「カフカの『ヘンタイ』ってあります?」

 【日報抄】「うろ覚えのことを話し相手にけげんな顔をされる。言い間違いだと分かると大爆笑。誰しもそんな経験があるだろう。図書館に書物を探しに来た人々が口にした、覚え違いのタイトルの数々を収めた本が人気だ。本紙の週間ベストセラーズにも入って▼その名も「100万回死んだねこ」。本に収録した実例から名付けた。正しくは「100万回生きたねこ」。佐野洋子さんの名作絵本だ。福井県立図書館が資料探しの問い合わせと回答をまとめて出版した▼「カフカの『ヘンタイ』ってあります?」「『変身』ですね!」。カフカも苦笑いするだろう。「『妊婦にあらず』って本なんですが…」「『奸婦(かんぷ)にあらず』でしょうか」。そっくりな字だしね。「『そのへんの石』ってあります?」「『路傍の石』のことでしょうか」。大まかには合っているか▼噴き出したり、突っ込みたくなったり。こんな問い合わせもあった。「独身男性が若い女の子を妻にしようとして色々失敗した話なんだけど…」。担当者の答えは「谷崎潤一郎の『痴人の愛』でしょうか」▼もちろん、利用者の覚え違いをあげつらうために出版したのではない。資料探しのサービスを身近に感じてほしいと企画されたという▼間違いもおおらかに受け止め、利用者と一緒に正解にたどり着こうとする。図書館司書の懐の深さとプライドが伝わってくるようだ。寛容で、かつ物事に真摯(しんし)に取り組む社会をつくるためのヒントが詰まっている、と言ったら大げさだろうか。(新潟日報モア・2021/11/25)

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 覚え違いタイトル集  本のタイトルがよくわからない、うろおぼえ。 図書館のカウンターで出会った覚え違いしやすいタイトル、著者名などをリストにしました。下線がついた本のタイトルをクリックすると、より詳しい本の情報が見られます。/ このリストでは、司書が本のタイトル以外の情報(著者、どこ・何でその本のことを知ったか、出版社など)をたずねて一緒に探した結果のみを「こうかも!」の欄に掲載しています。お探しの本が見つからないときには、ぜひ図書館のカウンターで質問して、司書と一緒に探してください。/ 覚え違いタイトル集へ掲載する、あなたの出会った覚え違いを募集しています。情報提供フォームから情報をお寄せください。福井県立図書館(http://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/tosyo/category/shiraberu/368.html)

 世の中に、こんな「間違い」「勘違い」をする人ばかりだったら、どんなに楽しく明るい時間を過ごすことが出来るでしょうか。図書館司書の方々の感覚が、ゆるくて朗らかで、そして根気強い優しさに満ちあふれているのが、すばらしい。(それが仕事なんですがね)なんともいいですね。ぼくには図書館勤めの友人がたくさんいました。皆さん、お堅い性格のようで、ユーモアを感じたことはあまりありませんでした。福井県編が続きます。このところ(いつでもか)、何かと話題が多いですね。「明日のハナコ」について、先日触れたばかりです。行政の長や経済界のリーダーが「利権には執念を燃やす」が、「権力」に相対して、かっらきし弱いのは何としたことか、と嘆いたところで、それが一面では真実でもあるのですから、無いものねだりはしない。といっておいて、それにしてももう少し、他者のために「いい仕事をしてオクレ」とねだりたくなります。

 比べるつもりはありませんけど、この「百万回死んだねこ」(講談社刊・2021.10)は秀逸でした。どうしてこんなに見事に「覚えまちがい」「まちがい覚え」を、人間はするのでしょうか。「とんでもなくクリスタル」「わたしを探さないで」「下町のロボット」「蚊にピアス」「おい桐島、お前部活やめるのか?」「人生が片付くときめきの魔法」「からすのどろぼうやさん」「ねじ曲がったクロマニョンみたいな名前の村上春樹の本」「八月の蝉」「大木を抱きしめて」「昔からあるハムスターみたいな本」などなど。まちがい覚えは作品名ばかりではありません。「だいぶつじろう」「 池波遼太郎」その他。これもどこかで書きましたが、NGKのアナウンサーが読んだニュースで、「鈴木大拙さんが◎月◎日亡くなりました、鈴木さんは蝉の研究の大家で…」と誤読し、地方に飛ばされたことがあった。(しかし、大拙さんが何者であるかを知らなかったのは、致命的でした)これは勘違いではなく、漢字が読めなかっただけ。それは何でもない、この島社会のソーリ大臣は「まともに漢字が読める方がどうかしている」と言われるほどですから。読めえなくっても構わないが、読めるようになる・なりたいというのは大切な心構えです。と同時に、その字が表わす「内容」を自分なりに知っておらなければ、話にならんね。

 すぐに学校教育を持ちだしてくるのは、さすがに気が引けるが、そこでは「間違い探し」をすることはあっても、ユーモアにあふれた勘違いやまちがいを、まず受け入れようとはしませんね。これはよほど、教師も学校も硬直している証拠です。小学校の五年生くらいだったか、国語の読み方で指名された子が「変人(へんじん)」という漢字を「恋人(こいびと)」と呼んだのには仰天したし、その後の長いあいだ、どうして読み間違えたのだろうかと、疑問が続いたし、いまだにそれがうまく理解できないでいる。彼女は「恋人」体験を持っていたのでしょうか。あるいは、そんな言葉(読みまちがいの)に「ドキリ」としたのは、「変人」のぼくだけだったか。なんで、「ドキリ」としたのか、それもわかりません。

 試験などでも、傑作な解答には二重丸を、それぐらいのユーモアが欲しいですね。定番のような事例ですが、「雪が溶けたら?」「春になる」、それは✖で、「水になる」が〇。なんとも、つまらんでしょ。学校における間違いは「人命にかかわる」ことはまずないのだから、もっと積極的に、教師は子どもたちと、この手の「間違い遊び」を工夫したらどうか。マジメだけを勧める・奨めるのは「マジメを装う教師の常」であったとしても、それを真に受けた子どもは後々、おおいに苦しむんじゃないですか。だとすると、それは罪なことですよ。不真面目や冗談を推奨しているのではなく、センス(マジメ)一辺倒は、人を歪(いびつ)なものにしてしまう危険性があると、それを言ってみたいだけ。そのためには満点主義や点取り競争を「茶化す」ようでないと。「お前は汚い」とのけ者にされた少女が、「きた(北)がないなら、日本は三角(▼)」と、堂々と切り替えしたという逸話を谷川雁さんの本で知った。この少女の「どっしりした、神経の太さ」に驚愕し、嬉しくなったことを覚えています。

 「『あだしはあだしでいぐがら』 ? ⇒  おらおらでひとりいぐも』若竹千佐子∥著 河出書房新社 2017年刊」 

 間違いが秀逸というか、なんとも面白いということは、「正解」「正当」が、どんなにつまらないかと証明しているようなものでしょう。「(覚え違い?)角川文庫で「鳥居をくぐったその先は」瑞なんとかって作家さんの奈良県のお話 (こうかも!) 当館未所蔵『まほろばの鳥居をくぐる者は』芦原瑞祥∥著  KADOKAWA2021年刊)」「(覚え違い?)「おかしな間取り」⇒「『変な家』雨穴∥著 飛鳥新社 2021年刊)ーーここまでくると、なんともたくらんでいるんじゃないかと思いたくもなる。それほどに「間違い」というものが「真実をついている」ともいえるのでしょう。「成功は失敗のもと」といいますから、「間違いは正解のもと」となることがあってもいい、それ以上に、世の中で「正答」「正解」と言われているもの自体が、ぼくに言わせれば、おどろくほど「ナンセンス」なんですよ。正解は無数に(だと思うね)あるんだ。それを一つだけというのは新興宗教の教祖みたいな「ニセの権威権主義」が言わせるんだね。

 『もたれない』というタイトルの本    ⇒  『倚りかからず』茨木のり子/著 1999.10 筑摩書房、2007.4 ちくま文庫 (まるで胃薬を求めているような? 泉下の茨木のり子さんも、びっくりして、あるいは甦るんじゃないですか)

 「強い風が吹いてきた」という本   ⇒  『風が強く吹いている』三浦しをん著(上も、福井県立図書館HPより)(この質問者は「予言者」だったし、その通りになったよ)

 中(あた)らずと雖(いえど)も遠からず。「中」と書いて「あたる・当たる」です。命中・的中などの例がありますね、そのように「的(まと)」に的中はしないけれど、実に惜しいという「間違い」を人間はするものです。時には「認知症」は深刻ではありますが、反面(半面)では「ユーモアの貯金箱」みたいなもの。その貯金箱を大事に守っていきたいですね、ホントにそう思っています。「正解を振りかざす」というのは「ナンセンス」、その「狭さと愚かさ」は地雷みたいなもの、ぼくはこれからも、それを踏まないための「歩き方」をさらに学んでいきたい。「誤答」の中に「深い真実」があるということでしょう。人間はでたらめに間違えるのではなく、筋道が通り、辻褄(つじつま)が合うように間違いをするものです。その筋道をたどること、辻褄を合わせようとすること、それが「他者との交わり」のもと(根っ子)となるのです。

 「ナンセンス」の効用を知ることは、「センス(常識・通念・慣習・しきたり・伝統などなど)」に凝り固まっている世間人(世のなかの人)には不可欠の学習じゃないか。センスを打破しよう。常識を笑いのめせ。ぼくは、この「巧妙な、たくまざる間違い」に、自分自身の処世の姿勢を反省させられているのです。「間違い」万歳、「勘違い」上等。自分の「間違い・勘違い」を自分で笑えるのは、実に可笑しいですね、しかも健康ですよ。(午前中、いつものように、一人で散歩しながら、大いに「笑って」いました。「変な奴」とみられていたのがわかりました。泣きたい時もあれば、笑いたい時もある、人間なんだからさ。なんだか、相田みつを風になってきたな)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと 下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです