「祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸え給へ」

 【談話室】▼▽飾り臼は、新しいむしろの上にしめ縄を張った臼を据え、鏡餅を供えて祝う正月行事である。古来、農家はその年の福徳をつかさどる歳徳神(としとくじん)を祭る際、くわと鎌、臼を供えていたとされ、中でも臼は大切なものだった。▼▽〈あかねさす近江の国の飾臼〉。元東京大学長で文相も務めた有馬朗人さんの第3句集「天為」の巻頭を飾る句である。洗い清められた臼と真っ白な鏡餅が置かれた場に、あかね色の朝の光が静かに差し込んでくる。新しい年が穏やかに明けたことを告げる一句といえよう。▼▽山形市切畑で伝統の餅つき臼を手掛ける酒井平男さん(86)のなりわいにも明るさが見え始めた。おととしはコロナ禍の影響で注文が途絶えた。しかし昨夏から新品に加え、修繕の依頼も入るようになったという。加えて作業を手伝ってくれる青年の存在も心強いはずである▼▽長井市の林業平一貴さん(40)が木工技術を継承しようと酒井さんと共に製作に励んでいる。餅つきは祭りや慶事でも行われるが、新型コロナ感染防止のため取りやめた事例も多かろう。商店街などの行事で、子供たちが心置きなく餅つきを楽しめる日が早く来ることを願う。(山形新聞・2022/01/01)

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 もう六十年以上も前のことになりました、家の庭で「餅つき」をしたことを記憶しています。我が家ではなく隣家でのことで、近所の人が出て、鏡餅やその他の用意をするのでした。何年くらい続いたか、その後に引っ越しをしたので、餅つきとは無縁になった。ぼくはあまり「お餅」は食べない。嫌いではなく、他に食べるものがふんだんにそろっていたからでしょう。お雑煮も口にはしますが、「なんで、それを食べるの」という疑問ばかりが多くなりました。やがて、大学生になり、「民俗学」などを一人で調べるうちに、ぼくたちのしている、どんなにつまらないように見える「行事」にも、その初めには深い、あるいは深刻は理由があったことを知るようになりました。正月などの取り決めも、それぞれに「由緒」「謂われ」があったことを知り、ぼくは、その意味や背景を失った「行事まがい」「模擬行事」に、ある種の興醒めを感じたままで、青年期を過ぎ、年寄になってしまったのです。その昔、ぼくたちの先祖が大切にしていた年中行事で、信仰に基づかないものは何一つなかった。だから、「信仰」を喪失した、「信仰」を忘れたままの模擬行為は滑稽ですらあると、ぼくは考えるようになったのです。たまにお寺やお宮に出かける、その大きな理由は「建物」「建築」に関心があるからです。

 今でも各方面で散見しますが、「祭礼」、お祭りです。軽トラックに輿(みこし)を載せて、町内を巡回するという、まるで「廃品回収」のような「惨めな風景」には、言葉もないというか、可哀そうな「祭礼」という気がしてきます。(「廃品回収」を惨めとか、可哀そうというのではありません。それにしても、くだんの業者さんは、近年では、姿を見ませんね)田植えや稲刈りも同様です。耕運機やトラクターがやってくれる農作業、それは悪いことではありません。しかしその脇で「田植え」や「稲刈り」に纏わる行事は、かえって「厳かに」執り行われるのですから、ここでも滑稽というほかありません。皇室の田植えでは、農機具を使わないのは不要だからでしょうし、それだけに「稲に関わる行事」は厳粛を究めているんでしょうか。なにしろ、「瑞穂のクニ」です。新嘗祭や神嘗祭などというものも、民間でも行われていたもの。遥かの昔、苦労して育てた稲を収穫する喜びは、ぼくたちには想像すらできないほど大きなものがあったと言えます。収穫がもたらされたのは農薬や農機具などの御蔭ではなく、「田の神」のご加護があったという信仰は、それなくして人民の生活が立ち行かいないという宗教心に支えられていたのです。

 軽トラでお神輿、デパートの「お節料裡」、スーパで贖った「鏡餅」などなど、「もういくつ寝るとお正月」がシラケてきませんか。その景色をぼくは揶揄もしなければ、否定もしません。できない相談です。そうすると、ぼくに残る仕草は「嗤うしかない」ということになるのです。つまりは「年越し」「お正月」の真似事でもいいではないか、まあ、そんな時代になったのですから、と、民間信仰や年中行事にこめられていた、わが祖先の生活への願いや想いさえも、どこかに置いて行かれてしまったのです。子どもの頃は「初荷」といって、幟を立てて品物を運んだものです。新年の「松の内」は商店も会社も休みでした。劣島揃って冬ごもりだった。それがどうだというのではないのです。そういうことをするだけの理由を、わが先人たちはもっていたということを忘れたくないだけです。そして、できれば「まがいモノ」だけは止めてほしいねえという、個人の感慨です。そんなものがなくても、年は暮れるし新年は明けるのです。「民間行事」の大半は、今では迷信からのものとも言えそうですが、大本は、素朴な自然信仰、先祖のお陰・ご加護を感謝・祈願するものだったろうし、困難の際の嘆願や救援の意味合いもあって、ことのほか丁寧(煩雑)に行われていました。

 こんにちは、そのような素朴な信仰心や先祖への敬神の姿勢が薄れたり皆無になったにもかかわらず、表層だけ、あるいは換骨奪胎の真似事が横行する、その「軽薄な伝統踏襲」は、だれが、どうしてやるのだろうかという疑心だけがぼくには募るのです。その軽薄な「模擬・模倣主義」は、この社会の基底をなしてきた「文化」を浅薄なものにしてしまうし、その文化圏に生きていた「人間関係」そのものを軽薄化していることに、ぼくたちは手を拱(こまね)くしかないのです。かかる文化に生きていた民衆の生活感覚・感情に対して、いささかの尊崇の念も抱けないというのなら、それは、そこはかとない滅びへの道を、ぼくたちは歩いていることにならないでしょうか。

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 【有明抄】おさい銭と初心 新年を迎えた。初詣に出掛ける人も多いだろうが、おさい銭はいくら? 10円、100円、500円。一年の幸せを願うわけだから奮発してお札にしようか。いや、神様は少額でも機嫌を損ねたりはしないはず…。さい銭箱の前で瞬時、思いが巡る◆詩人の吉野弘さんが旅先でおさい銭をけちった思い出をエッセーに書いている。ポケットの中には100円玉3枚と10円玉が7、8枚。手を入れると、100円玉が3枚出てきた。行きずりの祠(ほこら)の神に300円は多すぎる。そんな気がしてポケットに戻し、もう一度取り出すと、また100円玉が3枚出てきたという◆〈祠の神が向こうをむき、声をしのばせてお笑いになったような気がした〉。吉野さんはさらに想像を膨らませる。神様が所望したのは人間の「初心」であり、実は人間も自分自身に対して初心を所望するのではないか、と◆「初心に帰る」「初心を忘れず」というが、日常はその場、その時の判断でやり過ごす。そうしなければやっていけないのも現実だが、気づかないうちに初心からは大きく離れてしまっている◆年が改まった元日は初心に帰るとともに、新たな初心を胸にする日でもあるだろう。できるだけ自らに初心を求めて、一年を歩みたい。さて、おさい銭はいくらにするか。けちらずにと思いながら初詣に出掛ける。(知)(佐賀新聞・2022/01/01)

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 神社本庁 お賽銭について お賽銭の意味や起源には諸説があります。現在では神社にお参りすると、お賽銭箱に金銭でお供えしますが、このように金銭を供えることが一般的となったのは、そう古いことではありません。/もともと、御神前には海や山の幸が供えられました。その中でも特に米を白紙で巻いて包み「おひねり」としてお供えしました。/ 私たちは祖先の時代から豊かな自然に育まれ暮らし、秋になるとお米の稔りに感謝をして刈り入れた米を神様にお供えしました。こうした信仰にもとづき、米を「おひねり」としてお供えするようになったのです。しかし、貨幣の普及とともに米の代わりに、金銭も供えるようになりました。/ そもそも米は、天照大御神がお授けになられた貴重なものとされ、人々はその大御恵(おおみめぐみ)を受け、豊かな生活を送ることができるよう祈ったのです。現在でも米をお供えする方もいますが、金銭をお供えすることも、この感謝の気持ちには変わりはありません。/ お賽銭箱にお金を投げ入れるところをよく見かけますが、お供物を投げてお供えすることには、土地の神様に対するお供えや、祓いの意味があるともいわれています。しかし、自らの真心の表現としてお供えすることなので、箱に投げ入れる際には丁重な動作を心掛けたいものです。(https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/osahou/osaisen)(すぐ上の「お賽銭箱」も、ヘッダーの写真も)

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 左写真の「お札」は「大麻」と言われます。この「大麻」販売が、神社本庁の資金源になっているのですから、どこかの組織に酷似しているでしょ。この「大麻」の名称を巡っても議論されていてで、「大麻取締り法」の名称変更を神社側が出しているそうです。「お札」の正式名称は「おおあさ」と読むようです。しかし「たいま」と呼んでいるところも多くあります。それはともかく、この「幣」と、あの「薬」はよく似ているんじゃないですか、効き目が。はまると止められなくなるところも。効き目を周りに拡げたくなるのも。

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◉ たい‐ま【大麻】=ぬさを敬っていう語。おおぬさ。伊勢神宮などで授ける神符。アサ別名。また、その葉や樹脂から製する麻薬麻酔鎮静催眠・幻覚などの作用がある。日本では大麻取締法で規制されている。マリファナ。ハシシュ。(デジタル大辞泉)

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 神社本庁という組織がどんなことをしているのか、ほとんど知られていません。それをいいことに、かなりの荒行・荒業をしています。正月三が日をはじめとする多額の「お賽銭」はどういう流れで、どこに消えるのでしょうか。詳しくは書きませんが、お寺さんといい、お宮さんといい、お金と権力をめぐる闘争は積年の見世物であり、まるで「得意芸」でした。今も、その闘いは継続しています。ヤクザ世界に発すると言われる「啖呵」「仁義」、特に「仁義」はもともとは、お寺から出たものです。それは脇において、この神社本庁という「宗教法人」が、全国のお宮さんの元締め(博打で言う「胴元」)です。近年に至っても、主導権争い(金を巡る争い)の死闘を続けているのです。これに「日本会議」や政治家が深くかかわっている。

 歴史のおさらいになりますが、昭和二十年末にGHQから「神道指令」が出され、国家と神道の関係が切り離されることになったのを受けて、翌年に組織されたのが神社本庁(*「全国大多数の神社を統括する宗教法人およびその中央事務所の名称。第二次大戦後、国家管理を離れた全国約8万の神社を包括する」デジタル大辞泉)です。しかし、他の領域にも見られる傾向ですが、旧来の姿を取り戻すような動きが政治を通して明らかにされてきました。その過程で、あるいはそれが原因で闘争が繰り広げられるようになったとも言えます。神社をランク付けするという「愚」を旨とするような人々ですから、カネをめぐって「死闘」を繰り広げるのは朝飯前でしょう。その「資金源」になっているのが、祈願料である「お賽銭」ですよ、初詣の参加者殿よ。

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◉ 賽銭(さいせん)=神仏への祈願が成就(じょうじゅ)したことの報賽(お礼)のしるしとして奉る銭貨をいう。いまは、社寺参拝して祈願崇敬の心の表れとして奉る金銭をもいう。社寺の恒例の神事・仏事に捧(ささ)げる供物(くもつ)とは異なり、個人的な随時の参拝を目的とした際の神供である。古くは貨ではなく紙に洗米(せんまい)を包んで献ずるオヒネリとか、米を散(ま)く散米(さんまい)の形から、庶民生活に貨幣経済が広まり、また室町時代以降に庶民の他の土地への社寺参詣(さんけい)の盛行に伴って、銭に移行した。本来は、供物としての幣帛(へいはく)の味と、個人の罪穢(ざいえ)を祓(はら)い清める科料の意義も込められていた。また近年では、外国人による銭も増加し、明治神宮では約800種のコインが捧げられている。(ニッポニカ)

 賽銭の「賽」は神に報いる、お応えするという意。外には「お礼まいり。むくいまつる」「競争する。優劣を競う「日本さい。さいころ。すごろくやばくちに用いる道具」と多様多彩な使われ方があります。お寺も神社も、それぞれが好みの「お賽銭」を自らの理解としているんでしょう。さらには、「賽の河原=無駄な努力のたとえ」「賽は投げられた」決めたのだから、後戻りはできないの意。というように、「賽」には、いわく言い難い「因縁」めいた含意が認められそうです。

 お賽銭と聞けば、ぼくは直ちに「寺銭」という語を並べたくなります。お寺は賽銭の外に「寺銭」まで収入源にしていたとするなら、大した儲けがあったでしょう。もともとは「博打の賭場」がお寺だったことから「ショバ代」を指した言葉が「寺銭」だった。それが実際にお寺に入ったかどうか、「割前」があったのは確かでしょう。ここで気を付けたいのは「賽」は、元は賽子(さいころ)であり、賽の目(数)であったという点です。始めは「ご利益に与った」ので、お礼参りとして出した(投げ入れる)ものでしたが、寺や宮に拝みに行く際に(ご利益がありますようにと)出す方法に定着しました。「先取り」というか、ご利益があってもなくても「取りはぐれないように」という魂胆が見え透いているんですよ。後でもいいけど、前の方が「ご利益」が多くなるとかなんとか言ったのか。神社仏閣は、商売上手なんだ。まるで、戎(えびす)さんですね。

 本日は正月二日です。各地の神社は「善男善女」で大混雑しているかもしれません。「家内安全」「商売繁盛」」「夫婦円満」「試験に合格を」「今の彼(女)とは別の、彼(女)と結婚できますよう」と、無理難題、荒唐無稽、倫理荒廃に関わる、あらゆる願いごとを「お賽銭」に託して「大枚」あるいは「ワンコイン」をお賽銭箱に投げ入れます。ぼくに言わせると、お正月は劣島上げての「大博打」の開帳日のような気がしています。そうでしょうね、どんな目が出るかわからないのに、カネを張るんですから。さて、「丁と出るか半とでるか」。晴れ着を着て博打かいな。

 それを集めて計算するのに、銀行の支店が総出だという神社もあります。総額いくらとは言いませんが。願いごとがかないますようにと、浄財を振り込んだ(奮発した、張った)のに、その金の流れは、上で述べたような「山分け」「取り分争い」、はては「政治献金」まがいまでと、庶民の「祈願料」とは無縁の使われ方をしているのです。文字通り「さいころを振るための金」だったんですかね。

 いくら「お賽銭」を払っても、すこしも願いが成就しないのは、おのれの身の不始末のせいではなく、こんな「特定抗争指定✖✖団」顔負けの争闘に費やされていたと、疑っていいのです。この島で最大の暴力団が「抗争分裂」したのは「金銭問題」からでした。その上手を行くような神社本庁VS大手神社の抗争劇には、まだまだ幕がおりそうにありません。上納金を払いたくない「大手神社」が脱退、分裂を勧めています。

 「阿弥陀の光も金次第」という、至言、いや名言があります。「地獄の沙汰も金次第」ともいいましょう。まだまだ、この手の「格言」「名言」は尽きることがないようです。これを作ったのは「お寺さん」じゃないかと、ぼくは睨んでいるのですが、次はお寺さんについても、駄文を書きましょうか。ネタには事欠きません、経験談ですから。ものすごく「エゲツナイ世界」ですよ。ぼくはお参りするために、寺へも神社へも行かないし、誰かの連れになることがあっても、「お布施」「賽銭」は投げません。まして「寺銭」には無縁を決め込んでいます。要するに、ぼくは、一面では「自力派」です。(「自助」派ではない)「困ったときの神頼み」というのは、これもまた、お宮さん関係の人が作った「名言」だね、きっと。しかも、賽銭は多いほどご利益があるというのですから、神仏を騙る人間たち。このような「(救済や大願成就を騙る)宗教」には、時の古今、洋の東西を問いません。「祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸(さきは)え給へ」

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