【有明抄】2人の命日に「今」を思う 今夏開かれた「相田みつを全貌展」には「没後30年」の副題がついていた。30年前のきょう12月17日が命日。67歳だった。「つまづいたっていいじゃないかにんげんだもの」「一生勉強一生青春」などの作品を思い出す◆寒さが厳しさを増す時季の死去。ふと思い出して調べるとやはり…。この欄を担当していた大先輩の(徹)さんの命日が12月19日だ。享年55。突然の訃報が信じられなかったあの日から、もう21年になる◆悲しいことだが、誰にでも必ず「あした」がくるとは限らない。相田さんの生涯も長かったとはいえない。だからこそ「今」を大切に生きなければならない。相田さんの作品で、もう一つ心に残るのは「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」。幸せの定義は人それぞれ。今はつらくても「生きていてよかった」と思う日が来るだろう◆「日日是好日」という言葉がある。「にちにちこれこうにち」「にちにちこれこうじつ」などと読み、毎日をよき日として過ごすことが大切、と解釈される。日常はほぼ同じことの繰り返しだが、コロナ下で、同じ日を繰り返せることが幸せと思わされた◆21年前のきょう、(徹)さんの最後となった有明抄は落語の「芝浜」を題材に、夢に浮かれないようにと説いた。何かとせわしない師走だが、一日一日を大切にと気合を入れ直す。(義)(佐賀新聞 Live・2021/12/17)
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数日前にも「相田みつを」さんに触れました。今なお、さかんに「展覧会」が各地で開かれています。没後三十年といいますが、いよいよ「盛名」は遍(あまね)く馳せるという感がします。しかし、これは存命していたみつをさんとは無関係です。そのいい悪いをいうのではありません。「死して名を遺す」人もいれば、「死に先立って名を遺す」人もいます。あるいは「生前」も「死後」も名を残さない人もいます。こ場合の「名」とはどういうことでしょうか。ぼくにはよくわかりません。どんなものにも「名」がありますから、あえて「名を遺す」などという必要もなさそうですのに。生きた証を「名」というのでしょうか。それが「名」であるなら、残すのは当人ではなく、関係者でしかありません。これを「顕彰」というのかもしれない。ぼくにはよく理解できません。この地上には「遺(された)名」ばかりが立てられています。それがお墓であったり、石碑であったり。残された人たちの仕業です。それの「是非」はともかく、です。
「誰にでも必ず『あした』がくるとは限らない」と、コラム氏は言われます。「今やりたくない、あしたにしよう」「あした逢おうか」という、その「あした」が来るとは限らないというのでしょうが、どんな人だって、何時までも「あした」が来るとは言えないのが「人生」「生涯」ですから、生あるものには、きっと、必ず、不可避に「あした」は来なくなると言うべきでしょう。 これの「表現」はともかく、です。

このコラム氏の文章を読んだ際に、ぼくは、親鸞さんの作と言われる「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」というのを想起しました。これは比叡山の座主だった慈円のもとに「得度」を願い出たとき、慈円は「今夜はもう遅い、明日にしよう」といったのに対して、親鸞が答えたものとされている(もう少し、曲折。尾鰭(おひれ)があるのですが、今は触れない)。この時、親鸞は九歳だったという。よく「法事」で聞かされる親鸞の「お言葉」に「散る桜 残る桜も 散る桜」がありますし、「朝に紅顔ありて夕べに白骨となる」(これは親鸞の言葉でなく、「和漢朗詠集」にあるもの)があります。いずれも「「行く川の流れは絶えずして…」というようなもので、いのちの「儚(はかな)さ」「移ろいやすさ」を言うのでしょう。(昨日、大阪の中心街にあるクリニックで「放火事件」がありました。「あした」のための「心のケア」に通院されていた方々が多数亡くなられました。合掌するのみ)(左の写真は「お寺の掲示板」。右上も:https://diamond.jp/articles/-/282515)
● 慈円 じえん=1155-1225 平安後期-鎌倉時代の僧,歌人。久寿2年4月15日生まれ。藤原忠通(ただみち)の子。九条兼実(かねざね)の弟。天台宗。覚快(かくかい)法親王の弟子となり,明雲(みょううん),全玄にまなぶ。4度天台座主(ざす)に就任したほか,無動寺検校(けんぎょう),四天王寺別当などをつとめる。大僧正。「愚管抄」をあらわして公武協調を主張。歌が「新古今和歌集」に92首のる。家集に「拾玉集」。嘉禄(かろく)元年9月25日死去。71歳。法名ははじめ道快。通称は吉水僧正,無動寺法印。諡号(しごう)は慈鎮。【格言など】おほけなく憂き世の民におほふかなわが立つ杣(そま)に墨染の袖(「小倉百人一首」)(デジタル版日本人名大辞典+Plus)
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日々是好日といいます。「毎日がいい日です」ということのようです。いや、どんなにいいことがあった日でも、どんなに辛いことがあった日でも、禅の世界(教え)では、寸分の違いも(差)ないという意味だそうです。「絶対」「真言」という見地からすれば「五十歩百歩」ということでしょうか。身長が百五十センチであろうが、百八十センチであろうが、別の尺度(無限)からすれば、どっこいどっこい。生きていることが「好日」だというのかもしれません。これは素人向けの「箴言」ではなく、プロ僧侶のための「諭し」でしょうね。同じようなことを、良寛さんはこう言いました、「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候」と。良寛さん、そんなもんですかなあ、と一言したくなりそうですが、しかしあたふたしても始まらない、いっそのこと、「どうなとなれ」「好きにさらせ」という心持も(いや、むしろ「捨て鉢」か)、また大事ですよということでしょうか。ぼくなんか、何時まで経っても「日日是口実」ですなあ。ここで、「芝浜」について一席、ご機嫌を伺いたいのですが、お日柄がよろしくなさそうですので、日を改めて。(右上は東浦奈良男さん)
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● 日日是好日=来る日も来る日も、楽しく平和なよい日が続くこと。一日一日を大切に生きる心構えをいう。[使用例] 普通に禅でいうところの虚空的な心の自由が得られて、日々これ好日の生涯を経るという程度の幸福なら、格別欲しくもなかった[岡本かの子*宝永噴火|1940][使用例] 一切の社会的罪悪から脱して、日々是好日の世界に暮して居ることを、自覚せよとの警示である[久保田万太郎*にわかへんろ記|1953][由来] 「碧巌録―六」に出て来ることば。九~一〇世紀、唐王朝が滅びる前後の時代の中国に、雲門文偃という禅僧がいました。彼はあるとき、弟子たちに向かって、こんなことを問いかけました。「夏の修行が終わる七月一五日までのことは問題にしない。その日以後のことを、一言で言い表してみよ」。そして、弟子には答えさせないまま、自分で「日々是好日(毎日がよい日だ)」と答えた、ということです。[解説] ❶「碧巌録」は、禅問答の書物ですから、このお坊さんが何を言いたいのか、一般人にはよくわからないのも当然です。ただ、禅の無の境地に達すれば、どんなにいいことがあった日でもどんな災難に見舞われた日でも、なんら違いはないのだろうと思われます。❷だとすれば、「日日是悪日」でも、結果的には同じことになるはず。それを上向きに「好日」と表現しているところが、このことばが広く愛されてきた理由なのでしょう。「毎日をありがたく生きていく」といったニュアンスで用いられます。❸「日日」は、禅の世界では「にちにち」と読むのが習慣ですが、故事成語としては「ひび」とも読むこともあります。(故事成語を知る辞典)
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ある人の本を読んでいたら、「捨てるだけ強くなる。得られる。自由になれる。捨てただけ強くなる」とありました。この言葉の主は「東浦奈良男」さん、故人です。会社を定年退職した翌日から「一万日連続登山へ挑戦」された方。(近々、この方のことについて書いてみたい)人はどうして「千日行の十倍の修業」を求めるのでしょうか。これが「日日是好日」というものなのでしょうか。東浦さんは退職の日の日記に「自由」と書かれていたと言います。(左は「山と渓谷」2007年1月号)一万日とは二十七年五か月弱です。何故、「毎日登山」を一万日もか、と聞かれて、「①両親に話す、冥土へのお土産 ②供養と償い ③奥さんへのプレゼント」と答えた。こういう人が、実際に存在されているんですね。表向きの理由はそうかもわかりません。しかし、この異様な「毎日登山」に駆り立てるもの(情熱)は、彼の身中に燃え滾(たぎ)っていた、その熱源は何だったのか、ぼくは、恐ろしくなるほどの執念(信念ではなく)を感じるのです。
歩く人、走る人、そして登る人、今の時代だからこそ、身一つで、わが身を動かすことに集中する、そんな時代でもあることを、ぼくは教えられています。我が身一つで、あるいは、裸一貫で。それを「孤独」「孤立」というなら、どうぞ。その「信念」というか「執念」というものを支える柱はどのようにできているんでしょうか。中から育つのか、あるいは、外からいただくのか。
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●千日回峰行=天台宗総本山・比叡山延暦寺に伝わる比叡山の山中などで行われる荒行。平安時代から続いている修行で、比叡山の礼拝場所などを巡り約4万キロを歩く。修行700日を終えた後には9日間、食事や水を断ち不眠不臥(ふが)で不動明王真言を10万回唱え続ける「堂入り」を行う。これを終えた行者は「當行満阿闍梨(とうぎょうまんあじゃり)」と称され、生き仏として信仰を集める。その後2年間修行を続け、すべての修行を終えるまで7年間、1000日を要する。2015年10月21日未明、同寺一山善住院の釜堀浩元住職が、8年ぶり・戦後13人目となる「堂入り」を終えた。(知恵蔵mini)
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