【筆洗】一生のうちに何回ぐらい、試験を受けるものだろう。入試、就職試験、いやでもたくさんの試験という門をくぐる▼人生の最晩年にも「試験」を受ける。人によってはこの試験の問題を解くのはなかなか容易ではない▼今は何年の何月何日ですか。百から七を順番に引いてください。知っている野菜の名前を挙げてください−。答えられず、もどかしそうな本人。それを見てうろたえる家族。こんなに切ない試験はないが、これによって認知症の早期発見が容易になる▼認知症にかかわった方なら、ご存じだろう。「長谷川式簡易知能評価スケール」。一九七四年、この検査法を開発するなど認知症医療に長く貢献した医師の長谷川和夫さんが亡くなった。九十二歳▼長谷川式の開発のみならず、患者の尊厳を重んじたケアの大切さを訴え、侮蔑的な痴呆(ちほう)症という呼称を認知症に改めることにも取り組んだ。認知症は年を重ねれば誰でもかかりやすい症状で決して恥ではない。認知症に対する社会の見方を変えた方である▼ご自身も認知症にかかっていたことを公表し、その経験を書き残している。認知症になっても終わりではない。人前に出るときは少しウソをつくような感じで大丈夫なように振るまうと案外大丈夫なこともある。認知症になってみなければ分からぬ話だろう。最後の最後まで認知症に取り組んだ人生に頭が下がる。(東京新聞・2021/11/21)
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「認知症」に罹っているかどうか、それを判定するための一つのテストが「長谷川式簡易知能評価スケール」と言われるものです。この「基準」テストを開発した長谷川さん人が「認知症か、そうでないか」断定することはできないとされています。区別が曖昧であることがしばしばだからです。当然であろうとぼくにも思われます。そもそも「認知症」が何であるか、その発症のメカニズム、あるいはどうして発症するのか、今でも十分に解明されていないのですから、この「病気」(と言っていいかどうか、ぼくにはわからないというほかありません)に対して、誤解や偏見だけが独り歩きしているような状況にあるのではないでしょうか。「脳・神経細胞の萎縮(いしゅく)や脱落」は、老齢化と無関係なのか、個人差があるということなのか。誰にも年齢と共に不可避になってくる「状態」というものがあります。
長谷川和夫さんが亡くなられたというので、いくつもの報道がなされていました。そのどれもが似たような、あるいは同じ類の紋切り型であったのは、どうしたことだったか。あるいは、いまのマスコミの世界に属する人々の、この問題にかかわる関心や究明への姿勢のレベルでは致し方ないと言うべきなのかもしれない。
もう何年も前になりますが、一冊の本を読んで、この「病気」に大いに関心を持つようになった。それ以降、ぼくはあまり勉強していないので、この方面の類書や新研究がたくさん出ているのだろうと思います。書名は「アルツハイマー その生涯とアルツハイマー病発見の軌跡」(コンラート&ウルリケ・マウラー著。1998年、原著公刊。日本語翻訳は2004年・新井公人監訳・保健同人社刊)(右上は読売新聞。2018/09/12)

先日、この問題に触れたばかりでした。ふたたび取り上げたのは、コラム「筆洗」のせいだというのではなく、著書「アルツハイマー」のことを語りたかったからでした。この「病気」に関しては、いよいよ社会的関心が高まるにつれて、この「病気」の発見者であるアルツハイマーにはほとんど触れられていないのが、ぼくには奇妙に感じられて仕方がなかった。アロイス・アルツハイマーが活躍した時代は、フロイトやユングなどの華々しい時代でもあり、「精神(分裂)病」(今日では統合失調症)「精神分析」がさかんに論議されている時期に重なっていました。というより、精神病的な問題関心(フロイトなどは「精神分析」と言っていた)が圧倒的に優勢で、「痴呆症」(当時の欧州の医学研究者の世界でもそう呼ばれて、なかば軽侮の念を込めて用いられていた。それは罹患した人そのものを軽視する風潮につながっていた)なんか、という雰囲気だった。そんな中で「敬虔なカトリック教徒の両親のもとで育ったアルツハイマーは、ひたむきな医者であり学者でもありました。昼間は忍耐強くそして親切に患者に接し、夜は深夜まで顕微鏡に向かって、自ら作成した脳標本の研究をしました。同時代の人々は、アルツハイマーのことを『顕微鏡をかかえた精神科医』と呼びました。なぜなら、アルツハイマーは『精神病は脳の病気である』と確信していたからです」(同書「序文」)
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● アルツハイマー(Alois Alzheimer)=[1864〜1915]ドイツの精神医学者。クレペリンのもとで研究に従事。1906年、記憶障害に始まって認知機能が急速に低下し、発症から約10年で死亡に至った50代女性患者の症例を報告。クレペリンによってアルツハイマー病と命名された。(デジタル大辞泉)
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長く埋もれたような状態にあった「アルツハイマー病 第一症例(アウグステ・D)」のカルテ(それはアルツハイマーによって書かれていた)が、このマウラーによって、1995年に大学病院の地下書庫から発見された。それ以降、ようやくにして「アルツハイマー病」が認知されるようになったと言ってもいいでしょう。この著書の巻末に、二例の「アルツハイマー病」に罹患した著名人が出てきます。一人は往年の女優・ダンサーであったリタ・ヘイワーズ(1987年5月に死去)、もう一人はアメリカ大統領であったロナルド・レーガン(2004年6月死去)。さらに、イギリス元首相マーガレット・サッチャー(2013年4月死去)を、ここに加えてもいいでしょうか。この三人は、自分が何者であり、どんな仕事をしていたか、すっかり記憶を失っていたとされます。「認知症」というより、むしろ「アルツハイマー病」が広く知られる機会となったのでした。

病気が確定した後に、レーガン元大統領は書簡をしたため、アメリカ国民に「サヨナラ」を告げた。「先日、ある人から私はアルツハイマー病にかかっている数百万のアメリカ人のうちの一人である、と告げられた。ナンシー(註、妻の名前)と私は、私人としてこの事実を公表すべきか、決心しなければならなかった。そして私たちは、世間に公表することが非常に重要だと感じた」(同書)その時、彼は八十四歳であった。リタ・ヘイワーズはどうだったか。彼女はある時、隣人だった俳優のグレン・フォードに「酔っぱらってジンの空き瓶を投げ付けるという、寂しいアルコール中毒者のゾッとするような光景を見せつけた。荒れてビバリー・ヒルズの通りをさまよい、どこにいるか分からなくなってから、彼女は住所が書いてあるメモをバックに入れて持ち歩くようになった」(同書)

有名人だからどうこういうのではありません。また、年を取ると、誰でもこの「病気」にかかるものでもないでしょう。それはどの病気でも同じことです。ただある病気には似たような傾向があるだけです。いまだに解明されていない病因、何時罹患するかかわからない怖さ、そんなものがないまぜになって、いろいろな中傷や非難が、この「病気」そのものに投げかけられてきました。ひいては、その罹患者にも、です。先日の駄文にも書きましたが、ぼくは、近いところ(親戚・縁者・友人・知人)で多くの罹患された方々を見てきました。素人だから、無責任の謗(そし)りを受けそうですが、アル中や薬物依存なのか、それともアルツハイマー病なのか、どうしてわかるのか。リタ・ヘイワーズ(左写真)はずっと(アル中)と誤解されていました。うつ病や統合失調症であって、アルツハイマー病ではないと断定もできません。脳の断層写真等で見れば明らかになるとされますが、それでもわからないことはいくらでもあるでしょう。
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「アウグステ・D 婦人 ー 鉄道書記官カール・D 氏夫人、住所メールフェルダー・ラント通り ー はかなり長期にわたり記憶力減退、被害妄想、不眠、不安感に悩まされております。患者はいかなる肉体的精神的労働にも対応できないものと思われます。彼女の状態(慢性脳麻痺)は当地の精神病院でも加療を必要とします。 医師 レオポルト・L フランクフルト 一九〇一年一一月二一日」
この「患者の病歴紹介」は、精神科医のアルツハイマーが、(最初の症例となった)夫人のかかっていた開業医が書いた(アルツハイマーが勤務していた病院への)入院紹介状に記載されていた事項です。ここから、アルツハイマーは彼女との交流を始め、それが「アルツハイマー病」への長い道を歩くきっかけになったのでした。今日の「認知症」が認められた時から、まだ一世紀です。その過半は無知や無関心で、この「病気」は十分な研究や診察の対象にはなってこなかった。ひるがえって今日、果して、旧来の無関心は払拭され、「罹患者」派尊敬されつつ、正当な医療行為を受けられるようになっているか。ぼくは貧弱な経験ではありますが、まだまだ無理解や誤解が幅を利かせているというほかないように思うのです。「物忘れ外来」などという診療科目は、最近になって「認知」されてきたばかりです。

「認知症になっても終わりではない。人前に出るときは少しウソをつくような感じで大丈夫なように振るまうと案外大丈夫なこともある。認知症になってみなければ分からぬ話だろう。最後の最後まで認知症に取り組んだ人生に頭が下がる」(「筆洗」氏)ここは、よく理解できません。「ウソをつくような感じで大丈夫なように振るまう」というのは、どういうことですか。これはご自身の経験談なんですか。「認知症」の受け取りの程度がここにも表れていませんでしょうか。「ウソをつくような感じ」というのは、ぼくにはわからないし、わかりたくないね。ウソではないけど、ウソ臭い振舞いというのなら、この「病気に罹患している」人にはできないんじゃないですか。ウソをつけるくらいの厚かましさを言うのなら、それは政治家に任せておきたい。ウソのようなウソの話の持ち主は国会議員に蔓延しています。「カネをもらって」いても、貰っていないという。「やっただろう」と証拠を突き付けられても、「秘書が」とか何とか誤魔化して逃げ切りを図る。「ウソをつくような感じで大丈夫なように振るまう」と大丈夫だったというのが、ソーリ大臣を筆頭にした政治家の常ですからね。(左上図は毎日新聞「医療プレミア」・2020/09/14)

今では、まるで「年を取ることが病気」のように見なされる、じつに老人排除の時代に突入しています。「老人狩」などという蛮行もある。高齢者⇒後期高齢者⇒超高齢者⇒「優先席指定老齢者」。えっ、「優先席」というのは「隔離席」だったということか。年齢に優劣も上下もないということを、世人は考えないのでしょうか。何かと、老人包囲網が敷かれているような気がします。かなわないね、と言いたいけれど、これもまた娑婆に生きる宿命でもあるのでしょう。ぼくは僻(ひが)んでいるのではありません。誰もが同じように、きっと年をとるという事実を、当たり前に受け入れているのです。
何十年も前には「あなたはガンです」と「(医者から)宣告」されただけで、世をはかなむ人もいたほどです実際、ぼくは何人も当事者を知っています。事実「ガンに罹った」たら「一巻の終わり」と「宣告」していたのが、当の医者でしたからね。「薬石効なく」「匙を投げ捨てる」っていうんだから、始末に悪いですよ。。お医者さんは、寿命を刻む権限まで持っているというのかしら。長谷川さんは、「認知症になって、ようやく認知症のことがわかってきた」という意味のことを述べられています。まず経験、それから診断であり、治療ということでしょうか。これは、どんな仕事に関しても妥当するんじゃないですか。
時代が変われば、変わるもの。「老人になるって、それは病気ではない」「老人になるのは、ただ老人になる」ということ。幼い、若い、青い、枯れるなどと言われるように、老いもまた、一つの名辞でしかないのです。物忘れも、勘違いも、計算(勘定)が出来ないのも、人名や地名が出てこないのも、「かみさんは気が強い女性」だったことを失念っしてしまうのも、「自分の名前が何だったか」、それもまた、けっして「なんとか病気」「なになに症」などではありません。いずれにしても「認知症」の「症」は状態であり、様子ですから、なくなる(症状が消える)こともあるわけで、いつでもどこでもそう(「認知症」)であるのではない。にもかかわらず、「記憶力が悪い(学校のテストができない)」と「劣等生じゃ」などとレッテルを貼りたがる、そんな場所が劣島に密集している、林立している、混在している。競争している。どうして、なんで、にもかかわらず、学校に行かせるんですか? 学校に行くんですか? 誰だって、年をとっていくんだがなあ。「物覚えが悪い」というのは「覚えることに慎重」なんだがなあ。つまり、用心深いんだよ。
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