







祓詞 掛けまくも畏き 伊邪那岐大神(かけまくもかしこき いざなぎのおほかみ) 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に(つくしのひむかのたちばなのをどのあはぎはらに) 禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等(みそぎはらへたまひしときに なりませるはらへどのおほかみたち) 諸々の禍事・罪・穢 有らむをば(もろもろのまがごとつみけがれ あらむをば) 祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと(はらへたまひきよめたまへと まをすことをきこしめせと) 恐み恐みも白す(かしこみかしこみもまをす)
以下、写真の説明です。
①特設のさい銭箱にさい銭を投げ入れる初詣客=東京・渋谷区の明治神宮(時事通信)(1975年1月1日)②新年のはじめに参拝に訪れる初詣客ら=神奈川県・鶴岡八幡宮(1968年1月1日)(Keystone / Getty Images)③ 故郷へ向かう帰省客であふれる上野駅前の大テント・1967(昭和42)年12月 ④初詣に訪れた晴れ着姿の女性=東京・渋谷区の明治神宮(1971年1月1日)(時事通信)⑤1971年12月30日、上野駅の公園口の仮設テントに並ぶのは東北や上信越への帰省客。(共同通信)⑥昨年、元日に明治神宮を訪れた人は5万3621人で前年より75・3%減った。(毎日新聞) ⑦日テレNEWS24(2022/01/01)
(右上の写真は明治神宮の「巫女」さんたち。我が家の娘が若い時、どこかのお宮の「巫女」をしていました。JK時代、双子で。ご利益があるんですか、そんなんで)
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①から⑤までは昭和四十年代から五十年代初期までの「大晦日」と「元日」の人の群れ。戦後のある時期から、年末年始は「民族大移動」と言われるように、たくさんの人々が、東京や大阪などの都会地からそれぞれに里帰りをし、直後にまた都会に戻る、まるで大波の寄せては返す回帰運動のようでもありました。昔から「年季奉公」などで都市部に出かけていたのが、「高度経済成長期」時代には「出稼ぎ」と言われる、主として東北部からの都会地周辺に季節労働者の一群が生まれたのでした。その人たちが正月休みを利用して帰郷するために、乗り物は列車しかない時代。新幹線も高速道路も、殆んどがまだ日の目を見ていませんでした。③と⑤がその場面です。ほぼ半世紀前の一コマです。手に土産物を持ち、頬被り姿が見られるのも、ついこの前、ぼくにはそう思われます。(盆と正月は「藪入り」の季節でもありました)

①②は「明治神宮」と鶴岡八幡宮の「初詣」風景というより、競技場の「お祈り合戦」という方が当たっていそう。「参詣」とは神社に詣(もう)でることをさし、何かと神頼みをする人々の群衆化が、これも各地で観られたのでした。風物詩というにも、あまりにもけたたましいですネ。ぼくはいつも不思議に思っていたことがあります。こんなにたくさんの人々が一斉に「お参り」し、賽銭を投げ入れる(入れない人もいるかも)と、いったい誰がどれだけのお賽銭(昔は「御捻(おひね)り」、今も見られる。右写真、舞台の板上に)を出して、どんなことを祈られたのか、果して、それぞれの神社の「祭神(さいじん)」やその他の神々は、はっきりと個別性・個人性を「識別」できているのか、と。そんなことは一切構わないので、お賽銭が総額で「どれだけ入ったか」、それだけが関心事だったのかもしれませんが、そうなると、いったい「祈り」「お参り」した人々の、その「祈り」や「願い」の行方はどうなるか。

ここが肝心なところです。多いところでは、三が日で三百万人もの「善男善女」(お参りし、詣でる人のこと、そうでない人は、たぶん「罰当たり」という)がお参りするという。いかに「神さま」といえども、ここでの「お願い」や「お祈り」を受け止め(られ)ることは不可能であるということを、お参りする側も心得ているとするなら、ぼくは納得します。そのようなことは、土台無理な話であって、祈りや詣ではそんなことを言うのではないと、みなさんご存知だというのなら、なるほどと、ぼくはうなずくのです。
つまり、神社仏閣に出向くのは、まあ、一種の舞台出演であって、内実は「自分の心」に、「自分のお願いやお祈り」を捧げるのです。自分に祈り、自分に期待するということだと、なるほどなあというわけ。神や仏は「わが内にあり(わが内なる「道徳律」)」ということであり、それを少しでも確かなもの、厳かなものにするために「神・仏」という格好の舞台背景を借りるというのでしょう。そうすると、「お賽銭」や「お布施」は舞台装置の借用代ということになります。人それぞれは、分相応に祈るのであって、「神社」や「仏閣」は、その人にとっては、それぞれの歌舞伎座であり、宝塚歌劇場、あるいは横浜アリーナや埼玉スタジアム(あったかな)みたいなものですね。(写真は京都伏見の城南宮です。車をお祓いして、どうすんの。これも「金儲け」だね。ぼくの姉はここで結婚式を。今年で夫婦持続期間「六十年」を過ぎるといいます)

それにしても、ぼくが感心するというか、とてもできないと驚くのは、例えば、鶴ケ岡八幡の階段下から本殿まで歩くだけでも時間はかかるし、面倒だからと、階段のところで「お参り」し、賽銭は遠投するというのも、一種の「土器(かわらけ)投げ」のようでもありますが、ご利益はあるかどうか、大いに怪しいと、勝手な心配をしている。(写真②を見て下さい)
②と③、④と⑤の対比が素晴らしい。ほぼ同時期の劣島の一風景です。ということは、お宮さんに出向くときは「晴れ着」を装って出かけたのですね。今でもあるかもしれませんが、その昔、「参詣」「詣でる」というのは「身分の高い人」「高貴な方」の所を訪問するという意味があったのを、神社仏閣参りに応用したことになります。和装というか晴れ着姿は、その痕跡のようでもあるのです。
⑥は何でしょう。コロナ禍初年度(昨年)の明治神宮だそうです。最初に目に入った時、これは「太極拳」の練習風景だと錯覚しました。でも、似たようなものですね。「太極拳は、治病と健身に効果が認められることから、近年では健康法として多くの人に行われ」(ニッポニカ)、とあるのがそれ。お参りも、手を合わせ、呼吸を整え、素直な気持ちで祈りを捧げるのですから、「治病」「健身」に害があるはずはありませんから。それにしても、例年、数百万人が(大群衆の中で)「祈り」と「願い」を固く強く、神や仏に報じる、それもたった一つではなさそう、ちあきなおみさんのように「四つ」のお願いを届けようとするのですから、神仏には申し訳ないし、また、ぼくには真似が出来ない芸当です。
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◉ 祈り=「人間と人間を超えるもの(超自然力、究極的実在、神、仏など)との内面的交通、接触、対話」が祈りであり、人と人との社会的コミュニケーションになぞらえて、宗教的コミュニケーションといえる。/ 祈りには実利的効果を期待するものから非功利的願いに至るまで、さまざまの性格がある。攘災招福(じょうさいしょうふく)、不老長寿など現世の利益を求める祈願、請願、嘆願、信仰の深化と結び付く悔改(くいあらた)め、改悟、執成(とりなし)、感謝、あるいは信仰体制を維持し強化する崇敬、服従、献身、賛美など。個人や集団の心情、態度、意図、動機などとのかかわりによって、複雑で多面的な内容をもつ。(ニッポニカ)
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「諸々の禍事・罪・穢 有らむをば (もろもろのまがごとつみけがれ あらむをば) 祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと (はらへたまひきよめたまへと まをすことをきこしめせと) 恐み恐みも白す(かしこみかしこみもまをす)」
余談 大学時代に大いに世話になっ教授(故人)は「神社」の出身で、その人も、大学の教員(教育心理学担当)をしながら、国学院大学で神主試験を受け資格を持つようになった。その縁もあって、ぼくはかなり「祝詞」が出来るんですよ。鬱陶しいほどのものですがね。ある神主によると、「祈る」「祈り」というのは、「い」は強調だとか(ホントかね)、「のる」「のり」は「宣」だというのです。それは「のぶ」「のべる」「のる」「のたまう」といい、大事なことを広く知らせるですが、ここでは「大切な願い事などを神に知らせる」「~に届ける」とでもいうのでしょう。大群衆の中、はたしてうまく「のる」でしょうか。ゆっくりと、一人で神・仏さんと「対話しながら」「相対しながら」がいいでしょうね。
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戻った初詣客「感染対策して参拝を」 明治神宮、21年から倍増 新型コロナウイルス下で迎える2度目の新年は、前年に比べ初詣客が戻ってきた。/ 東京都渋谷区の明治神宮では2年ぶりに大みそかと元日に終夜参拝を実施した。東京都などから自粛要請も無く、元日にかけて鉄道各社が終夜運転を行ったことなどもあり、多くの参拝客が訪れた。(以下略)(毎日新聞・2022/01/02)
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