大名は一年置に角をもぎ(柄井川柳)

 【水と空】豆腐の歳月 名文家で鳴らした人は目の付けどころが違うもんだ、と作家の故向田邦子さんの「豆腐」というエッセーを読んで思う。ひと月を〈豆腐を何丁も積み上げたもの〉と例えている▲その昔、豆腐屋の店先で、巨大な豆腐の塊におじさんが包丁を入れるのを見ていた。切り分けた1丁を「1日」とすれば、心にかなうことがあった日はスウッと包丁の入った、角の立った豆腐で、うまくいかなかった日は角がグズグズの豆腐に思えたという▲それが何丁、何十丁と重なってひと月になり、1年になる。今年も残りわずか、スウッと包丁の入った日はさて、どれくらいあったろう▲鍋の中で豆腐が煮崩れるような日もあったな、と省みることしきりだが、またもコロナ禍に覆われたこの1年、多くの人が心にかなう満足よりも、ままならないもどかしさ、先の見えない不安の方が大きかったとお察しする▲向田さんの文はこう続く。歯応えも味もなくて子どもの頃は苦手だった豆腐だが、大人になると〈形も味も匂いもあるのである。崩れそうで崩れない、やわらかな矜持(きょうじ)がある。味噌(みそ)にも醤油(しょうゆ)にも、油にもなじむ器量がある〉と見方が変わる▲豆腐には柔軟さも、いろいろ味付けできる幅の広さもある。来年の日々の“風味”はどうだろう。最後の1丁、2丁を積んで今年も終わる。(徹)(長崎新聞・2012/12/30)

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 本日は大晦日。もっと古風(でもなんでもないが)にいえば「おおつごもり(大晦日)」です。晦日(みそか。つごもり)は月末、一年の末が「おおつごもり」。この語を見たり聞いたりすると、ぼくは樋口一葉の短編を思い出します。「大つごもり」。内容は、それぞれがお読みになることをお勧めします。初出は明治二十七(1894)年。いかにも「貧窮・赤貧洗うが如く」の生活で、その貧乏に窮した余り、主人公の小峰は奉公先から「二円の窃盗」、窮迫している伯父の依頼を果たせなかったための挙に出て、…。一葉は浅草の龍泉寺生まれ。かみさんの生まれた地でもありました。その昔話を、ぼくは何度も彼女から聞いている。吉原は近くだし、浅草は目と鼻の先。一葉はその後、本郷丸山町に引っ越し、小さな雑貨店を出し、文章を書き溜める。ぼくが学生時代からの十年間、本郷に住んでいましたから、丸山町、初音町、真砂町、さらには菊坂と、いつでも歩いてましたが、それは一葉の足跡を追っかけていたような塩梅でしたね。

 百年前の大晦日も、二百年前の大晦日も、貧乏人にはつらい年越し前の、年越しのための一苦労だった。その昔は、多くは現金払いではなく「通い」といって、買った分を「ツケ」にし、月末には支払う。月末には少しばかり払って、大晦日には、すべてを支払い終える、そうしなければ年が越せなかった。このような金の工面や苦労話が落語のネタになり、芝居や講談の材料にもなったのです。「芝浜」をはじめ、いくらでもこの手の噺は切りがありません。それほどに大晦日は、超えるに辛い「山」だったのでしょう。今は、借金取りはのべつに攻めまくりますから、年の瀬の「江戸風味」も雲散霧消してしまいました、いいことかよくないことか。

 「水と空」は、ぼくの愛読する「コラム」で、長崎が親しく感じられてきます。本日の「お題」は「豆腐」でした。向田邦子という人の作品は苦手です。あまりにも趣向というか技巧が勝っていたような、そんな「賢さ」が苦手だった。それは好き好きですから、どうでもいいんですが、「こう書けば、受ける」ことがわかりすぎていたんでしょうか、ぼくは、その技巧がどうしても受け入れられなかった。「名文家で鳴らした人」と、お墨付きを与えておられます。さて、主題は「豆腐」です。と、書いていくと、酔ってもいないのに、よろよろの千鳥足はどこに向かうか知れたものではありませんので、ここまで。

 ただ一言だけ。「豆腐」といい、「納豆」といえば、すべてが同じでうまいものはうまい、そういうことはまずありえません。一例ですが、多くのスーパーで売られているものは「豆腐」という商品名がついていますが、本当にトーフですか。水を白い塗料で固めただけのもんじゃないんですか。ぼくは酒を飲まなくなった大きな理由は、口に合う「豆腐」が食えなくなったからでした。歯がなくなったからではなく、三十年、毎日「肴」にしていたものが手に入らなくなったから。豆腐・納豆・油揚げ、これは三食、年中食べても飽きなかったのは、同じ店のもの、まったく味が変わらなかったから。変哲のない、当たり前の材料(大豆)、にがり、水などで作っていたのですが、転居したためにそれが食べられなくなった。瞬時に「酒は止した」という仕儀に至りました。

 今日は、いつも以上に思いつくままに、駄文重ねをしておきます。(断ることもないのに)

 起きがけの五時前に、ラジオから「本日の誕生日の花(植物)はアオキ」、「花言葉は若々しさ」「長命」とか何とか、女性アンカー(というらしい)が言っていました。植物の「アオキ」は知らなくても、苗字はよく知られています。苗字には実に「木」が多い、まるで植木屋さんのよう。まず青木、黒木、白木、赤木、帚木、山木、植木、桜木、椹木、その他いろいろ、まさかこんなのがと思う、「茶木」という苗字もありました。ぼくはこの名の一人を知っていました。茶木繁、じつに若々しい、何時までも栄えるようなお名前でした。この人は薬会社に務めながら、詩を書いていた。そのうちのひとつが「メダカの学校」になります。(これについてはすでに触れています)苗字のつけ方は、実に端的明快で、日本人の育ててきた「性格」が滲み出ているようでもあります。手近で間に合わせる。

アオキの花言葉には、「若く美しく」「初志貫徹」「変わらぬ愛」「永遠の愛」
の4つの意味があります。
アオキは常緑樹で耐寒性も高いため、初志貫徹、永遠
の愛といった花言葉が生まれました。
アオキの基本情報
 学名:Aucuba japonica
 科・属:ミズキ科・アオキ属
原産国:日本 別名:青木 (https://greensnap.jp/article/8664)

 この植物は生命力の強いもので、日陰では一層その青が引き立つような成長ぶりを示します。青が引き立つと言えば「万年青(まんねんせい)(おもと)」がありますが、これも早くから、ぼくは植えていました。拙宅の庭にも二、三株。「万年青」は、ほとんどが鑑賞用なのが、ぼくには残念。随分と昔、まだ小学生の頃、この植物(万年生)は、「便所」の隅(脇)植えるのだと、おふくろから聞いた覚えがあります。それ以来、その理由は忘れてましたが、この植物を観ると(トイレを)連想するようになりました。花言葉は「長寿」で、一年中、青葉を枯らさないでいるからだそうです。「縁起」がいいかどうか、ぼくには縁がなさそうで、いくら飢えていても幸運に恵まれませんでした。

オモトは昔からとても縁起の良い植物だと言われていて、鬼門に置くと邪気を払ってくれます。よって鬼門である北東方向に置くのが望ましいでしょう。
オモトを庭に植えるとその家はずっと栄えるとも言われているので、地植えで育てられる環境ならそちらにも注目してみてください。
また、江戸時代に徳川家康が江戸に移る際にまずオモトを持ち込んだことから、他の荷物より先にオモトを新居に持ち込むと、運気が開けるとされています。
玄関に飾る新居祝いの植物としても、オモトはおすすめです。(https://greensnap.jp/article/8434)

◉ おもと【万青】=ユリ科の多年草。山地に自生し、肥厚した地下茎から多数の濃緑色の葉を出す。葉は長さ30〜50センチで、厚くつやがある。春、短い茎を出して淡黄色の小花を穂状に密集してつけ、実は丸く赤色、まれに黄色。園芸品種が多い。《 実=秋》「花の時は気づかざりしが—の実/几董」(デジタル大辞泉)

◉ アオキ(青木)【アオキ】=本州(関東以西),四国の林中に自生するミズキ科の常緑低木。葉は広披針形で革質で光沢がある。雌雄異株。花は3〜5月,枝先の円錐花序につき,径8〜10mmで紫褐色。冬にが赤くなり美しい。庭木,また寒地での室内観葉植物として多く栽培されており,斑入(ふいり)その他園芸品種も多い。半日陰地のほうが生育よく,繁殖は実生(みしょう),またはさし木による。大気汚染に強い。(マイペディア)

 アオキはいまも、庭のあちこちに何株も植わっている。自生する力が強そうで、知らぬ間に、赤い実をつけて大きくなっているのを発見するのです。青木も万年青も、いつに変わらぬ旺盛な生命力ですね。

HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

 少し買い物をするために出かけましたが、こんな田舎町でも、人出がありましたので、這う這うの体で、ぼくは帰ってきました。なにしろ、何でも「待つ」ということが死ぬほど嫌いな人間です。食事するために「並んで待つ」などというのは、ぼくには耐えられない苦痛です。切符を買う、タクシーを待つ、そんなことは四六時中でしたが、ぼくは列というか、並ぶということは鬼門(凶)だった。だから深夜の道を、何キロであろうと、歩き通したことは何度もあります。本日は「大晦日」だというので、近所のスーパー(十キロ離れています)に行きましたが、駐車場に車が多く、それを見て、店に入らないで、ぼくは引き返しました。それを二、三軒。何処もダメで、手ぶらで帰宅し、この駄文を書いています。アミンの孝子さんは「待つわ」と歌っていますが、「私待つわ、何時までも待つわ」という気が知れないね。(ただ今、午後十二時半ころ)

 じつは昨日、「川柳」「狂歌」に引き付けられて、久しぶりにもっと読んでみたくなり、昨夜遅くまでと、本日は早朝から、「日本古典文學大系57 川柳 狂歌集」(岩波書店)を繙(ひもと)いているのです。これはぼくが大学生になって、いきなり「百巻」をまとめて買ったうちの一冊。(昭和三十三年十二月に初版発行)「川柳」も「狂歌」も、いわば江戸期に開花、俗にいう「都の花」というものは、「火事と喧嘩」だけではなかったと言うべきか。柄井川柳についても、大田南畝についても、ぼくは知るところがほとんどありません。たった一、二冊の本を元手に、何かを騙るつもりはないのですが、知ることが多くなればなるほど、彼ら、とりわけ南畝の「凄さ」「狂気と正気」の並存に驚かされます。いずれゆっくりと書いて見たくなりました。

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・唐紙へ母の異見をたてつける   ・緋の衣着れば浮世がおしくなり   ・しばらくの声なかりせば非業の死
・鶏の何か言ひたい足づかい  ・日本の狸は死んで風起し (「俳風柳多留 初篇」)

  

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・今さらに何かおしまん神武より二千年来くれてゆくとし  ・年波の今やこえんと門々にたてし師走の末のまつやま  ・ねてまてどくらせどさらに何事もなきこそ人の果報なりけり
・世の中はさてもせはしき酒のかんちろりの袴きたりぬいだり   ・世の中はいつも月夜に米のめしさてまた申し金のほしさよ (以上は、「蜀山百首」より)  

  本日もまた、ご愛敬です。「時世時節よ変わろとままよ、吉良の仁吉は男じゃないか」というほどに、変わらぬものは「世間の薄情 人情の厚情」と。それを、いつでもぼくは祈るや切ですね。

蛇足 表題句の心は。いまなら「単身赴任」の夫の「身持ち」を疑う、妻の「角(つの)」を取ろうとする、いいわけしながら、「鬼」をなだめる風情ですかな。さすれば、劣島に流行る宮仕えの「単身赴任」は、江戸風「参勤交代」の遺産か、あるいは威風(遺風)なのかも。参勤交代は「一年置(おき)」だったが、今流は無期限もあるそう。ぼくには未経験の役回りですが。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。