「私は素人ですが、あなた方におたずねしたい。学校でやる授業というのは、わかったらおもしろくないものじゃないですか。わからないから楽しい。それが授業の本質じゃないですか。つまり教師だけが答えを知っている、そこへ向かって子どもの能力をできるだけ早く順応させるというなら、これ授業じゃないでしょう?」(むのたけじ「『楽しい、わかる授業』とは」教研サークルでの講演。97年8月。『むのたけじ語るⅡ』所収、評論社・08年刊)(何度か引用)

楽しい授業、わかる授業と教師ならだれでも言いもするし、あこがれもする。はたしてそんな授業は可能なのかどうか。むのさんは、林竹二さん(哲学者)と知り合いだった。林さんが横手に来て、一回だけ授業をされたことがあった。
「林さんが小学校四、五年生を相手に、動物を題材としながら、『人間とは何ぞや』という哲学の根源の問題を問いかけていくわけです。私はそばで見ていた。相手が子どもだからといって学問の水準を一ミリも下げてはいませんよ。言葉はわかるように工夫していますが最高の水準です。子どもたちは初めて聞く話です。はじめはとまどいがあります。ところが四〇分たって授業が終わると、子どもたちはこれまでもたなかったようなキラッキラした目の輝きを示しました。つまりそれは、わからないことと闘った、わからないということがわかった、努力すればもっとわかることができるだろうという感動です。これを、全く準備なしの初対面の四〇分の授業の中で実現できる。それは林さんが偉いからだとは私は思わない。それが普通の授業だ。一〇〇人の教師がいれば、そのだれもがやれる授業の本質だと私は思う」(同上)
この「人間について」という授業を、林さんは、少なくとも百回以上は行われたと思います。同じ授業内容をくりかえし、何十回でも、何百回でも行う、その前段階の授業(教材)研究も同様でしょう。そこからさらに「授業」の質が高まるという可能性が出てくるのです。ぼくは「落語」好きですから、この間の事情が分かるつもりなんです。同じネタを何百回とこなす、そのたびに、噺家は「初めてのネタ」という態度がとれるんじゃないでしょうか。ぼくも、年間に何百回と授業みたいなものをしましたが、何時でも新鮮な気持ちで教室に入るというのは、ぼくごとき人間では至難の業でした。「初めてする授業」というのは、どのようなことを指すのでしょうか。pro野球の選手がいつでも初めての気持ちでバッターボックスに入る。あるいはボクサーが初めて戦う気持ちでリンクに入る。きっと、このような心境というものはあるのでしょう。
授業に入る前の準備が単なる確認作業である限り、それはできない相談です。回数をこなせばこなすほど、内容が蘇るというか、今まで見逃していた課題や問題点が見えてくるということで、それは本でも映画でも、繰り返し読んだり観たりするたびに、それまで見逃していたり、捉えそこなっていたものがよりよくわかるようになるということです。熟読とか熟視という言葉が、それを表わしています。熟練の域というのは、目を瞑っていてもピアノが弾けるというようなことを言うのではないでしょう。これは他者と交際するのと、まったく同じような事情ではないですか。付き合いが深くなるにつれて、見えてくるものが、新たに出てくるんですね。ぼくにとって、一番の他者はかみさんで、もう半世紀付き合っていても、何時でも「新鮮」というか、「わからないところ」だらけです。つまり、彼女はぼくにどって「ダラケ―」なんだ。教室(授業)も、そうなんじゃないでしょうか。
林先生の授業は、どれほど子どもたちの探求心をゆさぶるものなのか、授業を受けた子どもたちの感想をいくつか紹介します。(原文ママ) 「(前略)先生と勉強していると40分が10分くらいにおもえた。もっといっしょに勉強したかったのです。」 「(前略)林先生の授業がはじまりました。しばらくして気づいたのですが、私は林先生という人はふつうの先生にはないものをもっている先生だな、と思いました。生徒一人一人に話しかけ答えがかえってくるとこんどはそれを深くついきゅうして問いかけます。」 「(前略)林先生は答えを出すと、どこまでも問いつめるので勉強がたのしくできる。」(「みんなの教育技術」:https://kyoiku.sho.jp/13559/)(ヘッダーの写真も同誌より)
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林さんの授業は「普通の授業だ」、このようにむのさんはいわれますが、そうでしょうか。だれもができる「普通の授業」だとぼくは思わない。まず、子どもにまともに向きあえる大人、教育や授業を見くびらない教師、そのような姿勢や態度をもっていて、初めて「普通の授業」が可能となる条件がそろうのでしょう。逆に言えば、子どもを見下し、教育を見くびっている大人(教師)があまりにも多すぎるということではないですか。あるいは、むのさんは聞き手である教師たちをそそのかし、怒らせて、彼や彼女を持ちあげようとしたのかも知れません。(むのさんについては、この「駄文録」に、すでに何度か触れています)教師たちを前に行われた講演会で、「素人ですよ、こんなことを言うのは」と、むのさんは職業教師たちのど真ん中に、一人で切り込みました。一面では、当たり前の、なんでもない「授業論」ですが、痛く胸に響きます。その理由はどこにあるのでしょう。いまは、こんな「しろうとは探してもいないのではないかああと、ぼくは超嘆息を吐きそうになります。

「学校でやる授業というのは、わかったらおもしろくないものじゃないですか。わからないから楽しい。それが授業の本質じゃないですか。つまり教師だけが答えを知っている、そこへ向かって子どもの能力をできるだけ早く順応させるというなら、これ授業じゃないでしょう?」わかったらおもしろくない、わからないから楽しい、ここで、むのさんはずばり、子どもたちの「考える時間・自由」を奪うなと言いたいのでしょう。「わからない」ということを知るのは「自分で考えるから」です。自分で「問題を考える」から、面白いし楽しいのですよね、それは皆さん経験していないんですか、とたくさんの教師たちに問いかけたんです。「楽しい授業」とは、「おもしろい授業」とは、とプロの教師たち(教職という仕事で飯を食っているということ)に、怖気づかないで、問題そのものを、ずばりぶつけています。ぼくはこの場に自分がいたとしたら、そしてぼくが現役の教師だったら、「仰せの通りで、ぼくもそのような授業を創ろうと、悪戦苦闘しているのです」といっただろうと、この本を読んでいる際に思いました。
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「私は、何であれ、時々の政府の支配・被支配の影響を受けると思います。拘束されると思います。しかし、教育の場合、影響され拘束されながらそれを尚且つ乗り越えてゆくものと思っている。そのことにおいて人間のやれる仕事の他の部分と大変違っているという認識がなくちゃいかんと思っています」(同上)
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むのさんはジャーナリストであったし、林さんは「哲学研究」をもっぱらにしていた大学教授でした。どちらも「教育・授業」の専門家ではなかった、だから、懸命に「教育の根本義」を考えだそうとしたのだろうと、ぼくは考えていました。この点も大事なところではないでしょうか。職業教師なら「教育とは」ということについて、じゅうぶんな観念や経験を持っていると、みずから思い込んでいます。だから、それを激しく否定したり、疑うには大きな抵抗があるのです。「常識」を疑い、時にはそれを否定することは、当人にとっては想いの外、困難です。それに寄りかかっていれば、少なくとも周囲との軋轢は生まれないからです。皆といっしょという(連帯感)が確かめられますからね。今は、この「(嘘くさい」連帯感)が教員世界を覆っているようです。みんないっしょ、の合唱です。生徒には「個性」とか「自主性」「主体性」などと無責任に、いい加減なことをいい触らっしているのに。そして、世間の価値観である「常識」を子どもたちに植えつけることが教師の仕事であるならば、まちがいだらけの世間、不公正に満ちている世間、さらには優勝劣敗・弱肉強食という生存競争に明け暮れる世間に対する批判というものが生まれようがないのではないですか。このことは長年にわたってぼく自身が、ささやかなものでしたが、実際に現場で経験していました。
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● 林 竹二(ハヤシ タケジ)=昭和期の教育哲学者 東北大学名誉教授;元・宮城教育大学学長。生年明治39(1906)年12月21日 没年昭和60(1985)年4月1日 出生地栃木県矢板市 学歴〔年〕東北帝国大学法文学部哲学科〔昭和9年〕卒 学位〔年〕文学博士〔昭和37年〕 主な受賞名〔年〕毎日出版文化賞(第30回)〔昭和51年〕「田中正造の生涯」経歴昭和28年東北大教育学部教授、のち同学部長を経て、39年宮城教育大学に転じ、44年から6年間第3代学長を務めた。この間、入試に絵やダンスを使った表現テストを導入、また定年退職後は全国各地の学校を行脚して“授業巡礼”をするなどユニークな教育実践家として注目を集めた。足尾銅山事件の田中正造の研究者としても知られる一方、37年にソクラテスの研究で文学博士に。著書に「田中正造の生涯」「授業・人間について」「教育の再生を求めて」「学ぶということ」「教育亡国」などのほか、「林竹二著作集」(全10巻 筑摩書房)がある。(20世紀日本人名辞典)
林さんに関しても、何度もこのブログで触れています。履歴にあるように、彼はソクラテスの研究者でした。それに加えて、田中正造研究でも大きな仕事をされたと、ぼくは考えてきました。彼の著である「田中正造の生涯」には大きな影響をぼくは与えられました。また、林さんの「授業行脚」にも。膨大な時間を使って各地で「授業」をされました。そのきっかけとなったのは、大学時代に担当した卒業生を訪ねて、福島の山間の小学校に出かけ、そこで彼が実践していた授業に誘われて「私にも授業をさせてもらえないか」ということで始めたところが、思いのほか子どもたちが「深く授業に集中してくれた」、それが授業に病みつきになる最初だった。教材を十分に練り上げて授業に臨めば(そんなのは当たり前ですが)、子どもたちは深く集中する、それを発見したと言ってもいいでしょう。そのような授業の一コマが、むのさんが触れられているものです。実際に林さんの授業ぶりは、驚くほど地味であり、簡単な問題を扱うものではありませんでした「人間について」「知識について」というタイトルを見るだけでもそれが分かります。それは、まるでソクラテスの生涯のテーマでもあったものです。林さんが言われたことで、今もなお深く印象に残っているのに「大学で使う教科書なら、数年は持つような内容であって、小学生だったら、ものの数分も使えない」と。英語の教科書なら、薄いものであっても、大学生なら数年使えるが、小学校ではそれは通用しないという意味でしょう。
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「わからないことと闘った、わからないということがわかった、努力すればもっとわかることができるだろうという感動です」とむのさんは、林竹二さんの授業で見せた子どもたちの「感動のさま」を述べておられます。こんな授業を生み出すには、どれほどの力が求められるのか。授業は、決して「教師のひとり相撲」ではないでしょう。子どもとの「挌闘」だと言っていい。子どもは「わからないことと格闘」し、教師はそのような子どもに対して「自分でもわからない問題」を提示し、それとともに、子どもたちとも挌闘するのです。こんな「挌闘」をむのさんは特別だとはいわない。「それは林さんが偉いからだとは私は思わない。それが普通の授業だ。一〇〇人の教師がいれば、そのだれもがやれる授業の本質だと私は思う」これはおとぎの国の「お伽噺」などではない。教材次第で、子どもは驚くほど深い「学習(自己との格闘)」をするということの証明でした。子どの能力を、教師がどのように見るか、それにもかかっています。さらに言えば、その能力をどのように育てるか、そこにこそ、教育の成否がかかっているともいえるのです。
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