なぜ「ミルク」の名が海軍給油艦に冠せられる?

米海軍、給油艦をハーベイ・ミルクと命名 ゲイ公表の政治家

(米国の同性愛者運動家ハーベイ・ミルク氏の肖像をあしらった切手の発表式典。首都ワシントンで)(2014年5月22日撮影、資料写真)。(c)JIM WATSON / AFP

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 米海軍、給油艦をハーベイ・ミルクと命名 ゲイ公表の政治家

【11月6日 AFP】米国の政治家として初めてゲイ(男性同性愛者)であることを公表し、42年前に暗殺されたハーベイ・ミルク(Harvey Milk)氏の名前を冠した米海軍の給油艦が6日、披露される。◆全長227メートルの給油艦ハーベイ・ミルク(USNS Harvey Milk)の命名には、時代に合わせて変化しようとする米軍の姿勢が表れている。◆ミルク氏は、米軍が同性愛を禁止していた時代に海軍の潜水士として勤務。退役後は同性愛者であることを公言し、サンフランシスコ市管理委員会の委員に選出され、性的指向を理由とした差別を禁止する法律の成立に貢献した。◆しかし、公職に就いてからわずか数か月後の1978年、不満を抱いた元委員によってジョージ・モスコーニ(George Moscone)市長と共に射殺された。◆6日にサンディエゴ(San Diego)で行われる命名式には、カルロス・デル・トロ(Carlos Del Toro)海軍長官が出席する。◆デル・トロ長官は海軍のプレスリリースで「ハーベイ・ミルク氏のような先達は、経歴や経験の多様性が、わが国の強さや決意に寄与することを教えてくれた」と評し、「この艦に乗る未来の水兵たちが、ミルク氏の人生と遺産に触発されることは間違いない」と述べている。(c)AFP(2021年11月6日 16:11 発信地:ロサンゼルス/米国 )(https://www.afpbb.com/articles/-/3374614?cx_part=top_category&cx_position=1)

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 エプスタイン監督の記録映画が作られたのは1984年、その後に、ぼくはDVD版を入手し、繰り返し観たものでした。それ以前にも、「ゲイ」や「ホモ」という言葉や現象などに関しては興味本位の域を出ない範囲で、まことに無責任な扱いに終始していたのでした。学生のころ、新宿や上野の街で、それらしきバーなどにも通ったりした。しかし、問題の本質にはまったく触れられなかったというか、触れようとはしなかった。初めてこの「記録映画」を観たとき、ぼくは、大げさではなく「世界観」が変わった。「男と女」という枠内でしか人間を考慮しないことが、どんなに窮屈で、かつ独善的であったか、それを思い知らされたのでした。ミルクという人は実に勇敢であったと、いまさらのように考えています。「男」、「男らしさ」への、早い段階からの違和感、さらには異議申し立て、それが彼を政治家にして行った理由であったかもしれないと、ぼくはつくづく考えました。

 不思議なもので、いささかの問題意識を持ち始めると、今までに視野に入らなかった場面や状況が少しずつ見えてくるようになった。関心を持つということの大きな意味だったと言えます。ミルクの活動が明確なものであり、確信に満ちたものであることが明らかになると、彼を熱心に応援するサポーターが増えると同時に、彼を排除しようという勢力も、同時に顕在化していきます。それが78年の銃撃による暗殺事件でした。その前年、ミルクは三度目の立候補で初めてサンフランシスコの市会議員になっていた。だが、彼は市のホールで、市長とともに銃撃された。その瞬間も映像に残されていた。(奇異な感がしたのは事実です)銃撃したのは彼の同僚の市会議員だったダン・ホワイト。

 彼は逮捕され、有罪判決を受けたが、五年で「自由の身」になっている。ぼくはこの当時のサンフランシスコの新聞を取り寄せ、判決以降の経緯を知ることになった。彼は、ある種の英雄でもあったのだろうか、事件の背後にも、あるいは事件発生後にも大きな力が裏で働いていたという報道がなされていた。その後、ダンは、自宅の車庫で排気ガスを吸って自殺をしたという。

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● レズビアン・ゲイ解放運動【レズビアンゲイかいほううんどう】=家父長制社会は異性愛の強制によって維持される。たとえば社会が〈日本には同性愛者は存在しない〉と装うとき,あるいはメディアのなかで特殊な同性愛イメージを氾濫させるとき,現実の同性愛者は自分のセクシュアリティについて沈黙を強いられ,心理的・社会的・身体的な閉鎖空間(クロゼット)に閉じこめられがちである。レズビアンゲイ解放運動は,同性愛者が公的な空間において自分のセクシュアリティ(セックス)を明らかにすることでその存在を社会に知らしめ(カムアウト),日常的な他人とのコミュニケーションから法にいたるまでの,あらゆる場面の闘争に政治的に関わり,そこで自分なりの新しい生き方をつくっていく運動である。同性愛差別に対するそれまでの先駆的な努力と,1960年代の公民権運動ウーマン・リブなどを背景に,1969年のストーンウォール暴動をきっかけとして各国に波及した。その結果米国では1973年に同性愛が医学的に異常,倒錯とはみなされなくなり,サンフランシスコでは1977年ハーベイ・ミルクがゲイとしてはじめての行政執政官に選出された。またデンマークスウェーデンでは同性同士の結婚が認められるようになり,1996年には南アフリカ共和国憲法で性的指向による差別の禁止が世界で初めて明文化された。日本でも1970年代後半から様々な組織が誕生する。1991年には公共施設の使用問題をめぐり,レズビアン・ゲイ団体〈アカー・動くゲイとレズビアンの会〉が同性愛者の人権を求める訴訟を起こし,1994年からは毎年東京レズビアン・ゲイ・パレードが開催されるなど,独自のレズビアン・ゲイ解放運動が展開されている。ゲイ文学やレズビアン文学の抬頭も解放運動の一翼をになっている。(マイペディア)

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The Times of Harvey Milk Director: Robert Epstein 1984/ USA/ Documentary/ 87min/ Language: English/ Subtitles: Japanese(1984年/米国/ドキュメンタリー/87分/監督:ロバート・エプスタイン=1955年、米国、ニュージャージー生まれ。本作を含め二度、アカデミー最優秀ドキュメンタリー賞を受賞している。最新作はビート文学の詩人ギンズバーグを描いた『Howl(ハウル)』(2010)で、『セルロイド・クローゼット』(1995)、『刑法175条』(1999)同様にジェフリー・フリードマンと共同監督)

 ゲイたちが公の場で手をつなぐことも違法とされていた1970年代のサンフランシスコ。ハーヴェイ・ミルクは草の根運動で偏見と闘いながら、市政執行委員に当選する。彼は市長とともに、ゲイだけでなくマイノリティや弱者すべてに対する差別撤廃を訴えていった。が、公職に就いて1年足らずでふたりは保守派の凶弾に倒れる。しかも、狙撃犯の保守派政治家D・ホワイトの裁判は、驚くべき展開をみせた・・・。▼この映画は、ミルクの友人・知人へのインタビューや在りし日の記録映像によって、人物と時代を丸ごと描くことに成功した不朽のドキュメンタリーであり、普遍的な視点や社会へコミットする勇気と希望を与えてくれる作品である。(https://www.amnesty.or.jp/aff/about/archive_2011/the_times_of_harvey_milk.html)

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https://www.youtube.com/watch?v=AWC6-aVJhxQ

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 ぼくの性的傾向は世の中の定めた範囲内で収まって来たと思う。それは趣味でも冒険でもなく、傾向であり、性の志向性でもあるのですから、それが時には人を大きく動かし、変えることになるはずです。おそらくぼくは、この記録映画を十回以上は見ていると思う。その度に、ミルクという人の勇気(courage)、あるいはその振舞い(courageous behavior)に強く刺激されてきた。これを見てほしいと多くの人にも勧めました。もちろん若い人には積極的に。そのなかに、強く印象に残っている、一人の「女性」がおられました。いまはある団体の代表をされ、この問題(LGBTQ)に関して積極果敢な活動を展開されています。

 当時、ぼくの処へ来られて、「このDVDを貸してほしい」と言われた。何日か過ぎて返却に来られた。杉山文野さんでした。いまでは大変に精力的な活動をされていて、それを知るにつけ、ぼくは「ミルク」と重ねて杉山さんを見てしまうのです。この島社会でも時代とともに、問題に対する関心が深まっているように見えます。しかし、問題の関心が広まり、活動が活発になればなるほど、それに敵対する勢力も強大化していきます。ぼくに何かできるだけの余力はありませんが、杉山さんたちの活動がさらに前進することを脇の方から「応援」するばかりです。(杉山さんのHPのURLです。https://fuminos.com/)

 例えにしてはあまり適切ではありませんが、かかる活動が広がりと深まりを見せると、ある立場の連中の「モグラ」叩きが始まります。LGBTQの解放が進むと不都合であるという人々が、その活動そのものを「モグラ」に見立てて、阻害し、阻止することは止めないのでしょう。でもそれもある時期までで、ここまでが大変だったという思いは、ぼくのような人間にも感じられます。だからこそ、この流れを止めないこと、それだけでも大変な精力を必要とするでしょう。閉塞状況を打破することによってはじめて解放が達成されるのは、これまでの歴史が示しています。(「Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay(ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー、性自認が出生時に割り当てられた性別とは異なる人)、QueerやQuestioning(クイアやクエスチョニング)の頭文字をとった言葉で、性的マイノリティ(性的少数者)を表す総称のひとつとしても使われることがあります。以下略)(https://tokyorainbowpride.com/lgbt/)

 「ハーヴェイ・ミルクの時代」がそれを明確に示しています。すでに「賽(サイ)は投げられた( The die is cast.)」のだと言っておきたい。これまで蓋をされていた「禁忌」(に等しい状況や扱われ方でしたから)を突き破る行動が始まったのです。カエサルの顰に倣うと<Alea jacta est>であり、もうすでにルビコン川を渡ったのだと思います。現下の状況は、このぼくにしても部外者面をして、拱手傍観は許されないでしょう。けっして安閑とはしておれないし、高みの見物を決め込むわけにはいかないのです。若い人が大いに行動を強めていくことを、ぼくは熱望するし、それぞれが自らの「性的志向性」に忠実に生きることが求められる時代に入っているのです。

 ミルクがなくなって、四半世紀以上が経過しました。ぼくはアメリカの現状に詳しくはありません。しかし、大きな流れから見ると、猛烈な「反動」や「反作用」が来ているようにも思われます。黒人差別撤廃に至るための「公民権」運動の歴史を見ても、それが実感されるのです。この社会は、ことのほか旧態依然たる「ジェンダー文化」を誇りにすらしている始末です。それも、しかしある時期までのこと、それは「戦前と戦後」が一夜にして、価値観まで変わったかと思われるほどの変貌を示したように、ある意味では地殻変動はとっくに始まっていて、多くはそれに気が付かないままでいるのでしょう。戦前と戦後の一変を「演出した」のは「GHO」でした。この時代、この課題について、いったいなにが「GHQ」にとって代わるのでしょうか。

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 米国ウィスコンシン州に暮らすメモ・ファシーノさんと夫のランス・ミエさんは、5年前から自宅の玄関先にレインボーフラッグを掲げていた。ところが先月、地元の不動産管理組合(HOA)がアメリカ国旗以外の掲揚を禁止する方針を固めた。何でも近隣住人がBLMやシン・ブルー・ライン(警察への敬意を表すシンボルだが、BLMに反対を示すのに用いられている)などの旗を掲げていたのが、理由だという。/ その翌日、何者かが管理組合に通報したようで、ファシーノさんの元にレインボーフラッグを片付けるようメールが届いた。ファシーノさんは要請に応じ、レインボーフラッグを撤去。しかし、性の多様性を支持する方法はないかと考えたファシーノさんは、驚きの行動に出た。(FINDERS:https://finders.me/articles.php?id=2858)

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 最後に、疑問を呈しておきます。アメリカ海軍当局はどうして給油艦に、ハーヴェイ・ミルクの名前を付けたのでしょうか。真意というものがあるのでしょうが、ぼくにはよくわかりません。「時代に合わせて変化しようとする米軍の姿勢が表れている」「ハーベイ・ミルク氏のような先達は、経歴や経験の多様性が、わが国の強さや決意に寄与することを教えてくれた」このコメントは、たしかに理にかなったものとも言えそうですが、いかにも通り一遍(a superficial explanation)でしかないようにも思えます。「希望」という灯りを、自らのいのちと交換したかとも思われるミルクの名を、戦争の重要な武器の一つに付与するというのは、あまりにも冗談が過ぎると言えます。ミルクの生涯を冒涜するものではないでしょうか。

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