【北斗星】帰宅の道すがら、所々でイルミネーション(電飾)の輝きを目にする。脱炭素化が叫ばれる昨今、「電気の浪費」と眉をひそめる方がいるかもしれない。ただ雪でふさぎがちな人々の気持ちを明るくしてくれる効果も大切にしたい▼きょうはクリスマスイブ。その輝きはさらに増すだろう。子どもたちが楽しみにしているのはケーキやプレゼント。ところが子ども心にも不安があるらしい。サンタクロースがいつも通りに来てくれるかどうか▼新型コロナウィルスの新変異株「オミクロン株」が世界的に流行。そのため外国人の新規入国禁止などの水際対策が取られている。大丈夫とは思いつつ、サンタの入国が心配なのは無理もない▼政府は新型コロナ経済対策として18歳以下の子どもへの10万円相当給付を行う。県内では全市町村が年内に現金支給を開始。ただ一部は家庭に届くのが年を越すという▼迷走を重ねた末の支給。生活困窮への支援か、子育て支援か、その目的すら不確かだ。給付方法や時期、対象については自治体によって異なる。とはいえ給付金をプレゼント購入に充てたい家庭もあるのではないか。できる限り迅速な支給を望む▼国内でオミクロン株の市中感染が確認され緊張が高まる。世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は22日「来年にはパンデミック(世界的大流行)を終わらせなくては」と述べた。たとえ年を越そうとも、その実現こそ世界が何よりも待ち望むプレゼントに違いない。(秋田魁新報電子版・2021/12/24)
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【明窓】あわてんぼうのサンタクロース この時期によく聞くクリスマスソングが『あわてんぼうのサンタクロース』。クリスマス前にやって来たサンタが煙突から落ちて、ある家に侵入してしまい、帰っていくまでを<リンリンリン>などの擬音語を多用し、楽しい雰囲気を演出する▼作詞したのは吉岡治さん(1934~2010年)。石川さゆりさんの『天城越え』も手掛けたと知り、面食らった。<誰かに盗(と)られるくらいなら あなたを殺していいですか…>。女性の情念あふれる歌詞とは、あまりに印象が異なるからだ▼経歴を見て得心した。山口で生まれた吉岡さんは2歳で母親を亡くし、父親に連れられ全国の炭鉱町を渡り歩いた。その父も16歳の時に他界。天涯孤独となった吉岡さんは歌に慰められ、童謡詩人のサトウハチローさん(1903~73年)に師事し、童謡『おもちゃのチャチャチャ』などを書き上げた▼31歳で歌謡曲に挑戦し、『命くれない』『大阪しぐれ』などのヒット曲も作った。晩年まで書き続けた”女歌”の世界で亡き母のぬくもりを探し、明るい童謡で幼少の頃に憧れた温かい家庭生活を求めたのかもしれない▼きょうはクリスマスイブ。今年は『あわてんぼうのサンタクロース』発表から半世紀の節目という。新型コロナの新たな変異株拡大など、情念を誘うような暗い話題が多いが、きょうばかりは楽しい歌声で元気に叫びたい。「メリー・クリスマス」。(健)(サイン中央新報デジタル・2021/12/24)
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この島社会の多くの人間にとって「クリスマスイブ」や「クリスマス」はどんな日なのでしょうか。ぼくには無縁であるとは言えないけれど、けっして、心清くして迎えたり、祈ったりする日ではなかった。今も昔もそうです。「ジングルベル」が鳴ったり、「聖夜」だなどという経験もまったくないままで、人生の大詰めを迎えています。ただ、ぼくは若い頃は夢遊病者のように地に足がつかないで、世の中では浮いていましたので、いろいろと根無し草のような経験をしました。その一つが「西洋音楽」に入れあげたことでした。右も左も知らないまま大学に入り、東京生まれの友人から「クラシック」のイロハを教えてもらった。高校まではまったく無縁の世界というか、だから、それこそ夢見心地で貪り聴いた。やがて、ぼくはバッハの教会音楽に行きついた。その後は「バロック音楽」と言われるものにも長い間、聞き耳を立てて過ごすようになりました。
その後のこと、ある時、喉の炎症で近所(文京区本郷)の耳鼻科に行きました。その直前にレコード店に行き、シュバイツアーが弾く「バッハのオルガン曲」を抱えていた。その医者は、そのレコードを見て、音楽が好きか、時間はあるかと尋ねた。そして、早々に「診療」を切り上げ、二階に上がってレコードを聴くことになった。以来、ぼくが本郷から転居するまで実によくお邪魔しては、徹夜でレコードを聴いた。これがぼくの「クラッシクの学校」になったのです。彼はぼくより二十歳上の方で、いろいろな話を伺うことが出来た。旧制の帝大を出て医者になった人だった。(このM医師についても、丁寧に書いてみたいと考えています)
ぼくは今、この駄文を、下に示したバッハの「クリスマスオラトリオ」を聴きながら書いています。演奏はカール・リヒターの指揮で、ミュンヘンバッハ管弦楽団とミュンヘンバッハ合唱団のものです。これを聴いていると、ありありとリヒターや彼の仲間たちの姿や楽器の音色、それに独唱者の歌声が甦ってきます。どの楽器、だれの演奏かがほとんどわかるまで聴きました。。ソプラノやテノールの豊かさと音楽性の深さを引き出すリヒターの演奏に、若いぼくは、あるいは全精神(神経)を傾注した、魂を奪われたと言ってもいいほどに聴き及んだ。この演奏を初めて聞いたのは、もう半世紀以上も前になります。ぼくはそれ以来、歌詞(聖書)をドイツ語で覚え、譜面も曲りなりにたどれるようになった気がしました。それで莫大な、かつ貴重な時間やエネルギーを浪費したのかもしれませんが、悔いることはなかった。教会音楽、特にバッハをはじめとする「カンタータ」もほとんど暗記するほどに覚え込んだものでした。
(まだ、リヒターの演奏はつづいています。演奏時間は二時間四十分余)

「帰宅の道すがら、所々でイルミネーション(電飾)の輝きを目にする。脱炭素化が叫ばれる昨今、「電気の浪費」と眉をひそめる方がいるかもしれない。ただ雪でふさぎがちな人々の気持ちを明るくしてくれる効果も大切にしたい」「きょうはクリスマスイブ。(略)子どもたちが楽しみにしているのはケーキやプレゼント。ところが子ども心にも不安があるらしい。サンタクロースがいつも通りに来てくれるかどうか」と、「バカ言ってんじゃないよ」と言いたくなるのは、大人げないか。でも、大人げないのはコラム氏じゃないか。 サンタクロースが煙突から落ちたとか、コロナに災いされて、日本にまで来れないとか、遅れるとか、「バカ言ってんじゃないよ」という気分はさらに募ってきます。「北斗星」の記者が、時には「イルミネーション」もいいだろうといい、「子どもだまし」ならぬ、「自分だまし」に気がつかないのか、つかないふりをしているのか。「サンタさんからプレゼント」と、どれだけの子どもたちは、いやな思いでこの時期(サンタは誰だ)を思い出したのでしょうか。ぼくには無縁のことだったから、その気持ちはわからない。
(「クリスマスオラトリオ」の演奏開始から二十三分直前から始まる「Grosser Herr, O Starker König」が。歌うのはフランツ・クラス。好きな歌手・テノールでした)
サンタクロースがどうだとか、電飾がどうだとか、どうでもいいことではありませんが、リヒターたちの演奏と合唱団の歌声を聴いていると、ぼくは自分でも歌い出してしまいそうです。キリスト教というグランド(背景・文化)があるから分かり、それがないから教会音楽はわからないと言われますが、それは違う。ぼくは音楽として聴くし、それがキリスト教に帰依されるべきものであっても、それが美しく、妙なる物語、歌物語として耳に届くなら、ぼくは対象を選ばないだけです。
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(「あわてんぼうのサンタクロース」:https://www.youtube.com/watch?v=7WLqUTsJhU8)
(「バッハ クリスマスオラトリオ」カールリヒター指揮 https://www.youtube.com/watch?v=RqcSn-VtOoM)
◉ クリスマス(くりすます)Christmas 英語 Noël フランス語 Weihnachten ドイツ語=イエス・キリストの誕生を記念する祝日。降誕祭ともいう。ことばの意味は「キリスト礼拝」である。初期の信徒の関心は、キリストの死と復活のできごとを宣教することに集中していたので、受肉(誕生)の日付の問題は空想的であったし、四つの福音書(ふくいんしょ)には誕生の日付の記述はない。コンスタンティヌス大帝は政治的判断から、キリスト教徒の礼拝日「主の日」を、ミトラス教徒の太陽崇拝の日と結合して、321年に公式に週1回の休日を決定し、役人の休日にした。ニカイア公会議(325)でキリスト論に関する教義が整理され、キリストの誕生の神学的位置づけが確定されると、ミトラス教の祝日Natalis Solis Invicti(不滅の太陽の生誕日)である12月25日がキリストの誕生日として解釈され制度化された。救主(すくいぬし)は「義の太陽」として預言されていたので(「マラキ書」4章2)、好都合な解釈が成立した。そして、たき火をたき、キャンドルをともし、祭儀的競技が催されるゲルマンの冬至の祭りやローマの農耕神の祭りの形式の一部は、キリスト教徒に受容され、電気を照明に用いる現代でも不便なキャンドルを伝統的にたいせつにする。それは、光(神の子)が闇(やみ)(世界)のなかで輝き、熱と光を与えて消える(犠牲死)ように、過去のキリストの1回限りの生涯を年ごとに情緒的に理解する訓練に役だてられる。

8世紀以降、クリスマス前の四つの日曜日を含む期間を「アドベント」Advent(来臨)とよび、教会暦では年の始めであるが、メシアの誕生の追体験とキリストの再臨を待望する心の構えを形成するために、この期間は祝い事を避けて生活する。クリスマスはアドベントから始まり1月6日のエピファニー(公現日)まで続き、その日にいっさいの飾りを外す。プレゼントの贈与と交換の行事は、古代ローマの祭り(12月17日)であるサトゥルナリアSaturnalia(農業神)にさかのぼる。この祭りの魅力は浪費、祝宴、日常的役割と身分の逆転であった。ツリーは、アルプスの北の風習で、起源が呪術(じゅじゅつ)的動機であるため、ピューリタニズムの系譜に連なる教派では飾らない。サンタクロースの起源は、恐ろしい袋をもった人さらいと善行の老人との奇妙な結合なのだが、遠い他人の抱く善意と正しい評価を親が代行する行為は、神の摂理を伝える家庭教育に用いられる。「キャロル」とよばれるクリスマスの歌曲は、民謡を母胎にして発展し、神への賛美、キリストの誕生の喜びと感謝を表現する。優れたキャロルは賛美歌に編入される。その一例が19世紀のグルーバー作曲の『清しこの夜』の歌である。(ニッポニカ)
●大師講(だいしこう)=旧暦11月23日の晩に家々を訪れる大師様に、小豆粥(あずきがゆ)や団子を供える行事。東北、北陸、中部や山陰地方など広域に伝承されている。ことに日本海沿岸地域では顕著で、講と称するが家の祭りである。この日はかならず雪が降るといい、大師様の足が片方であるとか、大師様のために畑の作物を盗む老女の足跡を隠すとかということで、デンボカクシ、アトカクシユキなどとよばれている。また大師様は子だくさんで長い箸(はし)で団子を刺して食べさせるなどという伝承や、片方の足の不自由を表しているという話を伴って、長短2本の箸を小豆粥や団子などの供え物に添える。片方の足や目が不自由だとか、人々の前に出現するときに雪や風など天候が荒れるというのは、日本の神のイメージとして古くから伝承されている一つのパターンである。現在は大師様といえばほとんどが弘法(こうぼう)大師を想定しており、ほかに智者(ちしゃ)大師や聖徳太子などもみられる。しかし、大師講は霜月二十三夜という時期的なことから、その年の新穀を祝う新嘗祭(にいなめさい)的な農耕儀礼が背景にあると考えるべきものであろう。その際に迎える神をダイシとしたのは、大子(おおいこ)つまり神の子ということからきたといわれているが、そうしたダイシ信仰が弘法大師の巡行伝説と結び付いたと考えられる。(ニッポニカ)
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駄文の調子は、さらに変調をきたしてきました。「クリスマスイブ」というのは「キリスト生誕前夜」で、教会ではいろいろな仕来りがありました。それに即して、各地でさまざまな行事が行われてきました。その由来は、よくわからないというのが正しそうです。季節は「冬至」(本年は、十二月二十二日:旧暦では十一月二十三日)近くにあたります。おそらくこの行事の始まりは農業に関わっていたろうと思われます。(詳しくは辞書を参照)似たようなことは各地・各民族に明らかに認められます。この島では「大師講」があります。新嘗祭は収穫祭にきわめて近似しています。
「プレゼントの贈与と交換の行事は、古代ローマの祭り(12月17日)であるサトゥルナリアSaturnalia(農業神)にさかのぼる」「サンタクロースの起源は、恐ろしい袋をもった人さらいと善行の老人との奇妙な結合なのだが、遠い他人の抱く善意と正しい評価を親が代行する行為は、神の摂理を伝える家庭教育に用いられる」という。背景や所以はどうであれ、「愛でたい」「目出度い」(というものではないが)、それなら繰り出そうじゃないか、騒ごうじゃないかと、それに商売が便乗して「ジングルベル」の鈴が鳴り響いたのでしょうね、この島で、バブル時代は狂っていました、とうぜん、ぼくも。
(まだ演奏は続いています。ただいま「Schlafe, Mein Liebster」で、開始後四十八分経過)
吉岡治さんについても一言したいのですが、とてもその気にならないのはバッハのせいです。ぼくはこの人の作詞もよく調べました、という以上に、「じつに演歌だなあ」という雰囲気を教えられました。男と女、酒と泪、これぞ演歌 (嗚呼)、ぼくは、ホントに耽溺しました。「北の新地は おもいでばかり」と口にのぼると、過日の大阪のクリニック放火殺人事件が瞬間的に思い浮かんだ。(いや実際はその反対で、事件の一報を聞いて、即座に「北の新地は」が浮かんだのでした)(本日は、これで中断。バッハを最後まで聞くべしという声がしてきましたので。サンタやキリストや吉岡さんについては別の日に)(バッハを聴きながら、駄文は綴りづらいですね)(耳には「Schlafe, Mein Liebster」が届いています(アルトはChrista Ludwig)。こんな時に、バッハを聞くんじゃなかった。深く(不覚)反省しています。でも、ルードヴィッヒも久しぶりですが、いいですね。柔らかで、心がこもっていて。ただ歌うのではなく、どうして歌うか、どんな思いが大事であるかがが分かり尽くしている人の声がするのです。
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以下は「大阪しぐれ」で、「吉岡・市川・はるみ」トリオの「会心の作」だったと思います。ぼくは蛮声を振り上げて、絶叫とはいかなくとも、何度も声涙を絞ったものでした。「あのひとを 雨よ帰して あゝ大坂しぐれ」それにしても、「エゲツナイ歌」と言いたいですな。歌謡曲だからこその、歌詞ですね。四百年以上も前のバッハの「クリスマスオラトリオ」を、この島の、あるいは大阪の現実に引き付けて歌えば「大阪しぐれ」となるんとちゃいいますか、なりまへんか。「大阪が泣いている」と、吉岡さんは言いたかったのです。この都はるみさんについても、語れば切りのない「おもいでばかり」、いつか滔々と語りたいですね。彼女は京都の人で、小さいころから母親に激しく、厳しく鍛えられて歌い手になった。いわば「巨人の星の」飛雄馬の父親(一徹)のような「お母さん」でした。烏丸車庫の近くで、中学生だったかッと思われるが、ぼくは彼女の母上にお目にかかったことがあります。本日、何年振りかで「大阪しぐれ」を聴き、ぼくの眼も「しぐれ」ているようでした。はるみさんを、ぼくはとても好んで聴きまくりました。ほとんどのレコードは持っていましたね。リヒターのように、でした、好きさ加減は。(*https://www.youtube.com/watch?v=yc9b-fi_nDI)

大阪しぐれ 作詞:吉岡治 作曲:市川昭介 ひとりで 生きてくなんて できないと 泣いてすがればネオンが ネオンがしみる 北の新地は おもいでばかり 雨もよう 夢もぬれます あゝ大阪しぐれ ひとつや ふたつじゃないの ふるきずは 噂並木の堂島 堂島すずめ こんなわたしで いいならあげる なにもかも 抱いてください あゝ大阪しぐれ しあわせ それともいまは ふしあわせ 酔ってあなたは曽根崎 曽根崎あたり つくし足りない わたしが悪い あのひとを 雨よ帰して あゝ大阪しぐれ
「ど演歌とバッハ」が何の矛盾も齟齬も来さないで、一人物のなかに生息するという(それも生き生きと)、矛盾の見本のような「人間」がぼくです。演歌は演歌でいいし、クラシックはそれだけでいい。比べる必要もないし、優劣は比べるべくもないものです。人間は「矛盾」した存在です、それが生きているということじゃないですか、とぼくが言うのもなんですが。「ひとりで 生きてくなんて できないと 泣いてすがればネオンが ネオンがしみる」と吉岡さんは言われました。「あなた」「あの人」はどこに行ったのでしょうか、と。演歌に託して、思慕の念、止みがたい「人」求めているのですね、どなたも。その念慮が、やはり聴く人にも通じるから、胸に響くのでしょうか。
(ただ今、トランペットが響き渡っています。半分が過ぎました。「Herrscher Des Himmels, Erhöre Das Lallen」)
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