差別用語を巡っては基本的人権の尊重が表現…

 作中に差別用語…高校演劇巡り広がる波紋 主催者が映像化を中止、創作者は表現抑圧と反発

 9月に福井県福井市内で開かれた福井県高校演劇祭の上演作品で、一部の表現を巡って主催者と創作者が対立する異例の事態が起きている。作中に差別用語が含まれ、演じた生徒に批判が及ぶ恐れがあるとして、主催者側は映像化や生徒への脚本集配布を取りやめる方針を示した。一方、脚本を担当した上演校の元指導者は「表現の抑圧がまかり通るようになってはいけない」と主張している。

 渦中の作品は、福井農林高校演劇部による創作劇「明日のハナコ」。ハナコら女性2人の掛け合いを通して、1948年の福井地震から現代に至るまでの県内の動きをたどる中で、原発建設や東日本大震災を経ての原発再稼働などを描いている。原発を推進する人物が、発言の中で身体障害者に対する差別用語を用いるシーンもある。昨年度まで演劇部顧問を務め、10月まで指導員として関わった玉村徹さん(60)が脚本を書いた。

 県高校演劇祭は9月18~20日、新型コロナウイルス感染防止のため無観客で開催され、12校が参加した。例年は12月に福井ケーブルテレビが上演作品をノーカットで放送しているが、同社側は「作中に福井農林高を卑下する表現や差別用語、原発問題が出てくる」として、主催者の福井県高校文化連盟演劇部会に放映について問題がないか問い合わせた。

 これを受けて同連盟演劇部会は9、10月に県内高校の演劇部顧問による会議を開き、対応を協議した。福井農林高生徒への聞き取りやスクールロイヤー(弁護士)の意見を踏まえ▽差別用語を含む作品の放送により、生徒の安全が脅かされる可能性があることをテレビ側に伝える▽上演のDVD化もしない▽例年行っている脚本集配布をしない-との方針を決めた。

 同テレビ側は、この方針を踏まえ、同校の出演シーンをカットするとしている。

 同連盟演劇部会は福井新聞の取材に対し「原発に批判的な内容については表現の自由であり問題はないが、差別用語を巡っては基本的人権の尊重が表現の自由を上回る。生徒が批判される可能性もある」と説明。演劇部の生徒は当初、映像化されないことを残念がっていたが、波紋が広がり困惑しているという。

 一方、玉村さんは「原発を巡る実際の発言を取り上げており差別意識はない」と反発している。県内の演劇関係者や日本劇作家協会のメンバーらと「『明日のハナコ』上演実行委員会」を結成。今回の決定の撤回や、演劇部員への謝罪、演劇表現の内容を理由に不利益な扱いをしないこと―などを求め、ネットで署名活動を始めた。現在6800人を超える署名が集まっている。(福井新聞・2021年11月17日)

 

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 福井の高校演劇から表現の自由を奪わないで!

――『明日のハナコ』の排除を撤回し、基本的人権の侵害を止めていただくための署名にご協力ください――

このたび、福井農林高校演劇部の上演にかかわる顧問会議の一連の動きを、重大な表現への抑圧だと考える有志が、実行委員会を立ち上げ、上演にむけて活動を始めることにしました。実行委員会の求めることは、以下の通りです。

・10月8日の顧問会議で顧問会議で行われた決定3項目を撤回すること。(ケーブルテレビでの放映の禁止/記録映像閲覧の禁止/脚本集の回収)・福井農林高校演劇部員たちへ誠実な謝罪をすること。・今後演劇表現の内容をもとにあらゆる不利益な扱いをしないこと。・表現の内容に理不尽な介入をしないこと。・人権侵害を行ったことへの真摯な反省を表明すること。

〇ブログをはじめました! / ​最新の情報をこちらで随時発信します。ぜひご覧ください。(https://ashitanohanako1108.blog.fc2.com/)(https://ashitanohanako1108.wixsite.com/home

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 詳細は「実行委員会」の記述を見てください。この問題が発覚したのが十月、場所は福井でしたから、地元紙(福井新聞)がどのように報じるか、ぼくは様子を見ていました。しかし、いっかな記事になる気配がなかった。そのうちに、問題が外部にも知られるようになり、事態は思わない方向に進んだようです。高校演劇の実態ついては、詳しい情報を持っていませんが、ぼくの後輩の何人かが演劇部の顧問をやっていたり、自ら脚本を書いて上演するということもあり、また全国レベルの大会で受賞するなどの報告もしばしば受けていました。ぼくは芝居に情熱を持っているとはいいがたい人間ではありますが、この「ハナコ」事件は看過できないと、どうしたらいいか自分なりに愚考していた最中で、新聞報道があったのです。

 福井県の高校演劇祭で「原発問題」を扱った芝居を上演したところ、各方面(「忖度」連合)が、屁理屈をこねまわして、何かと邪魔立てをしてきた、それが今回の筋立てだったでしょう。上掲の福井新聞を読んでくださると理解できますが、「作中に差別用語が含まれ、演じた生徒に批判が及ぶ恐れがあるとして、主催者側は映像化や生徒への脚本集配布を取りやめる方針を示した」(主催者側)という、まことに生徒想いの心情に溢れる(というのは「真っ赤あな嘘」で、それは表面上の、あるいは建前上の理由。いわゆる「御為ごかし」というやつ)横槍を入れてきました。「作中に福井農林高を卑下する表現や差別用語、原発問題が出てくる」(福井ケーブルテレビ)としているが、問題をわざわざ逸らしているという感を否定できない。「差別用語」は高校生(出演者)が使ったのではなく、元首長が原発推進の政治アピールで用いたもの。摺り変えや、誤魔化しで、この高校生の演劇を葬ることに躍起になっている、醜悪なさまが見て取れます。誰に気兼ねし・遠慮しているのか、堂々と「それは、原電にです」といえばいいじゃないか。薄みっともない大人(本当は未熟なガキですね)のすることが、これですよ。ぼくも、とっくに「薹(とう)のたった大人」を長くやらされているけれど、こんな恥ずかしい、自己欺瞞の骨頂はできないな。

PPPP

 似たようなことはいつだって起こっている。つい先ごろ、多くの人々が開催に賛成しないという状況下で「東京五輪」が開かれた。もう遥か昔の出来事だったような気がします。レガシーは皆無で、後に残されたのは膨大な「赤字」だけ。ぼくは、きっと「(ごく一部には)感動と(多くの人民には)赤字を残す」といったものですが、実際にその通りだった。それが本当の「遺産」だ。その多くは都民や国民の税金で穴埋めされる・するそうです。(当初、七千数百億円とされた予算が、最終的にはどこまで膨れ上がるのか、いまだに明かされていません。怖くて公開できないんじゃないですか。大方の推計では三兆円をはるかに超過しているとされます)この「開催」に国民大多数の「反対の意向や批判」を封じたのが「ダラクマスコミ」でした。

 福井県内の高校演劇における県内マスコミの姿勢が、すでに腰が引けているというか、腰が坐っていない、骨がないということ、それは先刻承知のことだった。つまり「原電から助成金を頂戴している」ので、それが言動をいちじるしく鈍らせているし、いやそれ以上に、ちょうちん持ち記事しか流せないという惨状をきたしていると思います。でも、この地のマスゴミに、その自覚は、多分ないであろうと、ぼくは確信している。「忖度」という嫌な言葉が。昨年来、劣島中に知れ渡りましたが、福井でも事情は同じ。県民の生命与奪の権を握っているのが「原電」「原発会社」だからです。新聞もケーブルテレビも、回り回って(直接間接に)、「原発」会社に死命を制せられているんだ。「原電から補助金をもらっているから、それを批判することはできない」と誰かが言っているが、莫迦もここまでくれば出来上がりですね。ぼくも「原発由来の夢のエネルギー」を消費している人間です。だからといって、東電に「何か」をぶつけることは止めたことはない。もう、人民の生命を剥奪するような「政商」とグルになるのは、金輪際止めた方がいい。

HHHHHHHHHHHHHHHHH

 (劇中に、こんなくだりがあります)

ハナコ 一九七〇年福井県敦賀原子力発電所一号機稼働。同年、福井県美浜原子力発電所一号機稼働。一九七二年、福井県美浜原子力発電所二号機稼働。一九七四年、福井県高浜原子力発電所一号機稼働。一九七五年、福井県高浜原子力発電所二号機稼働。一九七六年、福井県美浜原子力発電所三号機稼働。一九七九年、福井県おおい原子力発電所一号機稼働(以下略)

小夜子 こんなのもあるよ。
「まあ原子力発電所が来る。電源三法の金はもらうけど、そのほかに地域振興に対して裏金よこせ、協力金よこせ、というのがそれぞれの地域にある。お宮さんの修理のために原電、動燃、北陸電力に頼んで三億円できた。そんなわけで短大は建つわ、高校はできるわ、五〇億円で運動公園はできるわ。そりゃもう棚ぼた式の街作りができる。そのかわり一〇〇年たってカタワが生まれてくるやら、五〇年後に生まれた子供が全部カタワになるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階で原発をおやりになった方がよい」
ハナコ それ誰。小夜子敦賀市長。石川県の志賀町で原発建設の話が持ち上がったときに地元商工会に招かれてしゃべったらしいのね。直後にマスコミに漏れて世論の批判を浴びて次の選挙で落選したけど」(以下略)(同台本から)

HHHHHHHHHHH

 今回の農林高校演劇上演に対してイチャモンを付けた経緯はお判りだろうと思います。「差別用語が使用されているから、演劇はダメだ」という、何処をひっくり返せば、こんな屁理屈が通るのか、「差別」を、根本のところで、悪用しているのではないか。原発立地にたいする褒美として、様々な名目の「報奨金」が入ること、それを当てにして行政を進めていけるのに、このような状況下で高校生如きが「原発問題に首をつっこむ」のは風紀上、青少年健全育成上、きわめてよろしくない、(実際は、高校生にこれをしゃべらせた元顧問が張本人であるとは言わないし、そうではなく、高校生に被害が及ぶことを心配していると、猫なで声で、しかも嘘までついて囁く、なんとも気味が悪いさ)という本音を出さないで、いかにも「生徒指導上」よろしきを得て、あらかじめ「庇ってあげるのだ」ということが、「お為ごかし」だと、ぼくは言うのです。まったく正反対で「顧問」を含む大人たちをやり玉に挙げたいのは山々だし、それに唆(そそのか)された高校生も「不善・良」(言ってはいけないことを言い募っているから)ではある。しかしそれをぶち撒けたら、とんでもない方向に事態は進むから、「お為ごかし」という「見え見えの下等戦術」を演じて、「原電」からおこぼれ頂戴派は足並みをそろえたのです。薄汚いね。なんとも狡(ずる)い輩たちです。

○おため‐ごかし【御為ごかし】=〘名〙 (「ごかし」は接尾語表面は相手のためにするように見せかけて、その実は自分の利益をはかること。御為尽(おためずく)。じょうずごかし。※浄瑠璃・祇園女御九重錦(1760)二「『必油断なされな』と、お為ごかしに云ひ廻せば」(精選版日本国語大辞典)

● 御為ごかしの類語=裏切り・内応・内通・気脈を通じる・背信・背徳・背任・変心・寝返り・密告・讒言・讒訴・誣告・告げ口・垂れ込み・言い付ける・打算的・功利的・欲得ずく・算盤ずく・媚びる・へつらう・おもねる・取り入る・ごますり・阿諛・卑屈・媚び諂(へつ)らう・取り巻く・媚びを売る・胡麻をする・鼻息をうかがう・太鼓を叩く・機嫌を取る・尻尾を振る・歓心を買う・色目を使う・秋波を送る・気を引く・気を持たせる・調子を合わせる・追従(ついしょう)・おべっか・おべんちゃら・諂巧(てんこう)・諂阿(てんあ)・諂曲(てんごく)・諂笑(てんしょう)・諂媚(てんび)・諂諛(てんゆ)・阿付・迎合・へいへい・へいこら・ぺこぺこ・曲学阿世・味噌を擂(す)る・意を迎える(デジタル大辞泉)

● にほん‐げんしりょくはつでん【日本原子力発電】=原子力発電所の建設・運転および電気の供給などの事業を行う発電事業者東海発電所(平成10年(1998)運転終了)・東海第二発電所敦賀発電所を運営する。東京電力など電力会社9社と電源開発が出資して昭和32年(1957)に原子力発電専門の電力会社として設立された。原電。日本原電JAPC(Japan Atomic Power Company)。(デジタル大辞泉)

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 世界に類のない原発集中立地のこの県で、こうした表現の抑圧がまかりとおるようになれば、日本中の表現者にとって、重大な抑圧への一歩です。表現の自由は、基本的人権の最重要な一つです。生徒たちの表現への悪罵とも言える三項目の決定は、あらゆる人の基本的人権に対する敵対宣言と言えます。今これを看過したら、今後も権力者や学校当局などにとって不都合な表現は演劇部活動では抑圧・排除されることになるでしょう。

 すでにそういう動きが、他の学校の劇に対しても圧力としてなされています。これはとても危険な動きです。私たちは、歴史に汚名を残しかねないこの愚行を撤回させたいと思います。心ある市民の皆さんの署名の力で、撤回させたいと思います。ご協力お願いします。(「明日のハナコ」上映実行委員会)

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 「砂上の楼閣」という。「見かけはりっぱであるが、基礎がしっかりしていないために長く維持できない物事のたとえ。また、実現不可能なことのたとえ」(デジタル大辞泉)なぜだか、ぼくたち自身の人生も、同様に「砂上の明け暮れ」と思えてくるのですから、不思議・不可解です。どこかで「蜃気楼」に触れましたが、ここでもいたるところで「蜃気楼」現象が発生しているのではないかとさえ思えてくるのです。あるいは、蜃気楼と同じような現象である、真夏の「逃げ水」なのかも知れない。今回も、事件の現場は「学校」でした。「いい加減にしてよ、学校」「いい加減にしろよ、教師たち」と、怒りやら情けなさやらの塊を、各方面にぶっつけたいのですが、それが当方に間違いなく、跳ね返ってくるんだなあ。それは望むところ、それを避けていても仕方がないじゃん。「人権と差別」という問題を一から学びなおした方がいい「大人が五万」といるということが判明しただけでも、これが問題になった意味はあるさ。弁護士や学校「演劇」関係者のお偉いさんよ、目を開けて、居眠りしている場合じゃないですよ。

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。どこまでも、躓き通しのままに生きている。(2023/05/24)