人のいとなみ、愚かなるなかに、さしも危ふき…

 拙宅前の町道(旧農道。それ以前は獣道、今でも時々イノシシなどがわがもの顔で通る)の拡幅工事が始まっています。県道からの「脇道」、わずかに百メートル足らずですが、なんとこれが三回以上の分割工事、工事担当の業者いわく、「予算が足りなんだね、町(役場)では」だって。今回の工事は、ほんの五十メートル、家の前がそれにあたります。その先は、何時になるかわからないという。昨日、工事の男性がぼやきました、ぼくが聞いてもいないのに「今になって、(来週の火曜日に予定していた)アスファルト舗装工事を延ばしてくれって、役場から連絡がきた」と。ぼくが住んでいる町は人口が減り続けています。今は七千人を割る状態。千葉市内から車で三十分ほどです。山中の不便な場所、だから、ぼくは移住地に選んだ。つまり、この町は財政が不足していて、じゅうぶんなインフラ工事も滞りがちだという話。おそらく、この島の大半の自治体の財政は「火の鳥」じゃなくて、「火の車」だと思われます。この町は、その末端の一例に過ぎないでしょう。(ヘッダーの写真は「詩仙堂丈山寺」:https://kyoto-shisendo.net/)

 京都が燃えている、このところ、長く執拗に、熱く燃えているのです。といっても、「方丈記」の記述のような「本物の火災」ではありません。長明は書いています、「去(いんじ)、安元三年四月二十八日かとよ。風はげしく吹きて、静かならざりし夜、戌の時ばかり、都の東南より火出で来て、西北にいたる。はてには朱雀門、大極殿、大学寮、民部省などまで移りて、一夜のうちに塵灰となりにき」「人のいとなみ、みな愚かなるなかに、さしも危ふき京中の家をつくるとて、財(たから)を費(つひや)し、心を悩ます事は、すぐれてあぢきなくぞ侍(はべ)る」

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 現在の「火災」は「古都は財政破綻か」いや、それは「財政破綻の嘘」とかいう、金にまつわるあれやこれやの問題に火がついているのです。ぼくは京都を離れてすでに六十年近くになりますから、高みの見物という姿勢であり気も楽ですが、しかし、それは京都という「いけず」と「線香ばかり」の街に限ったことではないから、さて困ったものだと、政治行政に無関係の人間でさえも聞き耳を立てる風を装いたくなるのです。なんで「破綻」なの?「収入」が決まっているのだから、それに釣り合う「支出」を執行すればいいのに、何でも「債券」という「怪しい手形」を切るから、加えて、行政に一貫性というか、計画性がないから、人気取りの首長が「票を金で買う」というあさましくもみっともないことをするからでもあります。国の財政そのものが「バカの見本」になっているんだから話にならぬ。いま「古都」を襲っている「火」は、「安元の大火」よりも悪質、根治不可能な災厄かもしれません。まだまだ鎮火の兆しは見えない。

 またぞろ、京都市議の女性が問題というか、マスコミの餌食になっています。政治家をやろうというくらいですから、相当の「タマ」だと承知したうえで、しかし「すべてが嘘」と誰にもわかる、実に分かりやすい政治ゴロであり、身の程知らずであり、これが京都の自✖党のホープであり、将来の京都市長候補だというのですから、さすがは京都、ここまで腐っていたとは、「祇園様でも気が付くめえ」、盗人猛々しい悪足搔きを「満目蕭条」というのですから、師走だからということもあって、寒気がしてきました。「夫婦喧嘩」は別のところでやりな。いかにも選挙民のこころをして寒からしめたのですから、女性市議さんの功徳というのでしょうね。ぼくの小中学校の同級生は四十年、京都市議を務めていました。彼が四十年もだって、だから京都は「あかんのや」というつもりはありません。聞くところによると、彼はいずれ代議士にという話だったそうですから、ある人たちにとっては「いい世の中」なんですね。ぼくは、彼の応援演説を数回頼まれ、京都まで、自費(慈悲)で足を運びました。

 本日の駄文のテーマは「財政破綻」というのは表向き、中身は「人間失格、人間破綻」という話題です。これは一京都のことではなく、この劣島全体の今日・明日の問題であり、課題であると、ぼくは見ているのです。つまらない話ですから、簡単に切り上げます。今から四十年ばかり前に「古都保存税」問題が生じました。「拝観料に観光税」をという行政の魂胆が、寺との間で紛糾し、寺と真っ向対立(だったかどうか)したという、でも、ぼくには怪しく思われます。この問題で暗躍した人たちがいました。(「白足袋の乱」などと噂された)詳細は省略。下の写真は、当時の「清水寺」門前の看板です。この「観光税」問題は市側の完敗(乾杯だったかも) 「拝観料」とは異なことを、です。むしろ「入園料」であり、「入山料」でしょ、まるで富士山のようです。やがて、各地の山も「入山料」を取るね、きっと。

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<あのころ>清水寺など拝観停止  京都市の古都税に反対

1985(昭和60)年12月5日、京都市の「古都保存協力税」に反対する清水寺(写真)など12寺院が、拝観者を締め出す拝観停止に踏み切った。有料拝観者から大人50円、小人30円の税徴収は7月から始まったが、反対寺院は拝観料を無料化するなど抵抗していた。同税は88年3月で廃止された。(共同通信・2021/12/5)

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 ついで起ったのが「宿泊税」問題で、三年ほど前からの騒動でした。いろいろと理屈をつけて、「取税(徴税)」に悪知恵を働かせるのが行政の任に当たる人たるものの本職。これは、すでに実施されています。これもまた京都だけの問題ではなく、全国的に該当することとなりました。これも詳細は省略します。何処であれ、何であれ、取れるところから取る、それが「税の基本」であり、行政家の(本分)というわけ。「徴税」とも言いますが、実際は「懲税」の感覚なんじゃないですか、税務署さんは。政治家は、彼らにうまくおだてられ、実はあしらわれているのであり、まあ、水魚ならぬ、水と油の「二人三脚」で、時として「薄汚い馬脚」を曝け出すことになります。

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 ぼくは高校卒業まで京都にいました。主に居住地が右京区でしたから(一瞬だけ、中京区)、西山から北の方面には隈なく足を延ばしました。もちろん、小学校中学校時代には、お寺や神社に興味などあろうはずもなく、門とでも氏子でもなかったから、そんな抹香臭い場所は気にもしていませんでした。しかし、何かの折に神社仏閣に入ることはよくあったし、その際に「拝観料」を払った(取られた)記憶はまったくありませんでした。寺社は、どうして(何の商売で)食っていたのでしょうか。まさか「霞(かすみ)」を食っていたとは思えませんから、何か「盛業(もうかる商売)」「正業(マジメな仕事)」「世業(代々継承された仕事))」「聖業(「神聖な事業」だって、まさか)」に精進されていたのでしょうね。それがいつから、観光業に「変異」したのでしょうか。お寺に入り、神社に向かうのに「入場料」、それを「拝観料」という、を取るようになりました。中には、早くから、そのようにしていたところもあったでしょう。「桂離宮」はそうでした(お寺ではなかったが)。ぼくは日がな一日、「天龍寺」の堂塔で遊んだり昼寝したり。いまでは数か所見て回るだけで(顎足付きで)「〇万円」です。専門用語で言うと、これを「寺銭(てらせん)」と称します。古い、由緒ある表現です。まさしく「坊主丸儲け」というのですか。

 数年に一度、帰京するたびに京都の町が激変していく「悪しざま」を実感していました。ますます「住むところじゃない」という気持ちが強くなった。もちろん、ぼくは二度と「旧都」には戻る気はさらさらなかった。友人たちとも付き合う必要を感じなかった。両親が健在であるかぎりは、たまさかの帰郷でしたが、おふくろが亡くなってからは、よほどの事情がない以上は、京都への関心が消えていたのです。ただ一点、これは昔からの想いでもあったのですが、「観光」だけで生きていくというのは、この先どうなるんでしょう、別に家の職業というわけでもないのに、それが気になっていました。お寺も神社も、それから観光地も。かならず「突き当りがある」と考えていました。

 ぼくは「嵐山」が好きだったから、ほとんど自分の遊び場のようにして飛び回っていました。ある時期から、それが急に「観光地化」してくるのが目に見えるようになったのです。「ここで遊んだらあかんて、誰が決めたんや」というようになった時はすでに遅かった。「古都保存税」問題が起こった時、お寺の「入場料」「拝観料」が「宗教行事料?」になり、さらに「何とか料」と名称が変わった。寺の座敷に机と硯箱を出して「お経」を書かせる、お寺は観光じゃなくて「宗教施設」であると嘯(うそぶ)いたのでした。もうあかん、そのときにぼくは直感した。「都は灰燼に帰す」と。

 ただ今は、いずこも同じで、コロナ禍の影響をもろに受けています。外国人観光客は皆無。「インバウンド」ともてはやし、行儀が悪いと「袖にする」振りをしていた頃は、まだ景気はよかった。客の「選り好み」が出来ていましたから。「一見さん、お断り」と、よく偉そうに言うものだなと、昔も今もぼくは見ていましたし、思っています。もとを糺せば、「初会」じゃないか。花街の慣習だったか、悪習だったか。それが堅気の世界にまで持ち越されたのでしょう。

 いまは「民泊」の乱の最終盤、それが京都です。京都の町は荒れ放題です。長明さんならずとも、どこかに隠棲したくなるのではないですか。繰り返しますが、京都がどうだって、どうなろうとかまわないのです。「人の財布ばかりを、当てにする」、そんな街でいいんですか、この島社会はということです。いかがでしょうか。「正業」という、立派な言葉で表される職業がありました。あるいは「生業」、「なりわい・すぎわい」です。このような言葉で表現される仕事が消えてゆくのはさみしいし、ある種の人間の在り方(人生)が消されるようで悲しくもあります。「永代蔵」に「生業(すぎわい)は草箒 (ばうき) の種なるべし」とあります。ぼくたちは職業というものを、どこまで身にしみてわかっているのでしょうか。(上の写真をよく見てください。「民泊反対 火災の恐れあり」と。京都は燃えているのです。火種の尽きないさまがみてとれる「張り紙」です)

 いたるところでライトアップとやらが横行しています。そのすべてが、だめだとか反対だとか言うのではありません。しかし「諸寺・諸社」までがやることないでしょ、と腹たちを紛らせる間もなく、「嵐山近辺のライトアップ」だって。数年も前からやっているそうです。それが「財政難」で今年が最後とか。ならば、何時までも「財政難が続きますように」と、悪態をつきたくなります。すでにここまで来てるんですね。山の木々や動物たちを静かに寝かせてやらないんですか。そうこうしている内に、「渡月橋通行料」を取るようになるね、必ず。幼い頃、家業でもないのに、観光で飯を食っていくとなると…、小さな心を痛めていました。この先どうなるか、すでにぼくは「こうなる」のがわかっていたんだ。各地の観光地、いたるところで、通行料が取られますね、きっと(もう始まっているか)。さらには「駕籠」や「人力車」に乗らないと締め出されるようになるでしょう。その昔は「「雲助・蛛助」と言いました(いい言葉ではない)が、それはいまでも使われていそうです。下の写真に見える、渡月橋が「寒々としている」のがわからないんですかね。数日前に雪が降った際のものらしい。観たい人がいるからとも、点灯する人がいるからとも、どちらも、「みな愚かなる」ですよね、長明さん。「すぐれてあぢきなくぞ侍(はべ)る」と、ここでも言わなければなるまい。

「「京都・嵐山花灯路-2021」の数ある見どころの中でも、嵐山の景観を代表する渡月橋のライトアップは必見。渡月橋だけでなく周辺の山裾や水辺などをもライトアップし、雄大で美しい夜の自然景観を演出する」(註 自然や景色のライトアップだけではなく、人間どもの悪態・悪心も、隅々までライトアップされているんですぜ)(https://www.fashion-press.net/news/81162)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。