未利用果樹・放任果樹ってなんだ

 【談話室】▼▽今年も隣家より柿を頂戴した。家族で手分けして皮をむき、縄に挟んで物干しざおにつるせば、冬支度の第1弾が完了の感。漬物用の野菜の確保などと同様に、食べ物の備えは庭木の雪囲いなどより優先すべき事項だ。▼▽田舎とはいえ住宅街では柿の木も少なくなった。ご近所の好意がなければわが家の干し柿は作れない。“地の物”を手ずから加工する生活の楽しみが分かり始めたが、原材料の入手は意外にハードルが高い。一方、郊外に目を転じれば実をつけたまま放置された木が目立つ。▼▽人が活用しなくなったこれら果樹は「放任果樹」「未利用果樹」などと呼ばれ、早急な対策が求められている。実を食べようとするクマやサルなどの鳥獣を集落内に引き込んでしまうためだ。それが繰り返されることで人間と獣の生活圏が重なり結果的に深刻な衝突を招く。▼▽他県では近年、放任果樹の伐採に関して経費の補助制度を設ける自治体が増えつつある。少子高齢化で木の管理が及ばなくなる中、抜本的な解決策と言えよう。切るのが忍びないなら、自由に実をもいでいい木に印を付けて周知するのはどうだろう。喜ぶ人はいると思うが。(山形新聞・2021/11/05付)(上の写真は九十九里浜海岸から昇る「朝日」です)

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 いつにもまして、雑談というか駄文というか。先月半ばに子猫が生まれた。家の裏の物置代わりにしている棚の下段に段ボールを入れて、その中に布団や毛布を敷いておいた。もしここで産んだらと前もって考えていたのです、数日前に「子猫を、親が押し入れにいれている」とかみさんがいう。いよいよ寒くなって来たので、親猫が触らせないかもしれないが、とにかく子猫を家の中にと思案していたところでした。用を済ませて帰ったら、かみさんがそういうので、ならば一気に外の子猫を取り出してしまえとばかり、親が怒っていたが無視して子猫を取り出した。まだ、半月程度だろうと思う。外にいたのが四匹でしたから、無事で四つとも育つといいなと思っていたら、親が家の中に連れ込んでいた一匹を忘れていた。後で、仰天、なんと五人も生んだのだ。以来、親猫は授乳を放棄、家にあまり寄り付かなくなった。食事だけ取りに来る。(数日前、かみさんが興奮した面持ちで、「今家の前を、イノシシが駆けていった」という。ぼくはいつも見ているから驚かないが、イノシシがこのところ、道路のわきの土を掘り起こして回っているんですね。冬ごもりの準備でしょうか)

 子猫が家に入ってからは、俄(にわ)かに忙しくなった。ぼくは毎日、朝の五時前後に起きます。早ければ四時、遅くとも五時半。猫が食事を要求するので、無視はできません。普段だと、かんづめかなんかを五人分用意して、それでことは足りるのですが、それぞれに好き嫌いがあるので、何でも一緒というわけにはいかない。人間とまったく同じ。加えて、子猫のミルクを作る。熱いお湯で粉を溶かし、適温にして飲ませる。その前に排尿。まだ自分で出せないので、少し刺激する。五回(匹)分です。その後にミルク、まだ産まれたばかりだから、飲む量は少ない。一人で五人分を面倒見るのだから、時間がかかる。昨日などは、全部飲み終わらせたのが二時間後。今朝もルーティンワークをやりながら、日の出を見る。この山中に越して以来、恵まれた日には「朝日(日の出)」を見る。家から真南の、遥か彼方に九十九里海岸があるので、そこに登った太陽が、やや遅れて、拙宅の前の雑木林の上に出る。ほぼ五分遅れで、のびやかなきな「日の出」を見ることが出来る。(上の「日の出」は九十九里片貝中央海岸(千葉県山武市)。(https://www.surf-life.blue/weather/613/ から拝借しました)

 日没は辛うじて見える(市原市の方角)が、なにかと雑用をしているので、まずゆっくりと眺めたことがない。その「日の出」です。どういうわけだか、本日はかみさんが六時前に起きてきた。(一瞬、雨天を想ってしまった)どうしたのかと訝ったが、また布団に入る気配もない。子猫の鳴き声が喧しく、寝ている気にならなかったのかもしれない。そのうち、ミルクをやるのを手伝い出した。その直後、居間から見える「日の出」を教えた。「見てごらん、美しいよ」「まあ、なんてきれいな!」とか何とか言っていた。だったら、毎朝もっと早く起きればといいかけたが、止めた。朝日のあまりの見事さになかなかに感心していました。さらに子猫の授乳の続き。その合間に朝食をとるのですが、何だか食べた気がしない。終わって、時間を見たら九時を過ぎていました。

(耕作放棄地・歩いていたら、放棄地の雑草を助走している造園屋さんがおられました)

 ウォーキングに出かけると言って、家を出ました。爽快な好天で、歩くのが楽しい。このところ、ほぼ一時間半(前後)くらい歩いています。万歩計なら約一万数千歩。距離にすると、十キロ弱でしょうか。稲刈りを終えた田圃の周りを回ったり、ブドウ園やブルベリー農園の近所を通ります。少し汗ばみながら、見るともなく見渡しては歩くのですが、収穫されない柿の木が、あちこちに立っています。そのどれもが実に豊作で、まさしく「たわわにみのる」という風情でした。コラム氏が言うところの「放任果樹」「未利用果樹」です。誰も見向きもしないというのでしょうが、いつか、これを好まれて、奪い合う時代が来ないとも限りません。すでに盛りを過ぎた栗の実を付けた栗の林が数か所にあります。市場に出すには手間も暇もかかるし、金銭にならないからというのか、あるいは栽培しようと植林したが、手が足りなくなったので放置しているのでしょうか。年々、この近隣でも「耕作放棄地」が広がっているような気がします。

 昨日だったか、ある新聞のコラムで、先日亡くなられた内橋克人さんのことが出ていました。実は、本日はそれをネタにして、内橋さんの「匠の時代」を思い出しながら、この島社会の「ものつくり」がまことに落ちるところまで落ちて行ってしまった現状を、「昔日の感」という観点から書こうと思っていました。(「匠の時代」ではなく「企みの時代」への凋落あるいは堕落ということについて。内橋さんの名前が出てきたので、その連想で佐高信さんについても触れようとしていたら、山形新聞の「談話室」にぶつかったというわけです。山形は佐高氏の出身地。父親は校長さんで、佐高氏もしばらくは高校の社会科の教師をしていた。「生活綴り方」的教師だったとか。何の脈絡もなく、単なる思い付きでこの駄文を書き始めたのですが、歩いている間、いろいろな人や出来事が脳裏に浮かんでは消えていきました。ものつくりで思い出すのは、ソニーの井深大さんやその相棒だった盛田さん(ウォークマンの生みの親)。何時の日か、これらの人については書いてみたいですね。ソニーは「ものつくり」ではなく、保険や銀行などで利益を得る会社になってしまいましたね。(井深さんとも少しばかり因縁がありました。彼に連なる人ですべての人は亡くなりました。ぼくにはいつまでも懐かしい人々であります)

 佐高さんには一度だけお逢いし、ぼくが担当する授業で話していただいたことがあります。教室の学生は積極的ではなかった(と、ぼくも思った)、佐高氏はいたく機嫌を損ねた。「君達はバカか」とまで言っていた。ぼくも教室に入っていました。彼は、当時まだ「経済評論家」として活躍されていた。いまはこの看板は使われないようです。「自分の師は城山三郎、内橋克人だ」と明言されていました。それに対して、自分の反対側に位置して、ダメな経済評論家や学者に長谷川亀太郎、竹中平蔵らがいると、辛辣にこき下ろしていた。たしかに佐高さんの指摘はその通りだと、その時も思ったし、今でもその思いは変わっていません。「新自由主義」というものの中身は、よく知りませんというか、いったい学問なんだろうかという強い疑心がある。それを簡単に言えば、「弱肉強食」「優勝劣敗」という、とんでもない「強面の」主張であり、それを政治や経済に適応しただけではないかと思っている。「自助」などと喧しく叫ばれたのと同一の、デモクラシーを破壊する単調主義、利権漁り本意でしょう。社会保障や社会福祉などというのは、無駄な投資にしかならないから、そんなものを切って捨てよと言わぬばかりに、目の敵にしてきました。その点では、それを真っ向から否定している佐高氏に、ぼくは同調・同意しているのです。

 今回の選挙でも、同様の主張がくりかえされました。「格差社会」の絶対的是認であり、「優勝劣敗」的経済競争の積極的肯定です。面倒ですから、これ以上は言いませんが、ようするに、「働かないもの食うべからず」という、とんでもない「格差社会」への再号砲でもあったのでしょう。こんな乱暴な手法が国民の賛意を得たというのもぼくには驚きです。「放任果樹」「未利用果樹」とは、社会的に「有用・有益ではない」と判断された「弱者」そのもののように、ぼくには映るし、第一にぼく自身もその中に入れられているのです。そんな非道な政治や行政を看過していいとは断じて考えられない。田圃道や栗林を横に見ながら、ぼくは身も心も怒りに熱くなるのを覚えたほどです。帰宅するなら、子猫の授乳再開。ぼくたちの身近に「有用・有益でない」ものなど、果して存在しているのだろうか。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと 下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです