こうなってしまった、私はいまなにをすべきか、

 【国原譜】子どもが犠牲になる事件が重なった。最近の紙面に「なぜこれほど」と心を痛められた読者も多いだろう。▼愛知県弥富市の中学校で男子生徒が同級生に刺されて死亡した。亡くなった生徒は面倒見が良く、学校の中心的な存在だったという。▼逮捕された生徒は、友人との会話に割り込まれるのが嫌で恨みを募らせたと供述しているが、心の闇はまだ見えない。▼兵庫県稲美町の住宅火災では小学生の児童2人が犠牲になり、同居の伯父が殺人などの容疑で逮捕された。両親が出払うのを待ち、ガソリンをまいて火をつけたという。同じ紙面には岡山県津山市の女児殺害事件で被告に無期懲役求刑の記事もあった。▼平成16年に本県で起きた小学生女児誘拐殺害事件は先月、発生から17年となった。「大切な命を突然奪われるといったつらい思いは誰にもしてほしくありません」。父の有山茂樹さんは県警を通じて公開した手記につづった。▼度重なる悲しいニュースに、社会のひずみを感じる。「子どもたちの笑顔が溢れる社会を心から願います」。有山さんの手記はそう結ばれている。(増)(奈良新聞・2021/12/01)

 奈良新聞のコラムは「国原」と書いて「くにはら」と読む。古い言葉で、すでに万葉集にも出てきます。「万葉(8C後)一・一四「香具山と耳梨山とあひし時立ちて見に来(こ)し印南(いなみ)国波良(くにハラ)」と。「奈良」は「なら」ですね、それは均す(ならす)、平らにするというようなことを指すのですが、奈良の都(乃楽・寧楽・平城と書いて「なら」としたが、「奈良」に決まったのは平安時代とされます)は 710年から784年 まで、京都長岡遷都まで続きました。ぼくは小さいころ、何度も奈良に遊んだのですが、あまりいい思い出が残っていないのはどうしてなのか。親戚があったり、友人がいたりと何かと縁がありましたけれども。

● くに‐はら【国原】広く平らな土地。広い国土。「春尚淋しくして—に人稀れなり」〈露風・春の旅情〉
[補説]書名別項。阿波野青畝の第2句集。昭和17年(1942)刊行。(デジタル大辞泉)

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 奈良に関わる話(雑談)ならいくらでもあるのですが、本日はしません。昨日の続きです。「なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記」というテーマについて。あるいは「神」について。

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● ヨブ記(よぶき・The Book of Job)=『旧約聖書』のなかの代表的な知恵文学の一書で、紀元前5世紀ごろのパレスチナにおいて完成された。著者は豊かな人生経験、国際的見識、高度な文学的表現技法と雄大な詩的構想力をもった無名の詩人である。「ヨブ記」の構成は次の三部分からなっている。プロローグ(1~2章)、詩文による三友人との弁論(3~42章6節)、エピローグ(42章7~27節)。この序章と終章の散文部分の原型は、パレスチナ周辺に伝えられていた「ヨブ聖徒伝説」に求められる。それは、義人ヨブの「信仰の証明試験」としての人生における苦悩の克服と、祝福の物語であった。「ヨブ記」の詩人はそこに自身の体験的共感を発見し、後世に残る偉大な文学を完成した。そこで、人生の苦しみがなにゆえに人間を崩壊させるのか、と神の正しさ(神義論)を問う。御利益(ごりやく)本位の信仰と硬直化した因果応報の教理の神から解放されて、「生ける全能なる神」への信仰の転換は、詩人が自らの経験によって到達したところの答えであった。[吉田 泰]『関根正雄訳『ヨブ記』(岩波文庫)』▽『浅野順一著『ヨブ記――その今日への意義』(岩波新書)』[参照項目] | ヨブ(ニッポニカ)

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 ぼくはキリスト教の信者ではないし、仏教徒でもありません。ある意味では、実に不信心極まりない人間ですから、宗教の話をするなどもってのほかで、不敬罪に当たりそうです。だから、このテーマ(「なぜ善な人が不幸にみまわれるのか?」)で綴る駄文は、どこまでいっても、ぼくの拙い経験で学んだ域を出ないことを断っておきます。それだけでは心もとないので、ユダヤ教のラビ(教師)の考えをも聞こうとしているのです。クシュナーさんは、その著のある個所で、「ホロコーストを生き延びた者の信仰と疑問」という著書からの引用をされていました(この本(「ホロコーストを…」)を探しているのですが、いまのところわかっていない)。ここに、深い意味というか、暗示があるようにぼくには思われるので、少し長いのを厭わないで「孫引き」をしておきたい。

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 私がアウシュビッツに収容されていた間、これは神のなせる業なのか、それとも神がなんの業もしめさないことの 現れなのかと人びとは問うていたが、わたしはそのような問いをただの一度も思い浮かべたことはなかった。… ナチの行なったことのために、私は神に近づいたわけでも遠ざかったわけでもない。私は、神に対する私の信仰がそれによっていささかもそこなわれることはなかったと考えている。私のおかれた残酷な状況を神とむすびつけて考え、救い出しにこなかったからといって神を非難したり、神に対する信仰を弱めたり、あるいは信仰をすてようなどとは思ってもみなかった。神にはその責任はないのだ。私たちこそ、私たちの人生について神に責任を負っているのだ。もしだれかが、神は人々を助けるためになにもしなかったから、六〇〇万人の死は神に責任があると信じているとしたら、彼の考え方は転倒してしまっている。私たちは短い人生の日々、あるいは長い人生の日々を神に負うているのだ。私たちは神に礼拝し、神の命令に従うべきである。神に仕えるために、神の命令に従うために、私たちはこの地上に生きているのだ。(リーブ・ロバート・ブレンナー『ホロコーストを生き延びた者の信仰と疑問』)

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 ホロコーストの災厄と神の実在は無関係であると明言されています。「なぜ、この私だけが苦しまなければならないのか?」ということに神は関りがないというのです。これはどういうことでしょうか。「私たちこそ、私たちの人生について神に責任を負っているのだ」ということもまた、ぼくたちに突き付けられている人生問題の核心であるでしょう。いろいろな意見や解釈がありえますから、ここでは、まったくキリスト教とは切り離して愚見を述べてみたい。

 前稿でも書きましたが、ぼくたちは「因果応報」とか、「善因善果」「悪因悪果」などといったり聞いたりします。あるいは「天罰覿面(てんばつてきめん)」などとも耳にします。おそらく、人間以上の何者かが、人間の行動を監視していて、行動の価値に基づいて応分の報いを施すという発想でありますが、これを広めたのは仏教であり、キリスト教であると言っても間違いはないでしょう。「ばちが当たる」という言い方がされます。これは、「悪いことをしたから、神仏の怒りにあう」という意味で「罰が当たる」というのでしょうが、ぼくには、少し腑に落ちません。もとろん「天罰」「神罰」「仏罰」と、それぞれの宗派や信仰心によって「当たる罰」は異なっているとも受け取られますが、どうなんでしょう。刑罰なら、信仰の有無、年齢の如何にかかわらず法律に違反したら科されるのは当然だとみられますが、宗教の世界は違うのでしょうか。「こんな不幸になったのも、あなたの日常の行いが悪かったから」と言われて納得する人がいれば、それはそれ。どう考えても「こんな罰を受ける理由がわからない」という人もきっといるはずです。「なんでこの私だけが、…」と受け入れがたいけれども、罰せられるのもまた、選ばれたからなのか、と。

 若い頃に学んだルッソオという思想家は、いくつも問題を抱えた人間だったが、彼は「自然宗教」ということをさかんに主張しました。詳細は省きますが、啓示宗教の大半は教会を保有しており、掟のように「教会の外に救いなし・Extra Ecclesiam nulla salus」という看板を掲げていました(いまでもそうでしょう)。教会員(信徒)にならないと神は救ってくれないというのは、なんというケチな神だろうというわけです。日本にもこのような考えで無教会の宗派を張っている人がおられます。その代表は内村鑑三でしたか。(仏教だって同じですね。信徒と門徒でなあいと、まともに受け入れてくれないというんだ、いやな宗教だね。どんな宗教もそうなのかといえば、そうじゃない)

 笑い話のような逸話を一つ。もう四〇年ほども前に、ぼくはあるところで家を建てました。その時に世話をしてくれた人が「地鎮祭はどうされます?」と聞いた。ぼくは、それは無用ですと、そのままにしていたら、間をおかずに拙宅の前の空き地に家が建つという話があった。その際に、建て主は、ご丁寧に「地鎮祭」を執行された。自分の家の時にしなかったのは、こういうこともあろうかと想定していたから、といえばそうではありません。神主が「祝詞」を上げていましたから「八百万神」は、隣家の災害は守ってくれるが、ぼくのような不信心は守ってやらないという意地悪神でもなかろうと笑ったことがありました。教会に入れば(信徒になれば)救ってやるが、そうでなければ救ってやらないというのでしょうか。実に嫌味な宗派もあるんですね。寄付をたくさんすれば、救いも大きいとか、なんという守銭奴か。

 ホロコーストのような深刻な問題でも、状況は似ています。信仰の有無にかかわらず「ユダヤ人」は一網打尽だというのは、キリスト教ではどのように受け止めるのでしょうか。あるいは同じユダヤ人でも収容所に強制的に容れられなかった人、あるいはそこから脱出することが出来た人と、さまざまな事例や事情がありました。信仰の深浅の問題なのか、それとも神は「えこひいき」する存在なのでしょうか。それとも、…。クシュナーさんは言います。

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 私には、どうしてもある人が病気になり、他の人はならないのかわかりませんが、私たちの理解を超えた自然の法則がはたらいているのだろうということだけは想像できます。私は、神が特定の人に特定の理由で病気を「与えた」とは信じられません。悪性腫瘍の週間割当の計画を作り、だれに配布するのがいちばんふさわしいか、だれがいちばん上手に対処できるか、などとコンピュータで調べている神を私は信じません。病人や苦痛にさいなまれている人が、「いったい私がどんな悪いことをしたというのだ?」と絶叫するの理解できますが、ほんとうのことを言えば、これはまちがった問いかけです。病気であるとか健康であるとかいうのは、神がわたしたちの行いや態度にもとづいて決定していることがらではないのです。ですから、より良い問いかけは、「こうなってしまったのだから、私はいまなにをすべきなのか、そしてそうするためにだれが私の助けになってくれるだろうか?」ということなのです。(太線は筆者)

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 神は「全知全能」であるというが、そうでしょうか。そのように考えたい人々がいたこと・いることは事実でしょうが、そういう神は、いままでに存在していません。勝手に考えて言うのですが、まるで通信簿をつける教師のように、いい人・悪い人を監視しているのが「神」なら、そんなのはいたるところにいるし、まるで監視カメラのような、その程度の存在でしかないことになります。いい人は褒めるが悪い人は懲らしめるというのなら、別に「神」である必要もないんでしょうね。

 誰にだって、と言えそうにはありませんが、何かを決断する時、それが、人間の高貴さ(道徳性)に関わる場合、ぼくたちは、ある規範(規則)に基づきます。それが社会規範であったり、宗教的信条であったりするのが大半でしょうが、「神」というのはそのような「価値判断の根拠」であると捉えたらどうでしょう。「神」はある・いる。しかし、それは「全知全能」ではなく、人間がたった一人で生きる、根底に関わる判断を迫られる時、その判断がより「善」に叶うと、人をして感じさせ、考えさせるような力の源泉だと、ぼくはみなしているのです。わが内なる「神性」と言ってもいいでしょう。カントという哲学者は「わが頭上の輝く星空とわが内なる道徳律 (Der bestirnte Himmel über mir, und das moralische Gesetz in mir)」といいました。若い頃は、ぼくはカントに入れあげていたんです。論文まで書きました、恥ずかしいこと、この上なし。

 「私たちは、問いを違ったかたちにしなければならないと思います。なぜ正しい人が悪い人と同じように自然の法則のために苦しまなければならないのか、と問うのではなく、つまるところ人だれしも苦しむのはなぜか、と問うべきなのです」(クシュナー・前掲書)

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 コロナ禍の手探り状況の影に隠された感がありますが、この島社会の各地で「痛ましい」「悲惨な」「残酷極まる」事件や事故が止むことなく続発しています。まるで地獄もかくあろうかと言わぬばかりの惨状です。被害に遭われた方やそのご遺族にはどんな慰めがあるというのか。これは決して一宗教・一宗派の問題ではなく、「生まれて生きる、生きて死ぬ」という宿命を背負わされたような、ぼくたちの「人生」の、不可避の一幕でもあるのです。「大切な命を突然奪われるといったつらい思いは誰にもしてほしくありません」「子どもたちの笑顔が溢れる社会を心から願います」という遺族の願いは、ぼくたちの心でもあるのです。悲嘆にくれ、怒りに襲われるところから、しかし、なお一歩を進まなければならないとして、ぼくたちにはどこから光が差してくるのか。「神・仏」に縋(すが)るというのは、実は、自分のうちにある生命力(感性や理性、あるいは想像力やっ惻隠の情も含めたもの)に根拠を置くことに他ならないのではないのか、ぼくはそのように考えてきたし、今もそう考えている。その「神・仏」は、人それぞれが、応分に見出した「自画像」でもあるのだ、それを神と言い、仏と言って、いっこうにかまわないでしょ。

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 なぜ、善良な人が不幸にみまわれるのか?

 本日は、柄にもなく、少し面倒な、しかしとても重要な問題を扱った、一冊の書物を紹介しながら、ことの核心に少しでも迫ってみたいという思いを以て、駄文を重ねようとしています。その書物の原書はすでに三十年前に出されています。少し読んでは、身につまされながら、時間をかけては問題を追っかけてきたと言っていいでしょう。本のタイトルは WHEN BAD THINGS HAPPEN TO GOOD PEOPLE.「いい人(善人)に悪いことが起こる時」(邦訳のタイトルは「なぜ私だけが苦しむのか 現代のヨブ記」岩波現代文庫版、2008年刊)作者はラビ(ユダヤ教の教師)であるH,S,クシュナーという人です。本の帯には「不幸に打ちひしがれる人を励まし続けてきたラビの言葉」とあります。宗教の本というよりは、人生の難問、あるいは謎を、生活する人の目の高さで求めようとしている姿勢を一貫して保ったものと、ぼくには考えられました。自身が「不条理な不幸」に遭遇しているだけに、真実に迫る真摯な姿勢に強く打たれます。

 何度かに分けて、この「現代のヨブ記」の意味するところを考察してみようとしています。旨く行くはずがないことを、最初にお断りしておきましょう。(今日から拙宅前の元農道(現町道)の舗装と拡幅工事が始まり、工事車輛や道具類を宅地内に保管。その対応で、何やかやの雑用が重なりました。クレーンやショベルの音がうるさく、じっくりと問題をとらえることは少しできない雰囲気がありますので、何回かに小分けして、という寸法です。工事は年内で終わるかどうか)

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 「モーセがイスラエルの民を率いて紅海を渡ったという聖書の記事を教わった子供が、日曜学校から家に帰って来た時の話です。

 なにを教わってきたのとたずねる母親に、その子は答えました。『イスラエル人たちがエジプトを脱出しちゃったんで、パロとその軍隊が追っかけたんだ。イスラエル人たちは紅海まで逃げてきたんだけど海を渡ることが出来なくて、エジプトの軍隊がどんどん近づいてきちゃったの。そこで、モーセは無線機を取り出して救援をたのみ、イスラエル空軍はエジプト軍に爆弾攻撃をしかけ、イスラエル海軍は浮き橋をつくって人が渡れるようにしたんだってさ』。驚いた母親が『紅海の話をそんなふうに教わったの?』とたずねたところ、その子は、『ちがうよ。でも、習ったとおりに話したら、お母さん、きっと信じないと思うよ』と答えたのだそうです」

 いきなり話の本筋に入ってしまいました。いったいこれは、この子が考えた答えか、それとも、…。神の力、あるいは奇跡を起こした神の御業が、今日の世界でどのように語られ、信じられて(または否定されて)いるか、ぼくはこの方面には疎く、状況は十分に把握しているわけではありません。(今でも、いくつかの地域で「宗教戦争」の様相が見られます)日本でも、まるで悪い冗談のように、以前なら「因果応報」「親の因果が子に報い」などと言いました。天罰や仏罰があたったのだということも日常的に言われてきました。果たして、今日は、それよりは少しは上等というか、ましな受け答えが出来ているのでしょうか。

 この本の主題は明確で、実に単純。「なぜ、善良な人が不幸に見舞われるのか?」「なぜ、義人(正しい)人が苦しむのか?」「なぜ、いい人が災いに襲われるのだろうか?」(これは著者が立てた柱です。ここには「悪い人が不幸になるのは当然です」というニュアンスが感じられます。そこへいくと「悪人正機」の法然や親鸞とは、やはり違うんですね。この点にも、触れてみたい気がしています。いい人と悪い人の差は、親鸞さんたちでは零、キリスト教でも一ミリありますか、というのがぼくの疑問、あるいは理解です、殆んど差はないでしょ、といいたいのですが)

 これらの問いに、明快な答えがあると思われますか。初めにお断りしておきますが、ぼくはキリスト教の信者でもなければ、仏教徒でもない。あるいは、多彩な新興宗教の、どれ一つも受け入れていない人間です。そんな人間に「どうして、このわたしだけが」という苦悩というか煩悶が起ころうはずがないと、不信心者は愚考してきました。病気になるのも、災害に遭うのも、あるいは交通事故に遭遇するのも、すべては「神の差配」「仏(阿弥陀様)の思し召し」などとは、いまだ思い及んだこともない。原因や理由は、自分にある時もあれば、他人に因る事故もあるでしょうが、それをあえて「神・仏」を引き合いに出して云々しようとは、まったく思いもよらないことです。

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● モーセ(Mosheh; Mōsēs)=前 13世紀頃在世のイスラエルの立法者,預言者。エジプトでレビ族の家系に生れ,エジプト圧政下のヘブライ人を率いて脱出に成功した指導者。イスラエルの子孫の力を恐れたエジプトのパロ (王) は出生した男児の殺害を命じたが,モーセはパロの娘 (モーセの命名者) に救われ宮廷で成人した。しかし彼は苦役に従事する同胞を見,同胞を打ったエジプト人を殺したことからミデヤンに逃れた。同地の祭司エテロの娘チッポラを妻として亡命生活をおくっていたが,シナイ (ホレブ) 山で神が彼に現れ,イスラエル人のエジプト脱出を命じたので再びエジプトに戻った。兄アロンの助けによって人々の説得に成功した彼は,パロの頑強な反対にあいつつも,出エジプトを決行,奇跡によって紅海の水を分け脱出を成功させた (出エジプト記1~14章) 。出エジプトの3日後,モーセはシナイ山で神と契約を結び十戒をはじめとするさまざまの掟が示された。酬恩祭として捧げられた雄牛の血は契約の血と呼ばれている。その後もモーセは約束の地カナンへ向けて長く困難な移動を指揮したが,40年ののちカナンへの途次モアブの地ネボ山に没した。享年 120歳と伝えられる (申命記 34章) 。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 「これはほんとうにあった話です。私の知人の子供で十一歳になる男の子が、学校で眼の定期検査を受け、近視だからメガネを使用したほうがよいと診断されました。彼の両親も娘もメガネをかけているので、だれも驚きませんでした。しかし、どういうわけか、その子は深く思い悩み、だれにもその理由を話そうとしませんでした。でも、とうとうある夜、母親がその子を寝かしつけようとしていたとき、話はじめました。

 眼の検査を受けるちょうど一週間前、その子は、二人の年長の友人といっしょに、近所の人が収集日に外に出していたゴミの山を物色していたのですが、『プレイボーイ』という雑誌が出てきたというのです。少年たちはなにか後ろめたい思いを抱きながら、それでも裸の女性の写真にしばらくのあいだ見入っていました。数日後、学校の眼の検査でメガネが必要だと告げられたとき、その子は、あんな写真を見た罰として神が自分の眼を見えなくしようとしている、これはその前兆だ、と思い込んでしまったのでした」(同書)

 これは「いい子」なのか「悪い子」なのか。もし「プレイボーイ」の裸の写真を見たという理由で失明にさせられるなら、ぼくはとっくに、しかも何度も失明しておりましたね、それがわかっているなら、そんな「神」など信じるものか、不信心のぼくなら、きっとそんなところだったでしょうね。日曜学校で「モーセの紅海の渡り」を教わった子と、この子のケース、それのどこが問題なのでしょうか。差し当たって、これは宗教の問題であるというよりは、道徳や倫理の方面に属する事柄なのかもしれません。幼児教育というと、なんだか気軽に考える向きもありますが、これはとても恐ろしい「しつけ」であり「強制指導」にほかならない時もあるんですね。「三つ子の魂百まで」って、いまでも、いいすかいな。

 いずれにしても「どうして、このわたしだけ(ばかり)が、こんな不幸に襲われなければならないのか?」という問いかけに、誰がどのように答えられ、それを、人はどのように受け止めれば、苦悩は収まるのでしょうか。切りのない問題に、さてどうしたら、少しでも近づけるのか、お手本も、見取り図もなしに、ない知恵を絞ることにします。ここに「ラビ教師」の書かれた、一冊の本を横に置くばかりです。

 この島には恒例のように「自然災害」「人為災害」が襲来します。きっと多くの人が犠牲になる。自分がその中に入らない限り、ぼくたちは「スゴイ災難だった」と、文字通り他人事としてやり過ごします。ときには、「どうしてあんなにいい人が、災難に遭うのか、理不尽だ」という気持ちは生まれますが、それ以上に何かできるか、あるいはしようとするか。まだまだ、ぼくには行き届かないことばかりです。不運なことだったと片付けることはできるが、それで片付かない人が、いつでも、必ず存在することを忘れたくないし、そうなると、また別の思案も出てくるのかもしれない。(この稿は続ける予定です)

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