【水や空】足元を見る 主要な交通手段が「徒歩」だった時代、旅の長さや疲労の度合いは旅人の履物や足取りを見れば一目瞭然だ。悪徳運送業者は考える。あんなに疲れているのなら、法外な値段をふっかけても大丈夫…人の弱みに付け込む〈足元を見る〉はそこから来た言葉▲だって欲しいでしょ、だったらカードを、と露骨に足元を見られている気分だ。新型コロナウイルス経済対策の一環として政府が打ち出したマイナンバーカードによるポイントの給付▲一昨日の記事によると、新規取得時に5千円分、健康保険証として使うと7500円分、預貯金の口座と連結するとさらに7500円分。どれも、キャッシュレス決済の利用が前提らしい▲この給付策が目指すのは生活支援なのか、景気の刺激か、それともカードの普及か。もらえるポイントが段階的に増える辺りに政府の意図が見える▲カードが皆に広く行き渡ることで暮らしや社会はどう変わっていくのか、その変化は誰にとって好都合なのか、個人情報保護の不安は解消されたのか。言葉や機会を尽くしてなされるべき説明や説得は省略されて、代わりに配られる2万円分のポイント▲〈カネが欲しいか、そらやるぞ〉-どこで聞いたのか思い出せないが、あまりに身もふたもない童謡の替え歌、一節が耳から離れずに。(智)(長崎新聞・2021/11/13 )

猫なで声で、「配りますよ」「お得ですから」「申請するなら今がチャンス」と、気持ちが悪いことおびただしい、その猫なで声に「貰えるのるのなら」と、「民草」たちが殺到しているという。衆議院選挙の投票には行かないが、カネがもらえるなら、なんだっていいさ、というのでしょうか。これもまた一つの「民度」ですね。民度に合った政治であり、政治家であり、役所であり役人なんですから、それに不足があるわけでもありません。不満もあるのではない。こんなもんですな。「足元を見」られているし、「お里も知れ」ている。開きなおって、どうせどう生きたって、たった一回の人生だということもあるのですかねえ。(そんな大げさなことじゃないよ、という声があります)
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● 足元(あしもと)を◦見る=相手の弱みにつけこむ。「—◦見られて高い値をつけられる」
[類語]付け入る・乗じる・付け込む・尻毛を抜く。
● あし‐もと【足元/足下/足▽許】=1 足が地についている所。また、その周り。「暗いから—に注意して下さい」「—に犬がうずくまる」2 足の下部。「—に泥はねを上げる」「—が寒い」3 ある人の、ごく身近な所。身辺。「まず—を固めて仕事にかかる」4 足の運び方。歩きぶり。足どり。「—がふらつく」「—がおぼつかない」
5 苦しい立場。差し迫った状況。弱点。弱み。「—につけ込む」6 物事を行うためのよりどころ。立脚地。足掛かり。足場。「事業の—を固める」7家屋の地面に近い部分。縁の下や土台など。8 近いこと。直近。最近。「—金利の安定」「—の企業業績は好調」「—の搭乗率は平均でも5割程度」
● あ‐もと【▽足元/▽足下】その人の家柄や身分。(以上は、デジタル大辞泉)
HHHHHHHHHHHHHHH
「足元(足下・足許)」という語にはたくさんの語用があり、ぼくなんかは嬉しくなります。「足元を見る」というコラム氏の解説には、合点がいくといおうか、「なるほどそうだ」と、一瞬は、膝を打ちたくなります。この「足元」という語を見ていて、意外にも「その人の家柄や身分」と出ていたのには少しばかり意外の感がした。あるいはそうだったのかという思いも同時にありました。足元(足下・足許)には「その人の生活の程度が出ている」というのでしょう。どんな履物を履いているか、あるいは身分により家柄によっても異なっていた時代や社会があったが故の「言い草」だったと思う。「身形(みなり)」というものも、じつは身分のあかしでもあったし、それはある人々にとっては「烙印」でもあった。一例は「囚人服」、今でもあるのかどうか、ぼくは詳らかにはしないが、これなどは一目瞭然でした。だから、「足元を見る」というのは、「こいつは何者か」という値踏みであり、低い身分だとわかると「無理難題を吹っ掛ける」という寸法だったでしょう。「人は見た目が…」というように、その人間が何ものであるか、服装や身形から判断する習慣がついてしまっているのが、この社会の来し方でした。「ユニフォーム」がこんなに普及したのも、来歴は明らかなんですね。

これによく似たような言い方に「お里が知れる」というのがありました。ありましたというのも、今ではあまり使われなくなったように思われるからで、すべてが「お里が知れ」ているというのが現代人なのでしょう。何処で生まれてどんな育ち方をしてきたか、それは今日とは異なって、生涯にわたって「住処(すみか)」を変える習慣(制度)がなかった時代の産物です。今でも犯罪容疑者の報道に「住所不定」と出てくるのも、ぼくなどは大きなお世話だと言いたいのですが、これも住所は定まっているのが当たり前の時代や社会の歴史からくる、一種の「偏見」ではないかと見ています。大半はそんなことは意識してはいないんですが。
前置きはこれくらいにして、「マイナンバーカード」です。いったいこれは何ですか、と訝(いぶか)る向きがあるし、ぼくなどは触れたくもない代物だと考えています。だから、「新規取得時に5千円分、健康保険証として使うと7500円分、預貯金の口座と連結するとさらに7500円分」というのは、いったい政治政策なんですかと問い返したくなります。日常生活になくてはならない「カード」なら、給付金などつけなくとも、国民の義務として交付を受け入れるのはとうぜん。しかし、いろいろと手を変え品を変えてまでも、「国民皆背番号」をともかく打ちたいから、何兆円も使って強行するという魂胆で、まさに「お里が知れる」ていますよ。ここで使いたいのは、政府・役人どもの「お里が知れる」ということです。江戸時代には「マイナンバーカード」はなかったが「宗門人別改帳」というものがありました。まさしく「個人識別一覧表」です。それと結託したのがこの島の宗教教団だった。その意味では、なんだかんだ言ってもそれは「国家宗教」と基本は変わらないんです。今でもそうかもしれないと、ふと思う時があります。
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● 宗門人別改帳【しゅうもんにんべつあらためちょう】=江戸時代,村(町)ごとに作成,領主に提出された戸口の基礎台帳。宗門人別帳・宗旨人別帳・宗門改帳などともいう。元来は別々に行われていたキリシタン禁圧のための宗門改と,領主による夫役負担能力把握を目的とする人別改とが,寛文期(1666年―1673年)以降,複合化し制度化された。幕府領の場合には家ごとに戸主・家族成員・奉公人・下人などの名・年齢,各人ごとの檀那寺を記し,キリシタンでないことを証明する檀那寺の印が押され,戸主には身分・持高・牛馬数なども併記されるのが一般的であるが,藩により形式は様々であった。1872年に壬申戸籍が作成されるまで,現在の戸籍台帳の役割を果した。(マイペディア)
● 寺請制度【てらうけせいど】=江戸時代,個人が寺の檀家でありキリシタンや禁制宗派である不受不施派などの信徒でないことを,檀那寺に証明させた制度。農民の住居移転,奉公,結婚,旅行などの際には,この制度によって檀那寺から発行される寺請証文を必要とした。寺院は,幕府の庶民支配機構の末端の役割を果たした。(世界大百科事典第2版)
● 檀家制度(だんかせいど)=江戸時代,寺請制度の確立とともに強化された宗教制度
一家が必ず一定の寺院の檀家となり,これに布施して寺院の財政を助ける制度。中世以来,寺院と民間との接触が強まってから成立し,江戸時代,キリシタン禁圧の手段として寺請制度が成立すると,全国的に制度化された。この制度により江戸時代の仏教は事実上国教化した。(旺文社日本史辞典三訂版)
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ここまで書いて来て、もうこの先はいいだろうというふうに思えてきました。どうしていま、この時代に「宗門人別改帳」が復活するんですか。この時、現在の「旦那寺」はどこのどいつだということになります。「旦那寺と檀家」、なんとも忌まわしい結びつきが思い出されますね。国民皆保険ならぬ、国民皆宗教派でしたが、それをいま復活させようというのです。旦那寺とは、この島のいくつかの総本山の下に蝟集してきた各地の末寺でしたが、今日の総本山は「大蔵省(現財務省)」か「厚生省(現厚生労働省)」か。この二つの役所にも、あまり明らかにしたくない歴史が営々と築かれてきました。何時も犠牲にされるのは「庶民」「民草」でしたね。あまりの苛斂誅求に、民草は「一揆」で権力に反旗を翻しましたが、さて今はどうなんでしょうか。反権力というのは、じつは「半権力」だったり「汎権力」だったり。
江戸の「人別改帳」のお目当ては、一面では「キリシタン禁制」でした。キリスト教には仏教各派は闘士を燃やしたんでしょうね。現代の「禁制」はなんでしょう。いろいろとありそうですが「キリシタン禁制」ではなく「脱税撲滅」なんじゃないですか。この島の税制はでたらめもいいところ、その昔、「クロヨン(9:6:4)」と「トーゴーサンピン(10:5:3:1)」という語呂合わせのような隠語(かな)がありました。今でもあるんのかしらね。(左上は「踏み絵」の図、役人たちが「足元」を凝視しているでしょ、「足元を見る」の始まりです)
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● クロヨン(くろよん)=自営業や農業などの従事者に比べ、サラリーマン世帯の重税感を表すことば。昭和40年代なかばから使われ始めた。所得から必要経費などを差し引いた課税対象所得のうち、税務当局による所得捕捉(ほそく)率の業種格差についての不公平感を表現した数字とされる。「クロヨン」は給与所得者、自営業者、農業世帯の課税所得捕捉率が、おおむね9割対6割対4割になることを意味する。/ サラリーマンなどの給与所得者は原則として源泉徴収されているうえ、所得控除などもガラス張りで、課税所得の捕捉率は約9割に達するとされる。これに対し、自営業などの事業所得者は家屋、車両、交際費など、事業と私生活の区別がつきにくく、私的支出が必要経費に算入されやすいため捕捉率は6割にとどまるとされる。また、農林漁業従事者の捕捉率は約4割に低下するとみられている。さらに、サラリーマン世帯の重税感はクロヨンより重いとして生まれたのが「トーゴーサン」(10対5対3)という表現である。政治資金がほとんど課税対象とならない政治家を加え、「トーゴーサンピン」(10対5対3対1)という表現もある。ただ税務当局は捕捉率を公表しておらず、クロヨンやトーゴーサンはあくまで国民の経験や実感に基づく概数値である。クロヨンに象徴される課税不公平感の解消が、1989年(平成1)4月に消費税(間接税)が導入された理由の一つとされた。(ニッポニカ)
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ぼくは、もちろん「カネモチ」でもなければ、「カネの亡者で」もない。でも政治的不公平や不公正にははらわたが煮えくり返りま。たしかに、すくなくとも「税制」に関して、誰もが納得する制度はできないことはわかっているけれど、取れるところからさらに取ろう、あいつらは税金逃れ、脱税をしているのではないかと人民に疑いをかける、それが権力者なんだ。その結果。もっと税を取れるはずだから、それを取りやすい制度に改めようではないかと、「国民の代表」が導入を決めたのが「マイナンバーカード」だという次第。お分かりでしょ。二兆円やそこらを浪費したところで、後々もっと、何倍にもなって入ってくるんだから、これを逃す手はないさ、とコロナ禍を悪用している、さらに「罠を仕掛けて」まで仕留めようというのです。それが権力亡者であり金権亡者ではないですか。どうぞ申請したけりゃ、どんどんすりゃいいさ。
いずれ「踏み絵」なるものが必ずやってきます。ぼくには連中(権力亡者)の「お里が知れている」のですよ。この制度の導入に積極的に加担しているのが「宗教政党」です。この宗教の開祖は日蓮さん。江戸時代の「宗門人別改帳」や「寺請制度」の際、この宗派の一派「不受不施派」は幕府の弾圧によって厳しく取り締まられた。キリシタンと同様に「禁制」を受けたのです。令和版の「キリシタン禁制」に大いに力を注いでいるのが日蓮宗の一教団ですから、変われば変わるものですね。もとを糺せば、いっしょじゃないかと言いたくなるのもむべなるかな。
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● 不受不施派【ふじゅふせは】=日蓮宗の一派。派名は《法華経》を信じない人からは布施を受けず,法を施さないとする教義に由来。1595年豊臣秀吉の千僧(せんそう)供養の際,日奥(にちおう)〔1564-1630〕が不受不施を唱えて参加しなかったことに起源。以後,日蓮宗は日重の摂受派と不受不施派に分かれて,正統性を争った。1665年その排他性のゆえに幕府の禁圧を受け,キリシタン同様地下生活に入った。1682年には清濁論争が起こり,日指派と津寺(つでら)派に分裂,日指派はさらに奥方,里方に分裂した。江戸時代を通じて数次の弾圧を受け,明治維新後1876年日正は岡山県金川(かながわ)妙覚寺を本山に日指派を,1882年日心は津寺派を再興した。(マイペディア)
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ここまでにします。税金を取るのが権力者の役目。それに協力するのが、可愛い「民草」というわけですか。騙されているのにさ。可愛いな、と頭をなでられ、「尻毛を抜かれている」間に、奈落の底に落とされるのよ。未曽有の災厄を、まさしく「千載一遇」と悪用するのが「本物の悪代官」です、これもまた歴史が証明しています。
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