捨てし身や焚火にかざす裏表(茅舎)

 サルもたき火でぽかぽか 愛知の日本モンキーセンター

愛知県犬山市の日本モンキーセンターは21日、鹿児島・屋久島に生息するヤクシマザルがたき火に当たり、暖を取る様子を報道陣に公開した。冬至の22日と来年1月末までの土日祝日、正月三が日は、一般の来園者も観察できる。(下はたき火に当たり暖を取るヤクシマザル=21日午前、愛知県犬山市の日本モンキーセンター)/ 約140匹のサルは、入れ代わり立ち代わり火を取り囲み、背中をあぶったり、毛繕いし合ったりしながら、くつろいだ表情に。職員が、たき火の下からサツマイモを掘り出すと、一斉に群がり、湯気の上がる熱々の焼き芋にかじりついていた。/ 飼育員の山田将也さん(34)は「寒い冬に暖まるのはサルにも必要なのか、顔色もよく見えた」と話した。/ センターによると、1959年の伊勢湾台風で出た倒木や廃材で職員がたいた火にサルが近づいてきたのがきっかけで、園の冬の風物詩になっている。(産經新聞・2021/12/21)(https://www.sankei.com/article/20211221-HZ57HOWTEJK5TJKWA6WFUI5BYA/)

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 その ① 猿が焚火にあたるということ 犬山モンキーセンターは、京都大学霊長類研究所が開設に深くかかわった施設で、現在は財団法人日本モンキーセンターが運営しています。霊長類研は今西錦司さんに始まる日本の霊長類研究の中核を担って、ここまで、世界における斯学の研究をリードしてきたのです。すでに触れていることですが、この京大霊長類研では金銭に関わる不祥事が発生し、学内ではこの研究所の統廃合を含めた検討が進められています。ぼくはこの研究所の仕事を早くから追っかけてきた一人として、事態の推移を関心をもって眺めています。どうして友だちのお猿さんたちから学ばなかったんですか、M先生。亡くなられた河合雅雄さんがいたら、さぞかし怒りに狂われるか、あるいは、「そんなもんや」と諦観を示したか。「人間は、やっぱりアカン、お猿さんに戻らな」と仰ったかもしれません。それはともかく、お猿さんたちが焚火を囲み暖をとる、その火中に「焼き芋」があり、やがてその「火中の芋」獲得を巡る激しい闘いが繰り広げられます。焚火に当たるのは、その「作戦会議」のようなものでしょうか。

 「たきび」(昭和十六年)という唱歌を知っておられるでしょう。ぼくは作詞(巽聖歌=詩人であり、生活綴方教育の指導にも尽力された)作曲(渡辺茂=都内の学校の教師で、校長を最後に退職された)の両者ともによく存じ上げている(直接ではなかったが)方でしたし、いろいろな機会にさかんに歌ったり、作詞作曲に関わったお二人のエピソードを話したりしてきましたので、ここでもたくさん駄弁りたい気分ですが、本日は止めておきます。子どもたちが通学路を、いろいろな話をしながら通っていると、山茶花の並木の傍(そば)で、誰かが焚火をしている。「あたろうか あたろうよ」と、少しは遠慮勝ちに、しかし、嬉しそうに手を出している、その手の「しもやけ」が痛そうだ、そんな風景が目に浮かびます。この「たきび」の現場だったところに、ぼくは何度か足を運びました。東京都の中野にありました。この「たきび」発祥の地はほかにもあります。何事においても、「本家争い」が絶えません。いまは「たきび」はご法度ですね、都内では。戦時中も「落ち葉は貴重な燃料だ」とかなんとか、それで「たきび」は禁じられたと言います。今から考えても、腹が立つほどに、なんとも愚かしい国だったし、今もその「愚かしさ」は増えたとは言えても、減じることは一切ないですね。(*「たき火」(https://www.youtube.com/watch?v=zJppZ5_0swM

 お猿さんの場合は、唱歌の内容とは趣がちがう、厳しい生存競争の一コマで、なんとも「寒暖の差」が激しい「越冬風景」なんですよ。それを人間どもは「お猿のクセに焚火だって」「微笑ましい」とか言って、カメラを向けるが、実はこの猿たちの焚火は今に始まったことではなく、悠久の昔からの「生活文化」に他ならないのであって、それを受け継いだのが、じつのところ人間たちだったのです。人間は「知恵」があるとか、猿は「三本足りない」とか言って、「万物の霊長」をひけらかしています。しかし、人殺しや原爆を競争して投下するような戦争は、金輪際、サル社会には見られません。少しは、猿を真似たらどうですか、それが本日の主題(駄文の趣旨)です。

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 その ② 実はおサルさんが温泉に入るということ お猿さんたちには入浴の習慣があるということを、近年になって人間が認めて驚いているのです。風呂に入るのは「俺たちだけ」と自慢げにしていると、とんでもないことが露見してしまうのです。風呂に入るのは猿だけではない、カピバラも馬も象も牛もキリンも、という具合に、誰だって浸かっていたんです。それを人間が真似したので、その逆ではありません。お猿さんのすることは、すべて人間が「遅れてきた猿」として模倣しているんです。いわば、猿の「後塵を拝する」というところです。その典型は「権力(ボス)争い」です。この争いは、あらゆる人間社会で見受けられます。カネや地位や名誉や、といろいろと「争い」のタネには事欠かないが、要するに最後は「力関係」によって決まるのです。ブラジルでは市長と元市議さんが政策論争の始末を「ボクシング」でつけるという事態がありました。市長が勝ったようですが。ボス争い、つまりは権力争いは「人間の特権」なんかではなく、「遅れてきた猿」のしがない証明でもあるんです。おそらくお猿さんは、正真正銘、自己の力限りで闘いますが、人間はさまざまな飛び道具(賄賂とかいう汚い手を使う)のも、遅れてきた証拠です。猿たちは裸一貫、人間どもは背広やネクタイをしているだけの違いです。なんで、人間は「裸で勝負」しないんでしょうね。

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 「地獄谷野猿公苑は、長野県の北部、上信越高原国立公園の志賀高原を源とする横湯川の渓谷に位置しています。 険しく切り立った崖に囲まれ、噴泉が絶えず噴煙を上げている、そのような光景に、いつしか人々はこの地を地獄谷と呼びました。標高850m、地獄谷の冬は厳しく1mを越える雪に覆われ、最低気温が-10℃を下回ります。人間を除く霊長類の生息北限とされる下北半島と比べても引けをとらない厳しい環境です。/ 地獄谷野猿公苑は、1964年開苑以来、ニホンザルの興味深い生態を間近で観察できる場所として、広く世界中の人々に愛されています。また、多くの研究者や写真家も訪れ、数々の成果を上げています。/ また、温泉に入るサルとしても知られ、1970年、米「LIFE」誌の表紙に掲載され海外にも報道されました。1998年の長野冬季オリンピックの際は選手、大会関係者、報道関係者等、世界中からの人々が大勢訪れ、話題となり、広く世界中に知られるところとなりました」「各地に野生動物が温泉で傷を癒したとか言う民話や伝説はありますが、どれも神話の域を出ません。しかし、地獄谷のサルたちが温泉に入るのは事実です。しかし、昔からサルたちが温泉に入っていた訳ではありません。/ 餌づけに成功し、サルたちが野猿公苑にいる時間が多くなると、エサを待つ間ののんびりする時間が出来ます。ある時、何かの偶然か子ザルが野猿公苑のすぐ近くの後楽館の露天風呂に入ることを覚えました。冬の寒いときに温泉に入っていると温かく気持がよかったのでしょう。/ 徐々に仲間の子ザルや他のサルもつられて温泉に入ることを覚えました。/ ヒトの温泉にサルが入っては衛生上好ましくないので野猿公苑内にサル専用の露天風呂を作りました。以来、代々、サルたちの間に温泉に入る行動が受け継がれています。(地獄谷野猿公苑HP;https://jigokudani-yaenkoen.co.jp/

(産經新聞の動画は ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=N7OC8p6ES0w

その ③ 実はお猿さんは知恵があるということ いくつも例証がありますが、ここでは「海水でサツマイ洗い」を。これもすっかり有名になりました。お猿さんの「文化」の明らかな証明として、ここでお示ししたくなりました。お猿さんは、サツマイモを洗って食べるんです、それを人間が受け継いできたというわけ。宮崎県の幸島というところで観察された現象ですが、これについてはすでにどこかで触れています。幸島のお猿さんたちも、京都大学の霊長類研の管理によって維持されてきました。ここに研究員以上の「おサル博士」であったのが三戸サツヱさんでした(左 写真)。彼女がいなければ、幸島の猿の賢さが世界に知られることはなかったかもしれません。彼女は百頭を超えるお猿たちそれぞれに「固有名」を付け、深く猿たちから思慕された方です。彼女が亡くなった時に、お猿たちが喪に服したとか、服さなかったが、悲しんだとか。

 彼女は宮崎の人で学校の教師をしておられた。その傍ら、幸島のお猿の世話を受け持っていたのです。三戸さんが山で「サツマイモ」を与えたところ、一匹のサルがそれを山の水で洗ってたべた。海岸に降りてきて、同じようにサツマイモを与えたところ、一匹の猿が海水で洗い出したというのです。やがてすべての猿(塩水で洗う)がそれを行った。「最初に若い個体によって獲得され,それが血縁関係にある個体や遊び仲間など,とくに親しい関係を通じて徐々に群れ全体に伝播していった」(世界大百科事典)文化というのは、地面から生えるように、集団の中から生まれるんですね。今、ぼくたちの社会では「地から生え出る文化」は解体の憂き目に遭っています。世代交代が機能していないからです。学校よ、どうしてるんだ、出番がそこにあるではないか。

〇 三戸サツヱ( みと-サツエ)=1914-2012 昭和後期-平成時代の野生ザル研究家。大正3年4月21日生まれ。小学校教員のかたわら,昭和22年から宮崎県串間市沖の幸島(こうじま)で野生ザルの観察をはじめる。29年日本初の餌付けに成功。京大霊長類研究所の幸島野外観察施設研究員をつとめ,芋洗い行動の発見,群れの系図作成などの業績をあげた。49年吉川英治文化賞。平成24年4月7日死去。97歳。広島県出身。安田学園卒。(デジタル版日本人名大辞典+Plus)

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 もちろん、洗剤などという怪しげで危険な化学薬品や物質には目も向けません。この「イモ洗い行動」はやがて各地のお猿さんに伝わったと言われています。愚見では、それは正しくないようで、本当は人間の誕生前からお猿たちには「文化」があり、それが人間による乱暴な破壊行為によって、お猿たちは身を潜めていたんだけなんです。人間のすることをお猿がすれば、それを「サル真似」と揶揄しますが、猿を人間が真似るのは「ヒト真似」といって非難こそすれ、それを評価しないのはどうかしています。「真似る(学習する)」という行為「学ぶ」の元になる行為であり、実は人間以外の動物一般に広く認められることであって、それが「いつでも、どこでも、学校(学ぶ機会)」というものの機能だったんです。人間が獲得したとされるもろもろのものは、実際には「お猿からの遺伝」であることがほとんどなんですね。「人間は遅れてきた猿」であることに変わりはないわけで、その自覚がないところから、人間社会の「悲劇」も「喜劇」も後を絶たないんです。

 万物の霊長とは「万物の中で最もすぐれているもの、すなわち人間のこと」(デジタル大辞泉)という。マジかよ、と言いたくなります。考えつく限りでの「悪逆非道」をすまし顔でやってしまう。信じがたいほどの「殺戮」を行う。これが「霊妙優秀な存在」のすることでしょうか。ぼくが「霊長類研究」に大きな関心を抱くのは、この「人間の悪」はどこから、どうして人間に棲みついてしまったのかということに関わっていることです。犬猫、牛馬などと同列にして「犬畜生にも劣る奴」などという悪罵を人間同士でぶっつけ合う。これはぼくの経験でも他の生き物には見られないことです。人を殺す、しかも大量に殺戮するための武器を懸命に考案して「ノーベル賞」だとは、まことに悪い、いや黒い冗談だよ。好きになり嫌いになり、挙句に、わが身を滅ぼし他者を傷つける。これもまたたの動物には絶えて見られないことです。人間であることは、どうしようもないほどに「展望のない存在」であることを言うのでしょうか。

 以前は、染色体レベルで猿と人間の差は90%程度と言わていました。しかし分析の精度が高まるに応じて、その差は微細・微妙になってきました。ほぼ9%以上が同じだとされるようになってきました。1%未満の差は案でしょうか。「サルに足りない、それが1%」というのですが、やがて、それは逆転するのではないかと、ぼくは見ています。猿になくて(がしなくて)人間にあるもの(するもの)、おそらく「自殺」であり、「殺人」であり、残虐な「殺戮」ではないか。表現はいいろいろに考えられますが、知恵や思考力というものに関しては、人間が優れていると思われますが、それを悪用すれば、とんでもないことになるでしょう。「智慧の実」を、人間はしこたま食してしまったんでしょうね。悪用された「智慧」は、もはや「智慧」ではありません。

 ぼくはルッソオという思想家を、若い頃に学びました。彼は、みずからの思想の根底に「自然に帰れ」という趣旨のことを据えていました。「神の手から出るときは善、人間の手(社会)によって堕落した」と。だから「文明」が進めば進むほど、人間の堕落は限りなく深く大きくなるというのです。現状はどうか。ルッソオの予言は的中したのでしょうか。その彼の顰(ひそみ)に倣って、(まるごと申年生まれの)ぼくは言いたい、「お猿に帰れ、今すぐにでも」と。だが、無理だろうな、余計な悪知恵がつきすぎたもんなあ。三本足りないと言って「お猿を嘲った」人間は、たった三本ばかり多いからと、みずからの生き方に苦しみ悩んでいるのです。自縄自縛というのですかね。「三本多いこと」はいいことではなかったんだ。

 手洗い(マスク)に注意して、「柚風呂」にゆっくりと入り、たきびで焼けた「焼き芋」でも齧りながら、わが身一人だけではない、この島合社会の「来し方」「行く末」を、じっくりと考えたいね、そこから生まれるのが「ひと知恵」というものですね。

 蛇足 お猿さんの顔が赤いのも、お尻が赤いのも、きっと「温泉と焚火」の習慣がいかほど長く続いてきたかの証明ですね。だから、このままで、人類が亡びもしないで「温泉と焚火」(あるいはそれに似たような代替物)の習慣を続けると、やがて「お尻とお顔も真っ赤っか」になるに違いない。「遅れてきたお猿」であることがいいよいよ明らかにされますぞ。人間社会にも、「赤い顔」がすでにたくさんいますが、これは「サケ」とかいう危険な飲み物のせいでしょう。ぼくもその昔は(恥ずかしいほど)「真っ赤」でしたな。

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 表題に掲げた川端茅舎、その渾身の一句と、ぼくが鑑賞するものを。

・金剛の露ひとつぶや石の上

〇 川端茅舎(かわばたぼうしゃ)(1897―1941)=俳人本名信一(のぶかず)。東京日本橋区蠣殻町(現、中央区日本橋人形町)生れ。川端龍子(りゅうし)は12歳年上の異母兄。独協中学卒業後、藤島武二絵画研究所に通い、のちに岸田劉生(りゅうせい)に師事した。1915年(大正4)『ホトトギス』に初入選し、1924年雑詠欄の巻頭を得た。その間武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)の「新しき村」の村外会員になったり、京都東福寺の塔頭(たっちゅう)正覚庵(しょうがくあん)に寄寓するなど、求道的な生き方を追究した。1931年以降は脊椎カリエスにより、大田区大森の自宅で約十年に及ぶ病臥生活を続けた。『川端茅舎句集』(1934年、玉藻社)の中の「金剛の露ひとつぶや石の上」、または第二句集『華厳(けごん)』序に記された高浜虚子の「花鳥諷詠真骨頂漢」という言葉から、「茅舎浄土」と評された作者の俳境がうかがえる。(ニッポニカ)

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。