり直せ、ということになったのでしょうが、ホンマに飛び降りる人が続出したともいわれる。成人式も「心機一転」という人は多かろうと思いますので、「飛び降りる」つもりが「バンジージャンプ」につながったのでしょうね。時には「綱がない」「綱が切れる」こともあるので、ご注意を!

 なににせよ、いつだって「心機一転」「気分一新」ができます。けじめは「成人の日」に限らないし、バンジーにも限りません。将来的には、「成人(の日)」は十八歳になるかもというそうですが、何歳からだっていいですよ。「成人」になったところで人間が変わるものでもないし。そんなものはなくてもいいと、ぼくは勝手に考えています。投げやりになっているのではなく、将来を案じるというなら、三十や四十の人間だって「成人として危ない」のはたくさんいますから、足元を見よ、だね。大阪で幼児を「冷凍庫に入れて」育てた、四十二歳が逮捕されたというニュースがありました。こんなのが「成人」なんだと思えば、「成人は怖い」という気持ちが先に立ちます。電車に乗って火をつける、クリニックで火をつける、昨日は焼肉屋さんで人質を取って立てこもり、「死ぬ前に焼き肉を食いたかった」という「成人」。アホか。ここは「日乃本・成人劣島」だな。「成人」であろうがなかろうが、「なりたい自分になる」ためのいささかの精進を怠りたくないですね。

◉ きよみず【清水】 の 舞台(ぶたい)から=飛(と)ぶ[=飛(と)びおりる・=落(お)ちる]=(切り立ったがけの上に設けられた京都清水寺観音堂舞台から、思いきって飛びおりるから) 死んだつもりで思いきったことをする。非常に重大な決意を固める。昔、病気をなおすためや吉凶を占うため、または、恋を成就させるために、高い所から飛びおりる風習があったという。※俳諧・類船集(1676)土「清水の舞台(ブタイ)からとぶは、かのの説給ひし、堕落金剛山、念彼観音力、不能損一毛の(こころみ)なるべし」※滑稽本浮世風呂(1809‐13)四「エエ、何のコレ、清水(キヨミヅ)の舞台(ブタイ)から飛(トン)だと思て十二文か」(精選版日本国語大辞典)(左は鈴木春信の「清水舞台より飛ぶ女」浮世絵)(別名、タケコプター)

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「なりたい自分になるぞ!」 新成人が振り袖バンジージャンプ 竜神大吊橋から絶叫ダイブ 茨城・常陸太田

竜神大吊橋から日本一の高さのバンジージャンプをする新成人たち=9日午前、常陸太田市天下野町(桐原正道撮影)
竜神大吊橋から日本一の高さのバンジージャンプをする新成人たち=9日午前、常陸太田市天下野町(桐原正道撮影)

 11日の成人の日を前に、茨城県常陸太田市天下野町(けがのちょう)の竜神大吊橋で9日、同市の新成人10人が日本一高いとされるバンジージャンプに挑戦し、大人への仲間入りを果たした。/ 新成人はスーツや振り袖姿で吊橋の上から約100メートル下の水面に向かって、「おふくろ、ありがとう!」「なりたい自分になるぞ!」などと絶叫しながらジャンプした。/「立派な教師になるぞ」と叫びながら宙を舞った茨城大教育学部の井上麻衣子さん(20)=同市天下野町=は橋の上に引き上げられると、「バンジージャンプ以上に怖いものはないと思うので、自信がついた。強い大人になれたと思う」と話した。/ このイベントは、バンジージャンプの起源になったともいわれているバヌアツ共和国の成人の儀式「ナゴール」にちなんで、毎年行われている。(産經新聞・2016/01/09)

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 「立派な教師になるぞ」と叫びながら宙を舞った - いいですね、ぜひとも教師になってくださいね。立派でなくてもいい、子どもの「鏡」になる、なれるような、そんな教師がいいね。「子を見ると親がわかる」ように、子どもは教師の「ありよう」を映してしているんですね。いつか、ぼくは「あなた」を訪ねるかもしれないので、その節はよろしく。「バンジージャンプ以上に怖いものはないと思うので、自信がついた。強い大人になれたと思う」(今飛んだばかりで、ちょっと気が早いが)、そうです、強い人は優しいんだ。まるでアントニオ猪木さんのように。「手のひらに太陽を!心にはバンジーを!」「バンジー休す」でもあります、ときには「インテルメッツォ(intermezzo・インテルメッツ)」も必要ですよ。

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。