
【雷鳴抄】匠の時代 9月に亡くなった経済評論家、内橋克人(うちはしかつと)さんの著書「匠(たくみ)の時代」は日本の技術革新を支えた「モノづくり」の現場を描いた傑作だ。1970年代半ばに執筆が始まった▼今では当たり前の存在である日本発の技術が産声を上げるさまを捉えた。核となるのは独創に関わる人間の営みだ。観察眼は細部に及ぶ。例えば販売促進のため街頭でカメラ操作を実演する男性が登場する。客のクレームは改良に生かされ、名機を生む▼一方で内橋さんは「幻想の『技術一流国』ニッポン」という文章を80年に発表している。その頃「日本の技術は欧米を超えた」と盛り上がっていた「自賛論」に冷や水を浴びせる内容だった▼当時世界を席巻した日本の半導体産業の実態を、米国から買った技術と生産設備で量産品を作って米国に売る「世界最優秀の賃加工産業」だと見抜く。韓国や台湾の企業に競り負けたのは必然だった▼政府は今、台湾の半導体大手を日本に誘致し、最大8千億円もの建設費の半額程度を補助することを検討中だという。産業政策の失敗のつけを納税者に回すようなもので大いに疑問がある▼内橋さんは独創的技術への挑戦をもっと真面目に評価すべきだと訴えた。その提言は今も有効だ。挑戦する人を大切にする、内橋さんが理想とした匠の時代は再びやってくるのだろう。(下野新聞・2021/11/04)
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昨日の続きのような、しかも、こんな駄文しか書けないのは、われながら、どうにも仕方がありません。まさに自嘲するばかりです。昨夜、京都の友人から電話がありました。数日おきにかけてくださる。有難いというほかありません。なかなかの人物であると、先ず言っておきます。どこかで書きましたが、在日二世の男性。京都生まれで、京都育ち。やがて東京に出てきて、旧帝国大の大学院に学び、いくらかの曲折を経て神奈川県下の。私立大学教員になった方。ぼくと同年生まれ。大学を定年で辞されてから、出生地の京都に戻られた。もう三十年以上も交流・交際が続いています。まあ、勝手な言い分を吐くなら、「君子の交わりの淡きこと、水の如し」と言います。(京都の堀川に、茶道関係の書籍を出している「淡交社」という名の出版社がありました。まだあるかどうか、ぼくには、なにかと印象の深い会社でした)

ぼくはマジメではない人間ですから、彼の「マジメさ」が際立ってしまうのだといつも思っていたり、それを彼に話したりしているのですが、話はうまく通じない、一種のもどかしさを感じているのです。世間では「マジメ」は肯定されますし、「フマジメ」は忌み嫌われる傾向が強い。ぼくは自分の経験から、それを痛感していた。マジメとフマジメの分岐点は「遊びの有無」にあるというのが拙論の核です。文字通りに「遊び」です。人によって、その内容は違うかもしれない。酒を飲むのが「フマジメ」だとは思わないし、「マジメにお酒を飲んで、何処がうまいの」と勘繰りたくなったこともしばしばでした。世に、遊びには事欠かないのですから、あまり単純化しても誤解されるだけでしょう。
既にどこかで触れて置いたように、それを「センスとナンセンス」だととらえてもいいでしょう。「常識と非常識」とも考えられるかもしれない。そのままに言い換えると「意味と無意味」です。ある人が「これは意味がある(大事な)のだ」といったとします。それをぼくは受け入れがたいと考える際に「意味ある(大事な)もの」とされている事物や状況を「無にする」「無化する」こと、それが「ナンセンス」だとぼくは考えています。「人間に優劣があるのは当たり前じゃないか」、それが世間の常識だとする。それに対して「人は値打ちにおいては平等だよ」「優劣なんてナンセンス」と切り返すのです。さらに言えば、誤解されそうですが、世間の常識(センス)に従順であることが「センス(マジメ)」であるとするなら、その常識を疑いただす立場こそが「ナンセンス」の所以だと思っています。自分が書いている文章は「駄文」であり「雑文」、あるいはそれ以下だという自覚を持っています。(それがぼくの信条とする「正直」の表れかもしれません)

マジメはコワい、とぼくは若い頃から身に染みて感じていた。理由は単純です。マジメになるというのは、ぼくに言わせれば「表向き」「表面上」のことだからです。心底から「マジメ」というのは、まず稀有の存在だし、幸か不幸か、ぼくは、そういう人に出会ったことがない。ぼくの生きてきたのは極小の範囲に限られていましたから、世には「マジメを画に描いた」存在が五万といるのでしょうが、さて、あらためて「マジメ」とは何ですかと問い直さなければならない羽目に陥るようです。ある時はマジメで、ある時はそうではない、それがもっとも当たり前の「マジメの姿」ではないですか。では、どんなときに「マジメ」であり、どんな場合に「マジメでない」のか、その分岐点によって評価は違ってくるでしょう。人前では、あるいは世間体を慮って「マジメ」を装うというのが一般的ですね。夜寝るときも、誰もいない時も「マジメ一辺倒」という人がいるのかどうか。たぶんいないでしょう。それが自然ですから。
ぼく自身は「自己評価」の基準を「正直」に置いています。「マジメ」には置かない。どうしてか「マジメはコワい」から。「マジメに」人を傷つける、「フマジメに」という場合は「手加減」する部分がある。「あれは冗談だった」と、いじめ事件が起こると加害者たちはそういういい方をするのがよく聞かれます。本当にそうでしょうか。まさか「死ぬとは思っていなかった」というが、「死なない」とも思っていなかったんじゃないですか。つまり「マジメにいじめた」、その結果が悲劇を起こすのではないでしょうか。「フマジメ」や「冗談」だったら、きっとそこに「遊び」の気分があり「手加減」が働いているとぼくは思っているのです。(ここはもっと考えてみたいところです)
「いいわけ」や「弁解」までマジメを装う、しばしば、ぼくたちはそれを見ています。一国の総理が「虚言」「虚偽」を国会で、堂々と展開してきましたし、今もしているでしょう、官僚も含めて。それをどうして咎められないのか、「マジメ(を装っている)だ」からです。総理の発言に重みや権威があると、ぼくは露とも思いませんが、世間ではそうではないでしょう。「あれだけいっているのだから」「嘘のはずがない」と、一応は受け止める。そこが嘘つきのねらい目です。「マジメ」ではなく「マジメを装う」のが、世間で言う「マジメ派」なんでしょうね。だから「マジメ」はコワいんだと、ぼくは口癖のようにいっているのです。
HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH
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昨日も触れました、内橋克人さんの「匠の時代」、ぼくはくり返し読んだものでした。「匠」「匠たち」という名称は職人の勲章なのかもしれません。いまはその内容には触れませんが、たくさんの職人芸の披歴のルポが、数冊の著書になるというのも、それだけの数の「匠」がいたことの証明です。いまでは「職人芸」は流行(はや)らない、いやそれは絶滅種となったのかも知れません。ぼくが小さいころ、田舎(能登半島)で家を建てるのは「素人」でした。たぶん「建築基準法」などは存在していなかったか、あっても事細かくは規制していなかったに違いない。土台を築くのは村総出で、後は瓦や漆喰、その他、普段は百姓仕事をしている人たちが、分業で担当していたと記憶しています。何度も土壁塗りの作業を見ていました。今でもその土と切り藁と水の加減が小気味いいように(あるいは靴を脱いだ素足で)按配され、竹で編んだ壁面の下地部分に塗りこめられていったのです。
この十数年の間に携帯電話が爆発的に普及したのは、日本の下町の工場で作られリチウムイオン電池を収納する「ボックス」の金型プレスの成功からでした。都内の岡野工業という、社員数人の町工場の仕事でした。この工場から「痛くない注射針」も作られた。今更の感がしますが、数年前までは半導体はこの島社会の置お家芸だったし、太陽光パネルも液晶画面製造も、ながらくは一人勝ちの状況を謳歌していたのです。
今はその影はとっくに消え去りました。理由は単純明快です。海外製品を買った方が商売(金儲け)的にうまくいくという「儲け主義」の蔓延・横行だったでしょう。あるいは一円でも安い人件費を求めて、島から製造業が脱出した結果、技術開発も含めて、製造業は空洞化してしまったのです。その流れは「新自由主義」の説くところだったかもしれない。人件費を節約し、正規社員を削減して、その穴埋めに「非正規社員」を大量に雇用し、それを景気の調整弁とした結果でもありました。この三十年、島社会の会社員の給与はほとんど上昇していません。人間を機械以下としてしか扱ってこなかった、人間性否定の経済の横行の結果ではなかったか。
その「利益至上・儲け主義」の風潮に警鐘を乱打してきたのは内橋さんでした。「匠の時代」は、あらかた終わってしまいました。もちろん孤軍奮闘を続けている分野もありますし、孤立無援状況で精進されている方々もおられますが、体制は「空洞化の時代」に入って久しい。それにとって代わったのが「儲け主義」「会社至上主義」という、新たな偽装経済の時代です。会社が儲かり、社員は苦しむというのはどういうことでしょうか。「匠の時代」を牽引していた中核企業は見る影もなく没落・堕落・墜落・頽落していきました。その中には名だたる世界に技術や商品を誇っていた企業群も割拠していたのです。つい最近、わが身一個を守るために、会社を他国に売ろうという大企業の経営者まで出る始末です。「国破れて、人心荒む。城春にして、雑木跋扈す」
「匠の時代」は確実に終焉しました。それにとって代わったのは、ひたすら利権を漁る「企(たくら)みの時代」です。浮華を追い求め、実に就くことを潔しとしない時代が始まったのは、何年前でしたろう。手間暇かける、それが仕事に就く姿勢や態度だったという思いを深くしています。今は、時間当たり「いくら」という時代です。仕事の内容は問わないのかもしれません。人が人を呪うような、強がり威を言う人間が邪悪者だと見下す人間を粗末にしか扱わない時代、それは、多くは政治のなせるわあ座であったかもわかりません。でも、そのような、人命軽視人権蹂躙の「政治」を「唆(そそのか)した「経済学」を広めたのは誰だったか。
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実は、この数日パソコンの調子がすこぶる悪く、いよいよ修理に出すかと思案していた時でした。なかでもウェッブページが勝手にスクロールしてしまい、なにもできない状態が続いていました。いろいろと調べてみても、いっかな調子は戻りそうもなく、大阪に住んでいる(三十歳年下の)友人に電話をかけました。朝の八時過ぎでした。彼は、ぼくのパソコンを作ってくれた人で、何かと助けられている、いわばぼくの「先生」で、現在は大阪摂津市に住んでいます。いろいろと世間話をしている合間、ひょっとキーボードを見ると、なんと「テンキー部分の3」が引っ込んだままになっているではありませんか。押されたままの状態だったんです。それを見た瞬間、犯人が特定されました。ぼくの狭苦しい仕事場を「塒(ねぐら)にしている黒猫のカズオ君」だった。ぼくが黒いキーボードを使っているので、気が付かなかったんですね。「あいつもパソコンを使っていたんだ」
早速、もとに戻しました。いまのところ勝手にスクロールはなし、です。また、やたらに重くなったのか、反応が極めて鈍いのが気になっていました。ファイルやアプリで、何かと不要なものを片端から削除している最中で、これもあれもと、ゴミ箱に入れています。そのうちにまったく動かなくなるかもしれないと、少々心配でもありますが、何、大したものがあるわけでもないからと、適当に除去作業をしている。その昔は、機器には興味もあり、自分でもオーディオなどを制作していたのですが。今はすっかり機械音痴になりました。「匠の時代」は、ぼくの中ではとっくに終わっている。(この駄文は、さらに続きます)
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