この「駄文録」では初めてのこと、山陰中央新報の「明窓」というコラムを二編一気に取り上げる。各都道府県にはそれぞれの地域新聞(「地方紙」「全国紙」というのは、都会方面からの発想法。「全国紙」という名称は「堕落の程度が全国レベル」という意味か)があり、それぞれに個性的な歴史を有しています。明治維新以後、自由民権運動が各地(都会からではなかった)から勃興し、「言論(政論)の自由」が強く求められたのでした。「山陰中央新報」もその一つ、明治十五年「山陰新聞」として発刊。松江においてでした。その後、幾度かの合従連衡があり、昭和四十八年に「山陰中央新報」と改名され、現在に至っています。来年には創刊百四十年を迎える。日本各地の大学(特に私立大学、その前身は「専門学校」とされた)の多くも、この明治十年代以降に創立されました。この私立大学のそれぞれが「創立の趣旨」を高々と掲げてきましたが、近年では完膚なきまでに権力の「軍門に降る」為体(テイタラク)、その後を負う(後塵を拝する)ように各新聞紙も「権力の威光」に靡いてきました。その意味からいうと、この島社会には「言論の自由」「民主主義の発露」がまったく失われてしまったということです。せめて、全国のなかで「一紙」だけでも「言論で抵抗し」「言論を死守し」、もって「腐った権力」に「一矢」を報いてくれないものか、と覚醒中にして「寝言を言う」始末です。
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● ごかじょう‐の‐ごせいもん〔ゴカデウ‐〕【五箇条の御誓文】=慶応4 (1868) 年3月 14日,天皇が天地の神々に誓うという形式で示された明治新政府の基本方針。5ヵ条より成るのでこう呼ばれる。由利公正が起草し,福岡孝悌が修正を加え,木戸孝允が訂正したものとされ,内容は「一,広ク会議ヲ興シ,万機公論ニ決スヘシ。一,上下心ヲ一ニシテ,盛ニ経綸ヲ行フヘシ。一,官武一途庶民ニ至ル迄,各其志ヲ遂ケ,人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス。一,旧来ノ陋習ヲ破リ,天地ノ公道ニ基クヘシ。一,知識ヲ世界ニ求メ,大ニ皇基ヲ振起スヘシ。」というものであるが,会議とは列侯会議のことであり,また庶民とは豪農や豪商であって,全体としては国民の政治参加をきわめて限定的に認めたものといえる。「教育勅語」「軍人勅諭」とともに昭和初期まで国民の指導理念とされ,1946年1月の天皇人間宣言にも引用された。(ブリタニカ国際大百科事典)
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この島にも「国会」はある。しかし、このところ、まじめに国会を開こうとしない輩たちが政権を掌握(盥回し)しているという仰天すべき事態が続いているのです。「万機公論に決すべし」ではなく、密かに、夜陰に乗じて「お手盛り」まがいの政治が罷り通っているのですから、「言論の自由」も地に堕ちたというほかありません。本日は、本当はこんな御託を並べるつもりではなかった。「全国紙対地方紙」のアナロジーで「標準(共通)語対方言」の問題を取り上げようとしていたのです。(「明窓」その①)
因みに「明窓(めいそう)」はどこかで触れたことがあります。明るい窓、光が差す窓のことで、「寒炉に炭なく、ひとり虚堂にふせり、涼夜に燭なく、ひとり明窓に坐する」(道元)欧陽脩「試筆」に出る言葉。ここから、「明窓浄机」という語が生まれた。ぼくが駄文を綴っている部屋は、南向きで、窓も二間幅をとってありますが、とても「明窓」とは言えない。窓の前には濡れ縁があり、そこには野良用の「猫部屋」が備えられているし、その机は「浄机」とはお世辞にも言えません。今このパソコンを使っている机は一間半の幅ですが、(この瞬間に、自分用の部屋だと錯覚している「ネコ君」が帰ってきた。つい先ほどまでは、生後一か月の「四人組の幼猫」(「一つ」は川崎にもらい子されました)が暴れまわっていた)
「明窓」というコラムもよく読みます。数日前には、寂聴さんについて書かれていましたね。「人生の妙味を知り尽くす」というタイトルでした。本日は「方言の効用」としてありました。内容は以下の通り。
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明窓・方言の効用 増える一方のカタカナ語はすぐに忘れるのに、子どもの頃に接した言葉は、不思議なことに今でも覚えている。「おんぼらと」という言い方もその一つ。先日、雑談の場で年配の人が使うのを久々に聞いて懐かしかった▼国語辞典に載っていない方言らしく、穏やかなや、ゆっくりの意味だと記憶している。出雲地方だけでなく北陸地方や滋賀県では「おんぼらぁと」や「おんぼりと」という言い方をするそうだ。辞書などを手掛けた国語学者の故山田俊雄さんも、自分の母親が使っていたと書いていた▼あまりいい言葉とは言えないが、ばかやばか者を意味する「だらず」や「だら」は、子どもの頃には怒られる際だけでなく、軽い口調でも使っていた。「いけず」も、いたずらや悪さを注意されるときなどに何度となく聞いた。「いけず、すーなよ」といった具合に▼「いけず」は辞書では意地悪や悪者のことで、元々は大阪の方言らしい。使う地域や人によってニュアンスの違いがあり、芸者さんなどが使う場合は、好意的な意味が潜んでいるケースもあるとか▼方言や訛(なま)りは、料理で言えば「だし」のようなものだと思う。パソコンで打ち出す文字に比べ手書きの文字には人間味や温かさが感じられるように、方言には標準語とは違う味わいや温かみがある。子どもを叱るときや政治の言葉に、そんなぬくもりが交じると、聞く側にも伝わる。(己)(山陰中央新報・2021/11/18)
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「おんぼらと」という語は、おそらく初めて聞くものでした。どこかでいつか、耳にしたのかもしれませんが、まったく記憶にない。あるいは石川県で使っていたのか、それもわからない。おふくろがいれば、聞けたのですが。「だら」という語は使った記憶がある。おそらく石川県ではよく使っていたらしい。京都に来てからも使っていた。 「いけず」は今でも使う、関西弁の三役格じゃないですか。「いじわる」という気味もありますし、「あの人、いけずしはったんや」とか何とかいっては、笑ったことが思い出される。根性が悪いという意味にもなった。
コラム氏の仰せのように、「方言」が「だし」かどうか、ぼくには判断できない。もともと、その言葉しかなかったものだし、地域地域でふんだんに使われていたものです。これ、すなわち方言はりっぱな「日本語」だと、ぼくはずっと言いつづけてきました。日本語は、数百もある、実に言語感覚の豊かな地域だった。それを「撲滅」しようとしたのが、あるいは「五箇条の五誓文」の狙いの一つではなかったか。「方言」は汚い、遅れている、共通性がないなどと非難され、学校教育を通して、一貫して忌避されてきた。その典型が「方言札」でありました。近代社会となり、文明開化を成功させるには、「旧来ノ陋習ヲ破リ,天地ノ公道ニ基クヘシ」というくだりは、その気味が濃厚です。「方言には標準語とは違う味わいや温かみがある」と言われるのはその通り、おそらく数百千年を経て「育てられた」ことばだからです。地場育ちという語がすっかり当てはまります。「流行語大賞」などという決死済みのような毎は似ても似つかない、言葉には、驚くばかりの力があるんですね。

ぼくは石川・京都・東京・千葉と、それぞれに長い時間を生活してきて実感するのは、土地の「老人(昔の若者)」たちの「普段着の言葉」で、つまり方言の使用感覚でした。一番耳にうるさく聞こえたのは「江戸弁」というか「東京言葉」でしたね。まったくの歴史も地域性も感じられない、即席の「共通語」だった、一面ではまるで「エスペラント」だったとも言えます。そこへ行くと、千葉県は言語数は豊富で、その感覚は鋭敏だった。房総半島にもいくつもの「地域語」がありましたし、今でも使われているものがあります。細かいことは略しますが、方言は「だし」などでがはなく、むしろ「主食」だったのだ。というか、たとえがまずいからそういうのですが、方言は「人間言語」「生活言語」だと言うべきでしょう。それを使用禁止(厳禁)にしたがったのが学校教育で、その責任には軽くないものがあります。寧ろ「標準語・共通語共通≒天皇の言語≒国語」という人造言語は「0と1」で作られた「二進法言語」のように味気ないですよ。奥行きもないし広がりもない。
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ここまで来て来て、少し面倒になったのと、雑用に取り掛からなければならないので、中途半端ですけれど、本日はここまでにします。中根千枝さんに関しては、あまり間を置かないで触れてみることにします。「タテ社会の人間関係」は、もっともはやい時期に読んだ「文化人類学」の本だったと思います。一読後の印象は鮮やかだった。いまとなれば、いろいろと問題を指摘することもできますが、当時、ぼくは大学に入りたての頃。中根さんについても、いろいろと文献を漁った記憶があります。
本筋ではありませんが、このコラムで気になるのは(ここだけではなく、いつも、どこにでも見られることです)「女性として初めて東京大教授」式の言い草です。このコラムの筆者は男性でしょ。
まず女性記者なら、こんな書き方はしないね。これは「日本人(男性)の悪癖」です。少しも治らない。あるいは、「~初の文化勲章」とか。そのように言って、どうしたいんですか。「落語家初の人間国宝」とか「野球人として初の文化勲章」とか。なんの躊躇もなく、こういう記事を書くという、そもそもが遅れている、いや止まっているんだ。「知識ヲ世界ニ求メ」というのは「寝言」でもなければ、「掛け軸」でもない。生きた現実を表わす言葉であるわけで、もしそうでなけれな、言葉を使って何をしようというのか、なにがいいたいのか。
男性優位を図らずも明示する表現は、それこそ「撲滅」すべきでしょ。新聞がそれをしないでどこがするんですか。それから、順位争い、ランキング競争の大肯定です。まったく気が付かないで書いているとするなら、もはや救いはない。「一番」病の感染力はえげつないし、何処までも後生大事に「一番病」を病んでいるがいいと、いまさらいうのも癪にはさわりますね。「男性だから」、「女性だから」と言っている時代はとっくに過ぎています。つまり、男社会は、存在しているように見えて、中身は腐っている、そのあおりで女性でも腐っているのがいます。下品な物言いですが、男だとか女だとか言っている、暢気で遅れた時代や社会は、確実に「絶滅種」なんですよ。もちろん、人類史で見れば、百年や五百年は「夢の内」ですからね。盤石に見えている「なにごと」も、すでに、とっくに「終わりが始まって」います。それは明治維新期であったかも知れないし、第二次世界大戦の敗戦時であったかもしれない。残滓(かす)は残りますけどね。
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明窓・日本の癖 智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される―。夏目漱石の『草枕』は、処世の愚痴で始まる。理屈っぽいと敬遠され、かといって情をかけてばかりでは、足をすくわれかねない。このくだりについて、先月12日に94歳で亡くなった社会人類学者の中根千枝さんなら「半分当たっているが、残り半分は外れ」と見立てたのではないか▼中根さんの代表的な著作『タテ社会の人間関係』(1967年刊)は、人間関係を中心とする日本社会の特徴をあぶり出している。日本人がうすうす感じながら言葉に表現できなかった社会の「癖」のようなものを筋道立てて見える化し、日本を理解する手引として国際的にも高く評価された▼その癖の代表格が、論理より感情を優先させる日本的な組織風土。企業などで実務能力は抜群でも、やたらに筋張れば「面倒くさいやつ」になり、仕事ぶりは目立たないが、人間的に周囲を引きつける「情の分かる人」が出世頭になる▼冒頭の一節に中根論を当てはめれば、前段の「智に働けば…」はその通りだが、後段は意味が逆転する。「情に棹させば流される」どころか社会の勝者になる▼女性として初めて東京大教授になった中根さんは「学者の世界も論より情。世の中には変わるものと変わらないものがある」と説く。組織同士のヨコの連携は苦手で、部課長など上下のタテ関係にこだわる日本社会の癖は変わりにくい。(前)2021/11/17 04:00
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