ゆく年や草の底ゆく水の音 (万太郎)

徒然日乗( LXXI~LXXVI ) 

徒然日乗・LXXVI 昨年も書いたような気がしますが、「破れ長屋で今年も暮れた」という実感が強くあります。その「破れ」は家屋は言うまでもなく、ぼく自身の心もそうであり、この劣島そのものの屋台骨も破壊されました。そうです、「国破れて山河あり」。その山河もまた、荒れ放題に放置されている。「國破れて 山河在り 城春にして 草木深し 時に感じて 花にも涙を濺ぎ 別れを恨んで 鳥にも心を驚かす 峰火 三月に連なり 家書 萬金に抵る 白頭掻いて 更に短かし 渾べて簪に 勝えざらんと欲す」

 もちろん、杜甫の「春望」です。余計なことは言わない。国は戦いで破壊されたけれど、故郷の山河だけは残されている、杜甫はそういう。でも、ぼくたちの現状はどうか。果たして、ぼくたちは「春を望むこと」ができるのか。荒廃した劣島の惨状が、春には蘇り、鳥は鳴く、花が咲く、人々は謳う、そんな景色に出会えるのでしょうか。

 人の一生というものは、恐らくは、幾度かの「春望」の明け暮れの果てに、ついには終りを迎えるのではなかったか。芭蕉は、それを含めて、次のように詠みました。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」 東北藤原氏「三代の栄耀一睡のうちにして大門の跡」を訪れ、彼は、その「儚さ」に落涙を禁じ得なかった。「功名一時のくさむらとなる」「笠うち敷きて、時の移るまで涙を落としはべりぬ」(「奥の細道」)はたして俳聖の「滂沱たる涙」を誘ったものはなんだったか。今日の世もまた、「功名一時のくさむら」となり「栄耀一睡のうちにして」朽ちるのは盛者、奢れる人ばかりではないでしょう。弱者も、奢らない人も、すべては「儚さ」に覆われてしまうのです。本日は「大晦日(おおつごもり)」。

 感傷に誘(いざな)われているのではありません。我が心は、昨年末も今と同様に「破れ長屋」に等しかった。この世に生きるというのは、一睡のうちに打ち壊されるほかない「栄耀」や「栄華」を求め、幸か不幸か、それを手に入れるところにあるのではない、一生は、執拗に繰り返される「禍福」によって翻弄されているのです。運と不運と言い換えてもいい。来る年もまた、「時に感じて 花にも涙を濺ぎ 別れを恨んで 鳥にも心を驚かす 峰火 三月に連なり」です。戦争は海の向こうの「対岸」に起こっているのではないと胸に刻んで、知友・旧友の平穏をひたすら願うばかりです。(2022/12/31・土)

一般社団法人 南房総市観光協会

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徒然日乗・LXXV 昨日拙宅を訪ねてくれた方々との話し合いについて、その後も考え続けていた。学校は「正解」を与える場所であり、決して「間違い(誤答)」を認めてくれる場所ではないことに、今更のように悲しい気がしているといった。例えば、簡単な計算問題で間違えるのは、偏差値が低いからではなく、注意深さに欠けていたからだという、なんでもない気遣いが教師は持ち合わせていない、それが子どもにも移植されるのではないか。間違えは、消しゴムで消せるし、さらに答えを探せる機会(時間)を生むのです。カッとなって刃物で他人を傷つけて、果たして「消しゴム」で訂正できるか。学校(教室)内で間違えることを恥ずかしいとか、愚かだからと、まるで子どもを辱めるような教師の言動は、果たして消しゴムで消せるのかどうか。考える力をつけるなどと多くの人は気軽にいうが、実際はどうか。「考える」とは間違いを執拗に探し続ける時間なのです。時間をかけて「消しゴム)で消してつく、その間が「考える」なんだ。(2022/12/30・金)

徒然日乗・LXXIV 都下の私立学校に勤めている後輩(国語教師)が、同僚(数学教師)と高校三年生(女性)と連れ立って、拙宅に来られた。さらに「コロナ感染」炎上中のさなか、久しぶりの「対面談話」に及んだ。四方山の話に終始しましたが、普段、かみさんや猫相手では、互いに実のある話もできないものだから、遠来の客人を得て、大いに、いや必要以上に、一人勝手の「無駄話」「雑談」に花を咲かせた気味で、さぞかし、客人は呆れたことだったと思う。どんな問題にも「正解は一つ」などという嘘っぱちを学校で強いられると、生涯、それがついて回って、「正解」が見つからなければ、人生はアウトだと思いがちな人間が多すぎる気がする。だからこそ、いくつでも答えがありうる「問題」にこそ、自分を鍛える手応えがあるのだと、そんな教育や教師、あるいは生徒であることを願っているとも話しました。黒・白、正答・誤答、成功・失敗などと安易に「二元論(二択)」に問題や課題をすり替えるのは、間違いであるということをこそ、教師たちは授業で徹底して伝えるべきではないかとも言いました。「間違うこと」を避けたり恐れたりすることが生徒たちの身についたなら、それは学校教育の「失敗」ではないですか、とも。「永遠」はない、あるのは「瞬間」だけだ。でも、その「瞬間」の中に「永遠が宿っているのだ」ということが伝えたかったんですね。間違いも、正解も、いずれも「問題」の捉え方においては、「当(中)たらずとも遠からず」なんだ。(2022/12/29・木)

徒然日乗・LXXIII 歳末という雰囲気がどことなく消えかかっている風景は、ぼくには好ましい。年が改まるというけれど、人心がそれを実感するかどうかという問題で、大晦日であろうが、元日であろうが、「日常」以外の何物でもない、ぼくには「普段どおり」の一日に過ぎません。日の出も日の入りも、宇宙の運行通りに運んでいるのです。何事によらず、ぼくは「日常性」に埋没するという姿勢が大好きですね。人間の心は移り気であり、落ち着きがなく、後悔もするし、先走りもする。ほとんどの不幸は、自らの内側にその原因があるのでしょう。少しばかりの訓練や修練では足りない「自制」「注意」をさらに心静かに心がけることしか、ぼくには興味はないのです。(2022/12/28・水)

徒然日乗・LXXII もう長い間、飲料用に「天然水」を使っています。先ごろから、愛用の品が三割り近く値上がりしていました。いつも買い置きをしておきます、2リットルペットボトル(一箱、6本入)を五箱から十箱は買い置きしています。断水に備えてという意味もあります。大体、夫婦で一ヶ月どれくらい使うのか気をつけたことがない。多分、五箱(30本か)六箱(36本)くらいか。それにしても、物みな値上げという、この「狂乱」の事態はまだまだ続きそう。いろいろな理由や原因がありそうですが、もとを糺せば、諸事・諸物「輸入頼み」のしからしむるところ。食糧自給率は四割を切っている。安い品物を輸入すればいいという「安直政策」が問題の根っこにあります。自作、自給、つまりは「自立」の放棄が国是となって、今日の必要以上の「他国・他人頼み」状態を招いているのです。目下渦中にある「国防」問題そのもので、まさしく自衛の放棄であり、自立の断念ですよ(2022/12/27・火)  

徒然日乗・LXXI 猫の食料の買い出し。年末年始の混雑を避け(混んでいるところには行かない。雑踏は避ける)、暇な時間帯を選んで出かけました。昨日は日曜日、大変な混雑ぶりで、別の用事で出かけたのに、その状況を見てぼくは帰ってきたほどでした。とにかく人混みや混雑は嫌いだし、並ぶということも嫌ですね。電車やバスの切符を買うために並ぶのが嫌いで、すぐに、次の駅に向けて歩き出す人間でした。月曜日は、どうしたのというほど空いていましたので、二回分をしこたま仕入れてきました。文字通りの買い出し。消費に係る分は、夫婦二人分よりも高額になると思う。「いらち」などと関西弁では言います。短気ということ。まあ「瞬間湯沸かし器」に近いかも知れません。この性分はなかなか治りませんな(2022/12/26・月)

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 「正直者は馬鹿を見る」から「正直の頭に神宿る」なんだ

【敵一滴】年末年始の休みに入り、自宅の片付けや掃除に精を出している読者もおられよう。今年の汚れは今年のうちに、と大掃除に励む風習は平安時代に宮中で行われた「すす払い」に由来し、庶民に広がったという▼岸田文雄首相も大掃除を済ませた気分に浸っているか。政治資金問題や差別発言で批判を浴びていた大臣と政務官を、仕事納めを前に交代させた▼「任命責任を重く受け止める」。神妙な顔をしてみせた首相だが、これもおなじみの光景だ。責任は受け止めるものでなく、取るものですよ。突っ込みたくなるのは毎度のことである▼政務官を辞した杉田水脈(みお)氏は、性的少数者やアイヌ民族、性暴力被害を公表した女性らに対する差別的な言動が臨時国会で追及されたが、いずれも政務官になる前から分かっていた。「適材適所」と起用した首相の感覚が問われる▼衆院の比例代表中国ブロック選出の杉田氏。いくつかの政党を経て自民党に入ってからは比例単独候補として名簿上位に掲載され、厚遇されてきた。ゆえに党の責任は大きい▼忘年会が象徴するように1年の終わりを区切りとする日本人の考え方は、欧米人にはない感覚らしい。気分を新たにするのは大切だが、政治を巡るあれやこれやは忘れずに年を越したい。国民はすぐに忘れると見くびられれば、政治はさらに劣化する。(山陽新聞デジタル・2022・12・30)

 「国民はすぐに忘れると見くびられれば、政治はさらに劣化する」というコラム氏。穏健というか穏当というべきか。的を外していますね。意図してですか。「見くびられれば」は仮定なんかではなく、現実そのままじゃないですか。「見くびられ」ているんだ、実際に。言うことと腹の中は違う(「言っていけないこと」をいう、その寸止めの記事ですな)、と教えてくれる点で、ぼくはお礼を申し上げたい。「国民なんて、すぐに忘れるさ」「殆どの国民は、今や認知症を患っている」と見下さなければ、今やっている「偽政治」「政治まがい」「政治もどき」はあり得ないではないですか。「任命責任を重く受け止める」と、この能天気は誰に対していっているんですか。「国民」に向けているとは思えないのは、確かだ。彼の視野に「国民」なんか入っているはずがないでしょ。今時の記者会見は、並みいる新聞記者が「総理のお考えを教えてください」と教師に「ご高説」を伺う類の猿芝居(と、ぼくには映るが、当の記者たちは「質問」だと思いこんでいるのですから、困ったものだ)。官邸に送り込んでいる政治部記者が年端の行かない幼児・幼稚ばかりであるのは、これは内閣府と記者クラブ=新聞社との取り決めなんだな。「まっとうな記者は送り込むなよ」「了解」という政府と報道各社の「談合(癒着・密着・馴合)」は完璧です、じつに「仲良きことは美しき哉」の極北。「仲良きことは醜悪哉」です。そんな「塵屑」のような記事を誰が読むと思っているのか、国民を舐(なめ)ているし、見下しているのは報道各社も総理とその周辺も、右に同じだ。

 (「政治に対する国民の信頼が揺らいでいる」と思ってもいない「政治的自己評価」をする。どうして「私に対する信頼が失われている」と正直に言わないんですかねえ。この人間の言う「国民」というのは自民党支持者などのことを指すのでしょう。でも、その人たちだって「あなたに対する信頼は最初から無い」と断言するでしょう。政治は人ではなく、力だし、力の源は数で、阿蘇の核を束ねた親分が「K]に決めたというから、そうしただけ。支持率が下がるのも、総理に数という「力」がないことの証明なんですね。

 この「国民守る使命、断固として果たす」というセリフ、誰が言わせているのか。また、守るという「国民」の中に誰々が入っているんですか。「攻撃能力」をっ備えるための軍事力増強を言っているようだが、まるで「真珠湾の再来」を望んでいるような口ぶりです。「先制攻撃」だけで、「戦争」は終わらないのは、ウクライナの現実を見ればわかるでしょ。「断固として果たす」のは、もっと別のことじゃんと、ぼくは教えてあげたいね。(このところの書きぶりが、なんだか「日刊ゲンダイ風」になっているのに、一種の悪寒を覚えています)

 高校生の頃、どういう風の吹き回しか、ぼくは「ブンヤ」になりたかった。テレビ放送の草創期、【事件記者」という番組があり、その影響だったかもしれない。単純素朴だったが、正義感ばかりは強かった少年時代だった。その願い通りに、新聞記者になって、記者会見の場に居合わせたらどんな質問するか。「総理のご意見を伺います」などという、小便を垂れ流しながらの寝言は言うまい。この劣島の政治家および政治の堕落や頽廃に大きな役割を果たしてきたのはマスコミだった。この報道機関の現状をどう思うかと尋ねられれば、新聞経営の幹部たちは「報道責任は重く受け止める」とでも言うだろう。こんな詮無いことを言っていても始まらない。「総理、あなたに無理だから、辞めて欲しいという国民が過半数もいますが」とどうして問い詰めないのか。自分たちが実施した「支持率調査」は、マヤカシでない限り、辞任を迫る(糺す)理由はありますよ。自分の息子を秘書官にした根拠・理由を訊かれ「適材適所」といった、この飛び切りの「親ばか」は、「差別発言」が洋服を着ている人間の処遇についても、「適材適所」といった。「責任」とか「適材適所」という語意を知らないに違いない。呆れるとはこの事態。

 (国葬)については「丁寧な説明に全力を尽くす」という表現。「全力」とか「断固」、あるいは「丁寧」などという言葉を使ったら、現実に言葉通りになるという神がかりの神経を持っているとしか思われない。大変な「逸材」がいたものだと、ぼくは頭がくらくらする。その意味は、使われた言葉の正反対の行動で明らかになるというのです。虚言も、繰り返せば、真実になると錯覚することができなければ、総理が務まらないのは、歴代総理の言動を見れば一目瞭然。国会で「話せば嘘」といいたくなるほど、国民の前で平気で嘘を突き通した御仁もいた国です。正直者は馬鹿を見るというのは、政治家用に生み出された「確言」だとぼくは考えている。正直者が馬鹿を見る、こんな言い方がよく使われてきました。

 「悪賢い者がずるく立ち回って得をするのに反し、正直な者はかえってひどい目にあう。世の中が乱れて、正しい事がなかなか通らないことをいう。正直者が損をする」(デジタル大辞泉)この辞書は「損得」にすり替えて、この「諺」みたいなものを説明しています。そうですかね。世の中が乱れているから「正直者が馬鹿を見る」と言うなら、何時だって世の中は乱れているし、正直者が救われることはありえないということになりません?。損得ではなく、人間の正しさ(美しさ)において「正直か不正直か」、それが問われているんじゃないですか。正直者が馬鹿を見るのが「世の中」で、それ以外に「世の中」はないと言わなければならんといいたい。そのことを、確信的に表現したのが「正直の頭(こうべ)に神宿る」といったんですよ。「正直な人には必ず神様の助けがある。神は正直の頭に宿る」(精選版日本国語大辞典)有利不利でもなければ、損得でもなく、当たり前に、まともな感覚で生きる、悪いものは悪い、嘘つきは嘘つきだと、捻じ曲げないで直言すること、それこそが「正直」というものだし、「正直」はそれ以外にはないと思いますね。

 ぼくはよく教室で言っていました、「正直と素直と」、教師はどっちが好きですか、と。実感では、ほとんどの教師は「素直な子ども」が好きだし、贔屓(ひいき)しますね。正直者は嫌われる、除け者にされます。ぼくは経験から、それを確信してきた。それでも、節を曲げませんでした(そのように自分ででは生きてきたと考えている)。愚かだと思えば、遠慮しないで「愚か者」と、当の教師にも言っていた。嘘はつけなかった。図星を指されると、他人は怒るね。なんでかな?「先生すごいですね」と、死んでも言えなかったな。そんな教師が多かったようにも思う。正直者の教師から「素直な子」は生まれないでしょうね。この総理大臣や諸々の大臣諸侯の言行を見れば、それが世の中だと、嫌でもわかるでしょう。その世の中から褒められ、評価されたい人はどうぞ、ぼくは邪魔はしないけれど、だめはだめというよ。それこそが「邪魔だ」と言われるに違いないが、それは違う。黒は黒、白は白と当たり前に言っているのですか。黒を白と言える人にはなりたくなかったねえ。(しかし、自分では「清濁併せ呑む」ことはいくらだってできると思っていた)まっとうな「教師」にも、一人前の「政治家」にもなれなかった理由は、この辺りにありますね。

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 民は由らしむべし、知らしむべからず

  戦争をしたがる国に ~ 何時の頃までか、憲法九条が国是となり、(日米安保条約に守られ、タダ乗りと非難されて、実際は、相当の「お守り代」を支払いながら)虎の威を借りた狐よろしく、専守防衛に徹する国、これがこの小島(社会)唯一の「売り」の時代があった。今はどうか、ともかく「戦争する国」「戦争をしたがる国」(Shadow War)に齷齪している様はまるで狂気だ。嘘と誤魔化しで、国民を蔑ろにし、どこが敵で、どんな理由で「戦争」に備えなければならぬ事態か、「煙も立たず、火もない」日常に、ひたすら「戦争前夜」を煽る、木の葉が「中朝露」に見える、そんな「悪夢」、「白昼夢」をお天道様の下で貪りつつ狂っている。「攻撃能力」の狂喜乱舞。軍事費倍増は誰に頼まれたかと、訊くだけ野暮ではなく、腹が立つ。無能無策の内閣が、黒子に動かされ、内閣の体をなさぬまま、あらゆる旧悪・窮策が復活している。この惨状の露見は、この劣国に置いてさえ、近年では前代未聞・空前絶後。あざとい官僚(昔陸軍、今経産省)、それも経産省の数人ばかりが総理大臣を拉致・辱め、その内閣を恣(好き放題)に差配している、この在り様を如何にせん。経産省は国亡官庁だというね、ぼくは。防衛省は経産国亡省の出先機関。環境庁は在って無い「盲腸(庁)」であり、かくして、この三流以下の国は、破れかぶれの官僚天国、いや官僚地獄に他ならない。もはや破産状態だ。それでも「地獄の沙汰も金次第」とは強欲な。この傀儡(かいらい)を左右しているのは「電通」?まさか?「メリケン」?(「馬鹿も休み休みに」、そんな暇はない。とにかく、休まないで言うよ)(上掲のヘッダー写真は「out of season」)

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 本気で「戦争をしたがる国」になろうとしているとは、ぼくには想像もつかない(そうだとは思われないですね)。「特定秘密」を「防衛省の隊員(軍人)」が漏らす国。退職した先輩に頼まれたからという。ほんとか?防衛省も他の省庁に劣らず、とんでもない嘘をつく省。なにせ「大本営」を擁していたのだから。「防衛省」内でも大変なことが起こっているのではないですか。臭ってきますよ。政治家は、戦争をしたがる風を装っているだけ。そういえば、防衛費倍増でも三倍増でも「物言わぬ国民」は許してくれると。何しろ、右から左に「税金」の移動があるだけで、先制攻撃(ピンハネ)、敵基地攻撃(中抜き)、その他諸々の戦t略や戦術(下請け・孫請け・筒抜け)を網羅・駆使して、「元金」をむしり取るのが政治だという国。税金泥棒天下というべきだ。いい年齢をしてぼくはこんなことはいいたくもないが、言わなければ腹の虫がおさまらない。笑っている場合ではない。原発再稼働や原発の稼働年数を無期限にという謀略は誰も知らないうちに、経産省とどこかとだけでやっていた。総理大臣は、後日、書かれた紙を読んで「こうするように指示した」という。冗談言うな、指示したのは経産官僚(総理秘書官たち)で、指示されたのが総理だという、これは、もう日常茶飯のことになっているのだ。「コロナ禍を生み出しているのは、誰だ。それにうつつを抜かしていると、その合間に、とんでもないことが起こっているのです)

 昔、勤めていたところで「なんとか建設委員会」「これこれ審議会」があり、ぼくは断ったにもかかわらず、何度か委員にさせられた。なぜ断ったか、始まりも何もあったものではない。すでに建設計画、完成図」は出来上がり、建設業者も決まり、予算まで決定してからの「委員会発足」だと知っていたから。頭にきて、初回で、すべてを暴露したから、ぼくはほとんどの委員から総スカンでした。いくつもの委員会では同じ光景だった。ぼくは「除け者」になりながら、言いたいこと(言うべきこと)を言ってきた。八百長の「露払い」をしていたようなもの。情けなかったな。相撲を取る前に、誰も知らないうちに「勝負あった」という談で、これを「八百長」という。勤め先は私企業だったから、「汚職」にもならなかった。こんなことは、ことの始まり(開業・開学・開国)から続いていること。大学は官庁を真似たにすぎないのだ。それにしても、汚い連中でしたね。政治は「汚職」であり「賄賂」に慣れることだというのは、どうでしょう。

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  「国民に対する背信だ」原子力規制委、経産省と不透明なやりとり 原発60年超巡り面談7回、内容公開せず  原子力規制委員会事務局の原子力規制庁は27日、原発の運転期間の見直しを巡り、担当者が山中伸介委員長から検討指示を受ける前の7〜9月、経済産業省資源エネルギー庁(エネ庁)の担当者と少なくとも7回にわたり面談をして情報交換していたことを明らかにした。山中委員長は、原発推進側の経産省とのやりとりは公開するよう指示しているが面談の内容は、非公開にされている。規制委の透明性が揺らいでいる。/ 規制庁によると、経産省との面会は、岸田文雄首相が原発政策見直しの検討を指示した翌日の7月28日。経産省側からの呼び掛けで始まった。その後、委員長らに報告しないまま面会を重ねた。

  8月29日には規制庁職員が規制委を所管する環境省への説明資料を作成。現行の原子炉等規制法(炉規法)の「原則40年、最長60年」とする規定が、経産省が所管する電気事業法に移管されることや、炉規法に長期運転への規制手法を新設するなど、方向性の詳細が記載されていた。/ 山中委員長は10月5日の定例会で、規制庁に対して運転期間が見直された場合の規制について検討を指示し、経産省とのやりとりは透明性を確保することも求めた。規制庁はこれ以降の面談録はホームページで公表しているが、指示前の面会内容は公表していない。/ 規制庁はNPO法人原子力資料情報室からの指摘を受けて調査。黒川陽一郎総務課長は会見で「面会では経産省側の情報伝達を受け、政策の協議や調整はしていない。(規制対象の)電力会社との面会ではないので、面談録を作らなかった」と説明した。(以下略)(東京新聞・2022年12月28日 06時00分)(右は「記者会見する原子力規制庁の黒革総務課長)(https://www.tokyo-np.co.jp/article_photo/list?article_id=222433&pid=865331)

 これが政治なんだ。情報公開を求めると「黒塗り」が出る。国民の知る権利が墨で消されている。あらゆる会議・委員会(公開を公言したものも)では、個人情報秘匿を「タテ」に非公開。笑うべきであり、悲しむべきでもある、国民の置かれた状態ですね。「情報公開のあり方を議論する会議」の議事録もすべて墨塗り。これが、本当のブラックユーモア。そんな上等なものではないでしょう、「権力」欲の赴くところ、どこにおいても「滑稽」かつ「深刻」な事態が隠されるのです。「民は由らしむべし、知らしむべからず」はしぶとく生きている。これが、この劣島の政治。

 「封建時代の政治原理の一つ。出典は『論語』泰伯編。「人民を従わせることはできるが,なぜ従わねばならないのか,その理由をわからせることはむずかしい」という意味である。つまり,人民は政府の法律によって動かせるかもしれないが,法律を読めない人民に法律をつくった理由を納得させることは困難である,といっているにすぎない。ところが江戸時代には,法律を出した理由など人民に教える必要はない,一方的に法律(施政方針)を守らせればよいという意味に解されて,これが政治の原理の一つとなった。(ブリタニカ国際大百科事典)

 江戸幕府政治が今も続いている。将軍も天皇も、祭り上げられていて、下々は虚仮にされている。議員は、各藩のお役人。「幕府閣僚(幕閣)」が主権を掌握して放さない。これが天下泰平(官僚専制)の元凶ですね。この島はまだまだ未開、あらゆる面において鎖国状態であり、幕閣統治が敷かれているのです。旧態依然、旧慣墨守、これをだれが破れますか。まもなく「選挙」だそうだ、棄権は危険ですよ。(ぼくは、驚いているのではない、野蛮だなあ、と我をも含めて笑うばかりです)

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 「新陳代謝機能不全」、完治の見込みなし

【談話室】▼▽125年ぶりと言われてもあまりピンと来ない。来年1月8日に初日を迎える大相撲初場所は「1横綱1大関」で行われる。番付上ではまれな事態だとしても、相次ぐ休場で看板力士不在の土俵に慣れてしまっている。▼▽大関は東西で欠くことができないため、番付には横綱照ノ富士が大関を兼ねる「横綱大関」と記された。直近では2020年春場所で鶴竜が大関を兼ね、その時は38年ぶりで話題となった。珍しいこの肩書は、鶴岡市出身の横綱柏戸も1966年名古屋場所で背負っている。▼▽企業や役所に例えれば、空位となった役職を上席が一時的に兼務する状況だろう。早期の改善が望ましい。幸いなことに、現在の土俵は群雄割拠だ。大関陥落組はやや元気がないが、新鋭が躍動している。本県関係はこの人、琴ノ若(佐渡ケ嶽部屋)が新三役に名を連ねた。▼▽父は元関脇佐渡ケ嶽親方(尾花沢市出身)、母方の祖父は元横綱琴桜。受け継いだ資質を猛稽古で磨き小結まで番付を上げた。早晩、大関候補の有資格者になろう。不祥事絡みで閣僚が辞め、大臣経験者が急きょ再登板する悪循環を繰り返す現政権には見られぬ新陳代謝だ。(山形新聞・2022/12/27付)

 まさしく、隔世の感とはこのことをいうのでしょう。今では想像すらできませんが、六十年前ころには、大相撲中継にテレビ局が四つも五つも競い合っていた時代があります。「テレビ放送が開始されたのは、1953年5月16日のことだ。この頃の相撲中継の影響の高さを物語るエピソードとして、民放でもNHKに追従する形でテレビ中継を行っていたことが挙げられる。1959年にはなんとNETテレビ(現在のテレビ朝日)、日本テレビ、フジテレビ、TBSテレビの在京5局が同時に大相撲中継を放送していたのである」(Abema Sports Times・https://sports.abematimes.com/posts/3527383/) 

 ぼくがもっとも熱心にテレビ観戦したのはこの時期でした。横綱には吉葉山・鏡里・千代の山・栃錦・若乃花など、錚々たる力士が並んでいました。中学生の頃だった。この後に「柏鵬時代」が続きます。柏戸と大鵬の両雄が競っていた。ぼくは大鵬が「納谷」を名乗っていた頃から知っていましたし、柏戸は本名の富樫をしこ名にしていた頃は、こんな「剛力」がいるなんてと懸命に応援した。真綿のように柔軟な大鵬は、勝つと言うよりは負けない相撲を取っていたと記憶しています。この二人が外国旅行から帰ってきて、警察から事情聴取を受け、手ぬぐいで頬被りをして、船に乗って隅田川だったかに「証拠品探し」をしたことがありました。海外旅行で「ピストル」を買ってきたからでした。やばいと思った二人は「隅田川に捨てた」と警察に話したための珍風景で、この場面もよく覚えています。(上の写真は「ピストル不法所持に関し、取り調べを受けた横綱柏戸について報じる」1965年5月25日付・中日スポーツ。「近く北の富士も」との見出しも)

 天下の横綱も若かったのでしょう。その後の二人は精進を重ね、同時に「日の下開山」、柏鵬時代は大相撲の魅力を深く印象付けたと思う。という具合に書いていくと、いくらでも書ける。ぼくは「相撲博士」だと言ってもいいくらいに、相撲に関心を持っていたのです。娯楽が何もない時代、楽しみにしていたのは相撲くらいだった。もう六十年も七十年も経ってしまいました。野球は川上や青田や大下などという選手(職人)が渋い光を放っていた頃です。(写真は「拳銃密輸の疑いで警視庁に出頭した大鵬。昭和の大横綱も緊張の面持ち」(写真:共同通信社)

 この少し後には、大鵬があまりにも強いので、いまでいう国民の人気ベストワンを三つ並べて「巨人・大鵬・卵焼き」などと、大いに人気を誇っていたのでした。双葉山の連勝記録(69連勝)を負っていた大鵬は、45連勝で戸田という関取に破れた。物言いがついたが、負だった。後で写真をよく観ると、相手が先に土俵を割っていたことが判明。それを訊かれた大鵬は「あんな紛らわしい相撲を取っているようじゃだめだ」と答えた。いい相撲取りでしたね。

 その時代と、今日を比較するのは無意味ですね。つまりは、相撲は面白くなくなったと言いたいのです。(野球でも相撲でも、「大学出」がすぐに通用するはずもないと言われていた時代です)ところが、今や、相撲なのか、レスリングなのか、はたまた「格闘技」なのか。相撲に「美しさ」が感じられなくなった。あれほど好きだった相撲も、まったく見ない。野球も同様です。大関だ横綱だと騒ぎますが、ぼくの感覚では、相撲全盛期の「十両」か「前頭」程度の技量や強さで、名称は「横綱」「大関」と同じですが、中身はまったく異質で、比べること自体が間違っているのでしょう。今でも「栃若時代」「柏鵬時代」などという相撲人気最高の時期の、相撲取りなら百人は簡単に名前も出身地も示せます。相撲は「ご当地」といって出身地域・地方の最大の誇りなのかもしれない。「故郷に錦を飾る」というのが、このお相撲さんに当てはまるのではないかと思うくらいに、応援や支持が凄い。これがよくないんでしょうね、あまりにもチヤホヤしすぎるから、関取が育たないのではないでしょうか。

 一年六場所、それが相撲をだめにした大きな原因だったと思います。怪我をしても治す時間がない、休めば番付が下がる、その頃は、若いものが追い抜いているという、真に慌ただしい時代に、相撲界も入っていかざるを得なかった。今は相撲ではなく、格闘技。ガチンコもあれば、八百長みたいなものもある、それでは相撲が盛んになるよりも、廃れるほうが先でしょうね。やがて、「国技」(というのは正しくない)も能や歌舞伎のように国家によって保護され、「文化財」として囲われて、ついには命数が尽きてしまうのでしょう。柔道が五輪種目になり、ついには「偽柔道」に成り果てたことを思っています。それもこれも、時代の流れで、どうということでもないのですが。運動(スポーツ)から「美しさ」がなくなったら、単なる格闘であり、勝ち負けにしか興味が湧かなくなるのは当然でしょうね。人でも何でも「栄枯盛衰」を繰り返すのでしょう。しかし「栄光よ!再び」と呼んでも、叫んでも戻らないものもあるんですね。これもまた、世の習い。

 これと同日の談ではないでしょうけれども、政治の世界も「廃れきって」しまった。現内閣の閣僚が立て続けに四人も交代を余儀なくされたし、差別発言の「雌」である政務官も首になった。土台、こんな連中を閣僚や内閣の一員にすること自体が「恥さらし」なんですな。でも、他に人材がいないのも確からしい。杉田某は「故元総理のお気に入り(・∀・)」だった。鬼籍に移られた元総理はとんでもない「食わせ者」だったことが次々に露見している。そのような人物を「名宰相」「国葬級」「歴代最長不当」などと囃し立ててきたのですから、この島の「真相」「正体」がわかろうというもの。その「食わせ者」の軍門に下ったのが現総理、落ちるところまで落ちでも「総理は総理」であるのは、からきしだめな相撲取りでも「横綱は横綱」というのと五十歩百歩。「昔の名前で出ています」というわけ。

 「不祥事絡みで閣僚が辞め、大臣経験者が急きょ再登板する悪循環を繰り返す現政権」とコラム氏はいう。タコは自分の足を食っても生きていける、トカゲは自分で尻尾を切るという。自己防衛のためです。だとするなら、この岸田某は「トカゲ総理」か「タコ首相」ということになるでしょう。タコが自分の足を食べるのは「ストレス」からだといいます。「タコ首相」はが自分の足(閣僚)を切る(食う)のもストレスなんですね。この先どうなるのか、タコに訊いてみたい。これは政治ではなく、「秋分」なんですのに、だれもその危機感を通関していないようなのは、国そのものが「終った」からでしょう。一度死ななければ、再生はありえないのも道理だと、ぼくは考えています。この場にふさわしくはなさそうですけれど、ぼくは、次の言葉を思い浮かべています。「一粒 の 麦の例えです。(「ひとりの人間。ひとりの犠牲によって、多くの人々が救われるという真理を示したイエス‐キリストのことばによるたとえ。※引照旧新約全書(1904)約翰伝「一粒(ツブ)の麦(ムギ)もし地に落て死ずば」」(精選版日本国語大辞典)(左上写真は東京新聞・2022/12/27)

 果たして、この島に「一粒の麦」は存在しているのでしょうか。あるいは、存在していたのでしょうか。「税金」に集(たか)る人間どもが、自分たちの乗る船の船艇に穴をほっていることに気がついているのか、気がついていないのか。何度も言いますが、もうこの「島」は沈下しているんですね。

 「トカゲ総理」のケースはどうでしょう。トカゲは自分から尻尾を切る(自切という)らしい。努力して切るのではなく、興奮したり恐怖を感じたりして事態に対処しようとして、自然に切れるように体が反応するのだという。敵に襲われると、咄嗟に逃げようとして自発的に尻尾が切れる、それを見て、敵は驚いて尻尾に見惚(と)れる。その隙きに、トカゲ本体は逃げおおせるのだそうです。「鼬(いたち)の最後っ屁」ですな。臭いぞ。こちらもあたっていませんか。迷ったり、時間をかけて状況を判断していて、「おそすぎる」と批判するのは間違いで、自分で、自然に切れるように組織ができているのです。世間で、岸田は判断力が遅いとか、優柔不断だと非難や批判が殺到しているようですが、それは外れ、彼はストレスを貯めているし、外的・内的に襲われてもいるから、その状況に体が反応していのです。頭を使うという「判断力」の問題ではなく、「条件反射(パブロフの犬)」だったんだ。だから、これからも、条件反射が起これば、何人だって閣僚や内閣のメンバーを切り続けるでしょう。本体を守るためですから。でも、やがては本体も滅びることを知らないようですね、トカゲは。

 それで悩むことはないのです。恐らく、自分ひとりになっても命がある限り、彼は「総理の椅子」にしがみ付いているでしょう。それは「本能」なんだね。偏差値でも判断力でもない。タコでもトカゲでもかまわない、とにかく、少しは民衆(国民を含む)のことを考えられる「装置」を付けてほしいですね。猫に鈴ではなく、タコに酢でもなく、岸田に「判断力」を、です。まるで、「ベルを鳴らすと、唾を出す」というパブロフの犬みたいな首相では、あまりにも人民が可愛そうではないですか。相撲界は「新陳代謝」があるから素敵だとコラム氏は呑気なことを書いていますが、なに、やがてかなりの数の力士が二代目三代目になってくるでしょう。政界と瓜二つですね。この島全体に焼きが回っており、新陳代謝機能が故障しているんです。どうしたらいいんですか?

● パブロフ=ロシア,ソ連の生理学者。ペテルブルグ大学を卒業後,ドイツに留学,実験技術などを学ぶ。軍医学校の薬理学教授,パブロフ生理学研究所長。消化液分泌の神経支配を解明した業績に対し,1904年ノーベル生理医学賞。さらにイヌを使って条件反射を研究,精神現象を生理学的に把握しようという態度は,後のワトソンらの行動主義心理学に大きな影響を与えた。(マイペディア)

● しんちん‐たいしゃ【新陳代謝】=〘名〙 (「陳」は古いもの、「謝」は辞し去るの意) ① (━する) 古いものが次第になくなって、新しいものがそれと入れ代わること。※改正増補物理階梯(1876)〈片山淳吉〉一「凡そ宇宙間に在る各物体の斯く日に変化して新陳代謝し循環極りなき是造化の妙なり」② 生体内で、必要な生活物質が摂取され、不用物は排泄(はいせつ)される作用。物質代謝。物質交代。代謝。※日本読本(1887)〈新保磐次〉六「歯の面〈略〉イナメルには新陳代謝なきを以て、一たび損ずれば滋養もこれを快復せず、妙薬もこれを再生せず」(精選版日本国語大辞典)

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 文七元結を聴いて、夫婦親子を考える

【水や空】心温まる 「下げ」よく知られているのは夫婦の人情噺(ばなし)「芝浜」だろうか。年の瀬の江戸を舞台とする古典落語には名作が多いとされるが、その一つ「文七元結(ぶんしちもっとい)」に、隅田川に架かる橋の上で男2人がやりとりする場面がある▲娘の孝行によって借金を返すための50両を手にした男が、年末のある日、橋から川へ身投げしようとする問屋の奉公人、文七に出くわす。店の50両をなくしたのでこうしておわびを、と言う文七に、男は大切なお金を渡してしまう▲「死なせねえ。持っていきやがれ」「いや、受け取れない」。大金をつかみ合うのではなく、譲り合う2人の押し問答がやけにおかしい▲三代目古今亭志ん朝が演じるこの場面をDVDで見ると、笑えるだけではなく、なぜか心に染みる。巧みな話芸によるものなのか、カネをつかみ合ってばかりの昨今の問題にうんざりしている、その反動か▲東京五輪・パラリンピックを巡る汚職事件といい、政治とカネを巡る問題といい、カネの怪しい流れに人々が渋面を浮かべた1年が暮れる。「平和の祭典」という呼び名に運営する側、協賛する側が傷を付けたのなら、なおのこと罪深い▲「芝浜」も「文七元結」も、お金を巡る騒動のあと、心温まる“下げ”がある。現代とはどこか対照的なハッピーエンドにしばらく心を休めてみる。(徹)(長崎新聞・2022/12/26)

 今ではまったく絶えてしまいましたが、時節に合わせて、毎年同じような音楽や落語などを頻りに観たり聴いたりしてきました。暮になると「第九」が今でもあるようですが、本場の国々よりも盛んに “Freude, schöner Götterfunken”という平和への願いを籠めて、全国各地で演奏されてきました。ぼくは一度だって、合唱団に参加したことも、演奏会に出かけたこともありません。この「第九」が嫌いというのではなく、よほどのことでもない限り、音楽は家で静かに聴き、静かに盛り上がるに限るというのが信条でしたから。今でも、車に乗ってFMなどをかけると聴こえてきます。つい先日も。その最後の部分だけでしたが、あ、これは日本人の合唱団だなと直感した、しかしソプラノやテノールは外国人。しかもライブでした。最後まで聴き終えると、演奏はN響で、指揮は井上道義さん。思ったとおり、合掌は国内の音大の学生たちでした。それでどうというのではありません。まだやっているんだ、そんな気がしただけでした。かなり前、もう今はなくなったある大きな交響楽団のソリストたちと話す機会があった際、「第九は、ボーナスみたいなもの」、年越しのお年玉だと言っていたほどに、演奏する方も聴く方も、それなりの意義があったんですね。それが今も継続しているとすれば、おそらく戦後しばらくしてからですから、もう九十年も続く「年中行事」なんですね。(前からの疑問で、どうして暮にしかやらないのか。やはり「お年玉」だからでしょうか) 

 落語も時期によって、聴く出し物が違いました。この師走には、主に「富久」とか「芝浜」、あるいは「文七元結」などですね。他にもありますが、このような演目は、年中聴きますが、やはり暮にはとくに聴く機会が多かったように思います。ぼくは何でもそうで、落語は志ん生や圓生止まり。それ以降はめったに耳にしません。その名人上手たちの噺は、記録されているものは殆ど聴いてきました。同じ話を何度聴いたかわからない。ぼくは授業の改善というか、少しでも学生に伝わるように、何かと工夫はしましたが、もっとも効果があると、一人決めしていたのが「落語の話芸(語り口)」の受容でした。志ん生は、ことのほか、聴かせる話しぶりでした。本日のコラム氏が取り上げている「文七元結」には残された音源が多数ありますから、どれを聴くかで微妙に伝わり方が、当然ですが、異なります。参考例に出しておいたものはどうでしょう。(とても長い噺で、通常は一時間以上は要します。この慌ただしい時代、とても間尺が(に)合わないでしょうね)(▶)(志ん生「文七元結]:http://rakugo-channel.tsuvasa.com/bun7mottoi-shinsho-5

 「富久」も好きですね。「太鼓持ちの久さん」が主役。ついで「富くじ(宝くじ)」が準主役です。そこはかとない「哀感」が漂っているような話です。聴かれるといい。こんな類の話は、先ず学校では教えないですね。そこが学校の限界だと思うな。

 この「文七元結」は三遊亭円朝が作ったとされます。いわゆる「人情噺」とされますね。実際にありそうで、まずありえない噺を、寄席で聞いて、民衆は「溜飲を上げたり」「義憤を晴らしたり」だったのでしょう。明治の初期まで、江戸の各町内にはいくつも「寄席」「小屋」(落語や歌舞伎の定席)があったことが記録されている。今では考えられないくらいに、寂しく慎ましい「夜の楽しみ」に、寄席は不可欠だった。もちろん電気はありませんでしたから、灯りは「ろうそく」。「トリ」という、その日の最後に舞台に上がる芸人(落語家)を「真打ち」と言いました。今でもそのように言っていますね。その意味するところは、話芸に長じていて、観客の「心を打つ」からだというのは、まるでダジャレですね。もしそれが本当なら、こんにち「真打ち」に値する落語家は皆無ではないですか。そうではなく、今では通説ともなっている方をぼくは押します。舞台も客席も暗い中で演じられ、舞台(板)上には「ろうそく」が灯されていた。最後の最後になると、真打ち(演者)はろうそくの芯を打って消した、そこから「芯打ち」、転じて「真打ち」となったとされます。

● 文七元結(ぶんしちもっとい)=落語。以前からあった噺(はなし)に三遊亭圓朝(えんちょう)が手を入れて完成した人情噺。左官長兵衛は腕はよいが博打(ばくち)に凝り、家のなかは火の車であった。孝行娘のお久が吉原の佐野槌(さのづち)へ行き、身売りして親を救いたいという。佐野槌では感心して長兵衛を呼び、いろいろ意見をしてお久を担保に50両貸す。改心した長兵衛が帰りに吾妻(あづま)橋までくると、若い男が身投げしようとしているので事情を聞くと、この男はべっこう問屋の奉公人で文士七といい、50両を集金の帰りになくしたという。長兵衛は同情して借りてきた50両を文七にやってしまう。長兵衛が家へ帰ると女房と大げんかになる。そこへ文七とべっこう問屋の主人がきて、金は得意先に忘れてあったと粗忽(そこつ)をわびて50両を返し、お久を身請けしたことを告げる。のち文七とお久は夫婦となり、麹町(こうじまち)貝坂で元結屋を開いたという。6代目三遊亭円生(えんしょう)、8代目林家正蔵(はやしやしょうぞう)(彦六(ひころく))が得意とした。1902年(明治35)に歌舞伎(かぶき)座で5世尾上(おのえ)菊五郎らによって初演されたのをはじめ、映画化などもされてよく知られた。(ニッポニカ)

● 三遊亭円朝(さんゆうていえんちょう)[生]天保10(1839).4.1. 江戸[没]1900.8.11. 東京=落語家。本名出淵 (いずぶち) 次郎吉。2世三遊亭円生の門下で,7歳のとき小円太と名のって初高座。のち奉公に出たり,浮世絵師一勇斎国芳の弟子になったりしたが,再び芸界に戻り,円朝と改名。若いとき道具入りの芝居噺で人気をとり,また河竹黙阿弥や仮名垣魯文と交わって三題噺を流行させた。明治に入り自作自演の素噺に転向し,『牡丹燈籠』『真景累ヶ淵 (かさねがふち) 』などの怪談噺や人情噺のほか,新聞種や実地調査に基づく『安中草三』や『塩原多助』,また G.モーパッサンなどの翻案物も口演した。明治新政府の要人や各界の名士と交わり,落語家の地位を向上させ,江戸落語を集大成するとともに後進を養成,また速記本の出版で,文学の言文一致運動に影響を与えるなど,功績は大きい。(ブリタニカ国債大百科事典)

 骰子賭博で負け続きで、何年も稼業を放り出し、尾羽うち枯らした左官屋が、娘の体を張った機転で五十両を得る、それをそっくり見ず知らずの店者の若衆にくれてやる、こんな「浮世離れした話」だからこそ、客は安心して聴くことができたのでしょう。自分の貧乏や明日をも知れぬ生活の苦労から、ほんの一瞬であれ、解放されたのではなかったか。ぼくは「左官の長兵衛さん」は永遠の「男気」だと思っている。これをこそ「江戸っ子」といったのかも知れません。江戸っ子とは、どこにもいない存在であり、だからこそ、「これぞ江戸っ子」という人物像(作り話)を、落語作家であった圓朝は生み出してきたのでしょう。この圓朝という人は「共通語「標準語」とされる、明治期の書き言葉と話し言葉の一致(言文一致体)がなんとか成り立つためにも大きな働きをしたとされます。この島には「共通言語」「標準語としての話し言葉」は明治初期には存在していませんでした。このことについては稿を改めて考えてみたい。夏目漱石は落語好きとして知られていましたが、彼の小説の「話言葉」は落語家(圓朝など)から大きな影響を受けていたのでした。子規も同様だったでしょう。

 これは余談です。長兵衛さんの娘のお久さんは、長兵衛と先妻との間にできた子でした。継母(ままはは)と継子(ままこ)の、この「つながり」をどう受け止めればいいのでしょうか。言うまでもなく、江戸期にも再婚や離婚はありました。もちろん、今では「分かれるために結婚する」のではという時代ではなかったから、再婚は男にも女にも気安くはなかったと思われます。長兵衛さんの先妻がどうしたのか、ぼくにはわかりません。継母と継子の、噺の上での親子の情愛の深さを、作者の圓朝は、この落語の、もう一つの核として描いたようにぼくは考えている。「なさぬ仲」、今の時代、このような「義理の親子」(子どもが辛いのは当然だし、母親であっても苦しいのだ)が、どれだけ苦悩し煩悶しつつ生きているかを思う時、この「文七元結」にはさまざまな「人間模様」が織り込まれていることがわかるのです。(考えてみれば、夫婦だって「なさぬ仲」じゃないかと、ぼくはずっと思いこんでいました。血の繋がりがないのが人間関係の、もう一つのあり方なんですね)

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 小さきものの声が聞こえるか

<速報>日本近代史家の渡辺京二さん死去、92歳 熊本市在住の日本近代史家で、作家の故石牟礼道子さんを編集者として支えた渡辺京二さんが25日、死去した。92歳。京都市出身。代表作「逝きし世の面影」や「黒船前夜」、「バテレンの世紀」など近代を問う著作で知られる。石牟礼さんと共に水俣病患者の支援組織「水俣病を告発する会」の結成にも関わり、「熊本風土記」や「暗河[くらごう]」、「炎の眼」などさまざまな雑誌を刊行してきた。本紙で昨年4月から週1回、大型評論「小さきものの近代」を連載している。(熊本日日新聞 | 2022年12月25日 13:06)(右写真は石牟礼道子さんと。文春オンライン)

 近代史の研究者で評論家でもあった、渡辺京二さんが亡くなられた。昨夜(二十五日)のニュースで知って、相当な高齢に達していたことが分かっていながら、いかにも「突然な」という感じがしました。緻密な論考というには当たらないが、かなり執拗な推敲を重ねて、一つの人物にしろ、時代にしろ、大きな、しかも深い「歴史の絵」を描かれた人でした。いつの頃だったか、「娘のために」と言って、イヴァン・イリイチの翻訳をされているのに出会って、驚いたことがあった。大きな意味では、世界史的な時代の中での「文明論」にイリイチと共鳴するところがあったのかも知れません。渡辺京二・梨沙共訳「コンヴィヴィアリティのための道具」です。

 まだ勤め人をしていた頃、教室で、一人の学生(女性)が、渡辺さんの「逝きし世の面影」を持っていた(読んでいた)のに出会い、本当に驚愕したことがあります。こんなところで、渡辺ファンがいるのかと、驚くと同時に嬉しく思った。その後、彼女は、ぼくが担当していたゼミに参加された。(ぼくが、別の授業で、渡辺さんを紹介したのだったかもしれない)その後、学生は「渡辺さんに手紙を書きました。返事がとどきましたよ」といっていたので、ここにも渡辺さんの一面を見る思いがしたことでした。熊本に限定されない「勁い存在」という感想(印象)をぼくは持っていました。数年前には、熊本市内にできた「橙(だいだい)書店」によく来られて、ここの店主を物書きに仕立てるようなところもあった、と聞いて、渡辺さんの別の面を教えられた。ぼくは、ある時期までは熱心は渡辺贔屓(びいき)でした。何よりも、渡辺さんは「無所属」という立場に居続けた人として、ぼくには尊敬おく能わざる人でした。石牟礼さんとの関係は、ぼくが言うまでもないことです。

 数々の著作の感想をいう気にはなれません。繰り返し渡辺史学・史論を学んできて、まず抱くのは、どこまでも「敗者の側」に立つ人という趣(印象)でした。中央と地方という、「中央」からの差別主義に、彼は徹底して抗うために、静かではあっても、けっして妥協しない強さを持っていた。今でも奇妙な錯覚だったと思いながら、あの人は誰だったろうという、しばしの邂逅に耳をつままれたような気がするのです。なにかの要件で福岡に出向いた。ぼくを呼んでくれた方が一席を設けて、しばしの会合の時間があった。そこにおられた方が、ぼくの友人の知り合いで、どうも大学の先輩だったと思う。その人が渡辺さんを呼ぼうか、と言われたのだった。その「渡辺さん」が京二さんだとわかったときには、その場はお開きなっていた。在野の思想家・歴史家として、その存在を知るだけでも、ぼくには十分だったし、まして、残された作品がまとめられて出版されてもいたので、語るに落ちた話ながら、渡辺京二という人の「名前」を聴くだけで胸が高鳴ったのでした。

 今でも、時にページを開くのは「日本近代の逆説」(「渡辺京二評論集成Ⅰ」・葦書房)です。ここに詳細は書けません。ある時代には「正説」が幅を利かすのは当然ですが、そこには、その裏のページに「逆説」が渦巻いているのです。歴史は表から観るのではなく、その表面にヒビやシワを付けた感のある「逆説」(稗史)がつきまとっている。それを無視して、一連の流れを「歴史」と呼ぶのは正しくないでしょう。正史と稗史(はいし)というだけでは捉えきれないものが、どんな「歴史事実」にも存在しているということです。「逆説」を透過して初めて、歴史の姿が立ち現れることがいくらでもある。渡辺さんの仕事を云々することはぼくにはできない。時間の許す限り、彼が書かれた作品を読み続けるばかりです。(合掌)

【新生面】荒野の泉 編集者の福元満治さんが熊本大の学生だった時のこと。自分たちの「全存在」をかけて水俣病患者の闘争を支援するという運動方針に、「全存在なんてかけられるはずがない」と口を挟んだ▼途端に「小賢[こざか]しいことを言うな! これは浪花節だ!」と渡辺京二さんから一喝されたという。水俣病問題で最初に訴訟に踏み切った患者らを支えた「水俣病を告発する会」で、中心的存在だった評論家の渡辺さんが92歳で亡くなった▼中国・大連などで小中学時代を過ごし、中2で文学との「革命的な」出合いをした。敗戦で内地に引き揚げ、旧制五高に入ったが結核のため1学期ほどしか通わなかった。会社員の「肩書」を持ったのは日本読書新聞の編集者だった2年間だけ。在野の編集者として多くの文学雑誌などを手がけ、熊本の文化をリードする存在でもあった▼在熊の作家石牟礼道子さんを「天才」と呼び、その創作活動を公私両面で支えた。「あの人の才能は異能。一種のシャーマンだもんね」。石牟礼さんをそう評し「僕は編集者だから才能に嫉妬しない。そこが取りえ」と語っていた▼自身も近代史の研究家として、名著の誉れ高い『逝きし世の面影』など数々の著作を生み出した▼明治維新で形づくられた近代国家を語る際にも、庶民ら「小さきもの」たちに目を向けた。よりよい人生を送るためには、身近なよき仲間をどうつくるかが何より大事だと呼びかけた。本人の言葉を借りれば、その発言は「荒野に湧く泉」のように私たちを潤した。(熊本日日新聞 | 2022年12月26日 07:00)

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