さればこそ賢者は富まず敗荷(やれはちす) 

 【北斗星】「けさの冬よき毛衣を得たりけり」。江戸中期の俳人・与謝蕪村は立冬の朝にいい防寒着を手に入れたと詠んだ。寒くても大丈夫だとうれしそうに着る姿が目に浮かぶ▼立冬の昨朝、県内の気温はぐっと下がり、多くの観測地点で今季(8月以降)最低を記録した。一方、日中の最高は、全ての地点で平年を上回った。きょうも昼間は暖かくなる見込みだ。上着を着たり脱いだりしながら体調管理に気を付けたい▼冬本番に向けタイヤの交換も欠かせない。秋田、湯沢、能代の各河川国道事務所が今月1日に冬用タイヤの装着率を調べたところ、平均19・6%で昨年同期より約4ポイント低かった。日中は暖かくても、朝晩の冷え込みで路面が凍結する可能性もあるので注意が必要▼平年の初雪は11月15日。昨年は10日だった。昨冬は県南で記録的な大雪となり甚大な農業被害をもたらした。今冬の降雪量も気掛かりだ。東北の日本海側は平年と同様に曇りや雪、雨の日が多いと予想されている▼気象庁は10日から、新たに6時間先までの積雪の深さと降雪量を「今後の雪」として発表する。1時間ごとに5キロ四方単位で予測するため局所的な大雪もチェックできそうだ▼昨冬は大雪に加えて新型コロナウイルス感染者の増加が深刻だった。新型コロナの感染者数は減ったものの、今冬はインフルエンザとの同時流行を懸念する声も聞かれる。雪への備えとともにマスクの着用や手洗いなどを引き続き心掛け、冬を乗り切りたい。(秋田魁新報・2021年11月8日 )(ヘッダーは「夜色桜台図)

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蕪村「山水図屏風」製作は天明二(1782)年

 蕪村は京・大坂に有縁の人であり、江戸住まいも経験した人でした。だから、土地土地の寒さや雪は経験済みだったでしょう。でも、東北の冬の寒さや雪の多さはどうでしたか。彼は三十歳前に茨城県の結城に滞在し、その後は東北地方にまで足を伸ばしています。芭蕉の「奥の細道」を踏襲する気分があったと言われている。やがて京都に帰り、丹後に行く。母親の出身地だった与謝野にも赴いている。その後は市内に戻り、長くそこに住んだ。結婚して一女を授かります。また四国の讃岐に出かけたりして帰京、晩年は、京都島原の地で俳句を教えたりしながら、終生京都の町中にとどまった。六十八歳を一期として没。辞世の句は「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」だった。

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● よさ‐ぶそん【与謝蕪村】=江戸中期の俳人、画家。摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬町)の農家に生まれた。本姓谷口、のち与謝。別号宰鳥、夜半亭二世。画号四明・春星・謝寅など。一七、八歳のころ江戸に出て、画や俳諧を学び、俳諧の師巴人が寛保二年(一七四二)に没してからは江戸を去り、一〇年あまり東国を放浪した。宝暦元年(一七五一)京都に移ってからは、しだいに画俳ともに声価を高め、明和七年(一七七〇)には夜半亭を継ぎ宗匠の列につらなった。さらに安永二年(一七七三)には「あけ烏」を刊行し、俳諧新風を大いに鼓吹した。俳風は離俗、象徴的で美的典型を示しており、中興俳諧の指導的役割を果たした。一方、画にすぐれ、大雅と並び文人画の大成者といわれる。著「新花摘」「夜半楽」「玉藻集」など。句集に「蕪村句集」がある。享保元~天明三年(一七一六‐八三)(精選版日本語大辞典)

・冬ちかし時雨の雲もここよりぞ   ・なかなかにひとりあればぞ月を友   ・月天心貧しき町を通りけり

・身の秋や今宵をしのぶ翌もあり   ・門を出れば我も行く人秋のくれ   ・寒月や門なき寺の天高し

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 ・さればこそ賢者は富まず敗荷 

 「敗荷」とは「やれはす」「やれはちす」とも言って、ハスの葉の枯れて汚くなった様を言います。解はご随意に。昔から、ぼくの好きな句でした。もちろん、自分に準(なぞら)えて読むからというのでないことは断るまでもありません。こんなのも、現代俳人の句として「敗荷の影折れしまま澄みにけり (小林康治) 」これまでに、ぼくは「賢者」と言われる人をどれくらい尋ねたでしょうか。改めて、思い返してみても、あの人この人、さらに…と、指を屈することができないのは、この蕪村の句に刺激されたからか。これほどに、ぼくは「賢者」という人に遭遇していないことに驚かされるのです。自分の身に合って、人は類を呼び、類は友を呼ぶというのなら、その通りで、愚者は愚者同士で交流するのが健全なんでしょうね。(かなりな数の人を尋ねました。その門構えや家の姿は立派なものだった)

 でも、こんな句を詠む蕪村という人は、とんでもない才能をもっていた人物だったし、それを惜しまないで開花させた人生でもありました。驚くことに、彼は独学で「絵画」を修練したと言われている。(左上は「奥の細道図屏風」)

 この雑文集(ブログ)の初めの頃に、「菜の花や…」の句を引いておきましたし、「山は暮れて野は黄昏のすすきかな」や「愁ひつつ岡に登れば花いばら」の句も、どこかで引いています、たぶん。あるいは、口ずさんだだけであったかも。さすれば、ぼくはよほど蕪村(の句)が好きだということになります。奇妙な言い方ですが、まじめに彼のものを調べたわけではないのに、かなりの句を記憶しているというのが、その証拠とも言えるでしょう。 上にも掲げた、辞世の句「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」、形容しがたいほどの静寂と侘びしさが混淆しているようです。これに比して「一茶」は、と言いたいのですが、牛にの涎(よだれ)のような駄文の長さになりそうなので、今回は、ここまでにしておきます。(一茶については、さらに改めて書いてみたいですね)

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