處世不必邀功、無過便是功、

 この雑文集では、何度か触れています「菜根譚」。久しぶりに手に取りました。深い仔細があってのことではなく、机の横にあったからというだけの理由です。これはぼくの愛読書というのではありません。時たま目を通すという、新聞記事のような扱いをしてきました。著者の洪応明という人の履歴もよくわかっていません。日本では、信長から秀吉を経て家康に至る時代に当たります。兼好さんよりは三百年ほど後代の人。、ある本によれば、この人は若い頃に科挙の試験に合格し、仕官したが、中途で止めたとされています。そのことが、この本の内容に影響を与えているのかどうか、それもわかりませんが、そういうふうに読めば読めてくるという程度の怪しさでもあります。その「菜根譚」から二つ三つばかり。取り立てて、大仰に言うこともないものです。たまには、こんなものを、という程度。これが「処世訓」になるんですか。それらしく書きとめられるのは、事実に基づく経験があるからであって、経験に裏打ちされた行動の言語化と、自らの言動に依拠しつつある経験との符節・符号があって、はじめて学ぶべき教え(訓)となるのです。経験もしないのに、本に横線を引くような具合に「処世訓」は読まれるべきではないでしょうね。このような機微というか、脈絡は、若い頃からしばしば身に染みて学んできたところです。何のための傍線を施したのか。 

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 交友、須帶三分俠氣、作人、要存一點素心 (十五)

 (友に交るには、須(すべか)らく三分の侠気を帯ぶべし。人と作(な)るには、一点の素心を存するを要す。)(読み方も訳も、岩波文庫版による。以下同じ)

 ぼくが大学に入ったころ、六十年代半ば当時、しばしば、鉄幹の「人を恋ふる歌」を飲み会などで、蛮声を張り上げては歌っていました。どんな歌だか、深い意味はけっしてわかってはいなかった。「妻をめとらば才たけて みめうるわしく情けある 友をえらばば書を読みて 六分の侠気四分の熱」という。観念のかたまりを丸呑みするような、若気の時代の想い出であります。「妻をめとらば」は手のとどかない世界だった。「六分の侠気四分の熱」というところにうなされたのですね。ひどいものでした。

 この短文の「主意」は言わないでもいいでしょう。「友人とは義侠心を以て交わる」、義侠心とは、弱きを助け強きを挫くということか。侠気というのは、今では見失われてしまいましたが、どこかで、いいつでも求められる「困っている人がいれば、助ける心意気」のことでしょう。いっぱしの人間になるには、疚しい邪念はいけない。得荒くなりたいとか、他人の評価をもらいたいとか、世間・世評頼みでどうしますか。「素心」とは素志、あるいは初心というもの。自分はこれだけはやり遂げたいというような志を持つ必要があるということでしょうか。(いずれも、世間の荒波に揉まれているうちに、どこか行方不明になってしまったなあ、そんな情けない心持を持ちながら、ようやっとよろけながら歩いている始末です)

 處世不必邀功、無過便是功、與人不求感德、無怨便是德 (二八)

 (世に処しては必ずしも功を邀(もと)めざれ、過(あやま)ちなきは便(すなわ)ち是れ功なり。人と与(とも)にしては徳に感ずることをも求めざれ、怨みなきは便ち是れ徳なり。)

 解釈も解説もいらないでしょう。そのままに読みとれば「いかにも、結構でした」というような、「処世術」となるのでしょう。ところが、渡る世間は鬼ばかり、「そうは問屋が卸さない」と言わぬばかりの難題が攻めよって来るのです。「成功(功名)」したいと焦りなさんな、過ち(まちがい)がなければ、それが「成功(功名)」なんだというのです。あるいは「他人に対して徳を施した(「他人が恩を受けた」という)などという、他者からの見返りを求めるな」「他人から怨み買わなかった、そんな付き合いが出来るなら、それが徳(恩恵という)なんだ」。そうなんですかね。恩着せがましくするのではなく、「怨み」を持たれなかっただけでも幸いなりと。この交わりを「淡いこと、水の如し」というのでしょう。

 数日前の駄文で「淡交」ということに触れました。「君子の交わりの淡きこと」と。それに関して、京都の友人がまた電話をくれました。「淡きこと水の如し。それはどういうことや」というのです。「與人不求感德、無怨便是德」ーー 俺がしてやったとか、俺のおかげだぞと、たがいに自分の利点(ほどこし)を主張しないように。おたがいに「さっぱりした気持ちが続けば、それで十分」ということでしたね。水の如しかどうか、よくわかりませんが、「べたべたしない」「媚びない」「オベンチャラを言わない」、自分だけがそう思っているのかもしれないが、そんな付きあいをしてきたことは、おそらく確かですね、もう三十年をはるかに超えています。

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● 君子の交わりは淡きこと水のごとし=立派な人物の交際は淡泊であるが、その友情はいつまでも変わることがない、ということ。[使用例] 君子のは淡きこと水のしと云ってな、余りしつっこくならない方が好いのだ[森鷗外*灰燼|1911~12][由来] 「荘子―山木」に載せるたとえ話から。あるとき、孔子が、自分が苦難にあって以来、親しかった人たちが離れていってしまったと嘆いていました。すると、ある賢者が、「君子の交わりは淡きこと水のごとく、小人の交わりは甘きこと(あまざあけ)のごとし(立派な人物は水のようにさっぱりした付き合いをするが、そうでない人物は、甘酒のようなうまみを求めてしか付き合わない)」と言って、利益で結びついた関係は信頼がおけないことを教えたのでした。(故事成語を知る辞典)

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 よく「処世訓」と言い、「処世術」と言います。その言わんとするところは何ですかね。ぼくにはよくわかりかねます。若い頃から、「君は青臭い」とか「分(分際)を弁えろ」とか、歳上から詰(なじ)られてきました。いつまで「とがってるんだ」というのか、「いい加減に、矛を納めろ」というのだったか。ぼくはいっかな理解しなかった。連中の先輩面が気に入らなかったし、この「ゴマすり野郎」という悪態をつくのが常でした。「そっちこそ、分を弁えろよ」という気概でしたね。もちろん、ひとえに自分自身の不出来と欠陥がそうさせたのですが、とにかく生意気でした。功名心もなければ、義侠心もなかった。まるで「鉄砲玉」のようで、何処に飛んでいくのか、自分でもわからなかった。そして今、幸か不幸か「いい加減に、年齢を考えろ」と言ってくれる人は、もういません。自分で言うほかないようですね。「(小過は数知れず、であっても)大過なく過ごせれば、以て冥すべし」ということでしょうかねえ。(こんな駄文を書く羽目になったのは、瀬戸内寂聴さんの訃報に接したからでしょうか)

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● 菜根譚(さいこんたん)=中国、明(みん)代の末期に流行した「清言(せいげん)」の書。著者洪応明(こうおうめい)は、字(あざな)は自誠(じせい)、還初道人(かんしょどうじん)と号し、万暦(1573~1619)ごろの人。四川(しせん)省成都(せいと)府の出身。儒教的教養を基礎とし、そのうえに道教、仏教に通じて三教兼修の士となることは、明代中期ごろからの流行であったが、著者はその優れた一人であった。本書は、前集は222条、後集は135条、合計357条の「清言」からなる。前集は、主として世間にたち、人と交わる道を述べて、処世訓のような道徳的な訓戒のことばが多く、後集は、自然の趣(おもむき)と山林に隠居する楽しみを述べて、人生の哲理や宇宙の理法の悟了をくことが多い。この人生の哲理、宇宙の理法は、儒仏道三教に通じる真理であり、それを語録の形式により、対句(ついく)を多用した文学的表現をするのが「清言」である。書名は、宋(そう)の汪信民(おうしんみん)の『小学』における「人常に菜根を咬(か)みうれば、すなわち百事をなすべし」からとったものである。中国よりむしろ、江戸末期の日本で多くの人に愛読された。洪応明にはほかに『仙仏奇蹤(きしょう)』4巻(『消揺嘘(しょうようきょ)』『長生詮(ちょうせいせん)』『寂光境』『無生訣(むせいけつ)』各1巻)の著がある。(ニッポニカ)

投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。